第9話 初めての囮役・2

 グリッツ兄弟はアルト王国は「もうおしまいだ」と言った。

 これから始まるのは森に近い領地に住む領民の一斉避難だそうだ。


「また、南に…。トーチカ村のみんなに」

「会えるかもしれないねー。はぁ、おいら。マジでセットなんだ…」


 グラムとグリムは、アクアス市の市長と通じていて、市長は王家の動きを他の諸侯から聞いている。

 彼らが言うには、 最遠方から少しずつ撤退が始まる。

 国民の財産を守る為にあらゆる手を尽くす。


「セイ・マニ。今日はてめぇらが主役だ。頼りにしてるぜ」

「セットにするなっす!」


 グリッツギルドから五名。

 ガイルとベートというベテラン冒険者が二人。


「しくじるんじゃないわよ。それからなるべく死なない事」


 ヒルダも来て、ここまでで三人。

 あとの二人は当然、セイ・マニだ。


 それから


「おい。冒険者たち。報酬分はきっちり働いてもらうぞ」

「それは勿論のことですわ。経験豊富な人材が売りのグリッツギルドでーす」

「あ、あぁ。頼んだぞ。お、俺達も持ち場に移動だ」


 アルベフォセ伯の私兵も参加している。

 アルベフォセはアルト王国南側に広大な領地を構えている。

 その広大な領地ではなく、もっとも南にある小さな町。

 小さな町と言っても、カナリアが耕した穀物や肉、乳製品が取引される場所。

 中規模な教会施設もあり、三日に一度くらいは例のヨアン司祭が訪れる。

 彼が居なくとも、副司祭が常に居て、セインの戸籍もそこに登録されている。


「あそこで調べた…のか。俺の…じゃなくて父さんと母さんのお金。って痛い痛い‼マニーの髪の毛は凶器なんだってば!」


 否定のつもりでブルンブルンと頭を振ると、ツンツン髪が何度も頬に当たった。

 くすぐったいとか、ムズムズするとかではなく、マジで痛い。


「王からの報奨金だから、教会は管轄外だよ。おいらが潜り込んだのは王城っす。あんなちゃちな教会と一緒にしてほしくないね」

「王城って…、そんなこと。だから痛いって、髪が武器になってるって‼」

「はぁぁあ?おいらは剛毛じゃないってば‼…って、はぁ?血が出るじゃないすか。流石においらショック。でも、おいらは優しいからなー。しょうがないから傷薬を塗ってやるっす」


 そんなに短い髪じゃないのに、重力に逆らってツンツンするくらいの剛毛、それがマニーのツンツン頭。

 痛いと思ったら、本当に切れていたらしい。

 そして塗られた傷薬は、なんだか懐かしい。

 いや…、なんだかなんてものじゃない。


「え…、この傷薬‼なんで?…本当に懐かしい。俺が作ってたのより、ずっと母さんの味」

「はぁ。おいらにかかればちょちょいのちょいっすよ。っていうか、」


 一朝一夕で真似をされたのはショックだったけど、人間は懐かしい匂いに弱い。

 それに傷薬の成分も、母に渡されたものと同じ。

 流石に十年分の薬は無かったから、数年前から水とか蝋とかで薄めて使っていた。

 だから、とっても気持ちが良い。

 そんな、天にも昇る顔をする今回の相棒に、マニーは肩を竦めて半眼を向けた。


「本当に女の子みたいな肌っすね。セイラ様は大変お美しいと評判。セインっちだけズルいっす」

「そんなの…ズルくないし。俺はもっと」


 母は魔法が使えた。でも、セインは使えない。

 父は体躯に恵まれた。でも、セインは190㎝はあった父にはなれなかった。

 顔と体は母に似たのだろう。

 18歳を過ぎて、ここから三回目の成長期が来る、なんて話は聞いたことないし。 


「良くないっすよ。ないものねだり。今回はセインだから出来ることなんだし。あのヒルダさんが太鼓判を押してるし。……ほんとはおいらがその役をやる予定だったってのは秘密っすけど」

