第10話 初めての囮役・3

 アルベの街には森に向かって平行に積まれた石の壁がある。

 その石壁は街の中央を通っていて、生活する分には邪魔なもの。

 理由は、かつてのアルト王国の端がここまでだったから。

 この石の壁が積まれた当時、向こう側には誰も住んでいなかった。


「あっち側に魔物を連れて行くんだっけ…。って、マニー何処へ」

「何処って、おいらは囮役じゃないっすから。さ、今こそ美味し草汁を振りかけるっす」


 この壁は国を守る為に利用されていた。

 ただ、森から50㎞も離れた塀の中だけではいずれ限界がくる。

 だから、海を通るルートで開拓が行われて、今では森の向こう側にいくつか国が出来た。

 どこが最初の国だったかは分かっていない。

 更には、各国が我が国が最古だと主張している。


「魔物を寄せ付ける匂い。って、人間も美味しそうだし、実際に美味しいんだけど。液体を被るのってどうすれば…」

「発射口を自分に向けて、そこを押すんすよ!い、急ぐっす。おいらも戦うのは苦手っすから」


 マニーは片時もバックパックを離さない。今も背負ったまま家屋の影に隠れている。

 そこから冒険者及び囮役素人のセインに、あーだこーだと話しているが、そんな彼も昔で言う、塀の外。

 人間が増えることで、門の周りに家が建ち始めた。

 冒険者か、それとも他国で追放された者かが、家を構えて店を出した。

 それがアルベの街の歴史。昔はひと悶着あったらしいが、それは別の話。


 今、重要なのは南に出来た街だ。


「あっちに逃げ遅れた者がいる。西側だ‼」


 ここで、十mくらい積まれた石材の上から兵士の一人が叫んだ。

 当たり前のように聞こえる、気高い正義感を持つ若い兵士の声。

 だが、先の歴史があるから、南側の建物は北側に比べると粗雑なものが多い。


「そんなの無理っすよ‼」

「依頼内容は住民の避難の為の囮の筈だ‼」

「はぁ?ちょっと姐さん‼」


 どうしてこんな離れた場所に石壁を築いたのか、

 それは魔物が森から離れ、太陽の光を浴びると弱くなるからだった。


 ザザ…、ザザと耳を刺激する音。


 スー、スーと息を殺しきれない微かな鼻息。

 上からなら簡単そうに見えても、地上は死角だらけ。


「ねぇ、若いお兄さん。予定は魔物を広場におびき出すことよ。冒険者は何でも屋じゃないの」

「私はアルベフォセの騎士だぞ。私にはアルベの民を守る義務がある‼」

「おいらたちはただの雇われっすよ‼」


 こんなところで言い合いをする。

 それ自体が危険な行為。

 マニーも分かっているから、最も安全な城壁に逃げながら、若きナイトの暴走を咎める。


 だが、この状況を最も嫌ったのは、真の囮役である女装したセインだった。


「煩い…。それにこの位置は不味い…」


 ただの予感。


「20くらい…。あっちなら」


 首から掛けたタリスマンを握りしめて、彼は何故か数字を呟いた。

 そして、次の行動が皆の目を剥いた。


「セイン‼そっちは‼」

「ゴメン、マニー。ここからは別行動だ」

「別行動って…、はぁ。どうなっても知らないっすよ」


 今は金髪の女にしか見えない彼が向かったのは、城壁から離れた家屋だった。

 南東側だから、若き騎士が指差した方向でもない。

 無意味に、ただ危険なだけの雑居街に向かった。


「あの子…。何をしている…。いえ、今は。…マニー。彼の言う場所に行きなさい」

「はぁ?そんなの…」

「大丈夫よ。ねぇ、正義のナイト様?」


 マニーはツンツン頭を上に向け、赤毛の冒険者の手にあの紙があるのを確認して、


「はぁ。仕事が早いっすね」


 と呟いて、西側の雑居街に向かった。


     □■□


 「はぁ…」


 金色の髪を前に垂らし、女は蹲る少年を見下ろした。

 少年は先ほど殴られたばかりの頭を抑えて、うーうー唸っている。


「どうして私の指差した方向に走らないの?」


 せっかく、周辺のコボルトを射殺したのに、彼は走り出した瞬間から方向を間違っていた。

 仕方なく追加で魔物を射殺して、子供の頭を矢じりで叩いた。

 硬い棒で殴ると、人間も痛みを感じるらしい。


「だ…、だってこっちの方が安全な気がして…、…痛ぃぃぃ」


 確かにそう。強者の側は安全。

 でも、そんなことを言うから、もう一度殴ってみた。

 やはり、同じように痛がる。

 今度は頭から血が流れて、少しだけ焦る。

 そして、人間の子供は慣れた手つきで奇妙な匂いの何かを塗った。


「叩かれたら痛い。死ぬのはもっと痛い。痛い思いをしたくなかったら、あっちに向かって走って。確か人間の村があった」

「う…、うん」


 頭からの血は止まっていた。

 一応、効果はあったらしい。

 ただ、少し気になった。


