とある遊び人が死ぬまでの話

梅崎雨

とある遊び人が死ぬまでの話

⬛︎皇神暦1054年某日・魔王支配域深部・『伏魔殿パンデモニウム』跡

 

 

「駄目っ! そんなの絶対駄目だよっ!」


 少女の泣き叫ぶ声が、崩れかけた伏魔殿パンデモニウムの虚しく佇む不毛の大地に響き渡る。

 激戦の痕跡は未だ色濃く残されたまま。

 魔王は既にたおれ、俺達勇者パーティーはそのまま王都へと凱旋する――――そのはずだった。


 


わりぃな、プリシラ。でも安心しな。お前ら二人は無事に帰れるさ。


「っ!? ディル、何言って――――」


「三人で帰るって約束、守れなくてすまん。後は二人で仲良くやってくれ」


 傍らで苦しげな表情のままこちらを睨め付けているに俺は冷ややかな目を向けた。反撃の機会を窺っているのか、俺が短剣の刃を首元に押し当てた時から微動だにせず沈黙を貫いている。


 傍から見れば圧倒的に俺が有利な状況だが、実際のところ勝率はよくて二割。条件次第では一割を下回ることだろう。この刃を突き立てたと同時に、おそらく俺は死ぬ。

 全く、やってられねえな。悲しくなってくるぜ。まあ、アレか。これが詰みってやつなのかね。


「自分から詰みに行ったんだから文句なんて言えやしねえんだが」


「待って、待ってよディル!」


 目に涙を浮かべながら必死に懇願する少女。

 聖女プリシラ。俺の愛した人。できることならもっと長く、お前と旅をしていたかった。

 でも、こんな小さな願いすら、俺みたいな脇役には叶える力がないみたいなんだ。


 ああ、本当に。


「どうして、こうなっちまったんだろうなぁ…………」

 ほろり、と涙が一粒頬を伝った。

 

 



⬛︎皇神暦1052年某日・港町リスボーン・『西風の宿』1F

 

 

 勇者パーティーの出立から半年。

 その頃俺は既に聖女に心を奪われていたというのに――あるいは奪われていたからこそ――女の子を口説くのに夢中になっていた。


「なあシズク。俺ら付き合ってみね?」


「急に呼び出して何かと思えば…………お前は馬鹿なのか?」


「まあまあそんなこと言わずによ。一回だけ、な?」


「断る」


 俺のお誘いに対して辛辣な返しをプレゼントしてくれる彼女は、勇者パーティーの敏捷型ダメージディーラーで剣士のアサギリ・シズク。俺の仲間の一人だ。


 濡羽色の長髪に、襟や袖口を含めた何カ所かに赤い線があしらわれた白ベースの着物。さらには名家のお嬢様然とした品のある所作。対面に座ってこぶ茶を飲んでいるその姿の、なんとまあ絵になることか。


「馬鹿は死なないと治らないと聞くが、お前の場合は死んでも治らないんじゃないか?」


「ひっでぇ! でもそんな毒舌ところもかわい――――」


「一度試してみようか」


「まてまてまてまてっ! すまん! 俺が悪かった! その一度で人生終わりだから! 俺死んじゃうから! ねえ頼むからその物騒なもんしまってくれませんかね!?」


 彼女が腰の鞘から愛刀を抜くのを見るやいなや、俺は高速でスライディング土下座を決めた。ちょっと膝がヒリヒリするが命にはかえられない。

 命あっての女遊びだ。死んじまったら美女とヨロシクできねえのよ。これ常識な。


「やはり殺しておくべきかもな」


「なんでよ!? てか何お前エスパーなの? 何普通に心読んじゃってんの?」


「薄汚い欲望が顔に出てたからだ」


「マジかよ。でも安心してくれ。俺ってばまだ童て――――」


「死ね」


「ごめんって!!」


 長い黒髪がヒラリと踊り、シズクの刀が流麗な動作で振るわれる。

 キン、と彼女が刀を鞘に納める音が聞こえたと同時に、ハラハラと俺の前髪が地面に落ちた。って、え? 俺の前髪?


