第2話 依頼受領 2
「すみません、お待たせいたしました」
全速力で白シャツ姿に着替えたヨライネが、何事もなかったみたいにソファに腰掛けた。エネスは部屋を囲む本棚を興味深そうに眺めていたが、ヨライネが来るとハッとして、正面に視線を戻した。
そしてヨライネの顔を見た瞬間、メイドは沈黙を貫いていたが微かに目を見開き、エネスは絶句した。
ごく普通の反応である。ヨライネの顔を見た人間は、意味は違えど、皆こうした反応をする。
例えば、『どこか儚げで、とても美しい人形』と言われて浮かぶものがヨライネの顔だ。人形というのは動かないからこそ、どこか異次元的で度を超えた造形美までもを許容することができる。しかし、それが人間として動いていたら。ただの鑑賞する対象ではなくなる。鑑賞者とその対象が、同類になる。だからヨライネの顔を見た人間は必ず衝撃を受け、そしてその衝撃の意味は多岐にわたる。
そうした反応は、たとえどんな意味であろうと、ヨライネの精神を削る。他人から絶え間なく寄せられる感情の濁流は、以前に一度ヨライネを押しつぶしたが、そこから立ち直った今では幾分かマシになっている。エドに出会ったおかげだ。
しかしヨライネは今、少し焦っていた。当然、遅刻だからだ。盲目のエドでも客人に紅茶を出せるくらいの遅刻だ。
エドの方はあくまで助手なので、仕事机の方で彼用のタイプライターを用い、別の書類仕事に勤しんでいる。
焦りすぎて口が乾いていたので、ヨライネは失礼を承知でもう一度「すみません」と言って、エドの紅茶を一口飲んだ。
そして簡単に名乗ってから、言う。
「今回のご依頼は、お嬢さんの魔術についてですか?」
ヨライネはエネスの方を手で示す。エネスは頷いてから、ヨライネにもう一度名乗った。隣のメイド服の女は、ジゼと名乗った。彼女は先ほどからずっと美しい姿勢を保っており、スカートの盛り上がりの部分に両手を添えて座っている。
ヨライネはその手をチラリと見てから、本題に入った。
「魔術に何らかの異常が現れた、ということで間違いありませんか?」
「はい」 エネスは神妙な面持ちで肯定してから、ちょっと視線を逸らして、
「木が、現れるんです」 と言った。
「木、ですか」
ヨライネは気の抜けた声で返す。
「はい、魔術を使うと、必ず木が現れるんです」
「木が現れる、ですか。魔術の乱れの一種かもしれませんね。魔術自体はどのようなものを?」
「氷創魔術です」
「氷創……」 というと、ゼロから氷を生み出せるタイプのものである。
つまり、氷を作ると木が現れる。
「ちょっと実演してもらってもいいですか?」
イメージしづらかった。
「それは構いませんが……」
エネスはあたふたと周囲を見回した。他人の部屋で使うのをちょっと遠慮しているらしい。
ヨライネは自分の紅茶を差し出す。まだ半分くらい残っていた。
「私の紅茶を凍りつかせてもらえればいいので」
「……わかりました」
凍りつかせるだけなら、生み出すよりも簡単だ。失敗する可能性は低いだろう。
エネスはヨライネのティーカップを引き寄せてから、手をかざした。
魔術を発動。枯れ枝状のシワがエネスの肩から五本の指先までを覆い、次の瞬間には、ティーカップの中身が完全に凍りついた。遅れて、柔らかい冷気がテーブルの上を漂う。
「すごい」
あまりに一瞬だったので、流石のヨライネも声を上げた。この少女がここまでの魔術を扱うとは思っていなかったらしい。ヨライネは興奮気味にティーカップを手にした。本当にすっかり凍りついているのかを確かめるため、指でコンコンしてみようと思った。が、彼女はすぐに、この魔術が修復を必要としていることを思い出した。魔術の異変に気がついた。
ティーカップに入っている赤茶色の氷の下には、真っ白い木が、埋まっていた。
「これは……」
ヨライネはティーカップに目を近づけた。そのまま眼球を洗えそうな距離だ。
きっと、普通に考えてみるなら、氷にできた白い模様が立体を表しているに過ぎないのだろうが、しかし、ヨライネがそれを模様と割り切るにはしばらく時間がかかった。それほどに緻密で、リアリティがあり、存在感がある木だったからだ。
ただ、サイズが小さいし、上からしか見ることができないから、木の姿をしっかりと確認することはできない。
「こういった症状はいつから現れましたか?」 ティーカップを置いてそう言った。
「だいたい……2ヶ月前です」
「にかげつ……」
となると、おおよそ九月の下旬あたりからということだろう。
ヨライネはもう一度、テーブルの上のティーカップをまじまじと見つめた。
「木は必ず現れると仰いましたね」
「はい」
「もう少し見せてもらってもいいですか? そうですね、例えば、」
彼女は試しに両腕を広げてみる。
