第7話 ますますすれ違う2人



 北部騎士団の訓練場は、タークルムとは別の方角へ歩いて20分くらいの場所にあった。


 石造りの堅牢な壁で囲まれており、騎士団の長い歴史を物語るかのように壁は蔓や苔で覆われていた。入り口へ向かうと、巨大な門の上には騎士団の紋章が描かれた旗が風でなびている。

 ジグルドが話を通してくれたのだろう。入り口の前に立っていた騎士たちが、ユリアとライカの姿を捉えて敬礼した。彼らに会釈をして、大きな門をくぐっていく。


 訓練場は想像よりも広大だった。


 騎士が100人は入れそうな演習場で、剣や槍、弓などの武器を持って騎士たちが訓練に励んでいる。剣を打ち合う者たちもいれば、木製の標的を狙って弓を放つ者もいる。

 ジグルドの姿を探そうとユリアは目線を動かせば、1人の騎士に釘付けになった。


 どの騎士の動きも優れていたが、彼の動きは別格だった。


 相手が突進してくると同時に剣を振り上げる。その動きを察知し、彼は盾で攻撃を受け止めた。剣と盾が激しくぶつかり合い、彼はその反動を利用して、相手の脇腹へ素早く回り込み、模擬刀で斬りつけた。


 後ろからは別の相手が迫ってきたが、軽々と避け、剣の柄を狙って振り上げた。相手の剣が空を舞う。その一瞬の隙を狙って、また別の相手が斬りつけようとした時、彼はふわりと浮かび上がった。空を飛んでいるかと錯覚するくらいに高く跳んだ彼は、相手の頭を一回転しながら越える。そして相手の無防備な背中を斬りつけた。


 冷静かつ迅速な判断と、人間離れした身軽な動き。ライカは「すごいですね」と感嘆の息を漏らす。言葉が継げなくなったユリアは我に返り、彼を指さして言った。



「ライカさん」

「はい」

「あの、私には、ミレーユさんに見えるのですが」

「はい。ミレーユ様は北部騎士団の隊員ですよ」



 衝撃の事実に愕然とする。

 そう、複数人の騎士を次々と打ち倒していたのは、ドレスショップで出会ったミレーユだった。アプリコット色の長い髪の毛を一本に結び、小柄な体格を生かして相手を翻弄している。店で会ったときはボリュームのあるドレスで分からなかったが、筋肉量も相当なものだ。鍛えられたしなやかな筋肉が、ミレーユの動きに合わせて柔軟に動いている。



(男性だったの……?! それよりも騎士がなぜドレスショップで……?!)



 様々な疑問が渦のように駆け巡り、混乱していると、後ろから声が聞こえた。



「女装は彼の趣味です」



 振り向けばヴィーノが立っていた。にこやかな笑みを浮かべているが、やはり目の奥は笑っていない。「そうなんですね」と視線を外し、再び相手をなぎ倒しているミレーユを見る。他にも色々聞きたかったが、ヴィーノに聞くべきではないと勘が告げていた。


 気づけばミレーユの周りには5人の騎士が倒れていた。ふうと額の汗を手で拭ったミレーユは、ユリアたちがいる方向に視線を向けた。そして「あっ」と嬉しそうに顔を輝かせる。



「ユリアさん!」



 片手をあげて手を振っている。ユリアが会釈をすれば、目にも留まらない速さで走ってきた。



「ボク、かっこよかったでしょう?」

「はい」

「本当はドレスを着て戦いたいんだけどねぇ。あの堅物が許してくれないんだよね」

「誰が堅物だ」



 後ろから低い声が聞こえた。振り向けば、険しい顔をしてジグルドが立っている。



「副業を許可しただけでも十分譲歩している」

「それに関しては、ちゃんと試練をクリアしたでしょう?」

「試練……?」



 ユリアが首を傾げれば、ミレーユは人差し指をたてて言った。



「スノーブラッドベアを討伐すれば、副業を許可してくれるって言ったんだ」

「スノーブラッドベア……」



 聞き馴染みのない魔物の名前を復唱すれば、ヴィーノが説明をしてくれる。



「雪山の洞窟で暮らす魔物です。人を襲ったり、森の無害な動物を食い散らかすことが問題視されており、討伐対象になってるんですよ。通常であれば、騎士が10人のチームを組んで討伐するような魔物です」

