第17話 麗しのあのヒト・5

 ヒュン…。

 ヒュンヒュンヒュン…


 風を切る音。セインの叫びは流石に遅すぎた。

 もっと早くに気付かないといけなかった。

 どうして、数字が上がっているのかを考えるべきだった。


「来ちゃ駄目…。クソ…。俺は…」


 ワザと逃がされていた?

 俺が森の外、仲間がいる方向に逃げるって分かっていた?

 もしかしたら、男とバレていたのかも。

 もしかしたら、一連の流れを全て見られていたのかも。

 そもそも、俺は見捨てられていなかったんだ。

 嬉しいのに悔しい。

 俺を見捨ててくれてたら良かったって心から思う。


「王の盾の息子…なのに…」


 ゴブリンにはあの射手がいる。森の端に住む人間サイズのコボルトよりも遥かに大きな獣人を一発で仕留める強者がいる。


「ぐ…は…」

「ひ。待ち伏せ…て…」


 俺の体を治癒する為に、急がされたクレリックの人達が射貫かれる。

 あの強力な射手の矢じゃない。

 まだ、死んではいないと思うけど、時間の問題だった。

 既に包囲は完成。俺の足を撃ったのは、俺を囮に他の人間を射殺す為。


「逃げて‼俺はもういいですから‼」

「馬鹿を言うな。クソ…。高がゴブリンが…」


 流石にあの二人はどうにか持ちこたえている。

 でも、0.1という数字が頻繁に頭に浮かぶ。

 これは俺自身の生存率だけじゃなかったのか?

 もしかしたら、先に皆を殺して、最後に俺を…?


 アルト王国は終わっている。

 それは彼らの親世代の考え方が終わっているから

 あの二人は、それに抗っている。絶対に死んじゃいけない人。


 俺のせいで…俺のせいで…俺の…数字は98?

 騙されるな。俺は王の盾の子どもだぞ‼


 プシュ…


 ここで俺はマニー特性のゴブリン用媚薬を自らの体に吹き付けた。

 よく思いついたものだと、自分を褒めてやりたい。

 助けに来てくれているのは、みんな男。

 だったら…、頑張れ、俺。

 ゴブリンの欲望を俺に。俺はゴブリンの為の囮じゃない。

 人間の為の囮だ‼あの時のメイの叫びを思い出せ。


 出るか分からないけど。やらなくちゃ…


「助けて下さぁぁぁああああああいぃぃぃいいいいい‼お願いしまぁぁぁああああああああああああすぅぅぅぅぅうううううう‼」

 

 必死にメイを真似た甲高い叫び。

 あの時のように、俺に注意をひかせるため。

 誰かを死なせない為に、本当に囮になる。

 胸を張って天国の父と母に言ってやる。


 俺は——


「そんなの無駄よ」

「王の盾として…、って。…え?」


 ただ、ここで俺の死に様に口を挟む者がいた。

 亜麻色のローブ、目深に被ったフードの女。


 でも、そんなことより


「貴方が命を張っても意味がないの。このゴブリンには指揮官がいるわ。野良のゴブリンと同じに考えちゃ駄目」


 この声。聞いたことがある。忘れることのできない声。

 でも…、彼女の筈がない。だって


「風の精霊。邪な魔物から私たちを守って…」


 ローブの袖から真っ白な手、たおやかな指先が突き出て、突然の奇跡が起きた。

 四方から飛んできていた矢が、強風にあおられて明後日の方角に飛ぶ。

 そして、ポトっと腐葉土の上に落ちた。


 …80


 俺は呆然として、その奇跡ではなく、彼女の顔を見つめていた。

 そんな筈ない。だって、あのヒトは俺よりもずっとお姉さんで、彼女は俺と同い年くらい。

 ってことは…


「子供…?」

「な…。子供ですって?ちょっと、アナタ。失礼ね。少しどころじゃなく、アナタより年上よ」


 そして何故か怒鳴られた。

 確かに俺は最年少だろうけど。

 若い女の人。フードのせいで全部は見えないけど。

 それにあのヒトは30歳と少しくらいかなと思っていたから、彼女の子供にしては大人。


 なんて考えていたら、騎士たちが慌て始めた。


「リーネリア様‼どうしてここへ‼貴女様はここに来てはなりません‼」

「そうです。リーネリア様は我らの希望。叔父貴…、いえ。エステリ卿の元にお戻りください‼」

「はぁ…。分かってますよ。エステリ卿には最後に森に挨拶させて欲しいと行って、ちゃんと抜け出しました」


 抜け出したんだ…

 俺が言うのもが変だけど、やっぱり若い。

 雰囲気はそっくり。もしかしたら妹とか、従姉妹とか。


「はぁ…」


 溜…息?

 そしてすれ違った時と同じ、感情のない顔に戻ってしまう。


 …30


 って、空気読まないな。

 さっきは何故か、騎士たちの数字だった。

 でも、これは間違いなく俺のモノだ。

 だって、この場のバランスが崩れている。

 やっぱり、ただ似ているだけで、関係ないヒトかも。

 俺が知ってるあのヒトなら、それくらい簡単に気付く。


 ここで何故か、俺の体は痛みに関係なく、血を吹き出しながらドン!と踏み出していた。

 しかも、悪い数字なのに前へ飛んだ。


「しつこいぞ!」

「え…」

「何?」


 世界を救う為に活躍する神の民のヒトが、抜け出してここにいる。

 それに慌てる面々と、スンとしてしまった救世主様。

 この一瞬の隙が生み出した、とても低い生存率たった。


 ガキン!!


