第6話 旅立ち・4

「全く…。どういう教育を受けたのよ」


 魔物に襲われた八歳の俺が、たった一度助けられただけで、深い森から生き逃れるわけがない。

 結局、彼女は森の出口付近まで、俺を守ってくれた。


「不帰の森は本当に不帰の森。特に最近は…、アンタみたいなのが勝手に入って良い場所じゃないの。でないと、…って何?」

「えっと…」


 当時の俺に彼女の正体は分からない。

 それに八歳で表現できないほどの何かだから、言葉に詰まる。


 強いて言うなら


「木の良い匂い…。お姉さんって、…森の妖精さん?」

「それは気のせい…。っていうか、私のことはどうでもいいって言ってるでしょ。でも、そうね。私は木の精霊なの。キノセイに助けてもらったって話しなさい」

「うん、分かった!木の精霊さん‼」


 そういえば、彼女はそんなことを言っていた。

 今思い返せばだけど、誰に助けられたか分からないように、「気のせい」と掛けていた。

 実際、森を抜けると母もいなくて、誰にも伝えられなかったんだけど。


 でも、それは今だから分かること。

 その時の俺には、木の精霊という言葉が真実だと思えた。


「そ。で、私は木の精だから、ここまで。不安そうな顔をしても駄目」

「え、でも…、危ないよ」

「私は大丈夫。問題は君」

「僕?」


 俺よりもずっと年上の彼女、高貴な顔をしたあのヒトは、膝を落とした。

 そこで視線を合わせて、俺の頭に何かを通して言った。


「これ、落とし物。で、こっちが私からの…」


 何が起きたのか分からなかった。

 今も分かっていないけど、多分何かのおまじない。


 そして俺は、僕は言った。


「大丈夫!僕、お父さんみたいな立派な騎士になるから!」


 彼女が苦しそうな顔をしたから?

 僕を憐れんだから?


 記憶がボヤけてて、えっと…


「そ。楽しみにしておく。これから大変なことが起きる。でも、…少しでも可能性があるなら、絶対に諦めちゃ駄目。それじゃあね、未来の騎士様」


 でも、この映像が燃えていく。

 燃えてしまったら、顔も思い出せない。

 彼女は木の精で、彼女が立っていた木が燃えてしまったから。


 俺はずっと彼女の幻影を──


     □■□


「可能性…」

「あ、起きた」

「え…、うん」

「起きたなら早く降りるっす!」


 と言うより、ボトッと落とされた。

 気がついた時には、既にあの木は見えなかった。

 それにここは


「ほら。アンタの望みでしょ。コボルトの巣に連れてってあげたわよ」

「さ、君の父上の敵だろう?俺たちが見届けてやるから、存分に戦いなよ」


 目が覚めたら、例の場所。

 実は何度か訪れている。

 しかも、一番最初は村民と一緒に来た。

 全員で恐る恐る、父を探した。確か、司祭様が力を貸してくれたのだ。


 父さんは本当に尊敬されていて、とても誇らしかった。

 でも、結局父は見つかず、代わりにコボルトの巣が見つけた。


 そこで操作は終了してしまったのだけれど。


「…巣の駆除も約束の筈だけど?」

「まぁ、いいじゃない。このままだと、アタシたちって悪者みたいだし」

「君はトーチカ村の騎士の息子なんだろ。俺たちが村の人達に伝えてやるからさ」


 何を今更。

 もう、あの村で俺のことを気に掛ける人はいない。

 住んでいる家は壊されて、修行の為に通っていた場所は燃やされた。


 でも、気を失っている間に、ちょっとだけ思い出せた。


「分かったよ。父さんがこいつらにやられるとは思えないけど、殲滅してやる。その為に俺は十年を捧げた…」


 気絶のお陰で頭も体もすっきり。

 なんて思いたくもないけど、誰かが見ているところで正々堂々と戦うのは初めて。


 少しだけ興奮気味に、俺は飛び出した。


 そして、十年間やっていたように右手に剣、左手に盾を構えてコボルトに対峙する。

 ずっと前から警戒していた、戦闘準備万端の人食い獣人。

 全く同じ条け…ん


 あれ…、どんなだっけ…。足が…竦む?


「アンタ‼ここでもぼうっとするんじゃないわよ‼」

「う…。えっと…、てい‼はぁぁああ‼」


 左手で盾を構えて、一歩踏み出し、少しずらして上から…

 うまく行ってる。でも、どうしても当たる気がしない。

 なんで?でも、ここで


 バキッィィ!!


