第78話 元暗黒騎士の幼馴染の悲しき過去

──ケイオス国のとある建物の中


「団長。本日の上納金の回収に向かったところ、妙な光景を目の当たりにしました」


黒い衣を見に纏う少女が、感情を押し殺した声で言う。


「妙だと? このケイオス国はどこもそうではないか。雑多な国と言えば聞こえはいいが、文化レベルは低く、国民の意識は低い。何より亜人がのさばっているのが気に食わん」


団長と呼ばれた男は不機嫌そうに呟く。


「そうではなく、我ら暗殺恐団の下部組織の人員が全員昏睡していたのです」


「あのスラムのチンピラどもか……何も知らない子供や旅行客を利用して金を巻き上げるしか能がない奴らだ。あいつらが昏睡していただと?」


「はい……」


少女は事実のみを告げる。


「バザールに続く街道で、数百人もの人員が気を失って倒れていました」


「他の組織からの襲撃か?」


「いえ、容態を見たところ……全て首を捻られていました。恐らく一人でやったのではないかと」


「ふん! いくら学のないチンピラといえど、たった一人で往来の中、数百人を気絶させられるものか! 誰か見たものはいないのか!」


「それが……部下に調査させたところ、誰も見ていないとのことでした。倒れているのも、酒かクスリでおかしくなっただけと思われていたようです」


「チッ! 国の民度のせいで暴力沙汰にも気が付かんとは、つくづく終わってる国だなここは!」


少女は心の中で首を横に振った。

確かにこの国は治安が悪く、文化レベルも低い。

だがそれが決して悪いこととは思わない。

自分のような人間も受け入れてくれる懐の深さがこの国にはあった。


この男がやってくるまでは。


「団長、犯人を突き止めますか?」


「そうだな……我が恐団のシノギを邪魔されては困る。邪魔者は早めに始末しておいた方がいいだろう」


「ではいつも通りに」


少女は黒い短剣を太もものポケットから取り出す。


「期待しているぞ、セラ。我らユグドラの生き残り同士、仲良くしようではないか」


「かしこまりました……ロックス団長」


団長と呼ばれる男──ユグドラ王国騎士団の団長だったロックスは、満足そうに微笑んだ。

セラと呼ばれるこの少女は思った。ここは地獄だと。


◆◆◆


私、セラ・フレシアは孤児だった。

両親はいなかった。物心ついた頃には、ユグドラ王国の孤児院にいた。


孤児院で私は虐められていた。

理由は私の容姿。ユグドラの人間と違い、褐色の肌、青い髪が目立っていたから。

どうやら私の両親はユグドラ王国出身の人間ではなかったらしい。


容姿のせいで仲間はずれにされ、異教徒だ異端だと罵られた。

毎日が辛かった。私はこの世に生まれちゃいけないと嘆いた。

どうして生まれてきてしまったのだろうと嘆いた。


そんな時、一人の男の子が現れた。

名前はレクス。私より一つ年上の男の子。


『なんだよレクス。お前異端者に味方するのか?』


『うるさいな、黙ってろよ。お前らのせいで俺の貴重な修行時間が減るんだよ。喚くならママのおっぱいしゃぶりながら喚け。あ、ごめんお前らママいないんだったな。俺もだけど』


