第2話 夜中の訪問者



 ヴィーノは困惑した。様子がおかしい。自身の耳を疑うくらいの豹変ぶりである。

 しかしジグルドの言葉は止まらない。



「絹のような滑らかな黒い髪、透き通るような白い肌、薄紅色の唇から紡がれる声は天使の歌声のようで……」

「待て待て待て待て待て」



 ヴィーノは両手を振って、急にはじまったポエムを遮った。

 ジグルドは頬を赤らめて、夢見心地のような目で遠くを見つめている。これが麗らかな少女であれば絵画のような光景だろうが、今目の前にいるのはガタイのいい無骨な男である。何もかわいくない。

 さまざまな感情が入り交じり二の句が継げずにいると、ジグルドは不意に「はっ」と何かに気づいたような表情をした。



「ヴィーノ」

「……なんだい」



 ヴィーノは疲れたように答えた。これ以上、自分を絶句させないでくれと祈りながら言葉を待つ。



「結婚するということは、つまり、一緒に食事をしたり、手を繋いだりするのか……?」

「………………………………………………」



 目をくわっと開き、両手を震わすジグルド。

 本日二度目、ヴィーノは絶句して言葉が出なくなってしまう。彼の無言のドン引きに一切気づくことなく、「あんな可憐な妖精と手を繋げるのか……?!」とジグルドは頭を抱えている。


(「世継ぎを残すんだよ」と言ったら卒倒しそうだな……)


 まだ仕事は大量に残っている。ここで気絶されてしまったら面倒だと判断し、言葉を飲み込み、目の前の光景を受け入れようと必死に努力する。

 結婚相手とのあれやこれの想像し、真っ赤になっている野獣伯爵。「これは幻覚だ。疲れが溜まってるんだ」とヴィーノは自分に言い聞かせ、「とりあえずこの書類に目を通して……」と彼の目の前に書類を差し出した。

 しかし書類など微塵も見えていないのか、ジグルドは口元に微笑みを浮かべて言った。



「きっと彼女は春の訪れを知らせに来てくれたんだな」

「………………………………………………」



 ヴィーノは無言で窓に視線を移す。

 窓の外では猛吹雪が襲い、大地を白く覆い尽くしていた。風が雪を巻き上げては渦をつくり、狂ったように地表を這っている。凶暴な風がうねりをあげている音が、部屋にいても聞こえてきた。

 ユリアが本当に春の訪れを知らせる妖精だったら、裸足で一目散に逃げ出しただろう。


 ヴィーノは全身に疲労を感じながら、盛大にため息をつく。そして夢見心地になっているジグルドの後頭部を、一度だけ強めに叩いた。



 *



 ユリアたちが部屋を出た瞬間、メイドの2人は振り向いた。



「はじめまして、ナシリアと申します」



 薄桃色の髪を二つに結んだ小柄なメイドが、やわらかな笑みと共に自己紹介した。その声は明るく、春の陽気を思わせるような温かみがあった。



「ライカと申します」



 対照的に、桔梗色の髪の毛を一本に結んだメイドは無表情のまま、淡々とした口調で名乗った。その冷たさは、冬の寒気を思わせるようだった。


 2人は息の合ったペアのように、ユリアの部屋へと案内してくれる。


 ナシリアは人の良さそうな表情と共に話しかけてくれた。そんな彼女にライカは時折ぼそりと口を挟む。性格は正反対だが仲は悪くなさそうだとじっと観察していると、いやな汗が背中に流れるのが分かった。


 2人は他愛のない話をしているだけだ。ユリアにも背中を向けている。普通だったら、3秒後には2人とも亡き者にする自信があった。しかし目の前の2人はーーあまりにも隙が無い。


 ナシリアとライカの話し声と、雪が吹き荒れる音だけが廊下に響く。伯爵家の屋敷だと言うのに酷く静かだ。ユリアは屋敷に来てからずっと抱いていた疑問をぶつけるため、口を開いた。



「あの……」

「はい」

「他のメイドの方は? こちらの屋敷に来てからお2人以外の姿を見なかったので……」



 笑みを作って尋ねれば、ナシリアはスカートを翻して振り返り、「私たちだけですよ!」と無邪気に言った。予想外の答えに面食らう。伯爵家で勤めるメイドが2人だけ?あまりにも少なすぎると思案していると、ライカは目を細めて言った。



「みんな数日でやめてしまうんです」



 さまざまな感情や事実を内包した言葉。全身に震えが走るのが分かった。ライカは好意的な表情を浮かべているはずなのに、形容しがたい恐怖が襲ってくる。「そう、なんですか」と何とか相づちをうつ。


 部屋に到着して、「ゆっくりしてくださいね!」と明るく言うナシリアの言葉に頷く。扉が閉まったと同時に、ユリアはふらふらと病人のような足取りで窓際へ向かい、革張りの椅子に座り込んだ。