「のおぉぉぉぉぉぉっ! お前何してくれんだ! どうすんだよこのダッセェ髪型!」


 姿見に映った自分の前頭部の惨状を見て俺は悲鳴を上げる。


「パッツンだよ前髪パッツン! これじゃしばらく女の子とも遊べねえよ!」


 地面に這いつくばりながら抗議する俺を、シズクは冷ややかな目で見下ろして言った。


「自業自得だ変態ゴミ虫め」


「ぐっ、言い返せねえ…………」


 流石近接戦闘のスペシャリストだ。俺が斬られたことに気付けないとは、ここまで死線をくぐり抜けてきた奴らはやっぱ違うね。とか何とかテキトーなことを呟きつつ、俺はとりあえず立ち上がって席に戻る。


 少し遅れてシズクも席に戻ってきた。なんだかんだ言っても、まだ俺の話し相手をしてくれるつもりらしい。優しいやつだ。


「ごちそうさま。お代はここに置いておくよ。私は先に部屋に戻るから、後でまとめて払っておいてくれ」


 と思ったら違った。こぶ茶の残りを惜しんでただけだったわ。クソ。さっさと飲んで帰りやがったぞアイツ。

 コツコツと足音を立てながら階段を上っていくシズク。その後ろ姿を眺めながら、俺もコーヒーを一気に流し込もうとして、


「あ」


 気づいた。置かれた硬貨は銀貨が二枚。一人分の代金にしてはいささか多い。なんなら二人分の飲み物代を払っても少しお釣りがくる額だ。


「あいつ、俺の分まで置いてきやがった…………」


 金額を間違えたという訳ではまさかないだろうし、彼女の意図は明白だった。

 すなわち――――お前に奢られる筋合いはない、と。いやでもさ。


「口説いてた女の子に奢られる男って、どうなのよ…………」


 喉元までせり上がってきた何とも言えない感情を苦い液体と一緒にどうにか飲み込む。

 全く、調子が狂うぜ。俺みたいな軽薄な野郎はテキトーに扱って食事代まで奢らせるべきだろうに。


 いや、シズクが言いたいのはそういうことじゃないんだろうってのは分かるんだけどな。

 やっぱりあいつの真面目な性格がそれをさせないんだろうか。


「ま、ここはありがたく頂くべきか…………?」


 それはないだろうよ、とすぐに思い直して俺はコーヒーの残りを一気に喉奥に流し込んだ。

 異世界人が持ち込んだこのコーヒーとかいう飲み物は、グダグダと迷宮に迷い込みがちな俺の思考を一気に現実に引き戻してくれる苦味があって、数年前からかなり重宝させてもらっている。


