第3話 旅立ち・1
ヒノはトーチカ村に住む中年の女。
マルコは彼女の息子。
「あーーーー‼どうすんだよ‼どうしてくれんだよ‼」
中年の女がガックリ肩を落としていて、隣でセインと変わらないか、少し上の青年が頭を抱えて、白い目で睨んでいる。
「だって、父さんが魔物に餌を与えたら、その味を覚えるから絶対にダメだって」
「いつの取り決めだよ‼…お前の親父は十年前に死んだ‼」
マルコの母がその言葉に息子の腕を掴む。
だが、マルコの目は変わらない。
「し、死んでない‼」
そして、セインも変わらない。
「さ、最近、森の奥にも行ってみたんだ」
「はぁ?森の奥に…だと?」
「そうなんだ。森の奥に何もなかった。だから、父さんは…」
「てめぇこそ、言いつけを破ってるじゃねぇか。森の奥には行かないこと。これは十年前からある取り決めだよなぁ?」
僅かにセインの目が剥かれる。
むやみに魔物を刺激しない。これは不帰の森付近に住んでいる者にとっては常識。
だが、セイン青年の志は高いし、大志を抱いている。
そして何より、あの強い父が死ぬ筈がないという望みを捨てていない。
「じょ、常識の範囲でだよ。だって」
「馬鹿野郎がっ‼常識の範囲だぁ?常識を語るなら、コボルトの習性を言ってみやがれ、セイン‼コボルトに攫われた人間がどうなるか」
人食い狼人と呼ばれている。
コボルトは人間の骨も齧る。
コボルトの巣に連れて行かれたら、骨も残らないと言われている。
「父さんはそんな柔じゃない‼」
「そんなことは聞いてない‼…いや。ってことはコボルトの巣にも行ったってことか⁉」
当然、そうなる。セインは後ろめたさを孕んだ顔を少しだけ見せる。
「ば、バレないようにだよ。観察してたらなんとなく行けそうなタイミングとか分かっ」
「おお、なんということを…」
「チッ。やっぱ十八になった時に追い出すべきだったんだ。セイン、お前の保護義務は三か月前に終わってるんだからな‼」
十八まで、という司祭の話の捉え方の話。
ただ、ソレに関してはセインも同じ意見だった。
いつまでもこのままじゃいけない。もっと強くなって村を守る騎士にならなければ。
「おい、マルコ。今はそんな話してる場合じゃねぇぞ」
「お、ポールか。そっちは」
「俺の方は…、いや、それよりセイン。爺ちゃんが世話を掛けたな」
ポールは最初の助けたマッツの孫。
皆、家族同然の付き合いだから、そんな話も直ぐに伝わる。
だから。
「マッツさんは俺にとっても家族…、…ぐ…は…」
ドゴッと拳がセインの腹に突き刺さる。
「そういう意味で言ったんじゃねぇよ。爺ちゃんは甘くても、俺達は甘くないって話だ」
二人とも、セインより一回り以上大きい男。
トーチカ村の次世代を担う若者たちだ。
「…で、どうするよ、コイツ。コイツを餌にしたって、もう変わらねぇぞ」
「あぁ。全部台無しだ」
年寄り連中は、ある程度同情的にセインを見ていたが、若者たちにとっては何様。
剣の修行か何かは知らないけど、毎日毎日畑を耕している人間から見れば、ひ弱で働きもしない堕落した人間。
被害者のフリをして、トーチカに寄生する害虫。そう見る人間も多い。
そんな中。
「ちょっとちょっとー、なにしてるんすかー。喧嘩をしてもなーんも得しねーっすよ」
高めの声。
セインには聞き覚えのない声。
こんなにも村民と距離があった。そう思えた。
とは言え、彼は
「はぁ。これは喧嘩じゃないですよ、マニーさん」
「あぁ。ただの害虫の駆除。…で、マニーさん。この状況、やっぱ不味いですよね」
「うーん。不味いねー、不味いねー。こんなことしたら、コボルトの復讐にあっちまうだろうっすねー」
村民の名前も忘れてしまうほどだった?
