第16話 麗しのあのヒト・4

 周囲には森の臭い。むせ返るような土の臭いと湿気も混ざっている。。

 更に腐ったような臭い。単に腐葉土からか、それとも


「…あと、なんだろ。懐かしい…感じ。だってここは不帰の森——」


 不帰の森は大陸の8割にも及ぶ。中央の巨大樹を中心にひし形に広がっていると言われている。


「コボルトとゴブリン…。でも、何かが違う」


 女冒険者という肩書だから、一応武器は携えている。

 しかも、当初はマニーが用意する予定だったが、アルフレッドからの贈り物が届いた。

 とても高そうで、煌びやかなレイピア。


「アルフレッドの優しさか、アルベフォセ家が大切な役を担ったという証明のドッグタグか。…コボルトとゴブリンになら効きそう。だけど、なんだろ。今回はなんで襲って来ない…」


 虎視眈々か。それとも番外戦術か。


「あっちの方が生存率が少しだけ低い。ってことは、森の奥はあっち。ゴブリンの大好きな匂いだぞ。早く顔を見せろ」


 森の奥の反対に行けば、助かるかもしれない。

 だけど、そちらの数値も高いとは言えない。


「父さん。母さん。俺に力を貸して…」


 タリスマンについて、マニーは良い話をしてくれなかった。

 そもそも、このお守りについて、語りたがらなかった。

 王国一の目利きと、言っておきながら何も教えてくれない。

 それでも、セインにとっては生きているかもしれない父と母と自分を繋ぐ大切なお守り。


 森の奥は5%。反対側は10%。大して変わらないと考えるか、二倍も違うと開き直るか。

 とは言え、十回やれば一回は逃げ延びることが出来る方に賭けたい


 バサッ…


 ローブを森の奥に投げて、反対側に向かって走る。

 そっちがアルト王国という保証はないが、大陸の殆どが森なんだから、一番近い場所は、きっとカナリア地帯。


「魔物同士をぶつけて、その隙に逃げる…って言われても」


 狙ってできるモノじゃない。

 コボルトの群れに突撃したら、もしかしたらゴブリンの攻撃を誘いだせる。

 だけど、ゴブリンに突撃したらそのままお持ち帰りされるだけ。


 さて、この世界のゴブリンの特徴を言っておかなければならない。

 基本的に雑食で、野菜や果物でも満足して帰ってくれる。

 一対一だと、戦いに慣れた村民でも対処可能。

 ただ、たった一つだけ、やってはならないことがある。


「ゴブリンは人間の若い娘を攫って繁殖する…。悍ましい魔物って聞いた」


 闇から生まれるって話はどこに行った?と、遠い昔に疑問を持ったこともある。

 だけど、トーチカ村の若者衆は男しかいない。

 アレは女子が生まれるともっと南。トーチカ村だとアルベの街に避難していたから。

 その資金は領主によって支払われる。

 理由は…


「一人攫われると、五十匹のゴブリンが生まれる。…って聞いたことある」


 とても恐ろしいこと。

 だから、カナリア地帯に若い娘はいない。

 強いて言うなら、セインの母だが、彼女は王の盾であり、ゴブリンに攫われることはない。

 グリッツ冒険者ギルドの面々は、それも逃げた理由の一つと言っていたけど。


「…で、俺か。それって」


 あぁ…、そっか。そういう理由。

 女装なんてとっくにバレていた。バレていないと勝手に考えていた。


「騎士アルフレッドも、当然見抜いていた。そこで偶然、女装してゴブリンを惹きつける俺が目に入った。そして俺なら攫われても大丈夫…」


 次々に正解っぽい話が見えてくる。

 不帰の森、神の森のお陰か、今まで考えなし過ぎたのか。


 ——ただ、ここで


「ガゥゥ…、ギャン‼」


 ドサッ


「な…」


 一歩、また一歩と、多分森の奥の反対側に歩いていた。

 相変わらず、生存確率は10のまま。


 だが、その数値が突然15に変わる。

 近くにコボルトが潜んでいて、イケると思ったのか飛び掛かってきた。

 直後、既視感しかないヘッドショット。


 ガサガサガサガサ!!!!


「これって…。マジ?」


 様子を見られていたのは知っている。

 迂闊な飛び出し、正確な射撃で草木が騒ぎ出す。


 この現象は、確かに森の中ではよくある事た。

 コボルトの嗅覚を、ゴブリンが利用して、獲物を狩る直前に強引にぶんどる。


 ガルルル…、ガウ!!