 なるほど、こりゃあ人気が出るわけだ。世の中には俺みたいな腑抜けたやつがたくさんいるんだから。

 カウンターまで行って懐から取り出した十枚ちょっとの銅貨で会計を済ませ、その足で階段を上る。


 部屋に戻る途中でシズクの部屋をノックし、返事がなかったのでそのまま扉を開いた。


「シズク、いるか?」


「なっ、なにを――――」


「おっと着替えてたか? 悪い悪い」


 眼福…………じゃなかった。なるべく部屋の中を見ないように気をつけつつ、麻でできた小袋に銀貨を二枚ぶち込んで部屋に投げ入れる。


「ばっ、お前――――」


 なんか扉を閉める直前まですごい罵詈雑言が聞こえていた気がするが、気にしたら負けだろう。


「それにしても白か。なかなかいいセンスしてるな」


 そう呟いた直後、部屋の中からガタガタと物音が聞こえて妙な金属音が響いた。

 おい待て、まさかそれ刀じゃないだろうな。

 俺は首を刎ねられる前にさっさと自分の部屋に戻ろうとして、立ち止まった。


「やあディルムッド。休暇は満喫できてるかい?」


 勇者がそこに立っていた。聖女を連れて。


「やっほ~、ディル。どしたの? 屍人リビングデッドみたいな顔して」


 俺は努めて冷静に返す。


「よおアレス、おかげさまでな。あとプリシラ、それは元からだ。悲しくなるからやめてくれ。で、お前らは…………これからデートかよ?」


 プリシラがアレスの腕にくっつく形で傍に立っている。

 二人ともお洒落しちゃってよ。

 それはどっからどう見てもこれから街にデートに行くカップルの出で立ちだった。


「ははっ、そんなんじゃないよ」


 とか言いつつ満更でもなさそうな反応を見せる。そんな勇者に対して聖女が不服そうに唇を尖らせて、


「けっ、いいご身分だこって。ま、せいぜい楽しんでこいよ。せっかくの休暇なんだからな」


 俺は、本心からの言葉に少しだけ意地の悪さを混ぜて言った。

 嫌味に聞こえたかもしれないな。でも俺はそれぐらいで丁度いい。

 返答を待たずに自分の部屋へと歩を進め始める。


「ディルムッド、君もしっかり休んでおいてくれよ? 明日の朝には四人揃って旅を再開できるようにさ」


 だが、こんな俺に対しても勇者は変わらず勇者で在り続けてくれる。

 少しだけ自分が嫌になった。


「…………おう」


 小さくそう返した時、二人は丁度階段を下っていくところだった。

 その髪型似合ってるね、と思ってもいなさそうな褒め言葉がプリシラから届く。

 俺だって好きでこんな髪型でいる訳じゃねえよ。

 二人が並んで歩いているのを見ていると、嫌な感情が湧き上がってくる。


「負け犬は負け犬らしく、大人しくしてますよっと」


 そう、俺は負け犬なのだ。初めから勝負にすらなっていないのだから、その言い方が正しいのかは分からないが。

 勇者と聖女、お似合いじゃないか。末永くヨロシクやってくれ。

 そういう結末なら俺は文句なんて言わないから――――


「はあ、やめだやめ。こんなこと考えてたってどうにもならん」


 頭を振って、歩き出す。

 らしくないだろ、こんなの。難しいことなんて何も考えてない軽薄で無乾燥な遊び人。それが俺。それ以上でもそれ以下でもない。

 これまでもそうして上手くやってきたじゃないか。変わる必要がどこにある?


 人気のなくなった宿の廊下で一人、俺は

 ガタン、と丁度どこかの部屋の扉が閉まる音が聞こえたが、俺がそれを気に留めることはなかった。

 

 

⬛︎

 

 

「ばかやろう…………」

 

 

 


⬛︎皇神暦1053年某日・商業都市ハーン・『ウルフベック商店街』

 

 

 人で賑わう商店街の一角にひっそりと構えられた占い屋。おそらく占い師だろうと思われる怪しげな格好の老婆が店を構えるその目の前に、これまた怪しげな格好の男女が二人立っていた。