「く…、でも。…やっぱアイツ、凄いな」


 何度もやられてる的確な弓攻撃。

 そのゴブリンは見えないけど、誰を狙うか分かっていた。

 極上の女に違いない。だから殺さない。

 それならと剣で払おうとした。

 ただ、剣がレイピアだったから僅かに軌道を変えただけ。

 だったら身を挺して守る。

 そして、流石はマニー特製のドレス。

 外からだと殆ど分からないけど、至る所に鉄板が仕込まれている。


 だけど、やっぱ痛い…


「セイラ、よくやった!リーネリア様、引いてください!皆、救世主様を守りながら撤退だ!」

「セイラ…。待ってください。あの子を守らなくてもいいの?」

「彼女は貴女の護衛です」

「それに優先は貴女の命。ご理解ください」


 でも、50。思った通り上がった。

 あのヒトは世界を救ってくれる。

 あのヒトを失えば、多分色々と助からない。

 だから、生存確率が上がる。


「俺は大丈夫です。まだ動けます!」


 強がり?いや、多分だけど気持ちの問題だ。

 王の盾ならぬ、救世主の盾なのだ。


 あ、そか


 腰に巻きつけた小さな鞄から、傷薬を取り出して切り傷、擦り傷に擦り込む。

 母さんが残した薬を薄めて使っていた。

 けど、マニーが本来の濃度に戻してくれていた。


 彼は森の外で待ってくれているのか、それともグリッツ冒険者ギルドに戻ったのか。

 やっぱり、ただでタリスマンの修理をお願いするのは申し訳ない。


 その為には生きて帰らないと…


 だから俺はタリスマンを握りしめて、生き残る確率を確かめる。


「ん?あれは…。でも」

「リーネリア様。早く」

「待って。あの子は私の護衛なのでしょう」

「ですが」

「時間は取らせません。風の精霊…、あの子に矢防の加護を…」


 …88

 え…?今、何かしてもらった…?

 分からないけど、やるべきことは分かってる。

 指揮をとってるゴブリンを、どうにかしなきゃいけない。

 傷薬のお陰で痛みは多少引いてる。

 後はどうにかして、魔物の位置を…


「君、小動物の動きをよく見なさい」


 そして、そんな声が後ろから聞こえた…気がした


「あ…、そうだった。有難うございます!」


     □■□


 俺は騎士団の中から飛び出した。

 数値も85と十分。

 あのヒトの言葉を忘れていた自分のことが許せない。

 不帰の森の住民は、魔物だけじゃない。

 ちゃんと考えれば、魔物に負けない目と耳を手にできる。


「鳥の羽ばたき。それからリスとウサギの…」


 とは言え、ヒュンヒュンと矢が飛んで来るから、居場所は直ぐに分かった。


「凄い…」


 流石は神の民の人。風の魔法か矢の方から逸れてくれる。

 だから、思っていたより簡単に一体目を見つけた。


「お前か!…違う。普通のゴブリン。だったら…」


 アルフレッドが貸してくれたレイピアも良い仕事をする。

 魔法の属性が付与されているのか、羽のように軽い。


「俺の力じゃないんだけど…」


 上級冒険者…ってこんな感じなのかな。

 体も軽くて、矢も怖くない。

 野生動物の動きも落ち着いて観察できる。

 二体目、三枚目、そして四体目のゴブリンの急所を突いた時だった。


 バサバサバサバサ

 クーンクーン

 チチチチチチチ


 殆どの動物が俺に向かって逃げてきた。


「な…、もしかしてこっちに…」


 魔物は普段、動物を食べている。

 だから、小動物に恐れられている。

 そして、人間が近づいても彼らは逃げていく。

 こっちに向かっているということは、人間よりも怖いということ。


「く…る…のか」


 ずっと俺を生かし続けて、本隊を突き止めた何か。

 知能を持つ魔物。そんなの考えたこともなかった。

 何を準備したらいいのか分からないから、とにかく身構える。


 ただ。


「アレ…。数値が上がっていく…」


 魔物の気配も感じない。

 その状態で何分、何十分待っただろうか。

 逃げていった筈の動物が森の奥に帰っていく。

 よく知る不帰の森に戻っていく。


 そして、そこで俺は漸く気付くのだ。


「…あ、そうか。あいつらの狙いはさっきの神の民の人…」


 そう。優先順位があの時変わった。

 ってことは、既にバレている。

 いや、最初からバレていた。

 そもそも…


「俺には何の価値もない…。相手にするまでもない…。嬉しいような…、悔しいような…」


 モヤモヤが残る。

 でも、救世主様は森を出た。

 だから、何者かは帰っていったのだ。

 そして、少しずつ上っていた血が降りていく。


 で、俺はやるべきことを思い出した。

 それとやりたいことも思いついた。


「もしかしたら…、十年前に俺を助けたヒトを知っているかも。救世主様と話せるか分からないけど、手紙くらいは書ける…かな。ヒルダさんに聞いてみよ。マニーにもお礼を言わなきゃだし」


 だから、帰らないと。


 今回は作戦は実は大失敗。

 帝国に悟られずに、神の民を王国に迎え入れる。

 この目的は達成されなかった。


 そんなことにも気付かず、俺は不帰の森を後にした。

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