【ORIGIN 】

 深緑のパーカーを着た男が夜道を歩いていた。

 視線を悟らせぬよう、フードを目元まで深く被り極限まで不振な挙動を抑えている。

 時刻は深夜1時。陽の光が完全に届かなくなった宵闇に紛れ、男はいつもの実験を始めた。


 目をつけたのは、顔を赤くしたスーツの男。


「…っと、すみません」


 道行く人にぶつかる。その瞬間、男は半開きのバックの中を目に焼き付けた。


「ぅあぁん?ぅあぁ〜きぃつけろぉ」


 身の引き締まったスーツとは相反し、相手の男はだいぶ酔っているようで呂律が回っていない。

 互いに気にしていないのか、それだけの会話を交わすと互いに歩き去って行った。


「………居ない、な?」


 パーカーの男は振り返る。先程ぶつかった相手が見えなくなったあたりで外壁へと寄りかかった。


「すぅ─────、ふぅ───────」


 緊張しているのか、深く息を吸って吐く。そして右手を広げた。

 掌を見つめると、男は呟く。


「───────【】」


 男の手元に、突如として茶色の革財布が現れた。

 なんの前触れもなく最初から彼の手の中にあったかのように、ポンと現れたのだ。


「…よし」


 深夜の宵闇で男はガッツポーズをとる。

 財布を手に、先程より明らかに軽い足取りで駅の方へと向かっていった。

 駅に辿り着くと、深夜でもまだ明るいままの施設がソコにはあった。

 扉を開け、男は叫ぶ。


「すんませ〜ん」


 奥から人が出てくる。青いシャツのような制服の上に、防弾チョッキのようなものを羽織った男だ。


「はい、どうされましたか?」


 出てきた男は警官だった。にこやかな目線で、フードを被った男を見つめる。

 男は交番に立ち寄っていたのだ。


「帰りがけに財布を見つけたんスよ。あっちの…ローソンの方で」


 男は交番の中で堂々と演技を始めた。まるで、慣れているかのような嘘の付き方。

 そのまま、茶色の革財布を手から机の上へ突き出す。


「これっス」


 警官は財布を手に取る。じっくりと見回し、中を開いた。

 身分証の類を確認し、財布の中身が手付かずの事を確認する。


「あぁ、これはどうも。えぇと…はい。ありがとうございます」


 すると、男は再度演技を始めた。


「すんません、バイト帰りで疲れてて。もう帰っていいですか?」


 警官は少し悩んだようだった。が、財布の中身が一切手を付けられていないため、にこやかな笑顔でそれを承諾する。


「ハイ、大丈夫です。ありがとうございました」


「うーす」


 男は何事もなく、そのまま交番から出た。


 ********************


 日が昇り、朝が来た。

 交番には朝日が差し込み、電気が消える。今日は土曜日の朝6時。

 髪の毛が爆発したままのスーツの男が飛び込んできた。


「すっ、すみませぇん!!」


 スーツの男は大きく叫ぶ。緊急性のある用事のようだ。

 それに気づいたのか、小走りで警官が現れる。


「財布の電話をっ、もらってぇっ、あのっ、茶色のっ、財布の落し物!」


「落ち着いてください。茶色の長財布ですね?少し待っていてください」


「ありがとうございます…!」


 男は奥の方へと続く扉を開け、保管する金庫のある部屋へと入る。


「7…6、1…2と」


 パスワードを打ち込むと、ピピと音が鳴って金庫が開く。

 警官は金庫を開けて中を覗いた。

 しかし──────


「…………え?」


 金庫の中には

 警官は冷汗を垂らす。保管していた遺失物を交番が無くした、となれば始末書所では済まない。

 届出があってからから約5時間、この部屋の中には誰も入っていない。


 警官はとりあえず状況を誤魔化そうと神妙な面持ちで表へと戻る。


「…お待たせしました」


「すみません、そちらも忙しいのに…」


「いえいえ、遺失物をお渡しする前に少々お伺いしたい事があるのですが…」


 警官はひたすら頭を回す。どうにかこの場を切り抜けなければならない。しかし、日勤の先輩に報告をすれば人生が詰むことは間違いがない。

 その責任と重圧の中、言葉を絞り出した。


「ええと…ああ、何処で落とされた…とか心当たりありますか?」


 そう言うと、目の前の男は目を見開く


「落としたんじゃありません、盗まれたんですよ!」


 スーツの男は顔を赤くして机を大きく叩く。

 残念な事に、彼はプライドが高かった。

 学生時代、虐められていた経験から一転。社会人としては成功体験を味わい続けた彼は、他人を見下すようになってしまった。

