第3話 条件整理

 ジゼとエネスが去った後も、ヨライネは一人で応接用ソファに座っていた。テーブルの上には、凍った紅茶と冷めたコーヒーが置かれている。ヨライネは一枚の紙を手に持って、時折うーんと唸りながら、そこに書かれたものを睨みつけている。


「さっきから何うーうー言ってるんですか?」 タイプライターを叩いていたエドが、痺れを切らして声をかける。

「そんなに可愛らしい感じじゃなかったでしょうが。ただスケッチしたのを見てるだけだよ」

「ああそういえば、紙とペンを一度取りに行ってましたね。木をスケッチしてたんですか」

「そうだよ」


 木の氷像そのものは、もう時間経過で消失してしまった。


「木が実際に現れている以上は、この木そのものに意味があるはずだからさ。見た目も毎回同じだって言ってたし」

「でも、心当たりはない、とも言ってましたね」

「そう。だから困ってる」


 それこそが、『仲良くなる』必要がある理由だ。つまり、エネスの魔術を修復するためには、エネスにとってあの木がどういったものなのかを、外側から知る必要がある。


「けど、本人の記憶にないだけかも。この木、ちょっと樹齢は高そうだけど、別にどこにでもありそうだもん」

「へえ、どんな感じなんですか?」

「横に枝を広げる感じの、広葉樹かな。幹は太めで、葉っぱも大きめのやつがちゃんとついてる」

「結構細かいですね。なんの木です?」

「さあ、そこまではわからない。細かいって言っても、あくまで氷でできてるからさ」

「しかもそのスケッチですもんね。そんなにうーうー見たって意味ないんじゃないですか?」

「うーうーはやめろ。まったく。じゃあ聞くけど、エドはどう思うのこれ」

「えー、嫌味ですか? 木を一度も見たことない僕に聞かれても」

「ああそうか……」


 色々と考えすぎたせいで、冷静さを欠いてきたらしい。ヨライネは冷めたコーヒーを一口飲んだ。香りは消えていて、雑な酸味だけが舌の上を転がった。冷めているとはいえ、もう少し上手く入れられるようになりたいな、とヨライネは思った。

 味わいたくない味だったので、一気に飲み干して、カップをテーブルに戻す。

 ちょうど、凍った紅茶が液体に戻っていた。その紅茶を見ながら、ヨライネは言う。


「だったら、木じゃなくて人の方はどう思う?」

「人? あのお二人のことですか?」

「うん」

「そうですね……。ご本人の……エネスさん、ですか? あの方は、やけに興味津々だなあと思いましたね。メイドの方はほとんど話されなかったので、なんとも」


 薄い反応だが、これでもマシになった方だ。ヨライネと同門だった時代のエドは、他人に全く興味がない利己主義な男だった。昔の彼なら何も覚えてなかったことだろう。


「やけに興味津々、か。私はむしろ、ちょっとおかしいと思った」

 エドのタイプライターを打つ手が止まった。


「えーと、つまり?」

「もっと魔術に対してネガティブじゃなきゃ、おかしいんじゃないかってこと。いくら綺麗な氷像って言っても、あれが必ず現れるって、相当怖いことだよ」


 言われて、エドは腕を組んで考えてみる。

 

「そういうもんですか?」 結局首をかしげた。 「綺麗なものなら、あまり気にならなそうですけど」

「私は、やっぱり怖いと思う」


 今度ははっきりとそう言った。


「理由のわからない綺麗さを、わからないまま何度も見せられたら、普通は怖くなるはず」

「……確かに、そうなのかもしれません」


 エドは否定できなくなった。それがヨライネの言葉だったから。異常なまでに美しい己の顔と、ずっと付き合ってきた彼女の言葉だったからだ。


「エネスちゃんは、強がってるんじゃないかな。それも、何か特別で無意識的な理由があって」

「特別で無意識的な理由、ですか」


 確かに、エネスの興味を示す態度は、ごく単純な強がりや演技などには見えなかった。


「それって、どんな理由なんですか?」

「さあ……わかんないけど」

「えー」


 ちょっとワクワクしてきたエドは、がっくりと拍子抜けした顔をする。けれども、すぐに普通の青年の顔になって、クスリと笑った。


「でも、さすがヨライネさんですね。しっかりと人間の中身まで見ていらっしゃる」


 エドは軽ーく拍手をしながらそう言った。


「え逆になんで君は見てないの……。中身も見てないなら一体どこを見てるの君は」

「いやあ、僕はヨライネさんしか興味ないので」

「助手が言うセリフじゃないからそれ」


 ヨライネはため息を吐く。

 エドのセリフは明らかに過言だ。彼が初めて興味を持った他人がヨライネだったという事実はあるけれど、先ほど述べたように、彼は他人への興味もそれなりに抱くようになっている。そうでなくては、彼が魔術界隈きっての凄腕魔術師になることはなかっただろう。