『殺すぞ根暗っ!』


一言で表すと、レクスは異常者だった。

私が虐められているのを見て、唐突に割り込んできたかと思えばいじめっ子を煽り、喧嘩を売った。

しかもいじめっ子達に殴られて、反撃をしない。


いじめっ子達がレクスをたくさん殴って満足し、立ち去った後、私は彼に聞いた。


『喧嘩が弱いなら、あんなこと言わなきゃいいのに』


『あれは貸しだから。次にあいつらが余計なことをしたら今回の分を含めて倍返しするのさ。それが楽しみで仕方ないんだよ』


『変な考え方してるのね』


『そうか? あいつら馬鹿だから、絶対またやらかすぞ』


そう言いながら嬉しそうに笑うレクスに、私は若干引いた記憶がある。


『そうじゃなくて、やり返す気があるなら今やればいいのに』


『俺は自分から殴らない主義なの。最初の一発は許す。次やったら許さない。人間誰しもミスはするからね。一回目は多めに見てあげるんだ』


『だからやり返さなかったの?』


『一回目に酷いやられ方をした方が、仕返しは壮大にやれるからな。そうなった時のあいつらの顔を思い浮かべただけで、晴れやかな気分になる』


『性格が悪いのね』


『あいつらを見てそれを言うか?』


それからは私が虐められそうになると、レクスが助けてくれるようになった。

私にとって地獄だった孤児院での生活が、少しだけマシになった。

私はレクスとよく話すようになった。


とにかくレクスは変な子だった。

みんなが遊ぶ時間に、一人でどこかに抜け出すし、大人が読む魔法の本を興味深そうに読んでいた。

私が周りに馴染めない子だとするなら、レクスは周りに馴染まない子だった。


『レクスはみんなと遊ばないの?』


『あんな奴らと遊んで何になるんだよ。それなら修行や勉強をした方が将来の役に立つだろ』


『寂しくないの?』


『寂しくないわけじゃないけど、慣れっ子だから』


そう言ったレクスの顔は、まるで大人の表情だった。

子供の私はなぜだかレクスのことが、とても大人な人間に思えた。


今思うと、レクスは諦めていたのだと思う。

孤児院で育った私達はまともな職業につけない。

まっとうな人生を送るには、尋常じゃない努力と運が必要だった。

それを悟って、レクスは人生に諦めを感じてたんだと思う。

今の私も、あの時のレクスと同じ表情をしているから分かる。


『レクスは孤児院を出て、何をしたいの?』


『冒険者かな』


『冒険者になりたいから、毎日修行や魔法の勉強をしてるのね』


『でも無理だろうなぁ、俺協調性ないし。パーティーとか組めないだろうし』


『そんなことないよ。レクスは私と違って、強いし頭もいいもん』


『そりゃ転生してるしなぁ……』


彼が自虐気味に呟いた言葉を私は聞き取れなかった。


『そういうセラこそ将来何がしたいんだ?』


『わ、私……?』


『人に聞いておいて、自分だけ言わないなんてズルいぞ。よければ教えてくれないか』


『私は別に……やりたいことなんてない……』


『嘘だろ、勿体無い! セラみたいに可愛けりゃ、どこでだって輝けるのに!』


『か、かわいい……? 私が……?』


顔が熱くなる感覚に戸惑ったのを今でも覚えている。

誰かにかわいいと言われたのはたぶん、人生で初めてだったから。


『でもみんな、私のことを気味が悪いとか言うよ……髪とか肌が変だって』


『あいつら馬鹿だから分かんねぇんだよ。他所の国に行ってみろよ。逆にあいつらの容姿の方が変だって笑われるぞ』


『でも、ここはユグドラ王国で、私はユグドラ国民から見れば変だもん……』


『俺だってユグドラ国民だけど、セラのことは可愛いって思ってるぞ』


『そ、それはレクスが変なんだよ』


『人種や種族で差別する方がよっぽど変だと思うけどなぁ』


この時のレクスの言葉は、結果的には正解だった。

私は大人になってユグドラ王国を出たけど、ケイオス国では私の容姿なんて気にもされず、一人の人間としてみんな接してくれた。

どうやらユグドラ王国は、私のような亜人の血を引く人間に特別厳しい国だったらしい。


それからは少しずつ、自分の容姿に負い目を感じなくなった。

レクスが毎日のように可愛いと言ってくれて、自己肯定感が上がったのかもしれない。


私はレクスと一緒にいる時間が好きだった。

穏やかでのんびりとした時間。

お互い口数は少ないけれど、互いに相手を思い遣った温かな空間があったと思う。


けれどそんな幸せな時間も、当然過ぎ去ってしまうわけで──


『レクス! 孤児院を出るって本当なの!?』


『ああ。なんかこの前騎士団の人が来て、俺のこと見てくれてたらしい。見習いとしてなら採用してやるって言われたんだ』


『そうなんだ……おめ……』


おめでとうの一言が、その時の私には言えなかった。

寂しくて心が張り裂けそうで、啜り泣くことしか出来なかった。


『寂しいよ……レクス……』


『そう言ってくれてありがとう。大丈夫、セラならどこでだって上手くやっていける。俺が保証する!』


『う、うん……じゃあ、もし私が孤児院を出たら……』


また一緒に暮らしてくれる?