「このテーブルに薄い氷を張ってみるとか」
「そ、それはさすがに」 流石に申し訳ないし、簡単でもないことだった。
「大丈夫です、エドがなんとかするので」
エネスはエドの方をチラリと見る。彼は名指しをされても、ちょっとニヤリとしただけで、黙々と書類仕事を続けていた。エネスはエドのことを不気味な人だと感じていた。その感想は、彼が盲目であることを知っても覆らなかった。
「わ、かりました」
エネスはテーブルの天板を五本指で軽く触れた。ヨライネが組んでいた手をテーブルから下ろし、遠ざかるように椅子に深く腰掛けた。メイドのジゼは膝の上に手を置いたまま、特に動かない。
「じゃあ、いきます」
周りよりもむしろ自分に言い聞かせてから、エネスは目をつむる。
「
魔術の要たる
一瞬にして薄い氷を張ってみせたのは素晴らしい技量だと言える。が、ヨライネはそこに驚く暇もなく仰天した。
テーブルの上には、ワインボトルくらい高さのある木が一本、出来上がっていた。木の氷像だ。
ヨライネが驚いた理由は、その驚異的な精巧さにあった。その氷像は、彫刻家が掘ったのかと思うほどの出来栄えだったのだ。エネスが彫刻家を目指してこの木を生み出したと言うならまだしも、この木は間違いなく、たった今魔術によって生み出されたものだ。魔術による造形でこのレベルのものを生み出すなんて、普通ではない。異常だ。それもエネス本人が意図せず、毎回これを生み出すと言うのだから、その時点でエネスの魔術に何らかの異常事態が起こっていることを認めざるを得ない。
「なるほど、確かにエネスさんの魔術には修復の余地があるようです」
ヨライネは笑顔を取り戻してからそう言った。
*
「エド、ちょっとお願い」
「はいー」
ヨライネが呼びかけると、エドはよっこらせと立ち上がる。すると、応接テーブルの方へ真っ直ぐに歩き出した。壁や家具には数回触れて歩き、三人の元へ辿り着いた時、ちょうどヨライネ側の席の前で立ち止まった。
その間、ヨライネが特に何かをサポートする様子はなかった。そのため、エネスは少し不審に思った。家具の位置は把握していたとしても、どうやってヨライネの座っている位置を認識したのか。
「氷を消せばいいんですよね?」
エドは手探りをするようにテーブルに触れた。
「うん、お願い」 しっかりと、ヨライネは声に出す。
「仕方ないなあ」
その瞬間、エドの
その次の一刻には、テーブルの薄氷が粉々に砕けた。それだけに留まらず、砕けた破片も更に砕け、小さい粒がさらに小さくなって、やがて氷は完全に消失した。
その出来事にエネスは驚愕しており、ジゼも少し驚いた様子だったが、ヨライネは微妙な表情だった。
「だよね」 テーブルの上に残った木の氷像を見て、ヨライネはそう言った。
「やっぱり残ってます?」
「ばっちり残ってるね。まあ魔術で作った以上はそのうち消えてなくなるから、別にいいよ。あって減るもんじゃないしさ」
「観賞用ってやつですか? 羨ましいですねえ健常者さんは」
まるでそっちがおかしいとでも言うかのように、「健常者」の部分を強調するエド。
そしてちゃっかりとヨライネの隣に着席した。
「あの。今のは」
ジゼが言葉を発した。薄氷を消しとばしたことに対して言っているらしい。
「解除式だよジゼ!」 答えたのは、エネスだった。 「魔術を瞬時に解析して、解体するの。初めて見たあ」
興奮気味だ。なぜかヨライネが少し誇らしげな顔をしたが、エドはいつもと変わらない笑みを浮かべている。
「いえいえ、現代魔術を扱う人なら、慣れれば誰でもできますよ」
間違ってはいないが、極論がすぎる。
ジゼはもうこれと言った反応はせず、スカートの上に手を置き直して、ただ「そうですか」とだけ答えた。エドは構わず続ける。
「おっしゃる通り、解析してから解体するのが解除式の本質なので、魔術に起きた異常の部分は解除できません。本人さえわからないものを他人が解析することはできませんからね」
つまり、エドの技量を持ってしても解析できなかったという事実が、もう1つの証明になったわけだ。木の氷像が、魔術の異常であると断定するための証明に。
「どうやら私たちの知見を持ってしても、すぐにエネスさんの魔術を修復することはできそうにありません」
エネスが落ち込みかけたが、その前にヨライネが微笑んだ。
「つまり、少しお時間をいただければ、必ず修復できます。よければこの依頼、ぜひ受けさせてください」
「あの、具体的にはどうやるんですか?」
「簡単ですよ」
ヨライネは自慢げに、人差し指を立てて言う。
「エネスさんには、私たちと仲良くなってもらいます」
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