 ピギャー!!ギャッギャッ!!


「…また、俺の取り合い」


 いくら森で過ごしていたからって、こんな経験はあの日くらいしかない。

 十年前のあの日は、複数の魔物に追われた。

 あの時は、とても強くて美しいあのヒトに助けてもらった。

 ただ、あの日以降は一度もない。

 もしも、こんなのが頻発していたら、森に入るのを辞めていたか、死んでたかのどっちか。


「アルベの街と同じ。だけど…」


 20…25…30…35。

 どんどん上がる。混戦になればなるほど、逃げ出せる。


 マニー曰くゴブリンの圧勝だったらしい。

 弓隊がいるゴブリンが、着実に確実にコボルトを戦闘不能にしていった。

 でも、ここでは。


「さっきのは凄い弓だったけど、この暗さ。それに」


 ストッ!カンッ!ザッザッ!と色んな効果音が響く。

 ギャヒン!というコボルトの悲鳴より、ピギャッ!というゴブリンの悲鳴の方が多い。

 セインはトルネの木を探して、その根元で身を屈めた。


 やっぱり。マニーの言う通り、ゴブリンは嗅覚と聴覚で負けてる…

 射線も通りにくいし、もしかしたら射出音で位置がバレてるのかも

 これなら…


「コッソリ…」


 今回はコボルトが勝つかも。

 でも、勝負ありまで待ってはいけない。

 一体くらいなら倒せても、複数体に囲まれた瞬間に詰む。


「逃げないと…」


 カン!


「ひ…」


 だが、目の前ので何かが弾けた。

 カランと落ちたのは、ゴブリンお手製と思われる矢。

 トルネの木の強度に負けて、先が折れている。

 でも、セインの体は神の樹ほど硬くはない。


「でも…。急がないと…。えっと、こっち…」


 少しでも確率が高い方に逃げる。

 トルネの木を探して、その影に隠れる。

 これを繰り返す。


 相変わらず、戦ってるし。もしかしたら…

 でも、生存確率は3割。だけど、最初に比べたら3倍だ。

 ここで逃げ切るしかない!

 せーので──


「ギャッ!」


 意を決して走り出した時、真上から魔物の叫び声がした。


「わ…」


 上から降ってきた獣人が、グシャ…と横たわる。

 逃げようとするセインを追いかけて、その直前にゴブリンの矢がそれを止める。


 あれ…?


 起きたことはさっきと同じ。

 でも、その時と比べて数十mは移動している。


 もしかして、これを繰り返せば、本当に逃げられる?


 数値は遂に40。六割死ぬと考えると胃が痛くなるけど、最初を知っているから、血が熱くなる。

 コボルトに追いかけさせて、ゴブリンに止めさせる。


「…今‼」


 この場はコボルトの集団の方が有利。

 だけど、ゴブリンも種の保存の為に負けてはいられない。


 俺は男…、女装がバレてもいけない…。ちゃんとマニーの香水を振りかけないと


 ゴブリン好みに見せないと、負けているゴブリンが諦めてしまう。

 だから、プシュ…っと例の美味し草+媚薬的な何かを振りかける。


 ザッッ‼タンッ‼


「く…。やっぱ、バレるか…」


 目の前に立ちはだかる大きな獣。


 え…?なんか、デカくない?


 セインが知っているコボルトではなかった。

 こんな森の奥に入ったことはないから、もしかしたら違う種族の魔物かもしれない。

 だから、ゴブリンが苦戦しているのかもしれない。

 だけど、そんなのは関係なかった。


「ヒギャンッ‼」


 やはり、ゴブリンも知っているゴブリンではない。

 大柄な獣人を一撃で仕留めていたんだから、あっちも強い種族。

 そもそも、開拓で追いやられてアルベの街までやってきた魔物は、魔物の中では負け組だ。


「良かった…。それにしても…」


 これは流石に…


「55…?本当に…?」


 本当に生存率であってる?勿論、現時点での生存率だから、変わっていくのは分かるけど。


「行って…いいの…かな」


 次第に生き残る確率の方が高くなる。

 同じことを繰り返すと、もっと上がる。


 分かる訳ないって。元々、タリスマンは俺のじゃないし。父さんと母さんの忘れ形見ってだけだし。


 あの時だって…

 ドン‼と突き飛ばされ、俺は「痛っ」と言って、ビリィィィと俺がしがみ付いていたリュックが破れた。「あ…、く…」と、父は俺を突き飛ばしたことを、後悔というか、名残惜しそうな顔をして、そのまま立ち去った。


