【第1話】過去ー1(trust)

―5年前


 アメリカ北部某都市 21時


 車のアイドリング音が聞こえ、黒人男性が微睡から目覚める。車の緩やかな加速感と、目の前を通り過ぎていく街灯の光が眠気を誘ったのだろう。


 黒人男性―ダリウス―は中肉中背、クルーカットで髭はない。しかし、その瞳はあまりに鋭く、眉間の皺は40代にしては深すぎる。


 ダリウスは腕時計を見る―20時。無意識に腿に触れる。腿に付けられたホルスターには拳銃。リバーシブルのジャケットを羽織り、それらを隠す。


「うたた寝か?」


 低い声がし、横を見ると、髭面の白人男性が運転席に座っている。歳は40代くらい、顔や身体が全体的に骨ばっており、張り詰めた弓のような印象を受ける。しかし、白銀の長髪がハーフアップになっているせいか、どこか中性的な雰囲気である。


 ジョン・アルドリッチ―幾度となく、戦地を共にしてきた仲間。


「標的がホテルに行った。襲撃するなら今しかない」アルドリッチが目を細め、言う。


 ダリウスは無言で腿から拳銃(シグP220)を抜き、動作確認をする。グリップ部にはゴム製の滑り止めが装着されており、銃本体も整備が行き届いている。装填されている銃弾は非殺傷の物ではあるが、当たり所が悪ければ、障害が残るかもしれない。


「これじゃ、ヤクザだ」ダリウスは拳銃に減音器を装着し、拳銃下部についているタクティカルライトを確認した。強烈な光で敵の視界を奪う為のものだ。


 アルドリッチは、ダリウスの言葉を無視する。その話はケリがついただろ、という顔。


 ダリウスは、皮で出来た丈夫で柔軟性のある手袋をつけ、手首との境界線にダクトテープを巻いた。こうすれば、外れることはない。


 ダリウスたちは、とある会社で調査員兼用心棒のような事をしている。法的にはグレーな仕事だ。


 今回は、クライアントの内部情報が盗まれたので、クラッキングを行った人物を特定、拘束するのだ。なぜ、警察を頼らないのかと言えば、内部情報の一部は、外部に漏れるとまずい物だからだ。もし警察の捜査でそのデータが第三者の目に触れれば、クライアントが危機的状況に追い込まれるような。


 アルドリッチは淡々と目的地に車を近づけていく。ふと、


「今回のターゲットだがな……当初はクラッキングで得た情報を使い、クライアントに対する真っ当な批判も行っていた。だが、最近は違う。個人情報を盗み出したかと思えば、稚拙な誹謗中傷を行っている」


「だから、殴り倒して良い訳じゃない」ダリウスは、拳銃をホルスターに差し、予備弾倉を確認する。




「あのシステムが完成すれば、何人の命が、生活が救われるか分からない。だから―」ジョンは視線をそのままに言い、


「―その為なら、俺はどんなに手を汚しても構わないよ」車が停まり、ジョンが呟く。


 ジョンが、顔をこちらに向ける。その片目は眼帯が付いていた。数日前、仕事中に殴られ、負傷したのだ。もう少し、ずれていたら視力を失っていたかもしれない。


「ふむ……」ダリウスは静かにため息をつき、携帯型のゴーグルをつける。これには、各種情報が投影される。


 2人は、ホテルへ向かって歩き出す。2人とも大きなリュックサックを背負っている。


「情報では、奴も用心棒を連れてるって話だったよな」ジョンが欠伸をしながら言う。


「そうだ。得意のクラッキングで、泊っている部屋の周囲の何部屋かは予約を入れて、空室を作っている」


 ホテルへ入ると、宿泊であると説明し、フロントと話を付け、カードキーを受け取る。だが、予約した部屋には向かわず、屋上へ向かう。


 従業員専用、と書かれた扉を開け、屋上に出る。微風が微かに肌に当たった。


 ダリウスは持っていた鞄から、ドローンを取り出す。いくつかのプロペラと作業用のアームが付いた物だ。それを素早く組み立てる。そして、そこに太いロープを巻き付ける。


「ロープの方は大丈夫だ」ジョン言い、ダリウスは頷く。


 ダリウスはタブレットを使い、ドローンを操作。ドローンは、ロープと共に、隣のビルへ飛んでいく。


 タブレットの画面に、様々な表示がなされる。ダリウスが操作をすると、ドローンのアームがロープを屋上の手すりの太い柱に巻き付けた。すると、ビルとビルの間に、太いロープがピンと張られた状態になる。


「先に行く」ダリウスは言い、腹部にハーネスを付け、ロープにフックを引っ掻ける。そして、ビルから飛び降りた。


 ロープのしなりと滑車を利用し、隣のビルの屋上へ降り立つ。素早くフックを外す。アルドリッチも同じようにして、ビルを移動した。


「さて」ドローンを利用し、ロープを回収する。


「奴は10階だ」暗がりの中、ダリウスの顔が光に照らされる。


 2人はラぺリングの用意をし、静かにビルの壁を蹴り、降下していく。

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