第6話 2人の帰り道



 タークルムからの帰り道、ユリアは疲労困憊の状態で歩いていた。

 まさかドレスを10着も試着するとは思わなかった。しかも……と隣を歩くジグルドをちらりと見上げる。試着した全てのドレスを、彼がプレゼントしてくれたのも意外だった。プレゼントとは言っても、ミレーユが「これは?」「これも似合ってたよね!」と次々にドレスを掲げ、ジグルドは面倒くさそうに頷いていただけだったが。


 2人の後ろからカラフルな箱の塔がついてくる。正体は購入した全てのドレスを抱えているライカだった。箱に詰められた10着のドレスは塔のように高くそびえているにも関わらず、驚くべきバランス感覚で運ばれていた。


 ユリアは遠くへ目線を向けると、太陽はゆっくりと山の向こうへ隠れようとしていた。最後の力を振り絞るかのように、太陽はまばゆいほどの光を放ち、山々の輪郭を黒く浮かび上がらせている。

 夕日が沈んでいく景色を見つめていると、鳥とは違う、けたたましい鳴き声が聞こえた。3人の遙か上空を白い鷹のような巨大な魔物が通り過ぎていき、山の方へと飛んでいった。



「あれは何という魔物ですか」

「フレスベルグという魔物だ。フレスベルグが飛び立とうとして翼を広げると、世界に突風が吹き荒れるという逸話を持つ」



 街へ向かうときは天気の話しかせず、ミレーユの店では「あぁ」「分かった」くらいしか言葉を発しなかったジグルドが、やけに饒舌だ。「魔物の話であれば、何か情報を引き出せるかもしれない」と直感が働いたユリアは、会話を広げることにした。



「あの魔物は手強いのですか?」

「一度しか戦ったことがないが、そこまで手強くはない。ただの巨大な鳥だ」



 後ろで会話を聞いていたライカは「フレスベルグを巨大な鳥と言ってのけるのは、この世界でご主人様だけだろう」と正直思っていたが、何も言わずに歩を進めた。

 フレスベルグの特性や弱点について聞けば、丁寧に説明してくれる。ひとしきり話が盛り上がったあと、ユリアは山の方向に目を向けた。太陽は完全に隠れ、暗闇が世界を覆おうとしている。



「先ほどの魔物は山の方へ向かいましたが、巣があるのですか?」

「あぁ」

「巣を駆除するのですか」

「いや、人に害を与えないなら、こちらから殺すことはない」



 北部にいる魔物は全て討伐対象だと思っていたユリアは、ジグルドの言葉に目を丸くする。




「魔物にも生態系がある。闇雲に殺してしまえば、腹をすかせた大型の魔物が人里におりてくる可能性もある。それに、」

「?」

「無益な殺生はしたくないんだ」



 言葉の意味が分からず目をまたたかせていると、ジグルドは言葉を続けた。



「魔物たちにも生活があり、中には人間のように家族を形成して暮らす種族もいる。人に害をなす存在は殺すが、できれば俺は……共生という道を選びたい」



 ジグルドは手のひらを見つめ、握った。独白にも思える彼の言葉は、一縷の寂しさを滲ませていた。


 ユリアは言葉を返すことなく、ただ足を前に出し続けた。


 元夫たちが屍になった日のことを思い出す。名前や殺し方は覚えているが、顔はもう覚えていない。

 両親が殺せと命じるターゲットをよく観察し、時には毒を盛り、時には刃で切り裂き、命を刈り取った。情報を組み合わせ、最善の方法を淡々と選び取った。そこに自分の感情はなかった。

 何も考えずに殺してしまえば楽なのにと、何故かユリアは苛ついていた。


(本当に?)


 ふっ、と心の中で声が聞こえた。幼い少女のような声だった。ぴたりと足が止まる。

 ジグルドの足も止まり、ユリアの顔をじっと見つめた。「どうした?」と聞かれたので、「いえ、何も」と再び歩を進める。

 声が聞こえたような気がするが、きっと気のせいだろう。そう結論づけ、無言で屋敷へと向かっていった。




 *



 タークルムへ出かけてから3日後、ジグルドとヴィーノはいつものように訓練場へ向かっていた。冷たい朝の空気が2人の息を白く染める。



「ユリア嬢とドレスを買いにいったんだって?」

「あぁ」

「どうだった?」



 ライカから報告を受けたヴィーノはさっそく話題を振った。ユリアに怪しい動きはなかったのか探るための質問だったのだが、返ってきたのは予想外の答えだった。



「素晴らしかった。優雅さと気品を兼ね備えた奇跡のような存在だな、彼女は」

「……」

「普段は可憐だが、黒いドレスを着ると違う印象になるな。悪戯っ子の妖精のようだった」

「……」



「『悪戯っ子』なんて単語を君から聞きたくなかったよ」と言おうしたが、訓練前から体力を使いたくないのでやめた。すると隊員から恐れられる北部騎士団の隊長は突然、手で顔を覆った。



「どのドレスもかわいかったが、最初のドレスはダメだ……! ミレーユのやつめ!」

「……そんなに似合ってなかったのかい?」

「似合ってないわけないだろう?! あの可憐な妖精が着るんだ。ボロ布でさえ着こなせるに決まってるだろう?!」

「あ、あぁ」



 目を大きく見開き責められるように言われたので、とりあえず頷いておく。

「……じゃあ何がダメだったんだい?」と聞けば、苦悶の表情を浮かべながら言った。



「……生足が出てたんだ」

「ダメなのは君の頭じゃないのか」



 氷のように冷え切った声でヴィーノは突っ込む。しかしジグルドは「あんな破廉恥なドレスを着せるなんて……! ミレーユめ……!」と恨み節を唱えていたので、ヴィーノの辛辣なツッコミは聞こえてなかった。


 疲労感が襲ってくる。なぜ訓練に行く前からこんなに疲れなきゃいけないんだ……とヴィーノは額をおさえる。ジグルドからは何の情報も得られなさそうだと判断した彼は、ライカからの報告を記憶から掘り返した。


 彼女から見てもユリアに変な動きはなかったらしい。しかし一点気がかりなのが、帰り道の会話のことだ。

 魔物の話で盛り上がったジグルドとユリア。その話の延長線上で、ユリアが北部騎士団の訓練を見たいと言ったらしい。そして今日の午後、ユリアが訓練場へ来ることになった。


 ジグルドは快諾したと聞いて頭が痛くなった。

 自分を殺そうとしている相手に、戦闘の動きを見られてもいいのかと叱りたくなる。もし訓練での動きを観察され、弱点を悟られたら、殺されるリスクは大幅に高くなるだろう。危機感があまりにもなさすぎる。


(……だけどジグルドなら見られても平気か?)


 屈強な体格からパワータイプの印象が強いジグルド。確かに人一倍筋力はあるが、彼の強さはそれだけじゃない。相手の弱点を正確に突くセンスや、相手の動きを察知する勘の良さ、そして大柄な体躯からは想像できないほどのスピードも併せ持つ。戦闘に関しては全てにおいて隙がない。


(そうだ、何を弱気になっているヴィーノ・マリナグ。僕たちの隊長を信じなくてどうする)


 自身を叱責して彼の方を見れば、「あんな細い足で大丈夫なんだろうか、ちゃんと食べた方がいいんじゃないのか、あぁそういえば今朝スープを飲む姿も宗教画のように美しかったな……」と独り言を並べている。ヴィーノはぼそりと呟いた。



「……やっぱりダメかもしれない」



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