「10人で討伐するような魔物を1人で……」

「そう! しかも3体!」



 頬をふくらませて言うミレーユに驚愕する。「絶対に失敗すると思ったんだがな……」とぼそりと呟くジグルドに、ミレーユは「ふふん」と誇らしげに胸を張った。



「ちゃーんと討伐したよ!」

「すごかったですね。全身に返り血を浴びて真っ青になっているミレーユは……」

「もー! かわいくないボクを思い出さないで!」



 怒るところはそこなのかとユリアは思ったが、ミレーユの想像以上の強さに驚きすぎて言葉が出なくなった。固まっているユリアに、ミレーユは楽しそうに笑う。



「隊長の許可も得たし、週2回、ドレスショップで働いてるんだ」

「なぜ騎士団に……?」



 過酷な試練を受けてまで騎士団にいる理由が分からず疑問を口に出せば、彼はさびしそうに笑った。



「ドレスショップを経営するのってお金がかかるんだよねぇ。北部の人ってあんまりオシャレとか興味ないから売り上げも微妙だし」



「なるほど」と頷けば、ミレーユは悪戯めいた笑みを浮かべた。



「だからこないだドレスをたくさん買ってくれたの、正直助かったよ」

「買ってくださったのはジグルド様ですし……」

「そうだった、そうだった。全部買ってくれるなんて意外だったなぁ」



 ちらりとジグルドの方を見れば、眉根の間には深い皺を寄せ、ひどく険しい顔をしていた。その表情を見て、「自分なんかのドレスを買ったことを後悔しているんだ」とユリアは誤って悟った。一方でヴィーノは「これ、ドレス姿のユリア嬢を思い出してにやけないようにしているな」と正しく悟った。



「じゃあそろそろ訓練戻るね!」



 ミレーユは手を振り、訓練場の中央へと向かっていく。

「僕たちも行こうか」とヴィーノは言い、4人は訓練場に設置されたテントへと歩いて行った。


 テントに到着すると、大柄な騎士がジグルドに向かって敬礼した。ジグルドは落ちていた模擬刀を広い、肩を回しながら言った。



「軽く打ち込むか」



 ヴィーノが何か言いたげにしていたが、ジグルドは気づくことなく、大柄な騎士と対峙した。相手もジグルドほどではないが鍛えられた体躯を備えており、剣の構え方からして優れた騎士であることは察せられた。ユリアはジグルドの動きを余すことなく観察するため、目の前で繰り広げられるであろう戦闘に集中した。


 暗殺は相手の隙を狙い、一突きで絶命させるのが基本だ。


 しかし時にはターゲットが抵抗してきたり、護衛と戦闘になったり、イレギュラーな対応をせざる得ないこともある。そのためユリアは戦闘に関しても訓練を重ねていた。


 ジグルドの訓練を見たいと申し出たのは、動きの弱点を探るためである。この先、部屋で2人きりになって暗殺を試みても、一筋縄では殺せないだろう。彼と戦闘を交わすことになった際、弱点を知っていれば殺せる可能性は何倍にも跳ね上がる。任務を成功させるためにも彼の動きを見ておきたかったのだ。

 ジグルドは声を低めて言う。



「いくぞ」

「はい!」



 ジグルドが剣を構えた瞬間、空気が一変した。彼を纏う空気は重く、息苦しささえ感じた。まるで巨大な魔物と対峙しているような恐怖が襲ってくる。無意識に息を止めていたユリアは、ジグルドが動き出す瞬間を待つことしかできず、ただ立ち尽くしていた。


 そしてジグルドが一歩踏み出した瞬間、空気が割れるような音が訓練場に響いた。



「はっ!」



 ジグルドは真正面から相手に斬りかかっていた。相手は下半身で踏ん張りをきかせて、剣で受け止めた。押され気味になりながらも、なんとか弾き返す。そのまま後ろで飛び退いたジグルドはすぐに体勢を整え、剣を振り上げては斬りかかっていく。相手は剣の角度を、盾の向きを変えながら攻撃をいなしていく。


 次々と繰り広げられる攻撃に、相手は防御することしか出来ず、反撃することを許さない。しかも一発一発があまりにも重く、正確だ。最後は剣の方が耐えきれず、相手の武器が折れてしまった。



「すげー!」

「さすが隊長……!」



 周りの騎士たちの感嘆の声ではっと我に返る。ユリアはぎゅっと拳を握りしめた。


(「すごい」なんてもんじゃない……! あんなの化け物じゃない……!)


「野獣伯爵」と対峙し、正々堂々戦って勝てるとは思っていなかった。しかし相手が油断していたり、暗闇の中だったりと、自分に有利な条件が揃っていれば勝機はあると思っていた。


 だがジグルドの人間業とは思えない動きを目の当たりにして、「とんだ思い違いだった」とユリアは絶望した。自分に有利な条件がいくら揃っていたとしても、ジグルドを殺すイメージが全く湧かない。

「別の作戦を立てなければ……」とユリアは誰にも聞こえないくらいの声量で、震えながら呟いた。


 一方でジグルドは渡されたタオルで汗を拭いながら、ちらりとユリアに視線を送っていた。

 ナイフを足に仕込んだユリアを見たときから、「これだけ可憐で儚げな令嬢だ。さぞかし怖い思いをしてきたのだろう」とジグルドは本気で心配していた。

 部下との打ち込みは、「自分の剣技を見せれば、少しは安心してもらえるだろう」と思っての提案だった。よかれと思って彼は提案したのだが、残念なことにユリアには「化け物扱い」されてしまっていた。



 ますますすれ違っていく2人。

 そんな彼らをよそに訓練場には、声を張り上げて訓練に臨む騎士たちの声が響いていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る