腹を打たれて、膝をついていたセインが怪訝な顔で見上げると、予想よりもずっと近くに顔があった。
顔や髪型、服装から男と分かるが、とても小柄な人間。
まだ子供、それにしては皆から「さん」付けで呼ばれている。
「へぇ。君がセイン?…おいら、行商人のマニー。よろしくな‼」
「行商人…?」
「マニーさん。そいつはどうでもいい。俺達ゃどうすりゃいいんですか」
「村で少しずつ溜めた、貯金をはたいて買ったんですぞ」
少しずつ、彼の周りに村民が集まって来る。
村で貯金をしていた。それもセインは知らなかった。
朝から晩まで森の中で過ごす少年セイン。
そんな彼に同情し、トーチカの村人は朝と夜の食事をセイン、いやケインの家に運んでいた。
同情は最初の数年で失われていたのかもしれない。
それが分からない程、当時の少年、今の青年は、あの美しき幻影に憑りつかれていた。
「うんうん。でもでもー。その為に彼にも話した方がよいんじゃないっすか?」
険しい顔の村人に対し、柔和な笑みを絶やさない子供のようなマニー。
「セインっち。村の人たちがコボルトに上げていたのは、おいらから買った『毒薬』を染み込ませた野菜や家畜の肉なんすよ」
彼は子供のような笑顔で、穏やかではない言葉を言った。
「毒…だって?お前はトーチカの皆に毒を売ったのか!?」
「おい、セイン‼てめぇにトーチカを」
「マルコっち。落ち着いて。ここからがおいらの見せ場っすよ。最初はマルコっちも彼と同じこと言ったじゃないっすか」
「ぐ…、それはそうだが…」
見れば見るほど、怪しげな行商人としか思えなくなる。
毒を盛る、毒っていうくらいだから人間にも害があるかもしれない。
とは言え、確かにコボルトを駆除できるかもしれない。
だが、それって
「毒で殺す。そんなことをしたら、どっちみち俺達の村が目を付けられるだろ」
お前がそれを言うのか、という村民の目。
でも、ここで喧嘩が始まったら、マニーの見せ場は更に遠のく。
というわけで。
「ちょっとちょっと。その辺の商人と一緒にしないで欲しいっす。おいらの売り物はそんじょそこらの毒とは違うっすよ」
「そんなの信用でき…」
「毒に見えて、毒ではない。毒ではないけど、毒になる魔法の薬…」
「な…。毒ではないけど、毒?お前は一体何を言っているんだよ」
立ち上がるセイン。
迫るセインに、よっと宙返りをしてみせる、珍妙な行商人。
そして1mほど後ろに、ほいっと着地してしたり顔。
そんな彼は口角をにいっと上げて、巨大なバックパックから小瓶を取り出した。
「セインっちいい反応っすね。この薬は名付けて、美味し
「旨そうな匂い…?そんなものが」
「そうっす。言ってみれば遅効性の毒。いや、毒じゃないんすけど、旨そうな体臭のコボルトは巣に戻ったら、他のコボルトから美味しそう…って思われるっす。で、そのコボルトを食べたが最後。そのコボルトからも旨そうな匂いがして、やっぱり美味しそう!って他のコボルトが思うっす」
爽やかな笑顔の行商人。
これほど、胡散臭いものはない。
「そんな上手く…」
「コボルトはコボルトの味を覚えて、人間のことなんてすっかり忘れるっす。そんな上手くいくっすよ」
だけど、「確かに」と思わせる。
そんな説得力を感じさせる何かがあった。
「おいらはこの薬で何度感謝されたか分からないっす。んー、だけどー」
「だ、だけど?」
そんな素晴らしい薬があったなんて、と思い始めた時。
マニーの体に比べて、少しだけ大きな手の人差し指の先が、自分に向けられた。
「食べて満足したコボルトを片っ端から殺しちゃダメっすよ、セインっちぃ!どうしてくれるんすか。おいらの薬の効果を証明できないじゃないっすか!」
そう。セインが簡単に退治できたのは、コボルトが飢えていなかったから。
先ずは家畜に美味し
村民に被害が出ていなかったのが証拠の一つでもある。
だからこそ、狼狽える。
「し、知らなかった…んだ。俺は…」
「てめぇが知ろうとしなかっただけだろ‼…どうしてくれんだよ」
「こうなったら。コイツに美味し草汁を飲ませて、コボルトの巣に行ってもらおうぜ」
「あぁ。そうか。それなら同じ効果が期待できるかもな。みんな——」
普段なら非人道的に思えること。
だけど、村の人達を守る為なら。
父さんと母さんなら…
「分かっ…」
「待つっすよ‼それは危険すぎるっす!」
ここで止めに入るのは、さっきセインを糾弾した行商人だった。
人間が飲み、その人間がコボルトの巣で食べられるなんて、余りにも野蛮。
部外者から見ればそう映る。
でも、この村での俺の立場は、いや俺がやるべきことは
「マニーとか言ったな。俺にその薬を売ってくれ。俺に気を使う必要は…」
「何を寝ぼけたこと言ってるんすか。セインっちに気なんか使ってないっすよ」
そして、そんなセインの覚悟を、行商人はサラリと躱し、半眼で睨みつける。
「だって、さっき危険って言ったろ」
「言ったっす。ってか、もっと頭を使えっすよ。この作戦のポイントはコボルトが人間を食べていないことなんすよ?セインっち食べたコボルトが、人間が美味って勘違いしちゃったらどうするんすか。それとも、セインっちには出来るんすか?たった一匹のコボルトにしか見つかってない状況で美味しく食べられること…」
マニーは早口で、だがキレイに舌を滑らせながら捲したてる。
コボルトは群れで行動する。かなり難しいが、頑張れば…
なんて考える者も、流石にこの条件を聞けばガックリと肩を落とす。
「それから、そのコボルトが大人しく巣に戻るように、お腹の中から操ること。その約束が出来るんすか?」
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