 その為、自らが失敗する事などありえない。そう思い込んでいたのだ。


「昨日はフード被った男とぶつかったんです!そいつが盗んだんですよ!」


「………はあ」


 警官もこの豹変ぶりには驚いた。目を丸くして、何故?と言わんばかりに呆れている。


「ええと…状況を整理しますね?貴方は財布をどちらに置かれていたんですか?」


「このバッグの中ですよ!しかも奥の方のポケット。だから、落ちることなんて無いんです!」


 顔を真っ赤にして叫ぶ彼の顔を見て、警官は呆れ返る。

 態度にこそ出ていないが、顔の節々からは薮を突いてしまったという後悔が滲み出ている。

 しかし、彼の言うことが事実なら警官は窃盗事件としてそれなりの書類を書かなくてはならない。

 そのため、話だけは真面目に聞いていた。


「な…るほど。ではそのバックのポケットを見せて貰えますか?」


「いいですよ!ほら……………………」


 互いの時が止まった。

 警官とスーツの男、その双方が開いたバッグを互いに覗き込み、動揺の余り目を見開いて固まったのだ。


「「え?」」


 ビジネスバッグの内側、その側面に縫い付けられたポケットの中には、


「あの、えっ、財布…ありますね?」



「は?いや、…ん?え、交番に届いて…え?」


「いや、届いてます…ね。その財布」


「私の財布…ん?あの、落としてある財布見せてもらっても…?」


 警官はそこで気づいた。今ここで財布が無ければ遺失物紛失に気づかれる、と。

 警官人生約2年。その微妙に長い歴から彼が咄嗟に捻り出した対応は───────


「あ、あれっ!?な、なくなってるう!」


 あまりに酷い大根演技だった。



 この数分後に、怪しんだスーツの男によってこの件は明るみになる事となる。


 *******************


 2人の威圧感ある男が一室で話し合う。

 その様相は、あまりにも威圧感を放ちすぎていた。


「……遺失物喪失?」


「余りに件数が多くてな。かと…」


 例外案件、その言葉が出た空間は一気にピリついた。


「警察としては恥も良い所なのだがな…」


「交番を狙い撃ちしている能力者…ってことですか?大胆ですね」


 スポーツ刈りの男が、老けた威圧感ある男に返す。しかし老けた黒スーツは苦虫を踏み潰したような顔をした。


「いや、それがだね。実害が出ていないんだ」


「は?」


 実害が出ていない、という言葉にスポーツ刈りは困惑を吐き出す。

「例外案件」という言葉にピリついた空気は、一瞬にして瓦解した。


「ウチも人員が少ないんで実害ない所に出す余裕はないというか…」


 権威の為に割く人材などない。スポーツ刈りの男は遠回しに断りを入れる。

 しかし老獪な人間にソレは通用しなかった。


「まあまあ、そう言わずさ。頭の片隅に置いておくだけでもいいんだ。ほら、書類だ。頼んだよ」


 スポーツ刈りの男は一方的に書類を押し付けられる。そのまま、老けた男はいなくなってしまった。


「署長!?あぁっクソっ…」


 小さな悔しさが部屋に響いた。


 *******************


「っ…ふぁ………」


 制服を身に包んだ男が朝の街道を歩いていた。

 朝日を身体いっぱいに浴び、体を伸ばして背伸びをすれば大きな口で欠伸をする。

 時刻は朝の7時。陽の光は登り、学校に行くという憂鬱を引き下げながら駅へ向かった。


 目に付いたのは、駅近くの交番。


「ん?」


 交番の前には大量のマスコミが集まっている。大声で何かを喚きながら聞き正していた。


「遺失物紛失の件について──────」


 リポーター達は小綺麗な格好とは裏腹に、顔面を真っ赤に染めて叫んでいる。

 醜くも、我先にと質問を通す為に声を荒らげているのだろう。


「…バッカみてぇ」


 呟くと、制服の男は振り返る事なく素通りして駅の中へと入っていった。


「あーーー、寝みぃ」


 吐き出す息と一緒に、男は小声でつぶやく。この倦怠感はいつまで経っても慣れそうにないようだった。

 前はこんなこと無かったのにな。新鮮ではあるけど…などと考えつつも、自身の行動を振り返っては後悔している。


 そんなことを思う内に、電車が到着した。


「───うし、行くか」


 今日も一日が始まるのだ。

 俺という人間の、新たな一日が。


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