第5話 魔力って結局、何なんですか

 なぜお部屋のお片付けをすることになったのかというと、簡単な話だ。お宅訪問で何をしようかと考えているときに、エネスが提案してきたに過ぎない。つまりエネスがお片づけを望んでいるはずだったのだが、片付けをしている最中、エネスはめちゃくちゃ苦しそうにしていた。終始心臓をじわじわ抉られていくような顔だった。

 作業がある程度進み、本が部屋の隅に積み上げられてエドが入室可能になった頃。床に座り込むエドは、文字魔術で本の中身を確認していた。エドの周囲には積み上げられた本の塔がいくつかあり、最も高い塔から取った本の中身を確認して、別の塔の上に置いていく。つまり仕分けをしているわけだ。

 ヨライネがやってきて、塔の1つを指さした。


「これ、分解術学?」

「はいそーです」

「じゃあ持ってくよ」


 ジャンルごとに分けた書物を、ヨライネが部屋の外に運び出していく。一応、エネスの部屋にも大きな本棚はある。しかし、例え壁一面が本棚だとしても到底収まり切る量ではないから、いったん部屋の外に出すしか無いのである。

 エネスの担当はタワー作りと掃除。本と紙類を選別してタワーを作り、エドの近くに置いてから、開いたスペースを掃除する。気を抜くとその掃除が非常にずさんになるので、たまにヨライネに怒られている。

 ジゼは参加していない。しばらく前からこの邸宅にはエネスとジゼしかいないようなので、掃除等で忙しいのだろうと思われたが、どうやらエネス曰く、ジゼはそもそもエネスの部屋に入ろうとしないらしい。

「少し前は、整理を手伝ったりしてくれてたんですが……」

 エネスは小声で、かつ浮かない感じでそう言っていた。ジゼが手伝ってくれなくなったことよりは、人の手を借りないと片付かない自室のことを憂いているらしかった。

 ヨライネは色々思ったが、それ以上聞かないことにした。本人がいない場で話すには、少々気が引ける内容に思えたから。


 部屋に戻ってきたヨライネは、エネスの掃き掃除を手伝いながら、エネスにたずねた。


「ご両親はどうされているんですか?」


 邸宅に入ってから、まだエネスとジゼ以外には誰にも会っていなかった。


「ああえっと、お母様はご病気で、少し前から街の病院で入院されています。お父様は、もう何年も帰ってきていません。外国の研究所で働いていると聞きました」

「そうだったんですか」


 なんと返したらいいのかわからず、少し気まずくなるヨライネ。どうやら、母親は入院の身であの依頼文を送ってきたらしい。


「ご家族も魔術師ですか?」 追加の質問。

「いえ、お母様とジゼは違います。お母様は魔術の研究だけ、していたみたいですけど」

「へえ、それじゃあ私と同じですね」

「え、そうだったんですか」

「そうなんです。私も魔術師ではありません」


 ヨライネはなぜか自慢げにニッコリと笑った。現実離れした美人の笑顔がよほど高威力だったのか、エネスはどぎまぎしつつ目を逸らし、「へ、へえ……」と言った。

 ヨライネはエドの方をチラ見した。彼は黙々と本の内容を確認している。未選別のタワーがもうなくなりそうだったので、ヨライネは掃き掃除をひと段落つけ、新しいタワーを作ってエドの元に届ける。

 ドサリ、とヨライネが本の束を置くと、エドが、本に指をなぞらせながら言った。


「懐かしいですね、『魔術が好きになる魔力定義入門』。ヨライネさんも読みました?」

「いや、それは読んだことないな」

「そうですか。結構面白いですよこれ。深い内容にも所々で触れてますし」

「その本、他のに比べると結構新しいね」 とはいえ10年近く前に出版されたものだが。

「それは、最近自分で買い足したんです」


 エネスが作業をしながら言う。本の外見が確認できる距離ではないため、タイトルだけでピンときたのだろう。そこまで記憶が残っているなら、確かに最近で間違いないらしい。

 ヨライネはちょっと不思議に思った。タイトルからして入門の入門くらいの本のようだが、それがなぜ最近のエネスに必要だったのだろうか。初心者とは明らかに言い難いくらいの魔術を使っていたのに。