「野獣伯爵」の名にふさわしい体躯を備えたジグルド、目が全く笑っていないヴィーノ、隙を感じさせないメイドたち。情報量が多すぎて、こめかみがズキズキと痛んだ。


 片手で額をおさえると、先ほど投げられたジグルドの問いが浮かぶ。



『そのドレスの下、何を隠してる?』



 ユリアは思わず唇を噛んだ。


(まさか気づくなんて……)


 ドレスの裾をあげれば、ナイフを収納した革のホルスターが右の太ももに巻かれていた。ナイフの刃先には毒が塗ってあり、かするだけで絶命させられるほどの威力を持っている。



「今回の任務は、女王直々の依頼である。お前なら難なく遂行できるだろう。

 ーーしかし決して油断はするな。我が家の命運は、お前の双肩にかかっている」



 彼女が家を出発する直前、父親から放たれた言葉が蘇る。

「女王直々の依頼」とは、「ジグルド・オスヴィンに嫁ぎ、亡き者にすること」だった。


 ベルフォルカ家は古くから王家の陰の者として、暗殺を生業にする家だった。形式上は、小さな領地を治めている子爵家であるため、ベルフォルカ家の本当の正体を知る者はいないに等しい。王家の限られた一部の人間だけが知る極秘事項だった。


 敵対勢力との戦い、人道上の必要、いろんな理由がつけられて、ベルフォルカ家は暗殺を遂行した。


 オリエット国での殺人は罪に問われるが、ベルフォルカ家の暗殺は法の外にあった。しかしその事実が露呈されてしまえば、王家への不信感により国が揺らぐ可能性もある。

 そのためベルフォルカ家には証拠を一切残さない暗殺を期待された。そしてその期待を一身に応え続けてきたのがベルフォルカ家の5番目の子どもであるーーユリアだった。


 今回の任務も今までのように、難なく遂行する予定だった。しかし屋敷にいる人物たちを観察した今、一筋縄ではいかなそうだとユリアは眉根を寄せていた。



「……休んでいる場合じゃないわ」



 自分の体に鞭打って、荷物の整理をはじめる。1時間後、ナシリアに晩ご飯をどうするかと尋ねられたが「お腹がすいていないので」と断り、湯浴みを済ませた。

 ネグリジェ姿でベッドに腰掛け、ユリアはじっと窓の外を眺め続けていた。


 時は過ぎ、真夜中。三日月の光を遮るようにして、窓から1人の男が入ってきた。



「よォ」



 片手をあげて入ってきた男をちらりと見る。

 ユリアと同じ色をした髪が1つに縛られており、穂先のように短く跳ねている。顔は友好的な笑みを浮かべているが、それがただ笑顔らしき表情をつくっているだけだとユリアは知っていた。



「……兄さん」

「どうだった? 『野獣伯爵』は」

「すぐに決行は無理そうね」



 ユリアは静かに、しかし確固とした口調で答えた。


「ほう」と男は息を吐き、「お前がそんな風に言うなんて珍しいな」と手で顎を撫でた。

 ユリアは嫁ぎ先の夫たちを3ヶ月以内に亡き者にしていた。どの夫の印象を聞いても「問題ないわ」と淡々と答えていた彼女が、今回のターゲットに対しては「すぐには無理そうだ」と弱音らしきものを吐いている。男は片方の唇の端をあげて、「だったら」と不敵に笑う。



「事故に見せかけて屋敷を爆破してしまえばいい」

「……それだと、ターゲット以外の人が死ぬことになるわ」

「高尚な考えをお持ちで」



 皮肉たっぷりに言い、ユリアを見下した。

 何と言われようとも彼女は信念を曲げることはなかった。依頼されたターゲットは必ず亡き者にするが、それ以外の人物は必ず死なせないという矜持を持って依頼に臨んでいた。

 男はユリアに近づき、彼女の髪の毛を乱暴に引っ張った。



「いっ……」

「夫を5人も殺したんだ。慎重にならざる得ないことは理解してる」

「……」

「だがお前に失敗は許されない。そうだろう?」



 問われ、ユリアは顔を歪ませた。そして「わかってるわ、兄さん」と唇を動かす。その答えに満足そうに笑った男は手を離し、窓辺へ向かった。ユリアは床に崩れ落ち、虚空を映すような瞳で男を見れば、彼は壁に寄りかかりながら笑っていた。



「決行の日が決まったら教えてくれ。今回も証拠1つ残さずに後始末してやるから」



「じゃあな」と言い、そのまま窓から軽々と飛び降りた。レースのカーテンが揺れ、窓の外には三日月が寂しく光っている。ユリアはしばらくその月をじっと見つめていた。





 *



 次の日、ジグルドとヴィーノは北部騎士団の訓練場へ向かっていた。冷たい風が吹き抜け、雪を踏む音だけが響く。切り開いた道の両側には雪に覆われた木々が立ち並び、静寂が森の中を支配していた。



「……昨夜、ユリア嬢の部屋に侵入した者がいたそうだよ」



 ヴィーノは眉間に深い皺を刻み、ジグルドに報告した。


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