第25話 元暗黒騎士はほっぺにキスされる

 事件は唐突に起こる。それはローレシアが風呂に入った時に起きたことだった。


「レクス、すみませんがお風呂の使い方がわかりません。教えてくれませんか?」


 聖女様に呼び出されれば俺はいつだって駆けつける。たとえそれが風呂の時間でも、呼ばれれば馳せ参じるのが俺である。

 だがこの時、俺は考えるべきだったのだ。ローレシアが風呂にいるということは、裸である可能性があったということに。


「はいはい、何か聞きたいことでも……ってうおっ!」


「え、あっ……! レ、レクス! 見ないでください! 見ちゃダメです! 今何も着てないので!」


「す、すみません! すぐ出ていきます! 失礼しました!」


 よくある。よくあるお風呂ハプニングだ。いや俺はこんなの漫画やアニメでしか見たことないが。

 まあ男女が一緒に暮らすということは、当然こんなハプニングが起こり得るわけで。いや、アリアスとこんなイベントは起きなかったな。


「見てしまった……」


 ローレシアの裸がしっかりと脳内に記録されてしまった。忘れようと思っても、なかなか俺の脳内メモリーから削除されない。

 普段は大人しい服装で目立ってなかったが、ローレシアの裸はさながら芸術品のような美しさだった。


 いや、素直に言おう。


「でっか……アリアスと同じくらいでっか……! あの体で聖女は無理だろ……」


 見てしまったものは仕方がない。俺は別に清廉潔白な人間ではないのだ。ラッキースケベ上等、儲け物と思っておこう。

 第一俺はローレシアに告白して受け入れられている。裸を見ることに何の躊躇いがあろうか。


「なんか言い訳してるみたいだが、俺は悪くない。悪くないな、うん」


 結局ローレシアに風呂の使い方を教えることは出来なかったが、温かい湯船に浸かるだけでも疲れは取れるだろう。

 シャンプーやリンスの使い方はアリアスに教えてもらうように頼んでおこう。


 そういえばローレシアの裸を見た時に、大きな痣があったな。

 怪我で出来たものではなく、何かの紋章のような見た目だったが、あれはなんなのだろう。

 どこかで見た記憶があるのだが、思い出せないなら大したことじゃないのだろう。


 ◆◆◆


「ふぅ……涼しい」


 俺は縁側で酔いを覚ましていた。死の大地と呼ばれるここマヤトは、夜でも蒸し暑い。

 夜風に吹かれて気分を落ち着かせるなんてことは出来ず、ひたすら蒸し暑い。

 だから俺は扇風機と氷魔法を合体させて冷風を浴びていた。エアコンでいいと思うが、たまには外の風を浴びたいのだ。

 まあ扇風機と氷魔法で作った冷風が外の風と呼べるのかは怪しいが……。


 ちなみに扇風機はこの家に備え付けられていたものだ。これも魔力で動く魔道具らしい。

 コンセントがないから、前世の扇風機よりも使い勝手がいい。死の大地だと扇風機よりエアコンの方が重宝するから出番は少なそうだ。こういう時に使っておかないとな。


「この家に縁側があるなんて意外だったな。前世の実家には無かったのに」


 俺の実家は普通の一軒家だった。縁側なんてものは無く、庭も狭い家だったはずだ。

 だがダークマターで作ったこの家には、何故か縁側がある。おそらく俺がこの家を作る時に、祖父の家をイメージしたのが原因だろう。

 玄関から見たら前世の実家そのままなのだが、実際に家に入ると想像よりずっと広い。縁側のあるこちら側は祖父の家そっくりで、なんだか幼い日を思い出す。ノスタルジーってやつだろうか。