 つまり、このタリスマンは俺の為に残されたのか、分からない。

 ただ、あの時。あのヒトが俺につけてくれただけ。

 その時だって、その意味は教えてくれなかった。


「…でも、今の俺に信じられるのはこれだけ。行くしかな…」


 数字は既に65を示していた。

 全速力で走るべき。そんな気がした。

 だから、後ろを振り替えずに走った。そこで


 ザッ‼


「ぐ…。ぐぅぅぅううううううううう‼‼‼」


 今までの繰り返しなら、大型獣人が追ってきて、俺を襲おうとして矢で落とされる。


 だけど…


 なんで、俺の足に…、矢が…


 そして、この瞬間。何故かタリスマンの数値は80を示した。


 ただ、痛みのせいでセインはそれを見逃した。


 嘘…だろ。俺は…、一体何を勘違いしてたんだ…


「痛…い。足が…動かない。…これじゃ」


 逃げられない。

 そもそも、おかしかった。

 大型コボルトを一撃で仕留める腕があるなら、その矢でセインの動きを止めれば良かったのだ。


「く…。コボルトは…。あれ?今回は来ない…、じゃなくてこの臭い。獣人の血の臭い。どういう…こと?」


 最初はコボルト優勢だった。

 さっきだって、襲ってきたのはコボルト。


 だけど、そのコボルトの鳴き声が後ろから聞こえてこない。


 ザッザッザッザッ、ササササササササ…


 何者かが遠巻きに移動している。何者って基本は四足で走るコボルトの足音じゃないから、ゴブリンだ。


「なんで?どうして…。痛い…。痛いよぉ…。なんだ…。結局、ここまで」


 痛みのせいで動けない。動かそうとすると激痛が走って、力が抜ける。

 流石に詰み。人生の終わり。

 ただ、ゴブリンが求めているのは若い女。

 実は男ってバレたら、怒り狂ってその場の勢いで殺してくれるかも。

 噂だと、女は生かされて生き地獄…って話

 それよりはきっとマシ。やるべきことはやったんだし。名前だって残るんだし…


 なんて、本気で思える訳ない。


 本当に今から死ぬと分かってしまったら…


「い、いやだ。死にたくない。助け…」


 だが、ここで謎の数字が浮かぶ。


 ——95


 本当にいい加減な数字。誰だ。生存確率なんて言ったのは。

 全部、ただの妄想。マニーもこのタリスマンにそんな力があると思えないと言った。


 だから、95とか関係ない…


 いや。


 いやいや。『セインの頭に浮かぶ数字』は本当に特別なのだ。


 ここで、何故か取り囲んでいるゴブリンの動きが止まる。

 それが分かっているから、その値が出た。


 セインは同じ手段を使って、森の奥と反対側に移動を繰り返していたのだ。


 しかも、彼を連れてきた若い二人の騎士は、セインの帰りを待っていると言った。


 だったら、


「…イラ」


 ここで人間の声が聞こえてもおかしくない。


「セイラ‼返事をしてくれ‼まだ、生きているんだろ‼」


 タイランという騎士の声。

 それからアルフレッドの声も。


「セイラさん‼近くにいるんですよね‼森が騒がしいって…」


 気が付けば、森の中が少しだけ明るくなっていた。

 だから、彼らの煌びやかな甲冑にも僅かだが光が当たる。

 その乱反射が居場所を教えてくれる。


「ここです‼タイラン様‼アルフレッド様‼こっち…」


 助けてくれる。

 彼らは本当に心配をしてくれていた。

 そして、あの深い森の中から見事に逃げおおせた。


「あそこだ‼今、行きます」


 …95のまま。ここで漸くセインは安堵。


 やっぱりこのタリスマンは凄い。


 本当に…、…え?…0.1?…いや、95?

 タリスマンが壊れた?


 ううん。この現象もアルベの街で見た。何かが…


「チッ。足に矢を…。直ぐに…」


 血相を変えて走ってくる二人の騎士と彼らの部下。

 頭に浮かぶ数字は明滅と呼んで良いくらいに頻繁に助かると助からないの両方を示す。


 そして彼は遂に真相に辿り着いた。


 だって、それがセイラ名義に仕事なのだ。


 つまり…


「俺は囮…だった。こっちには…」

「喋るな‼直ぐに行く‼アルフレッド」

「分かってます。クレリックを急がせろ」


 王国の未来を担う若い騎士。だが、これは罠。


「来ちゃ駄目です‼…俺のことは放っておいてください‼」

 

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