第3話 苦労人ヴィーノ



 ヴィーノは眉間に深い皺を刻み、ジグルドに報告した。



「あぁ。知ってる」

「知ってたのかい?」



 驚いて声をあげれば、ジグルドは「当然だろう」とばかりに頷いた。ヴィーノは湧き出た疑問をぶつける。



「いいのかい? 侵入者を許してしまって」

「訪問者に殺気は感じなかったし、気配を消すのも下手だった。ユリア嬢には害がないと判断した」

「あのねぇ……」



 ジグルドの冷静な分析に、ヴィーノは呆れかえって声を張り上げた。



「ますます問題だろう! 侵入者じゃなければ、ユリア嬢が自ら部屋へ招いたことになる! 既婚女性が真夜中に他人を招くなんて大問題だろう?!」



 ヴィーノが責め立てれれば、ジグルドは「何をそんなに怒ってるんだ」と立ち止まった。自分を見おろす紫の瞳があまりにも純粋な光を放っているので、ヴィーノは一瞬たじろんでしまう。二の句を継げずにいる彼の前で、ジグルドは真顔で言った。



「夜中に妖精の友人を招いて、お茶会を開いていたんだ。何も問題ないだろう」

「………………………………………………」



 ウフフアハハと笑い声をあげながらティーカップを持つユリアを想像し、「そんなわけないだろう!」とヴィーノは叫んだ。ジグルドの脳みそを取り出し、いったん洗浄した方がいいんじゃないかと本気で考えはじめる。

 呻いている彼をよそに、ジグルドは再び歩きはじめ、上機嫌で語りはじめた。



「菓子をつまみながら、妖精たちと語り合っている姿はさぞかし美しい光景なんだろうな……」



 違う。絶対に違う。

 ヴィーノは「どうすればいいんだ……」と頭を抱え、筋肉が盛り上がっている逞しい背中を見つめた。


 妖精だと思っている相手が、関わることのない令嬢だったら百歩譲って目を瞑る。しかし相手はジグルドの結婚相手であり、さらに暗殺者の可能性が高い。そんな令嬢を妖精だと盲信している事実はさすがに看過できなかった。



「昨日も言っただろう? 彼女の夫は不審な死を遂げている! 5人もだ!」



 ヴィーノは必死に現実を突きつけようとした。



「あぁ、だが彼女が殺したという証拠はない」



 しかし平然と返されてしまう。



「じゃあドレス下のナイフはどう説明するんだい?!」

「あれだけ可憐な令嬢だ。自衛のために持ち歩いているんだろう」



 ジグルドの言葉に倒れ込みそうになる。

 ユリアが危険な存在であることは火を見るより明らかなのに、彼は全く信じていない。しかも暗殺者ではないと思い込もうとしているわけではなく、心の底から言っている辺りが厄介だ。「恋は盲目」というが、ここまで見えなくなってしまうのかとヴィーノは手で額を押さえた。


 諦めずに口を開こうとしたら、突然、つんざくような金属音が耳元で聞こえた。

 ヴィーノは唖然としながら、目の前の光景を見る。ジグルドはいつの間にか抜刀しており、刃先には魔物の血の色である青い血が付着していた。



「お説教もいいが、この地で隙をみせたら死ぬぞ?」



 横に視線を移せば、飛行型の魔物が倒れ、屍と化していた。雪には水たまりのように青い血が滲んでいる。無駄のない動きと、一振りで絶命させるほどの威力を持つ男だからこそ成せる技。


 再びジグルドに視線を移す。全身を鋼のような筋肉が覆っており、彼の巨体によってヴィーノは完全に影に包まれていた。彼は味方だと分かっているのに、震えが止まらない。圧倒的な威圧感にヴィーノは一歩も動けなくなっていた。


 ジグルドは剣を払って血を落とし、鞘に戻して歩き出す。ヴィーノを包んでいた影がなくなった。

 彼はそこでやっと息を吐き、激しく鳴る心臓の音を聞いて、生きていることを実感した。


『お説教もいいが、この地で隙をみせたら死ぬぞ?』


 先ほどジグルドに言われた言葉が蘇る。そのあと浮かんだのは、ユリアを妖精だと永遠と語る姿だった。「君にだけは言われたくないな……」と聞こえるか聞こえないくらいの声量で呟き、彼の背中を追いかける。


 脳裏に浮かんでいたのは、一振りで魔物を屍と化すジグルドの姿だった。いくら手練れの暗殺者であっても、ジグルドを殺すことはできないだろう。分かっている、分かっているがーー。