「クソッ…、やらせるか!」


 全然タイミングが取れない。十年間、コボルトに遭遇しなかったってことはない。

 村でも見せたように、何度も打ち倒している。


「ハヤテ、あの子…」

「あぁ。見てられないな。型とかどうでもいいって!とにかく相手をじっくり見るんだ!」


 遂には指導を始めるグレッツの面々。

 そんなこと言ったって…


 俺は…、勝てない…。何故か分かる。だって


「てぇぃやあああ!」

「馬鹿!相手は人間じゃないんだぞ!もう見てられねぇ」

「大丈夫です!少しでも可能性が…あれば…、俺は…」


 でも、彼らの我慢の限界は結構早かった。


「ファイアアロー!」

「マジックミサイル!」


 使い慣れた魔法で、あっという間に複数のコボルトを攪乱。からの。


「セイン!おいらに掴まるっす!」

「俺はまだ」

「まだも何もないっす!セインっちに死なれちゃ困るんすよ!」

「だから、俺は」

「絶対に死ぬわよ。そしたら、契約書もどうなるか分かんないじゃない!無理やり書かせて、森で殺したとか言われるに決まってる!」


 ヒルダの言葉は余りに直接的だった。

 言外にでもなんでもなく、ただアンタは弱いと言っている。

 そしてさっきの提案。父の仇を取らせてやる、というのが、本当に良心からだったと分からされる。


「俺は…」

「セインっち。今は駄目っす。深呼吸深呼吸っすよ」

「…この十年間。ほんと」


 何をやっていたんだろう。


 父と母、そしてあのヒトを想って不帰の森で別れたヒトを待ち続けた。

 母は少し違うけど、やっぱり同じ。

 生きているようで死んでいたよう。


 きっと村人からは亡霊にしか見えなかっただろう。


 そして、大人になった。

 そして、現実が戻って来た。

 そして、それはとても苦いモノだった。


「ボサッとするな。騎士ケインはここで死んだ。なら、遺留品が残っているかもしれないだろ」

「アタシたちが見張っててやるから、早く探しな」

「…はい」


 その為にここに来た。

 十年前の何かが残っているかも。


「マニー、手伝ってやりな」

「えー、おいらっすか?」

「てめぇほど適任はいねぇだろうがっ」

「へいへい。それじゃセインっち。辛いかもしんねぇけどさ。…あの日のことを教えて。どんな装備してた、とか」


 その言葉に違和感はなかった。

 どんな格好をしていたか、なんて当たり前の質問。

 多分、十年前も同じことを聞かれた。


「んー。なるほどなるほど。さっきの場所で離れ離れになって、父ちゃんはこっちに…ね。巣を駆除することでセインっちが助かるように」

「うん。俺がグズだったから」

「ま、その時のアンタは八歳のお子様でしょ」

「だけど、俺たちだってそれくらいの歳でナイフくらい使えたぜ」

「まあねー」


 六歳くらいから、親の仕事の手伝いをする。

 俺が剣を六歳で欲しがったのは、村の子供たちを見ていたから。

 だから、早すぎるってことはない。

 勿論、畑仕事とは全然違うけど。


「うん。無いっすね。騎士ケインの遺留品は残ってないっす。セインっち。十年前に何か受け取ったりしてないんすか?」


 頭を横に振る俺。

 骨まで食い尽くすコボルトの巣だから何も出ない。

 だから、父は死んだと認定された。

 でも、遺留品がなかったから、俺は待ち続けた。

 そして、ツンツン頭マニー


「セインっちの考えている通りっすよ。これじゃ死んだことへの証明にはならないっすね」

「え…?俺の言ったこと、信じてくれるのか?」


 実は初めてだった。

 捜索時にコボルトの巣を見つけたことで、村民全員が俺の父さんの死を受け入れた。

 我が子を身を挺して守ったのだ。

 それだけで、十分すぎる美談。


 だが、ここでマニーは奇妙なことを言う。


「ここだけじゃ分からないっす。兄貴のところに戻れば、少しはハッキリすると思うっすけど」

「へ。何を言ってるんだ!あの家で俺は…」


 困惑する俺と探偵のような仕草の行商人。

 そこにさっきの魔法使いたちと、その部下が戻って来た。

 そして来て早々、ヒルダはマニーの頭を叩いた。


「マニー。余計なこと言わないの」

「痛っ。分かったっすよ。んじゃ、おいらの自由を記念してスキップで帰るっす」


 マニーが何故自由という言葉を口にしたのか、俺は気にしなかった。

 村に帰って、それで終わりと思っていた。

 やっぱり父が死んだかは分からない。

 今は理由があって、姿を見せないだけ。

 戦う才能がないことは、さっき分かった。

 だったら、みんなに頭を下げて、村に置いてもらったらいい。

 なんでもするから、と騎士の夢を捨てて。


 それが現実を知る苦み、そう思ってたんだけど…

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