そう言おうとしたけれど、それも結局言えなかった。


断られるのが怖くて、言い出せなかった。


レクスは騎士団に認められて、若くして騎士団に入団するエリートだ。

それに対して私は、学もなく能力もないただの子供。

こんな私が何の資格があって、彼にそんなことを言えるのだろう。


レクスは孤児院育ちでも立派な職に就けるように頑張った。

小さい頃からずっと頑張ってきた。

そんな彼に、子供の私の現実が見えてない願望を押し付けるのは迷惑じゃないか。

そんな風に考えてしまった。


だからお別れの挨拶も、結局言えずただ泣いているだけで終わってしまった。

レクスはそんな私を心配そうに見ていたけれど、やがて迎えが来てとうとう彼と離れ離れになってしまった。


『レクス……私頑張るね』


孤児院での生活は、また地獄の日々に戻った。

相変わらずいじめっ子達は私に嫌がらせをしてくる。

年齢を重ねる内に、体格差が大きくなり、男性への恐怖感も強くなるばかりだ。


けれど私はめげずに頑張った。

読み書きの勉強や、料理の手伝い。家事や内職、さまざまなことを学んでいった。

少しでも能力を身につけて、一刻も早く孤児院を抜け出したい一心だった。


それから私は王都の居酒屋に雇ってもらうことが出来た。

簡単な仕事とのことだったけれど、私にとっては初めての仕事なわけで、とても大変だった。

相変わらず容姿のことで客に君悪がられたりしたけれど、なるべく肌を出さない服を着て化粧をすれば案外誤魔化せたりした。

仕事も一年、二年としている内に慣れていき、店主や常連客も私を褒めてくれるようになった。


王都には騎士団がいる。レクスがいる。

そう思うと、日々の大変さも気楽に思えた。

会いに行くのはやはり怖かった。

私のことを忘れてるんじゃないか。そう思うと、とても会いに行けなかった。


仕事も生活も落ち着いてきた。

こんな生活がいつまでも続けばいいな。

そして自分に自信を持てたら、レクスに会いに行こう。


そんなことを夢見てた。

しかしその日常は、あっという間に壊れてしまった。


『よう、久しぶりだなぁ?』


『あっ……』


孤児院のいじめっ子達が店にやって来たのだ。

十五歳になって孤児院を出ることになった彼らは、ろくな仕事についてなかった。

元々孤児院でも勉強せず、遊んでばかりいたから当然だろう。

けれど、まさか闇社会の仕事をしているなんて思わなかった。


なぜ彼らが私の店に来たのか。

それはとてもシンプルな理由だった。


『俺ら、騎士団と教会から仕事もらってんのよ。亜人の情報を探って報告すると金貰えんのさ。なぁ、楽な仕事だろ?』


『き、騎士団と教会って……この国のトップじゃない……そんなとこがどうして亜人の情報なんて欲しがるの……』


『分かってんだろ? この国は亜人がだーいきらいなんだよ。だからむかつく亜人がいたら、正義の騎士様が成敗してくださるんだと』


私は背筋が凍る思いをした。

この国が亜人に差別的だとは感じていたけれど、まさかそこまでやっていたなんて!

もしかしてレクスも、亜人を殺しているの?

いや、レクスはそんなことをする人じゃない!


