魔力と心は目に見えない〜魔術修復研究室のお悩み相談〜

紳士やつはし

第1話 依頼受領 1

 コン、コン、コン。

 ドアノッカーを打ち付ける音が響く。

 ヨライネは重い体を起こしてベッドから降りた。ずがん、と頭痛が巡り、額を抑える。半開きの目のまま顔をしかめ、おぼつかない足取りで自室を出て、階段を降りる。

 コン、コン、コン。


「……はーい」


 ヨライネは声を上げた。ちょっとしつこい客だなと思った。ドアの向こうから差し込む朝日を手で遮りながら、ドアノブに手をかける。


「はい」


 開けると、玄関には青年が立っていた。


「おはようございます、ヨライネさん」


 青年はそう言ってニコリと笑う。上質な紳士ジャケットに木製のステッキという装い。若い青年には少し背伸びに見えるけれども、この格好こそが彼の格好であり彼そのもの。要するにすっかり見慣れた格好なので、それを見れば、寝ぼけたヨライネの思考もゆっくりと活性化していった。


「ああそっか、エドか」


 よく考えなくても、彼は助手なのだから今ここにいて当たり前だ。二日酔いというのがここまで思考をダメにするということを、ヨライネは知らなかった。


「いや、ああそっかって、ん?」


 エドの灰色に色あせた瞳が、少し見開かれる。見開く、と言っても、見えてはいないが。


「もしかして、寝起きですか?」 ヨライネの声が妙に柔らかいので、そう判断した。

「まあ、うん、今さっき起きて」

「へー、寝起きのヨライネさんもお綺麗ですね」

「……目見えてないくせになに言ってんの?」

「イヤだなあ、ヨライネさん。言葉は誰にでも平等でしょう? 見えてなくても使ったっていいじゃないですか、可愛いとか綺麗とか」


 エドは爽やかな笑みで言う。ヨライネは言い返すのも面倒になった。


「あ、ヨライネさんって、たしか絶世の美女なんですよね。今寝起きってことは、流石の美女もだらしない容姿をしていらっしゃるんでしょうねきっと。ラッキーですねえ、僕にしか見せない姿的なやつですか? まあ、僕に見せられても見えませんが、もったい無いので僕なりにありがたく受け取っておきますね。ありがたや」


 わざわざステッキを自分に立てかけて、わざとらしく鼻の前で合掌するエド。

 『絶世の美女』だなんて、人が苦労しているのをわかっているくせによくも軽々と言ってくれる。

 ヨライネは全部無視した。

 頭痛がまだ長引いているというのに、こんな話をまともに聞く必要はない。


「でもアレですよね、服装とかはさすがにちゃんとしてから出てきたんですよね?」


 当然。と言いそうになったが、ヨライネは自分の服装に目を向ける。薄手のキャミソール。アウターと言い張るには少し無理がある代物だった。


「あ、やっば」

「うわまじかよエッロ」

「ちょ、さっさと入って」


 ヨライネはエドの腕を即座に掴み、強く引っ張って家の中に引き込む。そして、

「ふう、危なかったー」 と言った。

「いやアウトです」 エドは着崩れたジャケットを直す。

「セーフだよ。下半身は外に出してないから」

「え、もしかして穿いてないんですか?」

「パンツは穿いてるよ」

「頭おかしいなあこの人」


 流石のエドも顔をひきつらせた。





 一階は、研究室兼事務所の部屋になっている。仕事机、応接用ソファーとテーブル、大量の本が詰まった本棚。ヨライネは、一番奥にあるちょっとしたキッチンスペースに立った。