 ヴィーノは拳を握りしめる。


(ジグルドは北部には必要な存在だ)


 ヴィーノの心は「北部の平穏を守りたい」という正義感で燃えていた。何としてでもユリア・ベルフォルカを排除しなくては。静かに炎を燃やす。


「可憐な妖精だ……」と脳内花畑な発言を真顔でしているジグルドは役にたたない。危機感をまるで持っていない。自分が暗殺のターゲットになっていることに全く気づいていない。ポンコツになっている主人の代わりに、別の人に監視をお願いしなければ、とヴィーノは頭の中でスケジュールを洗い出した。


 そして3日後の昼。


 屋敷の主人がいない時を見計らい、ヴィーノはナシリアとライカを執務室へと呼び出した。



「ユリア嬢には気をつけてほしい」



 突然の注意喚起に、ナシリアは小首を傾げながら尋ねる。



「ユリア様がどうかされたんですか?」

「……彼女が嫁いだ夫が、5人も殺されている。ジグルドにも危害が及ぶかもしれない」

「それがユリア様の仕業だったとしても、あのご主人様を殺せるとは思えないです」



「夫が5人も殺されている」という情報に対しても、眉一つ動かさず、ナシリアは平然と言った。彼女の言葉に、「それはそうなんだが……」とヴィーノは気まずそうに目線を泳がせた。


 恵まれた体躯と並外れた反射神経。そこらへんの魔物より物騒な存在であるジグルド。「殺せるとは思えない」というナシリアの言葉にも完全同意である。ーーそう、普段のジグルドであれば。

 頬に紅を差しながらユリアの様子を語るジグルドの姿を思い出す。メイドたちに腑抜けた主人の姿を教えてもいいものか。激しく逡巡していると、ライカは言った。



「ご主人様、ユリア様に一目惚れでもしたのでしょう?」

「な、なぜそれを」

「あ~! ご主人様、かわいいもの大好きですもんね!」



 ナシリアは納得顔で両手を合わせる。

 自分でも知らなかった情報に言葉を継げずにいると、ライカが説明を加えてくれた。



「おやつにマカロンを出すと嬉しそうにしてますし」

「……」

「お部屋のお掃除をしていると、かわいいクマちゃんのぬいぐるみもありましたね!」

「……」



 次々と出てくるかわいいもの好きエピソードに、「野獣伯爵」の威厳はどこへ行ったんだと頭が痛くなる。するとナシリアはけらけらと笑い出した。



「まぁ力が強すぎてマカロンは粉々になって、クマのぬいぐるみはボロボロになってたんですけどね!」



 ふっと吹き出すライカ。すぐにいつものような無表情の顔に戻り、ヴィーノの目を見据える。



「『ユリア嬢に気をつけてほしい』とおっしゃいましたが、ユリア様が気をつけられた方がよろしいかと」

「かわいいものを壊しかねないですからね!」



 ナシリアは両拳を握ってライカの言葉に乗っかる。

 訓練場へ向かう途中、一振りで魔物を絶命させていたジグルドの姿を思い出す。「確かにジグルドなら殺しても死なないだろうが……」とこほんと1つ咳払いをして、メイドたちと向き合った。



「とにかくユリア嬢には気をつけて欲しい。君たちも、だ」

「私たちですか?」



 ナシリアはきょとんとして首を傾げる。その無邪気な反応に、ヴィーノの唇の端がひくっと動いた。

 先ほどまでマカロンやクマのぬいぐるみなど、かわいらしい単語が飛び交っていたのに、今は呼吸1つさえ許されない空気が立ちこめた。彼女たちはただ微笑んでいる。自分たちが危険な目に遭うわけがないという自信と、それを裏付けるだけの経験と技術が備わっている故の笑みだった。ヴィーノは盛大にため息をつく。



「この屋敷はくせ者ばかりだな……」



 独り言のように呟くが、彼女たちの微笑みは崩れない。「もう下がっていいよ」と言えば、彼女たちは頭を下げ、部屋から退出した。




 *



 ユリアは窓際に立ち、雪に覆われた庭園を眺めていた。

 傍目から見れば見目麗しい令嬢が、街で見た流行のドレスや菓子を想像しているような愛らしい光景に見えるだろう。しかし実際は、



(刺殺、毒殺、絞殺……)



 暗殺のシミュレーションをしていた。



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