一千夏、恭太郎ん宅に行く

恭太郎視点:


バスから降りて、一千夏にとっては慣れた道を歩く。俺は雨の日にしかバスを使わないから、いつも足元しか見ていない道だ。




住宅街を抜ける道を歩いていたら、ふいに花の匂いがした。




「一千夏、匂わないか」




「くんくん…あ、これって」




二人で匂いの元を探した。大きな住宅の側道、庭を囲うフェンスからはみだして、そのお目当ては咲いていた。




「あったあった。スイカズラ」




「本当だ。こんなところにもあったんだね」




二人が通った幼稚園の外フェンスに毎年咲いていた。うちのおかあがお迎えの時に名前と一緒に教えてくれた事を思い出して、花をひとつ摘んだ。








─── ほら、一個むしってごらん。大丈夫、次から次へとたくさん咲くから…




─── で、ここを、こうやって吸うの。ほら…




ちゅっと吸ってみせてくれたので、まねをする。




「うん、あまいね」




「うん、あまい」




甘みはちょっぴりだったけど、確かに蜜は入っていた。








ネットフェンスをつるが掴んで、わっさりと道路側に垂れている。


花もこれでもかとたくさん咲いていた。これなら強く匂うはずだ。




うわぞりにおしべがつくかわいらしい黄色い花を、一千夏はつついた。




「お前も採れよ。ん、甘い。当たり」




「そんなん、当たりも外れも、蜜ちょっぴりじゃん」




「そういうことじゃないよ、ほら」




一千夏にも、無理めに吸わせる。




「あ、甘い。…懐かしいねー」




「だろ。美味い不味いじゃないんだよ」




「ほん、それ」




花をくわえながら、夜の道を歩いた。




「恭太郎の部屋、行っていい?」




「ああ、最近断舎利したから雰囲気けっこう変わったぞ」




「ふうん」




俺と一千夏は、同じマンションの隣に住んでいる幼馴染だ。


隣どうしだけど、一千夏が俺の部屋に来るのは数ヶ月ぶり。






その前、中学生の頃は毎日来ていた。“ように”、じゃなくて本当に毎日。






◆◇◆






いわゆる高校デビュー組の一千夏は、癖っ毛の大きな一本三つ編みをストレートパーマという技術でさらっさらのロン毛に変えた。




眼鏡をコンタクトにし、産毛も眉も整え、そうして化粧も覚えた一千夏は、見た目、清純な美少女に変身した。




意思のはっきりして、でも目尻が下がって柔らかさも含んだ大きな瞳に、小さな顔。前髪ぱっつん、尼削ぎストレート。




で、本人。やる気もぶち上がっていた。




「高校はこの路線で行く。友人はもちろん、彼氏をつくってアオハルを謳歌する」




宣言どおり、一千夏は友だちをたくさんつくって充実したアオハルを送っていた。




元が人懐っこくサッパリした性格だったので、友人の方は地のままでも難なくクリアできただろう。元来元気でお嬢様に程遠いのですぐにめっきが剥げたが、かえって多くの友だちができたようだ。




そして彼氏のほうは━━━




高校最初のGW前に俺ん宅に来た一千夏は玄関で、




「私、彼氏が出来たからね。知ってると思うけど。そんで、彼氏がいるのに恭太郎の部屋に入り浸るのはやっぱり拙いと思うから、明日から来ない。けど幼馴染だし、これからもヨロシク」




と勝手なこと言って、それから部屋にはプッツリこなくなった。




一千夏の最初の彼氏は、一学年上のスカシた男子だった。






その、最初の男に振られた時、一千夏は俺の部屋にやって来た。




「付き合い始めはあんなに〈君を大事にする〉みたいな事言ったから信じたのに、どうして〈なんか思ってたのと違う〉みたく言われちゃうの?ずっと“私”じゃん、おかしいじゃん」




最初の時も、一千夏は大泣きだった。




「心変わりは仕方ないんじゃないかな。ずっと最初の相手と付き合っていられる保障なんてどこにもないし、むしろ“よくある事”じゃないか?」




俺はできるだけ優しくいったつもりだったが、一千夏は怒った。




「人ごとだと思って、そんな簡単に言うんだ。恭太郎のバカ!」




どうやら対応を間違えたらしい。




─── ちぇっ。知らねえよ、そんな事。バーカ…




それ以来、一千夏が俺の部屋に来るって事はつまり振った振られたか、、とにかく男と別れたという事だ。




次に一千夏が部屋に来た時は、




「そうかそうか、そりゃ、辛かったよな。うんうん。ほらタオル。目が溶けるぞ」




と、聞きに徹した。






「そういう時、女は聞いて欲しいだけで、答えなどいらないんだよ」




母親にそう言われた時は、




─── なんつうめんどくさい生き物なんだ、女って。




と思ったが、調べてもなるほど、そう書いてあった。




応対は間違っていなかったようだった。




一千夏は吐き出し終わるとカントリーマ○ムを食ってぬるくなった甘いミルクティを飲み干すと、急に落ち着いたのだった。






◆◇◆






氷とかグラスとかを持って部屋に戻ると、一千夏は最近買ったお気に入りのYogeboのハーフ抱き枕に、がっしり抱きついていた。




「おいおい一千夏さん、あんまり匂い付けしないでくれよな」




「くんくん。こんなに恭太郎の匂い付いてるから、もう付く余地ないでしょ」




すぐそういう臆面もないことしやがって。平気で男の匂いなんて嗅ぐか?いや、臭いいわれるより100倍ましか。




どうでもいいから匂いなんて気にならんのか?それとも匂いが平気なくらい、俺の事が好きなのか?






駅ビルのカ○ディで買ってきたダッツンルートビヤという飲料を開けて飲む。


変なデザインの缶。…あー、歯磨きの味ってこれかあ。




「あ、私も飲みたい」




降りてきて、新しいの開けずに俺の飲みさしに口を付ける一千夏。




そういうとこだぞ、お前。




男は結構、馴染みにも恥じらいとか求めるもんだぞ…


ああ、男もめんどくせえな…




だけど。




一千夏が器用に全部、うまくやれてたら今頃、俺の部屋でこんなことしていないだろう、な。まあ知ってたけどな。








ちなみに二人目の時は、一千夏が途中で勝手に髪をショートボブにしたのが亀裂の原因だった。




へっ。なんだそりゃあ。




髪型は大事かもだが、そんなことくらい、別れる理由にはならんだろう?




「だって、ロングってめんどいんだよ。施術もショートだと安いし、普段が圧倒的に楽なの!」




「俺に言うなよ。まあ、その髪の長さのこだわりは確かにキモいな」




「でしょう、そう思うよねえ。だいだい、こっちのほうが全然かわいいし」




確かにロングのお嬢様ヘアより、今の前下がりショートボブのが快活な一千夏には全然似合っているなと、その時俺もそう思った。


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