第5話 北部の街タークルム
「とりあえず天気の話をしておけば問題ないかと」
「天気か」
「分かった」と頷くジグルド。悩みのタネがなくなったからか、食事を再開する。ライカは主人に気づかれぬよう、そっとため息をついた。
*
ジグルドとユリア、そして荷物持ちとして同行するライカ。純白の絨毯の上を歩く、3人の足音だけが静寂の森に響き渡る。雪が降り積もった木々は重たげに枝を垂れ、光にあたってキラキラと光っている。冷たい空気を吐けば、息が白く染まった。
「今日はいい天気だ」
「……そうですね」
ユリアはうっすらと笑みらしきものを浮かべながら呟いた。
彼女の思惑通り、ジグルドと会話をすることに成功した。2週間ほど成果がなかったことを考えれば、大きな一歩と考えていいだろう。しかし1つ問題があった。
(天気の話、もう17回目……)
屋敷を出てから繰り返し天気の話をされている。執念とも思えるこだわりっぷりに、はっとユリアは気づいた。
(私には一切の情報を与えない……そういうことね……)
ジグルドは会話の糸口が見つけられず、ライカのアドバイスを従順に守っていただけなのだが、ユリアに大きな誤解を与えていた。後ろのライカは「私は悪くない」と心の中で言い聞かせながら、澄ました顔で2人のあとを歩いている。
18回目の天気の話をされる前に、こちらから仕掛けようとユリアは口を開いた。
「あの、」
「何だ?」
「タークルムはどのような街なのですか?」
ジグルドは一瞬だけ硬直し、すぐにいつもの無表情顔に戻った。ユリアは表情の意味が分からなかったが、後ろのライカは「何と答えればいいのか分からなくて焦ってるな」と察した。ぼそぼそとジグルドは言葉を紡いでいく。
「……人がいて、」
「はい」
「建物があり、」
「……はい」
「花が咲いている街だ」
「……そうなんですね」
その特徴は「村」や「都市」にも当てはまってしまうだろうと思ったが、とりあえず頷いておいた。
(……街の情報まで与えないのね)
自分自身だけではなく、北部の街についての情報も漏らすことがない。その徹底ぶりにユリアは歯がゆく思い、唇を噛みしめた。
(どの情報なら引き出せるかしら)
任務遂行のためならどんな手でも使う。静かに炎を燃やしながら、ユリアは考えを巡らせた。次の話題探しに集中していたため、「花はあると言ったが、今は冬だから花は咲いていない。だが一年のうちの半分は咲いているから嘘ではないはずだ、信じてくれ」と必死に弁明しているジグルドには全く気づいていなかった。
2人の後ろから一部始終を見ていたライカは、全神経を使って気配を殺していた。この噛み合っていないやり取りに巻き込まれるのだけは勘弁して欲しかった。
*
「ここがタークルムだ」
色がない街だ。それがユリアの第一印象だった。
彼女は5人の元夫たちに連れられ、オリエット国の様々な街や都市に足を運んでいた。
南部は暖かい気候が特徴的で、底まで見えるような美しい海が特徴的だった。東部は荒くれ者たちが多かったものの、おおらかな性格の人が多く、街の酒場からは笑い声や大声で歌う声が聞こえてきた。西部は貿易の結節点となる都市が多く、珍しいものが多く売られ、様々な国の人たちが賑やかに行き交わっていた。
ユリアは過去に行った街の数々を思い出しながら、タークルムの街を見つめる。
防寒のためだろう、建物は重厚な造りになっており、屋根や窓には霜がびっしりと張り付いていた。他の街では街のシンボルとなる建物が建っていたり、装飾が施されたりしていた。しかし寒さが厳しいこの街では、飾る余裕さえもないのだろう。重厚で飾り気のない家が建ち並び、遠くに像らしきものが置いてあるだけだ。出歩いている人も少なく、みなマフラーに顔をうずめて早足で歩いている。
「店はあるのですか?」
遠くの像の方を見ながら聞いたが返事がない。隣にいるジグルドを見れば、渋い顔をして口をつぐんでいる。表情の意味が分からず戸惑っていると、「……ある」と随分長い間のあとに答えられた。そしてそのまま大股で街の中央部へと歩いてしまった。訳も分からずとりあえず背中を追いかける。
案内されたのは、街の入り口から5分ほど歩いた場所だった。
「小鳥のさえずり」と書かれたパステルカラーの看板が飾られており、店前にはフリルやレースがふんだんに使われたドレスが並べられていた。てっきり酒屋か武器屋へ案内されるかと思いきや、かわいらしい店に案内されて驚く。
ユリアが唖然としていると、木製のドアが開き、店内から小柄な女性が出てきた。
アプリコット色のロングストレート、エメラルドグリーンの大きく丸い瞳。透明感のある肌や、淡く色づいた薄い唇。息を飲んでしまうくらいの美少女だ。
さらにあまり見たことがないデザインの服装も印象的だ。柔らかな淡いピンクの生地に、たっぷりと白いレースとフリルが施されている。ウエストラインは細く絞られ、ふわりとスカートの裾が広がっていた。ドレスと同じデザインのチョーカーが首筋を飾っている。
「こんにちは、お客様かな?」
声を聞いて驚く。見た目からか弱く繊細な声が聞こえてくるかと思っていたのだが、薄い唇から放たれたのは少年のような軽やかな声だった。
ユリアの反応に面白そうに笑ったあと、ジグルドの方に向き合った。ちらりと見れば苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべている。彼の顔を見て、店員はさらに愉快そうな笑みを浮かべた。
「ジグルド! 初めて来てくれたね!」
