第4話 お宅訪問

 メイドのジゼが先行し、二人は後について、邸宅の廊下を歩いていた。

 特になんの会話も生まれないまま、部屋と時間が通り過ぎていく。

 エドやヨライネがたまに黙るくらい別にいいかもしれないが、メイドのジゼは、あまりに喋らない。彼女は情報量の少ない女だ。

 そのため、エドには悪いが、ここで少しジゼの見た目について紹介しておく。

 身長はヨライネより高い170弱。体格は細身だが、よく見ると筋肉質。顔つきや表情はキンと冷えている。髪色は銀。髪型は、実は肩までくらいのツインテールである。メイド服については特に紹介する必要はないかもしれないが、あえて情報を付け足すなら、スカートが長めのちゃんとしたやつだ。

 このような情報も、エドにとっては入手困難だ。そのため、彼はまだジゼという人物をあまり把握していない。

 しかも彼の場合、積極的に把握しようともしない。実際、ヨライネと違って、彼は今ジゼのことなんてぜんぜん考えていない。

 彼が考えているのは、今歩いているこの廊下のことだ。

 エドは特段音に敏感なわけではないが、それでもこの廊下の圧倒的な長さくらいは感じ取ることができた。でも彼はそんなことよりも、匂いに感動していた。嗅覚も別に突出してはいないけれど、それでも廊下から漂う木の匂いくらいは感じ取れた。豪邸というものをあまり好まないエドだが、古い建物であれば、こういう趣きが期待できるから悪くない。と、そんな感じな事をだらだらと考えていた。


「一つ、よろしいでしょうか」


 意外なことだ。最初に静寂を破ったのはジゼだった。


「なんですか?」


 返事をしたのはヨライネ。窓の外の庭から視線を外して、ジゼを見た。

 ジゼは前方に目を向けたまま、振り返ったりはせずに言う。


「クローベル様は、目が見えていらっしゃらないのですよね。補助などは不要なのですか?」

「ああ、お気遣いどうも」 エドは笑顔だ。 「でも、僕の場合は大丈夫なんです。ただ、段差などがあれば、口頭で教えてもらうだけで結構です」


 言っている意味は不明かもしれないが、このセリフ自体には、別に嫌な感じはしない。

 だがその後少し、意味深な間が空いた。

 廊下の床が3回、軋む音を鳴らした。


「かしこまりました」


 かなり淡々とした声で、ジゼはそう締めくくる。

 だがエドは、それに対して軽めにさとすみたいな調子で、こう返した。


「そんなに疑わなくても、ちゃんと盲目ですよ僕は」


 一瞬、空気がピリついた。ジゼは首だけ捻ってエドを見た。ほとんど睨んでいた。

 その雰囲気にヨライネは顔をしかめたが、睨まれたことに気づいていないエドは、歩くのが心底楽しいとでいもいう風に平然と廊下を歩いている。

 メイドだとしても仕事相手なので、このままではまずいとヨライネは思った。


「その、ちょっとしたワケがありまして。エドには魔力が見えてるんです」

「魔力……?」

 ジゼはエドを睨んだまま呟く。


「補足していただきありがとうございます、ヨライネさん。ただ、より正確に言えば、目を使って見てるわけではないんですけどね」


 細かいしウザイ。

 だったら自分で言えよと思うヨライネだったが、それを口にできる空気でもない。ただ焦ることしか彼女にはできない。


「魔力は完全不可視だと伺いましたが?」

「よくご存知ですね。ですが、見てるわけではないと申し上げたでしょう? 僕が感じ取れるが魔力だというのは、あくまで僕の仮説なんです。僕だけが感じ取れる何かを、勝手に『魔力』と呼称しているに過ぎません。このこと、魔術協会には言わないでくださいね。根拠がないとか論文がどうとかで、怒られちゃうので」

「そうですか」


 自分で言わせたら今度は長くてウザかった。

 ジゼはもうどうでも良くなったらしい。ヨライネとしては、良くない。ここから好感度を挽回する手立てを考えなくてはならなくなった。しかしそれは叶わなかった。


「止まってください」


 ヨライネの思考をさえぎってジゼが言った。二人は同時に停止する。


「エネス様のお部屋です」


 エドに言われた通り、口頭では教えてくれたらしい。少し過剰だった気もするが。

 ジゼは何事もなかったかのように扉の正面に立つ。エドの存在ごと忘れ去ったかのようだ。

 メイドは、部屋の扉をノックした。


「はあい」 中からエネスの声がする。

「魔術修復研究室のお二人がお見えになりました」

「ああ、」 ドンッ


 大きな物音が部屋の奥から聞こえた。例えば人間とかが、椅子くらいの高さから落ちる音。それに続いて、硬めの物体が落下する音と、無数の紙が翻る音がした。


「どうしたんだろ」とヨライネが言った。


 エドもわからないので、首を傾げる。

 やがて、ギイ……と繊細な音を立てて、ドアが開いた。


「すみません、お待たせしました」


 少しだけ開いた隙間から、エネスが顔を出した。彼女の体で部屋の中が見えなくなるくらいの、最低限の隙間だ。

 ジゼが腰を折ってきっちり頭を下げる。エドとヨライネが挨拶を口にすると、ジゼが言った。


「それでは、私はここで失礼します。何かございましたら、私はいつでも駆けつけますので」


 半分脅しみたいなことを言って、去っていった。


「ジゼと喧嘩したんですか……?」


 ジゼの不機嫌を敏感に察知したのか、エネスが心配そうに言った。


「さあ、喧嘩した覚えはないんですがねえ」

「いや、エドが悪いんです。あとで私がなんとかさせます」

「ああ……、なんというか、大変ですね」

「さ、こうしててもしょうがないですし、早速今日の課題に取り掛かりましょう!」


 エドの発言に、ヨライネはまたしても顔をしかめた。


「ああ、そう、ですよね」


 エドの厄介さよりもっと嫌なことを思い出したのか、エネスはドアの端っこを持って、ちょっと隙間を狭めた。なにかためらいがあるようだった。

 そんなエネスに、エドは首をかしげて言った。


「どうしました? お部屋が汚いのを気にされてますか? 大丈夫です。片付けを手伝って欲しいと言われた時点で、汚いのは承知してますから」

「うっ……」


 彼は爽やかに笑った。


「やめろやめろバカ」

「いえ、大丈夫です……もう心の準備は済ませているので」

 済んでそうには見えない。


「どうぞお入りください……」


 エネスはそう言ってから、ゆっくりと扉を開ききった。

 ヨライネは絶句した。お入りくださいとは言われたものの、どう入ったらいいものか。


「どうしました?」


 黙り込むヨライネに、何も知らないエドはたずねた。


「エド、君はしばらく入らない方がいいかも」


 部屋の面積は、乱雑に放置された無数の書物と紙類によって、ほとんど埋め尽くされていた。


「え、なんでですか」

「生きて帰れない」


 エドは置いてくるべきだったのかもしれないと思ったヨライネだったが、エネスはむしろ逆。この瞬間だけ、みーんな盲目になって欲しいと思った。

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