難度、三・「黒い孔」時満ちて

「貴゛様゛ァ゛!゛!゛!゛」


 優雅さや貴族らしさ、その全てを捨てた獣が牧場に襲いかかる。


「なっ、速─────────」


 牧場が避けるよりも速く、拳が到達する。殴られた瞬間に音が引き伸ばされていった。


「ぐぁあっ!」


 牧場が吹き飛ばされながら周囲を確認する

 舞い散る瓦礫や、空気の流れの一つ一つが目指できるほど、自分の視界が


「ぐっ…なりふり構わんくなったか!」


 牧場は前を見る。目で捉えたデリップは奥歯を噛み潰さんとする勢いの歯軋りをしていた。


「愚民、貴様だけは殺してやるぞ…!!」


「おい、貴族らしさの欠片も──────」


 周囲の景色がする。

 否、

 デリップが能力を解除したことに気づいて正面を見据える。

 そこにはデリップが迫っていた。

 速いが、明らかに速度が落ちている。牧場が捉えられない速度では無い。


「能力にインターバルがあるんやろ…!?」


 そう言いながら、カウンターとして牧場は拳を直線上に打ち出す。


「馬鹿が…」


 デリップは吐き捨てる。

 拳が当たるその瞬間、デリップの速度は物理現象に背く不可解な加速をした。

 その状態で目の前から消え失せる。

 同時に、背中に対してデリップの左ストレートが炸裂した。


「かっ…!?」


 再度、己の意識が加速する。

 その状態で地面に転がり、デリップが迫る。

 地面に転がった牧場を蹴り上げた。


「があっ…」


 浮き上がった顔面を掴み、デリップは力強く、何度も地面に打ち付けた。


「死ね、死ね、死ね、死ね、死ね──────」


 インターバルを経て加速、そして減速。再度加速、再度減速、加速、減速、加速、加速、減速、加速、減速、加速、減速────────


 それを何度も繰り返し、牧場が牧場と解らなくなった頃。

 現実の時間にして9分程が経過したくらいだろうか。最も、加速と減速を繰り返した牧場にとっては1時間超の拷問であったが。


「しぶといな、愚民が」


 放り投げられて、ベチャッと地面を転がる。

 牧場の顔面がぐちゃぐちゃになった程度で済んでいるのは、当人が最大出力で身体強化を施していたからに他ならない。

 もしコレが宮下や風間なら、既に死んでいた。

 彼にはそれなりの実力があった。

 彼は組織内でも中の上から上の下の力を持っている。宮下の貴重性ある能力の護衛、それを任されるほどには彼は強いのだ。


 それでも圧倒的に叶わないのは、単純に戦闘能力と体内エネルギー量さいのうの差がである。

 視界など無くても半殺しにされてしまう程の差。


 どうしようもなく埋まらない実力差と死にかけた風体で、牧場は考えていた。


 ──────まだ、時間を稼がねば。と


 フラフラと彼は立ち上がる。

 血まみれになったその状態で、気合いで立ち上がったのだ。


「…殺すんだろ、こいよ」


「愚民が」


 デリップの拳が高速で迫る。今の牧場にこれを避ける気概も、受け止められる肉体も無い。

 当たれば即死。死の拳が彼に直撃しようとした、まさにその瞬間。


 


 強風。一般家庭なら留めていた洗濯物が吹き飛ぶ程の大きな風。

 それが彼らの間を吹き抜けたのだ。


「…?」


 デリップは拳を打ち出すその瞬間、止まって周囲を見渡す。

 彼の顔面は、まるで有り得ないとでも言いたいような表情だった。


「何をした、貴様」


 彼の声は怒気に満ちていた。

 今の彼は、本来なら有り得るはずのない事象を目の前で起こされ、受け止めきれず発狂する人間のソレだ。


「何をした貴様ァ!!!」


 牧場はそこで、全身の力が抜けていく。

 まるでひと仕事した、と言わんばかりに彼はフラッと倒れて行った。

 ただ、一言。


「よかった、


 そうやって言い残して。


 ********************


「……ちょい頑張れるか?」


「え?」


 牧場は宮下の肩に手を置き、懇願する。

 それと同時に彼は、後ろにある不可視の壁を指さした。


「コレに、【遡及リバース】使ってくれへん?」


「…えぇ!?」


 牧場の提案に、宮下は驚いた。

 彼女自身、能力の実験で倒壊した家を戻したりビルを戻したりもした。

 しかし、直径400メートル。高さ不明の半球を戻すなど、やった事は無かったからだ。


 やる事自体、恐らく可能だ。しかし対象サイズにより、戻す為にかかる時間は変動する。

 コレが何分かかるかなど、想像もつかない。


「ビル戻した事あったやろ?ってことはコレも出来ひんかな?」


「えぇ、と。多分、多分できます。でも…」


 そう言うと、牧場は聞き返した。


「なんか問題ある感じか?」


「いえ、恐らく時間が掛かります。15分くらい…ですかね…」


 牧場はそれを聞いて顔を煌めかせた。15分!それなら今すぐやってくれ、と。

 しかし、宮下はそれを遮るように、もうひとつの欠点を話す。


「能力で構築された物体を戻したことがないんですけど…多分、気付かれる気がします」


「あ〜、なるほどなぁ」


 そう、最大の欠点。

 能力が外部から能力を操作される、というのは自分の神経の中に誰かが手を突っ込んで来るの同義。

 それなりに気付く事なのだ。


「今からでも電波を確率する方法を───」


「つまり、15分間は時間を稼げばええんやな?」


 牧場は提案をバッサリと切り捨て、自身の意見を通す。

 彼自身、この時点でデリップと呼ばれる存在に自分が勝てるとは思っていなかった。


「…………え?」


「15分稼ぐ。出来るか?」


 彼は宮下に問いかける。出来なければ、全員死ぬぞという圧をかけて。


「…………わかりました。やれるだけ、やります」


「OK。ほな、電波通じたらイヤホンでこう言ってくれ────────」


 *********************


「───────何者だ」


 デリップは狼狽えていた。

 空から降ってくる、あまりにも強大な反応に。

 彼は今まで、周囲の体内エネルギーを捉えて、それを視界の代わりとしていた。

 彼の肉体にはそれが出来る機構が備わっている


 しかし、それを狂わせる強大な反応。

 強制的に能力が解除され、その後1分。

 突如として上空に現れた、強大な反応が埋めつくしたのだ。

 上空から降り、周囲にある反応を全て塗りつぶして行く恐怖の存在。

 その何者かに、怯えていたのだ。


「…ッ、何者だァ!!!」


 上空を見る。しかし、今の奪われた彼の視界ではを捕える事は出来ない。


「あとは、頼み、ました。一ノせ………」


 牧場が小さく呟き、意識を完全に失った。

 同時に、上空から振る彼女がそれを受け取ったように叫ぶ。


「生きてるかぁッ、少年!!!」


 一ノ瀬いちのせ つばさが、戦場に降り立つ

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