 何を隠そう、俺とシズクである。


「それで? プリシラがアレスと出かけて暇になったからって、私を追いかけてきたのか?」


「不満そうだなお嬢さん」


「当たり前だ。他の女の代わりにされる私の身にもなってくれ」


「え、じゃあ俺がお前に一途になったら付き合ってくれるってこと?」


 スパンッ、と返事の代わりに斬撃が飛んだ。


「可愛げがねえなぁ……」


 もう何度も繰り返したやり取りだ。いい加減俺も慣れてきた。両足はガクガク震えてるが。あ、やべえチビりそう。


「私に可愛げを求められても困るぞ」


「そんなこと言ってるからモテないんだろ?」


「宿に送られてきた『らぶれたー』とやらは一昨日の晩に百枚程斬り捨てたが?」


「えっ、マジで? なにそれ俺そんなの届いたことねえよ?」


「届かない方が楽でいいじゃないか」


「お前はそうかもな! でも俺は女の子と遊びたいの!」


 俺がそう言うと、シズクは眼光を鋭くして視線を少し下に向けた。丁度俺の下半身の辺りに。


「被害者が出る前に、やはり私の手で斬り落としてしまおうか」


「まって。どこ見て言ってんのそれ!?」


「安心するといい。なくても生きていけるさ、たぶん」


「自信なさげだなオイ! てか生きてけねえよ! やめてくれ!」


「すまない『断穹だんきゅう』。このような汚物を斬らせることになってしまって…………」


「やめろ刀抜くな。あと汚物言うな。勘弁してくれお願いします!」


 プライドをかなぐり捨てて公衆の面前で地面に頭を擦り付ける俺。


 ちなみに『断穹だんきゅう』とはシズクの愛刀の銘だ。そらつ剣。

 彼女はそれによって、空間を越える斬撃を放つことができる。単純そうに聞こえるがこれはとんでもないことなのだ。剣の技量だけで言えば勇者なんか比にもならないだろう。


 そしてその絶技が今、俺の股間に向けて放たれようとしていた。服を着ていたところで関係ない。シズクの腕前なら空間を飛び越えて本当にソコだけ斬ってみせることだろう。

 やばい、想像したらなんかヒュンってしたぞ。


「いざ――――」


「死ぬから! ほんとに死んじゃうからね!? 勇者パーティーの一員が仲間に股間斬られて失血死とかどんな冗談だよ!」


「プリシラに治してもらえばいいんじゃないか?」


「なお悪いわ! そんなことしたら社会的に死ぬじゃねえか!」


「覚悟!」


「おいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」


 俺は思わず目を瞑った。

 ズガァァァァァァンッと轟音が商店街の空気を揺らす。

 俺の股間にダメージは――――ない。であればその音の発生源はシズクでもなければもちろん俺でもなく。


「うるさいよ! クソガキどもっ!」


 果たしてそこにいたのは、占い師のババアだった。

 彼女の前にあった長机は真っ二つに割れ、ついでに水晶玉なんかも粉々に砕け散っている。

 え、それあんたの商売道具じゃないの? そんなにしちゃっていいの?

 てか待てよ。もしかして今の爆音、この婆さんの台パンの音なの!?

 あまりの恐ろしさに俺が戦慄していると、自らの手で商売道具を粉々にしたアグレッシブ婆さんが物凄い剣幕でまくし立ててきた。


「あんたらがそこでゴチャゴチャやってるせいで、うちに客が入ってこないんだ! とっとと消えとくれ!」


 元々客なんて一人もいなかったけどな、なんて言えないので、俺は大人しく引き下がることにした。


「ああー、婆さん? 悪かったな。別にそんなつもりはなかったんだが――――」


「だいたい、なんなんだいこんな真っ昼間からギャーギャーと! この〈自主規制ピー〉と〈自主規制ピー〉が! あんたらみたいな元気の有り余ってるやつはねぇ、〈自主規制ピー〉して〈自主規制ピー〉した上で〈自主規制最大レベルピーーーーーー〉でもしてな!」


「……………………」


 開いた口が塞がらないとはこのことだろうか。最早俺達に勝ち目はなかった。

 強すぎだろこの婆さん…………。こうなったらもう仕方ない。


「おいシズク、逃げ――――」


 言おうとしたところで、俺は再び戦慄した。なぜかって?


「あなたはさぞ有名な占い師だとお見受けする。どうか一度、私のことを占っては頂けないだろうか」


 シズクが婆さんに話しかけてるからだよ馬鹿野郎!

 いやいやいやいや!? 何してくれちゃってんの?

 その婆さんキレてんだよ? お前に〈自主規制ピー〉とか言っちゃって激おこなんだよ!?

