第2話 孤独な青年と、彼を取り巻く環境と

 深い森の中。一人の青年が空気を相手に剣を振っている。


「てい‼はぁぁああ‼」


 見えない敵の攻撃を木製の盾で防ぎ、鉄製の刃こぼれが目立つボロボロの剣が空を引き裂く。

 流れるような型の中、そこに垣間見える死の香り。


「駄目だ。また、死角を作ってた。こんなんじゃ怒られる」


 彼には三人の先生がいる。

 だが、辺りを見まわしても影形もない。

 これもまた、戦っている相手と同じ。彼の中だけの存在だ。


「父さんならどう動くかな…」


 一人は父親ケイン。彼の剣の型の9割は父のモノだ。

 でも、父親の姿はどこにもない。


「っていうか、また破れてる。こいつが気になって仕方なかったんだ。母さん…、ここってどうやってたっけ」


 二人目の先生は母親セイラ。

 小さい頃から、装備品の調整をしてくれた。

 それだけではなく、魔法を使った戦い方も教えてくれた。


「俺が魔法を使えたら、ここの部分は切り取るとは思うんだけど」


 残念ながら、魔法の才能はなかった。

 体の殆どは父親から譲り受けたのだろう。

 因みに、母親の姿もない。


 カサッ…


「…なっ!」


 木々の奥から微かな音がして、青年は振り返る。

 すると、森うさぎの後姿が微かに見えた。


「なんだ、うさぎか。脅かすなよ…」


 人食い獣人、森の番犬とも呼ばれるコボルト。

 畑の荒し屋、森のゴロツキとも呼ばれるゴブリン。

 深い森の中だから、遭遇する可能性があった。

 だから、ホッと胸を撫でおろす。


 ——小動物の動きをよく見なさい。彼らの方が警戒してるから


 ここで、こんな言葉が聞こえた気がした。


「そ、そうだった。しっかりしろ!…セイン」


 パンと頬を打って、周囲の警戒を始めた彼の名はセインという。

 森の境界にあるトーチカと呼ばれる村の生まれだ。


 そして…


「あのひとが居なかったら、俺はあそこで死んでいた…」


 今から約十年前、セインが八歳の時

 彼は、先ほど名前が出た魔物に殺されそうになった。 

 そこでセインは、一人の異国人に命を救われている。


 ——黄金のような長い髪を優雅に流した美しきひと


 彼女が誰かなんて知らない。名前だって分からない。

 父と母より若く見えたから、当時の彼女は二十歳くらいだろう。

 だから、今は三十歳くらい。丁度一回り上くらいの女こそが三人目の先生。

 で、勿論この場に居ない。

 そんな名も知らぬ大人の十年前の言葉を、セインはハッキリと覚えていた。

 