「……」
「その様子だと、『どこか店を案内して』と頼まれて、ここしか知らなかったから来た……って感じかな?」
悪戯めいた笑みと共に聞けば、ジグルドが噛みつぶす苦虫の量が増えた。どうやら図星らしい。
店員はけらけら笑ったあと、ユリアの方に向き合い元気よく名乗った。
「この店の店主をしています、ミレーユです。どうぞよろしく!」
「ユリア・オスヴィンと申します」
「わぁ、あなたがジグルドの花嫁さん!?」
ミレーユは好奇心いっぱいの瞳で、目をきらきらとさせる。ユリアがこくりと頷くと、「会えてうれしいなあ!」と白い歯を見せて笑った。別の人がミレーユと同じ言動をすれば、馴れ馴れしいと眉をひそめたかもしれない。しかし彼女の純真な笑みや声を聞いていると、嫌な気分が一切せず、するりと受け入れてしまうのが不思議だった。
「立ち話も何だから、入って入って!」
勢いよく背中を押される。そして店内に入った瞬間、ユリアは目を見開いた。
そこはまるで別世界だった。
まず出迎えてくれたのは巨大なシャンデリアだった。豪華なクリスタルが細かく煌めき、細やかな光を放っている。虹色のスペクトルがさまざまな方向に広がり、壁や天井に優美な模様を描き出していた。
壁一面はローズピンクに塗られており、鏡やテーブルなどの家具は全て白色に統一されていた。そして展示されているドレスは、流通しているドレスよりもフリルやレースが多量に施されている。また社交界ではほとんど見ない、黒いドレスが多く取りそろえているのが新鮮だった。
かわいらしさと華やかさを両立した店内。初めて踏み入れる世界観に、ユリアは呆然としてしまう。
「素敵でしょ?」
「は、はい」
ユリアが小さく頷けば、ミレーユは満足そうに笑った。
そしてジグルドに向かって、「ユリアさんのドレスを仕立てていいの?」と問う。後ろを振り向けば、愛らしい店内には恐ろしく不釣り合いな男が不機嫌そうに立っていた。
「……あぁ」
「やったぁ! ユリアさんはね、黒が似合うと思うんだ!」
ミレーユは歌うように言って、次々とドレスを選んでいく。元夫たちにも多くのドレスをプレゼントされたが、黒いドレスは初めてだった。
立ち尽くすユリアの周りを、ミレーユは忙しく駆け回る。ドレスが選び終わったらしく、試着室へと案内される。カーテンを開いた先は大人が5人ほど入れるほどの空間になっており、白い枠組みが施された全身鏡が置いてあった。女性の店員が待機しており、ミレーユは「じゃあよろしくね!」とドレスを置いて、試着室の外へ出て行った。
店員は丁寧な手つきでコートとワンピースを脱がした。今日は情報を引き出すことに注力しようと考えていたため、ナイフホルスターや毒物は全て置いてきた。着けてこなくてよかったと内心安堵する。
そのあとはミレーユが選んだドレスを手際の良く着せられる。ドレスが着終わり、店員の1人が「ミレーユ様、終わりました」と試着室の中から声をかけると、ミレーユが入室した。そして私の肩に手を置き、「どう?」と鏡を見ながら問われる。
黒を基調とした布地で、腰には同じ色の大きなリボンが飾られていた。首元には白いアスコットタイが真鍮のボタンで留められており、アクセントになっていた。ミレーユは華やかな声をあげる。
「わぁ、やっぱりすごく似合う!」
「あの」
「ん?」
「スカートが短い気がするのですが……」
スカート部分はフリルが何層にも重なっており、パニエの形に沿って大きく膨らんでいた。しかし布地はユリアの膝辺りまでしかなく、ふくらはぎが露出していた。ユリアの疑問に、「こういうのが流行ってるんだよ!」と言い、試着室のカーテンを開けた。手を差し伸べられたので、困惑しつつも手を添えた。
試着室から出ると、入り口あたりで立っているジグルドと目が合う。試着する前と位置が全く変わっていない。
ユリアのドレス姿を見ても、彼の表情は全く変わらない。「どう? どう?」と嬉しそうに聞くミレーユに対して、一言だけ呟いた。
「……北部では寒さが命取りになる」
「最初に言うのがそれぇ?! おしゃれには我慢もつきものだよ!」
「あの、ミレーユさん。落ち着かないので、スカートは長い方がありがたいです」
正直に申告する。
生足が露出しているのはひどく心許なかったし、何よりこんなにスカートが短いと武器を隠すこともできない。ユリアの言葉に、「そっかぁ……」とミレーユは肩を落とす。だがすぐにぱっと顔をあげて、「じゃあこっちはどう?!」とロングスカートのドレスをおすすめしてくれた。
「それなら……」
「じゃあ、これ着てみよう!」
2人は再び試着室へと吸い込まれていく。ライカは隣に立つ主人に話しかけた。
「今はああいうドレスが流行っているんですね」
「……」
「……ご主人様?」
反応がないジグルドに目を向ければ、彼は立ったままフリーズを起こしていた。巨大な岩のようになっている主人に、「ご主人様? あの?」と声をかけ、手のひらを顔の目の前で振ってみたり、背中を割と強めに叩いてみたが、やはり反応がない。どうやらユリアの生足という視覚情報に耐えきれず、全神経が止まってしまったらしい。
試着室のカーテンを見つめる。ミレーユのあの感じだと、ユリアのファッションショーはまだまだ続くだろう。一着だけで全身を硬直させている主人を見ながら、「屋敷から台車を持ってきた方がいいかしら……」と割と本気でライカは思案した。
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