 でも言い返すのも面倒なので諦めた。

 そもそも、この程度のことで『中身を見てる』なんて言われたって嬉しくはないのだ。





「もう一個段差」

「はーい」


 石段を上がって、エドとヨライネはわりかし立派めな玄関に立った。

 簡単な装飾が施された、厚い木製の二枚扉が目の前をさえぎっている。豪邸ってやつだ。ヨライネのヒモじい研究室とは大違い。

 ノックして待っていると、扉がゆっくりと動き、隙間を開けた。間からメイドのジゼが姿を表す。


「こんにちは。ヨライネ・イングリスです。今日からよろしくお願いします」

「どうも、エド・アール・クローベルです」


 二人が改めて名乗ると、ジゼは無表情のまま、しばらく沈黙した。彼女はヨライネを見つめている。無表情ではあるものの、なんだか機嫌が悪そうだったので、ヨライネは若干気圧された。

 いきなりのお宅訪問を提案された時、ジゼは拒否しようとしていたから、おそらくそのことだろう。彼女はまだ二人のことを信用していないらしい。もしもエネスが肯定的でなければ、お宅訪問には至れなかっただろう。


「ん?」

 エドは一人、首をかしげた。彼にとってはただ、謎の時間が過ぎるているだけだった。

「こちらへ」


 ジゼがやっと言葉を発し、二人に入室を促した。文句を口に出さないのは、メイドとしての自重だろうか。まあ、態度にはかろうじて出ていたわけだが。


「おじゃましまーす」


 何も知らないエドが先行し、二人は邸宅に入る。

 今更だが、ヨライネがエネスとジゼに提案した、問題解決のための第一歩が、お宅訪問である。あの木の意味を知るためにはエネスと仲良くなる必要があるわけだが、仲良くなる手段がいきなりお宅訪問というのもおかしな話かもしれない。本来であれば、ゆっくりと時間をかけていきたいところだろうが、しかし、今回は時間がなかった。



 時は、研究室での会話に遡る。

 依頼の契約を交わすにあたり、ヨライネは条件をいくつか確認していた。


「期限については、希望などありますか?」


 ヨライネは「もし無ければ、二週間以内ということにしますけど」と言った。正式な依頼はそんなに頻繁には来ないので、これはかなり余裕のある目安だ。

 エネスは少し俯いてから、隣にいるジゼの方を見た。ジゼは何も言わなかったが、エネスと視線があって数秒後に、ほんの少しだけ目元が笑ったように見えた。

 すると、エネスはもう一度俯いてから、ヨライネに言った。


「5日以内、というのは可能でしょうか」

「5日。5日ですか」 微妙なラインだ。 「上手く行けば不可能ではないですが……」

「そう、ですよね……」 エネスの表情が明らかに曇る。

「失礼ですが、何か事情がおありですか?」

「実は、その、一週間後に試験がありまして」

「なるほどそうでしたか。ちなみに、何の試験か聞いてもいいですか?」

「特任魔術師試験です」


 その言葉が出た瞬間、横でちびちびと紅茶を飲んでいたエドが、紅茶を吹き出しそうになった。無理もない。特任魔術師と言えば、魔術師関連の資格のうちぶっちぎりの再難関を誇るやつだ。

 その割に資格を取っても国に酷使されるだけなので、エドはあんな資格を取ろうと思う奴は頭がおかしいと考えている。

 一方、ヨライネはというと、そう言う大胆さが大好物だ。


「それは間に合わせなければなりませんね! わかりました。絶対に間に合わせて見せます」

「ほ、本当ですか!」


 もちろんエドはドン引きしたが、何度も何度も感謝を伝えるエネスと、ヨライネの優しい声を聞いているうちに、彼も変に口を挟めなくなった。

 そういうわけで、双方時間が無いため、いきなりお宅訪問という思い切った手段に至ったわけである。

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