暗殺ターゲットになぜか溺愛されています?!
海城あおの
野獣伯爵と暗殺者令嬢の結婚
第1話 野獣伯爵との対峙
「そのドレスの下、何を隠してる?」
男の低く冷たい声が、静寂を切り裂いた。
儚げで愛らしい顔立ちをした令嬢ーーユリア・ベルフォルカの水色の瞳が一瞬だけ揺らぐ。しかしすぐに平静を取り戻し、微笑みを崩さずに答えた。
「何のことでしょうか」
その声には、かすかな震えも緊張も感じられなかった。
男ーージグルド・オスヴィンは、じっとユリアを見つめた。その鋭い瞳は、まるで彼女の心の奥底まで見透かそうとしているようだった。ユリアが臆することなく見つめ返せば、ジグルドはふいっと視線を外した。
ユリアは上目遣いで、目の前にいる男を盗み見た。
クロッカスのような赤みがかった紫色の短髪、髪と同じ色をした瞳は冷たい光を携えている。顔の筋肉が全く動かないので表情がよく分からない。28歳という若さで、北部騎士団の隊長を務めるだけあって、肩幅は広く、服の上からでも鍛えられた筋肉が備わっているのが見て取れた。
ユリアは警戒心を高めながら、ジグルドの隣にいる男へと視線を移した。
月桂樹の葉の色をした長髪を、後頭部の高いところで一本に結んでいる。ジグルドの隣にいるからか細身に見えるが、一般的な基準で言えば十分に体格のいい部類に入るだろう。
彼女の視線に気づいたのか、長髪の男は優雅に微笑んだ。
「申し遅れました。ヴィーノ・マリナグと申します。北部騎士団では副隊長を務めています」
「……お初にお目にかかります」
ヴィーノは丁寧な口調で自己紹介をし、目を細めて笑う。しかし目の奥が笑っていないことにユリアは気づいていた。見た目の穏やかさに騙されてはいけないと、警戒を解かずに彼女も微笑みを返す。
ジグルドは「ふう」と息を1つ漏らした。そして投げやりな口調でユリアに言う。
「何かあれば、後ろのメイドに伝えてくれ」
「後ろのメイド」という言葉に、ユリアはばっと振り向いた。いつのまにかメイドが後ろに立っている。全く気配がしなかったと、背中に流れる汗が増える。
薄桃色の髪を二つ結びにした小柄なメイドはにこにこと笑い、桔梗色の髪の毛を一本に結んだメイドは無表情で立っていた。
「お気遣い、ありがとうございます」
震えが口調に出ないよう細心の注意を払いながら述べると、ジグルドは無愛想に小さく頷いた。
3人は部屋から退出し、古びたドアが静かに閉まった。彼女らの気配が完全に消えてから、ヴィーノはぼそりと呟く。
「ドレス下に仕込んだ武器のこと、どこで気づいたんだい? 君が言うまで全く気づかなかった」
「……右足のヒールの音が少し重かった」
「さすが、獣並みの聴力だねぇ」
ヴィーノは皮肉めいた笑みを浮かべたあと、すぐ真剣な表情になり、古びた扉を睨みつけながら言った。
「やはり彼女が……」
「決めつけるな。証拠などないだろう」
「証拠がないから、こそさ」
ヴィーノは力を込めて言う。
「彼女の夫は不審な死を遂げている。連続で5人も、だ」
「……」
「圧倒的に怪しい存在なのに、調べても証拠が少しも出てこない。……プロの暗殺者である何よりもの証拠さ」
ヴィーノは声を低めて言う。まるで部屋の影さえも警戒しているかのようだった。
オリエット国の子爵令嬢であるユリア・ベルフォルカは今日、伯爵家主人であるジグルド・オスヴィンに嫁いだ。ジグルドはユリアにとって6人目の夫となる。
彼女の元夫たちは全員不審な死を遂げていた。
ある者は食事が終わったと同時に泡を吹いて倒れ、ある者は首を鋭利な刃で切り裂かれ、ある者は心臓を一突きで絶命させられた。どの死にも共通していたのは、完璧すぎる手際の良さだった。
全員がユリアの夫ということもあり、当然彼女に疑いの調査が入った。しかし証拠不十分ということで彼女が罪に問われることはなかった。それどころか、彼女の無実を主張する声さえあった。
不穏で不気味な令嬢はいつしか社交界でこう呼ばれるようになる。
「呪われた花嫁」と。
ヴィーノは顔を歪ませながら絞り出すように言葉を吐く。
「なぜ彼女が君の花嫁に……」
「王女の命令だ。断れんだろう」
ジグルドは背もたれに寄りかかり、淡々と答えた。
ジグルドとヴィーノは旧知の仲だった。隊員の前では隊長と副隊長という地位にあわせた話し方をするが、2人きりの時は忌憚ない意見をお互いぶつけていた。そんな遠慮のない間柄の2人だが、ジグルドの結婚はヴィーノにとって寝耳に水の出来事だった。
ジグルド曰く「『妻問いしろ』と王女から手紙が来た」らしい。
(なぜジグルドに「呪われた花嫁」を? 誰かの恨みでも買ったのか?)
疑問が泡のように浮かんでは消えていく。ヴィーノの頭の中は、様々な推測で渦巻いていた。
オリエット国の北部は寒さが厳しく、魔物も多く現れる過酷な土地である。そこで活躍する北部騎士団は精鋭ばかりだが、過酷な環境故、殉職者も多い。そんな中でジグルド・オスヴィンは28歳という若さで騎士団の隊長に任命されていた。
社交界では「野獣伯爵」と恐れられているジグルド。
その名は、「北部」「騎士団隊長」という要素から、人々の噂に尾ひれがつき、呼ばれるようになった名前だった。恐怖の対象として見られることがあっても、社交界にほとんど出席しない彼が、暗殺対象になるほどの私怨や妬心を抱かれるとは考えにくかった。
ヴィーノは先ほどのユリアの様子を思い出しながら、口を開く。
「ドレス下の武器だけじゃない。殺意を隠して微笑む姿も、気配を殺して歩いている姿も……彼女はただの令嬢じゃない」
その言葉には、確信と警戒が滲んでいた。
「……」
「君だってそう思うだろう?」
同意を促すように語尾を強めたが、返ってきたのは「いや……」という否定だった。ジグルドの声は、いつもの力強さを欠いていた。ヴィーノの片眉がぴくりと上がり、「じゃあ君は彼女がどんな風に見えたんだい」と怒りを滲ませながら問う。
ジグルドは数秒の沈黙のあと、ぼそりと呟いた。
「……妖精」
「え?」
「あんな可憐な存在を初めて見た。まさか妖精が実在したとは……」
「え?」
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