 エドは図々しく応接用ソファに座る。いつものことだ。彼はもうこの部屋の間取りを熟知しているから、壁などにあまり触らなくても充分に過ごすことができる。


「二日酔いですか?」

「うんまあねー」


 ヨライネは言いながら流し台の前に立ち、最近やっと設置した蛇口を捻る。


「珍しいですね。どれくらい飲んだんです?」

「んー? これこれ」


 彼女は今まさに洗おうとしていた物体を、軽く振ってみせた。もし目が機能するのなら、エドからも見える位置だ。


「毎回言ってますけど、つまんないですよそのノリ」

「……ウィスキーのちっちゃいやつだよ」

「え、一個ですか?」

「うん」

「すっくね。ああ、ストレートで飲んだとか?」

「いやあ割ったよ」

「割って二日酔いって、ザコじゃないですか」

「うるさいなあ、酒は普段飲まないんだって」


 ヨライネはすすいだ瓶とコップを布で拭き取り、キッチン下の引き出しにしまった。

 それから、コーヒー豆を取り出した。その香りに気づいたエドが、訝しげな視線をよこす。


「あの、着替えないんですか?」

「え、だめ? 実質一人だからいいかなって」

「僕にはどうせ見えてないからってことですか? 最低ですね……恋する男子の気持ちを弄ぶだなんて」

「恋する男子……? ただの助手がなに言ってんだ。別に私の格好とか興味ないだろ」

「そうでもないですよ。ヨライネさんの格好を見ることには確かに興味ないですけど、ヨライネさんがどんな格好をしているのかは重要です。とっても」

「あ、そう」


 コーヒー豆をカップですくい取り、手動の器具でガリガリ挽きはじめるヨライネ。エドはその音の方向を、見えない目でぼーっと見つめた。


「今日は何するんですか? そろそろ論文の一つや二つ書きますか?」

「そろそろ、なのは君だけでしょ。一緒にするな。今日は依頼が入ってるからそっちの対応」

「ああ、魔術のお悩み相談みたいなのですよね。まだやってたんですか」

「いや、え? やめる雰囲気になった覚えはないんだけど」

「そうだったかもしれません。今回はなんの依頼ですか」

「魔術の修復。依頼文が手紙で届いてたんだよ」

「へえ、そんな正式な依頼みたいな頼み方、珍しいですね。最近はほとんど地域ボランティアみたいな感じになってきたのに」

「正式な依頼みたいじゃなくて、正式な依頼なの。確かに最近は少なかったけどさ」


 エドを除き、基本的にギリギリでやっている研究室なのだ。


「依頼文読んでもいいですか?」

「うん」


 ヨライネは豆を挽くのを中断して、仕事机の上にある紙を手に取る。「はい」と言ってエドに手渡した。


「ありがとうございます」


 エドは受け取った手紙を開いた。普通の文字。つまり、なんの凹凸もない文字だ。通常ならば、目が見えなければ意味を持たない文字。エドは構わず、紙の上に指を触れた。


 そしてエドは、魔術を発動した。


 服の袖の下から枯れ枝のようなシワが伸び、紙に触れた指先を覆った。すると、紙の上の文字が、蠢くような振動を始めた。エドは一番上の文字に指先を動かして、順に文字をなぞっていく。


「ふむ」


 やがて最後の文字に指が到達すると、文字がピタリと、何かに気づいたかのように静止した。文字魔術の応用。視界を介さずに文字を扱う魔術だ。


「読みました」

「早いね」 ヨライネは、コーヒーのドリップ作業に視線を集中させながら言う。

「僕が僕のために開発した技術ですからねえ。なんだか、要約すると『娘の魔術を救ってください』って感じでした。娘想いのお母さんですね」


 エドは他人事みたいにそう言った。


「まあそう皮肉らなくても。気持ちのこもった文章だったでしょ」

「確かに、そうですけどね。あれ、ちょっと待ってください、魔術異常の詳細はどうなってるんですか」

「さあ……今日会って聞いてみないと」

「ヨライネさん。依頼内容はしっかり確認した方がいいですよ。めんどくさい内容だったらどうするんですか。ただでさえいつもやたらと訳のわからない頼み事が多いのに」

「いや、だから今日聞くんだって……」

「まあなんでもいいですけど、ちゃんと報酬は受け取ってくださいね。僕が目を離すとすぐにタダ働きするんだから」

「わかってるって」 ヨライネは自信ありげに言う。『を離すと』というジョークには反応しない。


 とはいえ、エドの言うことはほとんど正解だ。ヨライネは利他主義の塊みたいな人間なので、エドが見張っていなければすぐ自己犠牲に走ろうとする。

 ついこの前、猫の捜索を近所に頼まれた時もそうだった。そもそも魔術関連の依頼ですらないのに、捜索が難航すると、苦手な魔術協会にコンタクトを取って頭を下げ、捜索に長けた魔術師を呼びだしたりした。それなのに、『単なるお願いだから依頼料は取らない』と言い始める始末だ。

 結局その時はお金を取らなかったが、そんな風にタダ働きをしていたら研究室とヨライネが保たない。それはエドにも困ることなので、彼は助手としての仕事のかたわら、ヨライネのオーバーワークを防ぐ役割も果たしている。


「コーヒーまだドリップしてるんですね。僕が入れましょうか?」


 エドが匂いを楽しみながら言った。


「やだよ、君に任せたら危なっかしくて見てられないもん」

「遠慮しなくていいのになあ」


 一度任せたことがある。別にエドは慣れてるので時間をかければ問題なくできるのだが、その時はヨライネが肝を冷やしてギブアップする結果となった。


「ところで、何時に来るんですかその依頼人は」

「10頃だったかな」


 エドは彼用の懐中時計を取り出して、その剥き出しになった針に触れた。


「え、もうそろそろ10時ですけど」

「え」


 まだ寝ぼけていたらしい。ヨライネは壁の振り子時計を見た。

 コン、コン、コン。ノックの音が鳴る。


「やっば、エド、先に対応しておいて!」

「はいはーい」


 壁に数回触れながら玄関へ。

 扉を開けると、そこにはおとなしい雰囲気の少女と、メイドらしき女が立っていた。まずメイドの方が腰を少し折って頭を下げる。


「依頼の手紙を送らせていただいた者です」


 すると少女の方もハッとして頭を下げ、それから絞り出すように言った。


「エネス、メルーストです」


 もちろんお辞儀という行為はエド相手であればあまり意味を成さない。彼の目が見えないことをパッと見で理解するのは難しいから、致し方ないことだ。けれども、伝わらないから要らないというモノではないだろう。挨拶とはそういうものだ。と、エドは解釈している。

 だから彼も、同じように頭を下げた。


「魔術の修復のご依頼ですね?」

「は、はい、そうです」

「こちらで詳細を伺いましょう」

 エドの灰色にくすんだ瞳は光を宿さないが、しかし、きっちりとエネスがいる方向に向いていた。

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