「魔物は普段から小動物を襲ってる。だから、俺達よりもアンテナを張ってるんだ」


 基本的に魔物は野生動物と変わらないと言われている。

 そして、普段は森の捕食する側に君臨しているから、捕食される側にとっては人間よりもあっちの方を普段から警戒している。


「えっと。あの人が言ってたのは、逃げていく方向。小動物は連携を取ってるから…」


 ウサギに小鳥が逃げていく方向には、基本的にいない。

 可能性が高いというだけで、絶対じゃない。

 それでも人間の、セインの感覚よりはずっとマシだ。


「…って、アレを持っとかないと」


 男は周囲を警戒しつつ、革製のリュックの方に横歩きで移動する。

 父と母が残してくれた大切な家宝が入っている。

 あの時から肌身離さず、決して失くさないようにしている。


 トーチカ村、生まれ故郷の人間を信用していない。

 だから、持ち歩いている。


「アレを失くしたら。いつか再会した時に、俺って気付いてもらえないぞ」


 セインは乱暴に地面から剥ぎ取って、急いでリュックを背負う。

 十年前に、父と母の葬儀が、トーチカ村で行われている。

 碌に探してもいないのに、とセインは反発した。

 ただ、その事があったから村民を信用していない訳じゃない。


「不味い‼うさぎが向かったのは村の方だ‼」


 村人が魔物に襲われるかもしれない。

 そうはさせないと青年は走り出した。

 セインが村民を信用していないのは、信用されていないの裏返しなのだ。


 信用されていないと感じるから、信用できない。


「俺が父さんみたいに、母さんみたいにならないと‼」


     □■□


 セインはひた走った。

 十年前のあの日、東の強国ミズガルズ帝国が大規模な侵攻を行った。

 侵攻先はセインの両親が傅くアルト王の領地ではなく、南の友好国フォセ王国だった。

 隣国と東の強国の戦争。

 あの魔物の軍勢が何だったかというと。


「また帝国の陽動か?それとも…」


 自宅に居た筈の母親のセイラは、森を抜け出したセインを迎えてはくれなかった。

 そもそも、トーチカ村に彼女はいなかった。

 あの日の朝に、王から連絡が入ったと言って村から出て行った。

 その後、トーチカ村も担当しているヨアン司祭様の口から、ミズガルズ帝国の侵攻の話が伝えられた。

 不帰の森に接している地域でかなりの被害が出て、行方不明者も多数確認された。

 その司祭様の話から、母セイラもそうではないか、とトーチカの住民は考えた。


「うぁああああ‼‼」

「この声はマッツさん‼急がないと‼」


 八歳でセインは家族を失った。

 両親はトーチカ村出身ではないから、近くに親類もいない。

 そして、ヨアン司祭様は王の盾と呼ばれた二人の子に救いの手を出した。

 と言っても、実際に差しだしたのは村民だった。


 セインが成人になるまで、村の皆で面倒を看ること


 生まれて八年は両親が家族、その後の十年は村全体が家族。

 そしてセインは十年間、我が家とあの森とを行き来し続けた。


「父さんと母さんが帰って来る場所は、俺が絶対に守る。お前達‼俺の方が旨そうだろ‼」

「セイン‼」


 ただ、伊達に十年間行ったり来たりしていたわけじゃない。


「コボルトども‼トーチカはお前たちの餌場じゃない‼」


 憧れは父と母のような、王に認められる騎士。

 そして命を救ってくれたあのひとに、いつか恩返しがしたい。


「セイン、待…」

「てぃやああああああ」


 彼女は何処で何をしているのか分からないけど、あの強さだ。

 高名な冒険者か、騎士か。既に引退して幸せな家庭を築いている。

 なんでもいい。ずっと頭に焼き付いている幻影を、ただ追い求める。


 ギャン‼


 十年間の森籠りは、流石にセインを成長させていた。

 彼の成長の中で一番大きいのは、戦うべきか、退くべきかの判断が早くなったことだ。

 そして、今は行けると即座に判断が出来た。


「お前は…」

「マッツさんは避難してください。俺は皆の安全を確認してきます」

「そういうわけには」


 マッツの話を待たずに、走り出す。

 そして、青年はコボルト二匹と対峙している大人たちを見つけた。


「スギーさん!ウメさん!下がってください」

「セイン、お前!」

「アンタ、また森に…」


 二人の言葉を待つ前に、森の番犬コボルトの一体の頭部を片手剣で打ちぬいた。

 刃こぼれしたなまくらでも、打撃は打撃。人間だって金属で殴られたら、ただでは済まない。


「な…」

「ちょっと」

「次ぃいいいい‼てぃゃあああああ‼」


 瞬く間に二体目を殴り倒して、奥に向かう。


「セイン、奥は」

「分かってます。俺に任せてください」


 そもそも、このトーチカ村は半分が森と接している。

 最初にあったマッツとスギーは、木を切り倒すことを生業としている。

 林業の意味と、街の防御の意味を担っている、大切な仕事。


「今年で約束の十八になった。トーチカの皆に信用してもらう最後のチャンス…」


 ケインとセイラは王直々に騎士として任命された。

 トーチカ村周辺の防衛を任されたと、父から直接聞いた。

 そして、この辺りは騎士ケインとセイラが治める土地になった。


 名門家族であれば、何もしなくても成人になれば、騎士階級か爵位かが継承されるけれど、残念ながらケインの両親も、セイラの両親も普通の平民。


 ここで俺が頑張らないと、父さんと母さんの功績が無くなってしまう。

 父さんと母さんはきっと生きてる。俺が頑張らないと…


「ヒノさん‼ここは俺に…」


 セイン青年の志は高い。大志を抱いている。

 だけど、村民に気を使うあまり、距離が離れていたことは否めない。

 そして、両親の活躍を知った上で、村民の目にセインはまだまだ未熟に映っていた。


 何より、彼はずっとから回っていた。だから——


「馬鹿野郎、セイン‼コボルトに何をやってる‼」

「え…、いや。だって、村が襲われて」


 セインより一回り以上大きな男が、たちまち一体のコボルトを不意打ちで倒したセインを怒鳴りつけた。


「せっかく、ここまで誘き出して餌をやってたのに」

「な…。マルコ!魔物の餌付けは絶対に」

「はぁ?てめぇ、村民会議にも出ねぇで何言ってる‼」


 そう、セインが考えているよりもずっと根深い問題があった。

 それに気付かず、彼は毎日父と母、そして彼女との再会を願って森に出かけていた。


「村民会議…」

「あれ?セイン、アンタいなかったっけ?」

「俺は…」

「母さん、やめとけって。どうせ話も聞かずに森に行っちまってたんだろ」

「そうかもしれないけど、魔物に餌は」

「ったく。セイン‼一体どうしてくれんだよ。これで俺達の計画はぱぁ…、どころの話じゃねぇんだぞ‼」

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