『知ってんだぜぇ? お前、亜人の血が流れてるんだってな』


『え、どうして知って……』


『孤児院いた時は気付かなかったけどよぉ……。こうして社会に出て、色んな亜人を見てるとなぁ? お前に似てる奴が何人かいるわけよ。お前は肌と髪の色が特徴的なだけで、見た目は人族だけどな』


ハーフってやつなのか? といじめっ子は聞いてきた。

そんなこと、私は知らない。

だって、親が誰かなんて分からない!

私は私が何者なのか、私だって知らない!


『お前が亜人の血を引いてるって報告したら、お前も殺されちまうのかなぁ? この店はどうだろうな。常連客もしょっ引かれるのかねぇ』


『ど、どうして欲しいんですか……何が目的……』


『簡単だよ。スパイになって欲しいんだよ。人族が亜人の住処に行くと怪しまれるからな。お前みたいな奴だと怪しまれねぇ。な? 俺達孤児院からの幼馴染だろ?』


いじめっ子はそう言って私の肩に手を回してきた。

虫が這いずり回るかのような君の悪さに鳥肌が立った。

涙も出て来そうだった。


『あ、お前のことはもう騎士団長サマや大司教サマに伝えてあるから。逃げようとしても無駄だぞ♪』


断ることも出来た。

けれど彼らは、いやこの国は決して私を逃しはしないだろう。

結局私は、地獄の日々へ逆戻りすることとなった。


それから私はスパイとして亜人達の情報を探ることとなった。

亜人のコミュニティを探し出し、そこに潜伏して情報を騎士団と教会に売った。

せめてもの償いとして、亜人達にそのことを伝えて逃げるように言った。

やっていることは二重スパイのようなものだった。

こんなこと、私の偽善でしかない。

本当の善なら、最初からスパイ活動などしないのだから。


スパイ活動を続けていると、騎士団長から直接依頼を受ける機会が増えた。

高圧的で差別的な、最悪の男だった。

こんな男がレクスの上司なのかと思うと、彼が心配になる。

一度だけ、レクスという騎士を知っていますかと聞いたことがあった。

すると、騎士団長は私の頬を拳で殴り、怒号を飛ばした。


『そんな奴など知らんッッッ! 貴様のようなスパイ風情が、私に質問をするなッッ!』


私は恐怖でその場から動けなかった。


教会からは暗殺術を覚えさせられた。

なぜ教会が暗殺を教えてくるのか、訳がわからなかった。

怖くて聞けなかったし、知りたくもなかった。


そんな地獄の日々も、唐突に終わりを告げた。

王都の人間が全員消えたという。

私はスパイ活動のため、王都から離れていたのだけれど、黒の剣という暗黒騎士の活躍のおかげだそうだ。

私は噂でしか聞いたことないけれど、亜人に対して優しい騎士なのだという。


その騎士のおかげで、ユグドラ王国は崩壊して、帝国の属国になった。

亜人達も自由になり、窮屈さが無くなった。


だけど、私には吉報ではなかった。

元々スパイをしていたから、亜人達によく思われていないし、彼らの中に私が混ざれるはずもない。

それに、ユグドラ王国全体で人族が死んだということは、レクスもきっと死んでしまったのだろう。


泣きたい。

嘘だと思いたい。

もう一度会いたい。


けれど、レクスなんて人を見たという報告は全くなかった。

みんな、黒の剣とその仲間の亜人のことしか話題に出さない。

やはりレクスは死んでしまったのかもしれない。


私の心に、大きな穴が空いた。


彼がいないこの国に、もはやいる意味もない。

私はこうして初めて自分の足でユグドラ王国から出たのだった。


ケイオス国を選んだのは、亜人の移民が多いから。

治安は少し悪いけれど、ユグドラで迫害された日々に比べると天国だった。


そして、再び天国から地獄へと落ちた。

私の人生は、何度這いあがろうと決して地獄から抜け出せない運命だった。


騎士団長が生きていた。

異形の姿となり、意識も混濁しているけれど、確かに騎士団長だった。


『私にはやり残したことがある。黒の剣への復讐と、邪神様への供物だ。協力してくれるよな? セラ』


その笑みは、私の自由を奪うには十分すぎるほどの恐怖を含んでいた。

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