「あの、せっかくなのでお二人に質問しておきたいんですが」


 掃き掃除の手を止めずに、エネスは二人を見た。


「魔力って結局、何なんですか」


 ヨライネは「魔力ね」と言った。よくある質問なのだ。


「その辺は、魔術学校教師のエドに説明してもらったほうがいいかもしれませんよ」


 エネスは驚いた表情を見せた。やはり彼が教師なのは意外だろう。ただ、数秒すれば納得するはずだ。冷静に考えれば案外、エドが教壇に立っている姿は想像できる。とはいえ非常勤なので、たまに授業に出る程度なのだが。


「確か、バケツありましたよね」


 エドが本から顔を上げて言った。部屋の隅に、汚れた水が入ったバケツが置かれていた。雑巾がけのためのバケツだ。


「あるね」

「はい、ありますねバケツ」

「じゃあエネスさん。それを抱えてみてください」


 本当にバケツの方へ行って抱えようとしたエネスだったが、直後にエドが「想像の中で結構ですので」と言ったので、とぼとぼ元の位置に戻る。


「水がいっぱいで溢れそうなバケツを、両手で抱えるイメージです」

「はい、抱えました」

「それが魔力です」

「え」


 あっさりとエドは言った。エネスの知る魔力の説明よりも、ずっと簡単だった。

 エドは楽しそうな笑顔で続ける。


「正確に言えば、それが魔力だまりです。全ての人間がそれを持っていて、水の量に大きな個人差はありません。僕が感じ取れるのもそれです」

「ああ……!」


 エネスの中で腑に落ちる。バケツで例えたのが良かったらしい。


「じゃあ、魔力定義っていうのは……」 追加の質問だ。

「魔力定義も簡単ですよ。魔力って実は、見せかけの力なんですけど」

「ん……?」


 うって変わって、さっぱり理解できなくなる。


「ねえそれ、君の説でしょ」


 ヨライネがジト目で言った。


「いやあ真理ですよ?」

「適当なこと言うな。せめて論文にしてから言え」

「えっと……?」


 エネスが困惑している。


「ああ、彼のことは気にしないでください。魔力定義、というのはつまり、バケツから水を取り出す計画を立てることです」


 ヨライネはエネスの近くにあったバケツに近寄って、代わりに説明を始める。現職の教師に頼るのは諦めたらしい。

 彼女はバケツの中に片手を沈めて、汚れた水をすくい取った。美女が黒く汚れた水をすくいあげる様は、それだけで何かの芸術作品のようだ。当然ながら、片手ですくった水はすぐに手からこぼれ落ち、ほとんどがバケツに戻ってしまう。


「例えば、水を取り出すには、道具を決める必要がありますよね。スプーンを使うのか、それともさかずきを使うのか。それだけで、結果は全く異なります。あとは、どんな水を取り出すのかを決めたりもしますね。できるだけ綺麗な水が必要な時もあれば、案外、少し汚れたものが必要な時もあります。そんな風に、魔力を取り出す行程について色々決めていくことで、どんな魔術を発動させるのか決める。これが魔力定義という行為です」

「……」


 エネスはしばらく天井を見つめ、ヨライネの言葉を細かく咀嚼する。


「じゃあ、しるしは、その計画について記した企画書……みたいなものでしょうか」

「そういうことです!」 ヨライネは濡れた手でグッドサインを示す。

「なるほど……そういう考え方、ですか。あの、ありがとうございます。進歩、できる気がします」


 進歩、というのは、木についてのことを言っているわけではなさそうだ。魔術師としての実力が上がったという意味での進歩だろう。

 そんなに簡単に上がるものでもないのだろうが、もともとよく学んでいるエネスなのだから、これくらいすんなり理解して、さくっと成長しても不自然ではない。むしろこの知識無しで、あのレベルの氷魔術を習得していると考えると、末恐ろしい。

 ただ、逆を言えば、エネスはこれだけ熱心に学んでいるのに、肝心な基礎知識が抜けていたと言うことになる。そう考えれば、かなり不自然なことなのではないか。

 ヨライネは一瞬思案に入る。


 やはり、エネスは——


 いや、それだけならば些細なことだ。大きな問題に繋がるとはとても感じられない。

 ヨライネは瞼を閉じて冷静になる。

 確かに、この部屋やエネスの現状に多少の違和感はあるが、それがエネスの木とどう繋がるのかと問われれば、全く答えようがなかった。まだ手がかりが足りない。

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