第9話 ハイキングに行ってみる

「エド」


 ヨライネはエネスの部屋の扉を開く。すっかり綺麗になった洋室で、エドとエネスは何やら話に盛り上がっていたらしい。

 エネスは机の椅子を反対に向けて座っていて、エドは相変わらず床に座っている。


「ああヨライネさん、ちょうどよかった。今エネスさんと、文のしるしに使う句読点について話してたんですけど、ヨライネさんはどう思います?」

「え、句読点? 句読点が何?」


 いきなりのふっかけに戸惑うヨライネ。エネスが代わりに補足する。


「あの、えっと、句読点違いで魔術にどれくらいの影響が出るか、ということです」

「ああ意外と変わると思う。やっぱり魔術師本人に一番会うリズムみたいなものがあるから、って違う違う……帰るよエド」

「えー、わかりました」


 窓からはオレンジ色の光が差し込んでいた。

 これ以上滞在するのは流石に迷惑になる。

 エドはしぶしぶ立ち上がった。すると、エネスは慌てて椅子から降りる。


「今日は、ありがとうございました……!」


 そう言って深々と頭を下げる。

 お部屋のお片付けのことをメインに、さまざまなことに対して礼を言っているのだろう。

 ただ、


「嫌だなあエネスさん。まだ気が早いですよ」


 エドはやれやれといった調子で言う。ヨライネも、全く同じことを言おうとしていた。





 二日目。昼。

 メルースト家から歩いて30分程度のところに、その山はあった。この街はそこそこ発展しているので、街中にポツンと存在するその山は結構目立つ。

 そこまで大きな山でもないので、二人は多少の歩きやすい服装でサクッと登っている。登山と言うよりは、ハイキングと言うべきか。

 二人は動きやすいシャツを着ている。ジャケットを着ていないエドも、コートを着ていないヨライネも、なかなかレアだ。


「ヨライネさん」

「なに?」

「きついですよ」

「そっかキツイか。それって目が見えないから? それとも、体力がないから?」

「どっちもです」

「嘘つくな。後者でしょ」


 エドは体力がある方ではないので、もうかなり息を切らしている。でもエドが山登りをしたのはこれが初めてではない。

 ヨライネはエドを手伝うことはあっても、盲目を気遣うことは滅多にしない。そのため、ヨライネが「山登りするけどいい?」と言っても、エドは結構すんなり了承した。ただしその前に言われた、「星、見にいくよ」というセリフにはとても嫌そうな顔をしていた。そもそも昼だし。


「ここかな」


 中腹より少し登ったあたりで、道が開けた。『展望広場』と書かれた看板が立っており、その表示に相応しく、平らな地盤が山肌に出っ張っていた。広さは、大体ヨライネの自室十個分くらいだ。

 街の姿もかなり遠くまで見通せるし、空も広範囲を見渡すことができる。夜ならば、これほど星の観察に適した場所などそうあるまい。


「風が気持ちいいですね。いい感じに空も見えてますか?」

「うん。ばっちりだ」

「木はあります?」


 言われて、ヨライネは改めて周囲を見回した。

 山なので、当然ながら全く無いわけではない。しかし、魔術に刻まれるほど記憶に残りそうな、特別目立つ木はない。広場はまっさらな芝生と砂利だし、展望台の柵の向こう側には、背が低い木しかない。エネスの魔術に出てくる木があるならかなり邪魔に感じるだろう。反対側には大きめの木もいくつか生えていたが、それはもう木ではなく林と言うべきなので、結局記憶に残るような目立つ一本は無さそうだった。


「ないね」

「そうですか。残念。あてが外れましたね」

「あーあ、絶対あると思ったんだけどなあ」


 晴れた空に向かって伸びをしながら、ヨライネは言う。


「とりあえず、お昼食べません?」


 エドは、斜めに肩掛けしている荷物を指さした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る