【第3話】現在(sleep)

【1】


現在―


 ダリウスは、アナリシス社本部の廊下を歩いていた。ふと、目の前から制服を着た軍人が歩いてくる。屈強な男で、胸を張って歩いている。


《ダリウスさん、深呼吸し、少し、歩調をゆるめ―》


 ダリウスの耳元で、朗らかで柔らかい女性の声がする。これは、アシスタントAIの人工音声で、アナリシス社の主力商品であるアプリケーション―Analysisのものだ。


 スマートウォッチ等の機器が生体データ(体温、脈拍、表情、視線移動、知覚情報、行動履歴やしぐさからなる膨大なデータ)を収集、分析し様々な用途に役立てている。身近な所ではインターネット使用時にフィルタリングを行ったり、ちょっとしたメンタルケアや日常の行動改善を手助けする機能がある。


 ダリウスの耳元で囁くAIは、メンタルケアを行う標準機能であり、今や全世界で使用されている。


 この施設自体が、米軍基地内にあるのだ、軍人が居ることなど珍しくもなんともない。


 ―昔の血が騒ぐのか?


 ダリウスは苦笑し、ため息をつく。そして、通り過ぎていく軍人の背中を見送る。


 ―俺もあちら側に居るはずだった。今の姿をアルドリッチが見たら、何というだろうか


 ダリウスは、目の前にある自分のオフィスを見る。老人が数人、パソコンを見つめ、事務作業をしている。全員が表情に乏しく、どこか空虚に見えた。


 ―ここが俺の居場所なんだ


 ダリウスはため息を噛み殺し、オフィスへ入っていく。


【2】


 二階建ての集合住宅の一室がダリウスの仕事場だ。オフィスに行くこともあるが、仕事のほとんどは在宅で可能な為、週に一度しかオフィスには顔を出さない。


 ダリウスは、デスクトップパソコンの前に座り、作業を始める。


部屋の内装は白を基調としており、シンプルで高級感がある。社員割のお陰で、かなり安く住めているが、広さも十分、設備も整っており、一人で暮らすには十分すぎるほどだった。


 左遷先とは思えない―ダリウスは、浮かぶ言葉を噛み潰す。


 3年前、ダリウスは、アナリシス社で調査員兼用心棒のような事をやっていた。主として、クロール社(ニューヨークに本拠地がある調査企業)のような業務だ。


 しかし、三年前、ダリウスはアナリシス社の内部調査を行い、その過程で国防に関わるスキャンダルを目にしてしまった。スキャンダルは握りつぶされ、ダリウスは左遷された。上層部の連中は、俺の牙を抜こうとしている。そんなことは、させない―そう考えていたのも1年前までだった。今では、すっかりこの生活に慣れてしまっている。


 勤務のうち、事務作業のほとんどは、午前中に終わってしまう。後はばれないように時間を潰すだけだ。


 ダリウスはトイレに向かい、用を足すと、洗面所で鏡を見た。


 引き締まった身体は40代とは思えない。姿勢は良く、腰から背中までは絞られ、しなやかさであった。しかし、その表情は虚ろだ。


 ダリウスは、泥のように重く沈殿した時間を過ごし終え、ログアウトする。


 シンプルで洗練されたキッチンで、ウォルマートで買った食材をさっと調理し、黙々と食べる。仕事の割に、給料は良く、金の使い道がなかった。


 勤務時間中と変わらず、ぼんやりと時間を潰し、床に就く。布団に入り、ふと枕の下を探ってしまう。勿論、何もない。触り慣れた、滑らかな鉄の感触が指先に蘇り、消える。


 ―お前はそれで良いのか?


 ダリウスは、誰かの声が聞こえた気がして、息を飲む。そして、強引に目を引き締める。

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