第7話 お星様のお話
エネスに兄がいたのはこの場で初めて聞いたことだったが、当然といえば当然ではある。まずこのレベルの家に跡取り息子がいないというのは考えづらいし、万が一いないとしても、その場合エネスは婿を探さねばならないはずなので、魔術などやっている場合じゃないのだ。
ヨライネの見解通り、兄のイヴァン・メルーストは長男として家を任され、今はこの国の中心都市で働いているという。家を任されたのに家そのものにはいないというのがおかしなところだが、確かにわざわざ遠い実家から通う必然性はない。考え方というのは人それぞれだ。以上、ヨライネの感想である。
本の片付けが一通り終わり、残りは小汚い部屋の掃除だけと言ったところだ。エネスとヨライネはせっせと真面目に働いているが、エドは全く役に立たなくなったので、部屋の真ん中で置物と化している。
とは言え、ヨライネに言わせれば、エドがここにいる意味はちゃんとある。エドが何もしていないとなると、必然的によく喋るわけで、それが継続的にエネスとの会話につながれば、あわよくば木の正体を掴む手がかりを得られるかもしれない。
「それで、流星群がどう魔術に繋がったんです?」
彼は座した床に両手をついていて、もうすっかり休憩モードだ。それに比べてエネスはきちんと手を動かしている。今は本棚にたまった埃を取っているところだった。
「どう、というか……星を見ながら、兄が魔術の解説をしてくれただけで」
「星を見ながら解説? 星で何を解説するんです?」
「え、それってさ、」
反対側の本棚を拭いていたヨライネが、話に割り込んだ。
「もしかして、古代魔術の話?」
「「古代魔術?」」
二人とも、違った意味で首を傾げた。エネスはその単語を知らなかったようだが、エドは、『なんで今?』という感じだった。
「あれえ、知らないの?」 エドに対して勝ち誇ったように言う。「魔術の最初期は、星の観測から始まったのですよ先生」
「うーっわ」
エドは言われてからそれを思い出し、しわくちゃに顔をしかめた。煽っていいのは僕だけなのに、とでも言いたげだ。
「最初期、ですか」 エネスはそこを確認する。
「そうだよ。星の動きで魔力を定義していたって話、されなかった?」
楽しそうに話すヨライネ。早いもので、もう敬語の解除に成功している。
「んん……された、かもしれません」
エネスは曖昧に肯定した。幼い頃の記憶なので、『興味を持つきっかけになった』という記憶が独立して残っており、詳しい会話の内容は覚えていないらしい。
「でもそれってあれですよね、古代魔術の中でも本当に初期の初期ですよね」
「まあ、そうだね」
「エネスさんのお兄さん、相当マニアックですね」
イヴァンはその知識を幼い頃に持っていたのだから、確かにかなりの物好きだ。しかもそれを、もっと幼い妹が理解でき、かつ興味を持てるようにわかりやすく話したのだ。天才かもしれない。
「今更でしょ。これだけの本を揃えるくらいなんだから。お兄さんは今、何をしてるの?」
「確か、官僚です」
「ええ、すごい」
魔術関連ではないんだな、と思ったが、大して気まずいことでもない。魔術が大好きだからと言って、魔術にしか道がないわけではない。むしろ、魔術に固執して官僚の道を選ばない、なんてことがなかったのだから、世間的に言えばエネスの兄は賢明である。
「お兄さんは今も定期的に本を送ってくださるんですか?」
エドが選別作業を再開して、そう言った。
「そうですね、二週間に一度くらいは」
一部ではあるが、本の中にはごく最近書かれたものも混じっていた。
「そうなんですねえ。じゃあ今も魔術に興味はあるってことですか」
エドは周囲を見回すような動作をした。
「またなんか気づいたの?」
「ああいえ、よく考えられてるなあと思ったんです。難しさや分野の偏りがない、幅広い選書でしたから。少し調べたくらいでは、あれほどの幅広さにはなりません。本当にエネスさんの魔術を応援しているんでしょうねえお兄さんは」
棚を拭くエネスの顔が、少し赤くなる。
「ただ、古代魔術の本が一冊もないのは、どういう変化なんですかね」
「ああ確かになかった」
エネスが古代魔術という単語を知らないくらいなのだから、本当に一冊もないのだろう。
つまり、幼少期には古代魔術マニアを存分に発揮していたにも関わらず、妹へのプレゼントは現代魔術のみ、ということになる。
言われてみればエネスにもわからないようで、彼女も一緒に首をかしげていた。
「古代魔術の使用は、違法だから?」
「いやあ、使用が違法なだけでしょう? ヨライネさんの専門だって、元は古代魔術じゃないですか。研究自体は重要視されてますよね」
「妹となると、それでも不安なのかも?」 ただ言ってみただけだ。
「えー、ああ、うーん、意外とそうかもしれませんね。子供は何するかわかりませんから」
「私もうそんな歳じゃないですッ!」
真っ赤になってツッコミを入れるエネス。彼女は童顔だが、普段は案外子供扱いされていないのかもしれない。
「……もう」 プンスカという表現が似合いそうだ。 「そういうお二人はどうなんですか」
「何がです?」
「きっかけです」
ヨライネは「ああ……」と言った。いざ返されると答えにくいぞ、と思った。
「僕は、簡単ですよ。視覚を補えると思ったからです」
エネスとヨライネは微妙な顔をした。エドは視覚以外の四感が特段発達しているわけではない。視覚を補える要素は、魔力を認知できることだけだ。それはつまり、苦肉の策として魔術を選んだということになるはずだが、エドが言うとなんでもないことのように聞こえてしまう。いや実際、彼にとってはなんでもないことだったのだろう。
エネスはヨライネを見た。エドの話はおそらくこれで終わりだろうと察し、次はヨライネに回答を求めている。
「えー、うーん、きっかけかあ」
ヨライネは斜め上を見て考えてみる。
「ある人に勧められたのが一番のきっかけかなあ。その人の影響で、他人の中身に興味が出ちゃって、それで、研究者になった感じだね」
「他人の中身、ですか」
魔力定義や徴には、人の心が深く影響するらしい。これを知識としては理解しているエネスだが、まだ実感は伴っていない。
ただ、『中身』という言葉からして、その経験とヨライネの外見には何か関係があるのだろう、ということくらいは察しがついた。
「ヨライネ、さんは、魔術がお好きですか?」
恐る恐る、といったふうにエネスは言った。
ヨライネは次の本棚に移動しながら、爽やかに答えた。
「もちろん。それこそ、これしかないなってくらいに好きだよ」
その顔に不意を突かれたのか、エネスは数秒ぼうっとした。それから、なんだか優しげな微笑みを返した。
「やっぱり、そうですよね」
言って、ヨライネに負けないよう、とにかく手を動かす。
エドはというと、同じく微笑んでいたのだが、彼は少し下を向いていた。
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