「田舎の家って感じがして、縁側があるのは風流を感じるな」


 もっともこの暑さだ。縁側を使う機会は少ないかもしれない。

 今のように冷風を作れば多少はマシだろうが、エアコンの方が使い勝手がいいし。


 月を見ながら酒を飲んだりしたら美味そうだな。あ、そんなことを考えてたら酒を飲みたくなってきた。


 アリアスはワインをがぶ飲みして、もう寝ている。今なら俺だけ酒を飲んでもバレないだろう。


「【ダークマター】発動っと。月を眺めて日本酒を飲む。うん、中々雰囲気があるな」


 俺は日本酒が特別好きという訳じゃない。だがこうしてゆったりとした時に飲んでみると、不思議と美味しく感じる。

 前世で美味しく感じなかったのは、仕事や環境が悪くて酒を味わう心の余裕が無かったということだろうか。


 ちびちびと日本酒を飲んでいると、風呂上がりのローレシアがやってきた。着替えを用意しておいたが、パジャマがよく似合っている。かわいい。


「お風呂、気持ちよかったです。今日一日の疲れが全部取れた気分です」


「そうですか。ローレシア様はこれまで大変でしたから、その疲れが少しでも癒されたならよかったです」


 ローレシアは俺の横に座り、冷風を浴びて気持ちよさそうにしている。風に靡く髪が月光に照らされて、美しく輝いている。


 そんなローレシアを見ながら酒を飲む。うん、美味い。


「いいですね……ここは静かで、夜空が綺麗です。人がいなくて、世界に私達だけしかいないような気がします」


「アリアスが寝室で寝てますけどね」


「ふふっ、そうでしたね。アリアスさんはとても優しい方ですね。素敵な女性です」


「ええ。俺なんかと一緒に死の大地で暮らしてくれる、凄いいいヤツですよ」


 本当にアリアスには感謝しかない。もし俺が一人で死の大地に放り込まれたとして、果たして生きて行けたか怪しい。肉体的には平気でも、精神的にはかなり疲弊しただろう。

 素敵な女の子と一緒に暮らすと生活の質が上がる。毎日を快適に過ごす究極のライフハックと言える。

 だがそれはアリアスだけでは無い。ローレシアも同じだ。俺が今、こうして夜風に当たるなんてカッコつけた行動を取っているのも、ローレシアを助けられたという達成感で舞い上がっているからだ。


「もちろんローレシア様も素敵な女性ですよ。暗黒騎士時代からずっと、俺の憧れでした」


「もう、レクスったら……そういうことを言われると、照れちゃいます……」


「俺だって酒を飲んでなかったら言えませんよ、こんなこと」


「……たまには言ってほしいです。お酒を飲んでない時も」


 きゅんとした。今のは凄まじい威力だった。

 照れながら遠慮がちの上目遣いでおねだり、禁止カードだろこれ。強すぎるからナーフしろ、いやするな。


「そうですね、これからはいくらでも時間はありますから。俺がどれだけローレシア様のことが好きか、言葉だけじゃなく行動でも示しますよ」


「ええ、私もレクスのこと……好きだということ。いっぱい分かってもらいますからね」


 お互い凄く恥ずかしいことを言っている。だがそれでいい。ラブコメというのは恥ずかしい台詞を言ってこそだろう。あれ、俺の目指す異世界ハーレムスローライフってジャンル的にはラブコメなのか?


 まあいい。俺の気持ちは伝えたのだ。恥ずかしいのも含めて、酒を飲んで楽しんでしまえ。


「……考えられませんでした。こんな生活が待っていたなんて。昨日まで死ぬことばかり考えていましたから。世界がガラリと変わってしまったみたいでビックリです」


「これからもっと色んなことが待ってますよ。俺の目指すスローライフは、ローレシア様が楽しんでくれることをいっぱいやる予定がありますから」


「ええ、楽しみです。……レクス、改めて助けてくれてありがとうございます」


「そんな、お礼なんて全然。俺は自分のやりたいことをやっただけです」


 ついでに元職場と上司に仕返しをしたからな。これで俺の溜飲も下がったというものだ。


「……………………」


 少しばかりの沈黙。ローレシアの顔をちらりと覗き見ると、彼女の顔は少し上気していた。風呂上がりだからだろうか。それとも酔いが回っているのか。


「ローレシア様、大丈夫ですか。少しお水を飲んだ方が……」


「あ、あの、レクス!」


 突然大きな声を出されて驚いた。ローレシア様がこんな声を出すとは、びっくりだ。


「その、ローレシア様って呼ぶのはやめて欲しいんです」


「え、でもローレシア様は聖女ですし。俺は暗黒騎士ですから」


「聖女としてじゃなく、普通の女の子になれといったのはレクスですよ。お互いもう、ただのローレシアとただのレクスです」


「確かに……それもそうですね。俺もあなたも、もう肩書なんて捨てたんでした」


「あ、敬語もダメです。アリアスさんに話してる時のように、私にも普通に話してください」


 それはまた、ハードルの高い要求だ。俺にとってローレシアは上司のような人間でもあった。アニメでよくいる、年下の先生的な属性なのだ。

 だが彼女がそれを望んでいるなら、俺も彼女に歩み寄る姿勢を見せるべきだろう。何より俺ももっとローレシアと距離を縮めたい。


「わ、分かったよローレシア……これでいいか?」


「うふふ……やっと読んでくれました〜レクスゥ〜」


 やっぱり酔ってるのかもしれない。

 やめて、抱きつかないでくれ。当たってる、胸が当たってる。正直言うと嬉しいが、酔っている人相手だと罪悪感が……!


「これからは、レクスと一緒に暮らせるんですね」


「そうだな。キツイこともいっぱいあるだろうけど、それでも俺はローレシアと一緒にいたい」


「うう〜……嬉しいです……レクス、私のこと、もう置いていかないでくださいね。絶対ですよ」


 そういうとローレシアは俺の頬にキスをして、縁側から離れて行った。


「お、おやすみのキスです!こ、恋人や夫婦はこういうことをすると聞きましたので!お、おやすみなさい!」


 まったく、今までどれだけ抑圧された環境で育ってきたのやら。彼女も普通の女の子、こういった可愛い面もあるのだ。

 俺はキスされた頬を指で撫でて、夜の月を肴にもう一杯酒を飲むのだった。


 うん、甘酸っぱい味がする。

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