「何か言った?」

「言ってない。…ってことで、今日のセインっちの装備を用意してみたっす」


 そう言って、マニーが彼自身の背丈よりも大きいバックパックから取り出したのは


「え…?それが俺の装備…?それって——」


     □■□


 トーチカ村は、この街から森に向かって50㎞先。

 トーチカ村のような、カナリアの村。何かあった時に悲鳴を上げる役割を持つ村は全て不帰の森に隣接している。

 ただ、そこに集落を作る理由は、警報装置役の為だけではない。


「神の樹、宇宙樹…。ここから見ると凄い。首が痛くなりそう」


 頬の傷の痛みはなくなり、ほぼ健康体でかつての村の方を眺める。

 すると収穫したばかり、もしくは無理やり回収したかもしれない麦畑跡が、直ぐに見つけられる。

 神の樹の名は、ただ大きいからではない。

 危険な魔物が守るように跋扈しているからでもない。


「不休の畑…か。あそこに居た時は全然知らなかったけど、畑って普通は休ませないと作物が取れなくなる。だから、危険と分かっていても森の近くで畑を耕す」


 神の樹は世界と生命を支えている。

 それ故に不可侵、だが帝国という存在もいる。


「そんなのどうでもいいから、サッサと行けって」


 せっかくちっぽけな自分を感じていたのに、と長い髪を垂らして、ノソノソ歩く。

 さっき、マルコにポール。ウメさん達ともすれ違った。

 でも、誰一人声をかけてくれない。

 

 ここまで村人に嫌われていた。…てことではなく。


「へぇ。良く似合ってるじゃないか。今日は来てないけど、ハヤテなら絶対に口説いてくるわよ」


 赤毛の中堅冒険者とすれ違うと、彼女は耳元でそう言った。


「…う、うれしくないです」

「セイラっち!こーえ!声でバレるっすよ‼」

「そんなの無理だよ。声の高さで言ったらマニーの方が…、…あ!さっきのって!」


 小さな声だから聞き取れなかったけれど、意味が分かると聞き取れなかった部分を補完して言語化出来る。

 セインよりも小柄で、セインよりも声の高い冒険者がいる。

 外見だけでなく、彼は非常に手先が器用で、この女らしい衣装を作ったのはマニー。

 裁縫も得意なツンツン頭は、だが見事な返し文句を用意していた。


「おいらは髪の毛が固すぎて、かつらがつけられないんすよ。ねぇ、ヒルダ姉さん」

「はぁ⁉だったら帽子とか…、え?帽子も…駄目?」

「そ。コイツの髪の毛は凶器だからね。被れるとしたら鉄兜くらい。流石に美味しそうな若い娘にしちゃ違和感あるだろう?」


 グリッツ冒険者ギルド公認の凶器な髪。

 それで行くしかなかったところに、セインという丁度良い人間が現れて、お金を稼ぎたいと言った。


「…あの剛毛のせいで俺に回ってきたのか。そ、そんなことより本当に魔物が出てくるんですか?」


 今する話ではないかもしれない。

 でも、今のところ魔物は見当たらない。

 既にトーチカ村は無人。森に入ったわけでもあるまいし、ここからどうして分かるのかが、分からない。

 そしてこれには中堅冒険者ヒルダも困り顔…、に見せかけてただ顔を顰めただけ。


「それも知らないの?原因は決まってるでしょ、帝国よ」

「て、帝国?今から戦争が始まるんですか?何処かに潜んで…」

「宣戦布告する国じゃないわ。だからそうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。でも、今日魔物が来る理由とは少し違うわね」

「…えっと、それじゃ」

「情報が入ったの。ミズガルズ帝国が開墾を始めたってね」

「開墾!そんな…。あの神の森を…信仰心とか関係なく、開墾は出来ないって」

「そこが我が国との決定的な差ね。で、魔物が押し出されてくる。偉い学者さんが帝国の開墾と魔物の出没を計算してるの。って!また、アタシが教えてるじゃない!後は自分で考えなさい」


 そして、ツンとした顔で赤毛女は通り過ぎた。


「はぁ、後はおいらからっすか。そんなこと言っても技術は分かってないんだ。でも、百年以上の研究結果らしいっすよ。帝国の開墾が王国にもたらす影響。学者の中じゃ常識。神にでもなった気なのか、それはおいらも知らない」


 代わりにツンツンの方が残りを教えてくれた。

 長ーい年月の調査。もしかしたら十年前のものも含まれているかも。

 でも、アレは陽動って…。

 何の疑問も持たなかった。けど、仮に不帰の森を伐採した時、それほどの力を持っているのだから、そこにいた魔物は逃げる。

 その結果、反対側の森に魔物が出没する。


「…そっか。食い止める為には王国も伐採出来るほどの力と技術がいる」

「そ。でも、おいらたちの国は…。分かったところで逃げるしか…、ってセイン、じゃなくてセイラ?」


 女装をしたセインの顔が突然曇った。


「ふーん…。セイラの森の経験も馬鹿には出来ないっすね。確かにこの感じは、…魔物っす」


 そして、動き出す二人。

 そう、中堅冒険者ヒルダの勘は当たっていた。


「そろそろって教えようかと思ったけど、ちゃんと分かってるじゃない。 何もできない人間が十年もの間、森の奥を毎日行き来していた。それって、やっぱり変なのよ」

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