第9話 タリアの作戦
彼女のところまで駆け寄れば、「いてて……」とナシリアは背中をおさえた。そして「あっ」と声をあげて、すまなそうに笑いながら言った。
「すみません、骨が何本か折れました」
「なっ……」
「逃げてください。貴方が死ねば、ご主人様に殺されます」
「だったらあの魔物たちに殺された方がまだマシです」と冗談めかして言う。ユリアは唇を噛みしめた。頭に浮かんだのは、暗闇の中で不適な笑みを浮かべるタリアの姿と、裏庭に乱雑に放り投げられたムンディルの生首だった。
ユリアは魔物たちの前に立ちはだかる。
「無茶です! 逃げてください!」
ナシリアの叫び声が聞こえた。目の前にいるのは巨人が1体。
ナイフの毒はきくだろうか?
弱点は首だろうか?
眼球を狙った方がいいだろうか?
ユリアは冷静に目の前の敵を分析していた。
「逃げて、ください……!」
ナシリアの絞り出すような声が聞こえる。
ユリアはナシリアを守るために立ちはだかったわけではなかった。「ターゲット以外は死なせない」という暗殺者としてのプライドを守るために、彼女は立ち上がった。
ムンディルは胸を開き、両腕を広げながら空に向かって咆哮した。それがまるで、仲間を殺された無念を叫んでいるようで、ユリアの心はちり、と痛んだ。その痛みに見ないフリをして、魔物の動きをじっと見つめる。そして彼女がスカート下のナイフを取りだそうとした瞬間、魔物がユリアの方に向かって倒れた。
何が起きたか分からず呆然とする。
魔物が倒れたそこには、剣を構たジグルドがいた。髪は乱れ、息があがっている。ナシリアが何度も叩きつけて屍にしていた魔物を、彼は一振りで亡き者にしていた。
ジグルドに巨人たちが襲いかかる。彼は淡々と、冷酷に、一体ずつ屍にしていった。魔物のうめき声が響き、青い血がジグルドの体を染めていく。目の前で広がる地獄に、ユリアは立ち尽くすことしかできなかった。
途中でヴィーノとミレーユもやってきて応戦した。時間としては15分もかかっていないだろう。あれだけの大群が彼らの足下で息絶えていた。すべての魔物を狩り終わったというのに、ジグルドは喜ぶことなく、空を見上げていた。ぶらんと刃先を地面へ向け、彼はぽつりと、呟く。
「……すまない……」
まるで懺悔するような声だった。
「無益な殺生はしたくないんだ」と語るジグルドの姿を思い出しながら、ユリアは男の横顔を見つめていた。
その後、北部騎士団の隊員たちがやってきて、ムンディルの死体を片付けはじめた。ナシリアが手当を受けている間、ユリアはジグルドとヴィーノに頼まれ、執務室で状況を説明していた。裏庭にムンディルの生首があったことを話せば、2人の表情が険しくなる。
「仲間意識の強い魔物です。同族を殺された復讐でやってきたのでしょう」
「なぜ屋敷に……」
ジグルドは困惑したように呟いた。黙り続けるユリアに、ヴィーノは鋭い声で問う。
「ユリア嬢、何かご存じではないのですか?」
「知り、ません」
タリアの顔が脳裏に浮かんでいたが、ユリアは首を振った。彼女の返答はヴィーノの逆鱗に触れた。普段の柔和な仮面を剥ぎ取って、声を張り上げる。
「屋敷に生首が置いてあるなんて、不自然すぎるだろう!」
「……ヴィーノ」
「ナシリアは殺されそうになったんだ! 何も知らないなんて……」
「ヴィーノ!」
ジグルドは鋭く名を呼んだ。窓や家具が細かく震え、小さな揺れが部屋全体を覆い、そして止まった。重い沈黙を破ったのはヴィーノだった。
「……すまない、カッとなった」
「お前の言い分も分かる。今日は休んだ方がいい」
ジグルドはそう言い、目線だけでユリアに退出を促した。彼女は小さく会釈をし、部屋を退出する。ヴィーノは一度もユリアの方を見ることはなかった。
*
新月だった。
世界が息を潜めているような静かな夜。闇に紛れ込むかのように、黒い影がぬるりとユリアの部屋へと侵入した。タリアが挨拶するより先に、ユリアは口を開いた。
「どういうこと?! 兄さん」
「なんだなんだ急に。騒がしいやつだな」
「とぼけないで!」
ユリアは叫んだ。すると糸のように細められた瞳が、すっと開いた。暗闇の中でも冷たい光を放っている。しかし彼女は負けじとタリアに詰め寄った。
「魔物の子どもを殺して、この屋敷におびき寄せたでしょう?!」
「あぁそうだ。大変でよォ、子どもでも力が強かった。しかも殺した瞬間、母親らしき魔物が怒り狂ってなァ」
「くくく」と笑いを堪えるタリアに、彼女は血が逆流するのが分かった。仲間を殺されたムンディルが空に向かって咆哮する姿が蘇る。
「多くの魔物が死んだわ! ターゲットではない人だって殺されそうになった!」
「何を言ってるんだ?」
この世のものとは思えないほど冷たい声色。次の瞬間、ユリアは首を絞められ、壁に思い切り押しつけられた。
「滑稽だなァ。人殺しのお前が魔物をかわいそうなんて思うなんて」
「ぐぅ……!」
足が宙を浮き、バタ足するように空を蹴った。苦しい、苦しい、苦しいと体が悲鳴をあげる。酸素が薄くなり、意識が遠のいていく。しかしタリアは力を緩めるどころか、さらに細い首を締め上げていく。「かっ、はっ……」とユリアの目の前がちかちかと点滅し、意識が離れそうになる。
その時、空気が凍るような声が部屋に響いた。
「そこまでだ」
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