「それ…」

「ん?」


 無垢な目で見上げる人間の子供。

 血だらけのタリスマンを手に持った小さな動物。


「今何かを塗ったが、良いものなのか?」


 子供は今、魔物を寄せる匂いを傷口に摺り込んだ。

 アレはさっきから安全かどうかで、行く先を決めているようにみえる。

 その理屈なら、安全ではなくなる筈。


 だけど、アレは…、笑顔で即答した。


「うん!お母さんが僕の為に作ってくれたの!」

「…母…親が?」

「そだ。早く帰らないと!」


 今度こそ走り出すヒトの子に混乱した。

 アレは森に捧げる生贄だったかとも思った。

 呆然と眺めていると、アレは盛大に転んだ。


「馬鹿者!気を付けろ!」


 生贄であれば、言わなくて良いこと。


 ──だが、私はここで目を剥いた。




 セインは走りにくい格好で、かつらの長い髪を振り乱して走っていた。

 そして、スカートの裾を踏んでしまって、盛大に転んだ。


「マニーのやつ!拘り過ぎなんだよ!」


 悪態を吐きながら、どうにか立ち上がろうとする。

 そこで、セインの口がまた奇妙な言葉を紡いだ。


「20…45…69。えっと」


 その瞬間、ドゴォォォォ!!と大きな音がして、前に巣で見かけたのと同じ形の魔物が、家屋の壁を打ち破って飛び出してきた。


「ひ…。あ、あ…」


 グルルルという唸り声と、ベチャッと土を汚すヨダレ。

 ツンツン頭の彼にも負けない剛毛を逆立てて、赤黒い瞳のコボルトが、一つの建物から飛び出す。


 それに気付いた三体のコボルトも、隠れていた路地裏から飛び出してくる。

 そして、それぞれが美味しそうな得物に襲い掛かる。


 ガコッ‼


 ただ、ここでコボルトたちは顔を歪めた。

 美味しそうな動物は見るからに簡単に破れそうだった。

 なのに、固い板をを隠し持っていた。

 勿論、こんなことは森の中では日常茶飯事で、たったこれだけで人食い獣人はたじろいだりしない。

 だが、その得物は奇妙な叫び声を上げた。


「10…。そこ危ないよ。今のうちに逃げて」


 金色の髪の人間が叫んだ方向には、さっきまで狙っていた得物がいた。

 コボルトは見つけられてしまったと、その得物に向かって飛び、クルリと反転して一番おいしそうな得物にもう一度睨みを利かせる。


「助けが来たの⁉え…?普通の女の人…?だ、誰でも良いわ。駄目なの‼お母さんがここから動けないの‼」

「…何を…言ってるの。アンタだけ逃げなさい…って」

「やだやだ‼お母さんまで失いたくない‼…お父さんはもう」


 二人はトーチカ村のような場所から逃げてきた。

 服装からそうだと分かる。城の外に住む人間、更に森の近くに住む人間。

 文化が違う。身分も立場も違う。


 それに…


「はぁ…」


 同じ境遇。父が抵抗して真っ先に殺されている。


 だったら


「99…パーセント…」

「ギャヒン‼」


「ギャ‼」「ギャギャ‼」「グルルル」と距離を取って唸り始める、言ってみれば雑魚魔物。


 とは言え、野生の動物よりも強い。

 群れの狼に人間が敵わないように、通常の人間ではコボルトに勝てない。


 でも、余所見をしても大丈夫とはならない。


 ここで最初に起きたのは、あの家族の父親とコボルト一匹の戦い。

 コボルトは見事に勝利し、手負いのメスとその子供を手に入れた。


 だけど、そこに美味しそうな匂い。


 野生の動物だって、隣の芝生は青く見える。持っていないものの方に価値を見出す。


 そして、その魔物はまんまと釣られた。


 しかも、運悪く他のコボルトの確保した餌が見つかった。


「…他人が持っているモノの方が、美味しそうに見える」


 セインの剣が貫いたのは、母娘を隠していたコボルトではない。

 あいつ、独り占めしやがってと、つい思ってしまったかもしれない他所見していた別のコボルト。


「はぁ…。三体とも、あっち向いて助かった。君、背負ってでも母さんを運べ。あの塀を目指して」


 因みに最初から狙っていたわけではない。

 ひた走るセインはこんな偶然を意図せず引き起こしていた。

 

 とは言え。


「無理です。お願いします。女騎士様。私たちを連れて行ってください‼」

「え…。それは…」


 30…、いや20…、もしくは10…。駄目だ。二人を助ければ、俺が死ぬ…


 セインがたった今、コボルトを一体倒せたのは偶然。

 武器を隠し持っていることにも気付かず、余所見をする馬鹿な魔物を後ろから刺した。


 そして、ここで心の中で頭を抱える。


 ここで武器を出す予定じゃなかった。…はぁ、この後どうしよう

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