 なんで普通の客みたいな顔していられんの? 無理があるからね?

 堂々とした足取りで婆さんの前まで歩いていくシズク。

 もちろん、それを見た婆さんは――――


「なんだい。それならそうと早く言っておくれよ、嬢ちゃん」


 どこからか新品の水晶玉を取り出して、嬉しそうに顔を綻ばせた。


「いやどういうことよ!?」


 困惑した俺の声は人々の喧騒の中に吸い込まれて消え去った。

 

 

⬛︎

 

 

「ふぅ、充実したひと時だったよ」


「そりゃよかったな…………」


 なんかね、もう俺は疲れたよ。婆さんの占いは終始何言ってるのかよく分からなかったし。まあシズクはそれでも満足したらしいが。本当かね?


 ちなみに俺も占ってもらおうとしたが、俺の顔を見た婆さんが、

『随分ひどい運命を背負ってるんだねぇ。早いとこ厄祓いにでも行ってきな』

 とかなんとか言ってきたので断念した。

 いや占ってから言ってくれません? 絶対顔で判断したよねそれ。

 生ける屍みたいな顔の君には希望がないね、ってか?

 んなこと言われなくても分かっとるわアホ!


「まあそう悲観することもないんじゃないか?」


「いや俺何も喋ってませんけど」


「顔に出てたからな」


「またそれかよ…………」


 そんなに分かりやすいかね?


「というかむしろ、お前は口に出さない分本音が顔に出るんじゃないかと私は思ってる」


「どういう仕組みだよ。ってか俺はいつでも欲望に正直に生きてるぜ? 女の子と遊びたいなって」


 俺がそう言うと、シズクはその切れ長の瞳をそっと伏せた。長くて綺麗な睫毛をしばたたかせる。思わず見惚れてしまいそうになる、その濡羽色。


「――――だと、いいんだがな」


 何かを憂うようなその呟きは、夕空の赤に溶けてしまう前に俺の胸を強くついていった。

 え、いいの? とか茶化そうかと思ったが、そういう雰囲気でもない。


「……………………」


「もうすぐ日も落ちる。早く宿に戻ろう」


 シズクの真意はなんとなく聞けないままに俺はその言葉に従って、秋の寒空の下を歩き始めた。

 

 

 

 

⬛︎皇神暦1053年某日・アスモデウス支配域南部・『白牙の不夜城』最終階層

 

 

 高く積み上げられた絆というのは、たった一度の崩壊で取り返しのつかないところまで崩れ落ちるのが常というものだ。勇者パーティーとして旅をする中でそういった人々をたくさん見てきたし、それは生きていれば誰しもが経験することだろう。


 そして。俺達に限って言えばその崩壊の原因は、退と言える。


「すまない、私はもうお前達と共には戦えない」


 魔王直属の七人の魔族――――『〈災厄Ⅲ〉病毒のアルカイスク』を打倒した直後、未だ戦闘の興奮冷めやらぬ中で彼女はそう切り出した。


 一瞬、時が止まったようだった。誰もが動きを止めてシズクに視線を向ける。

 俺はなんと声をかければいいのか分からずに押し黙ってしまった。


「どうしてだい? 何か不満があるなら聞くよ?」


 口火を切ったのはアレスだった。


「申し訳ないが、アレス。そんなに簡単なことじゃないんだ」


「待ってくれ、せめて話を聞かせてほしい」


「話なら今した通りだ。私は今日限りでこのパーティーを抜けさせてもらう。ああ、もちろんお前達に迷惑はかけないようにするつもりだ。脱退理由は私の実力不足。書類上は追放という形をとってくれて構わない」


 淡々と告げるシズク。俺はそれに反応することができずにいた。


「そういうことじゃないんだ! 僕は君に抜けてほしくない! だから話し合おうって――――」


「なら尋ねるが」


 底冷えするような冷たさを纏った声で、シズクは言う。


「先の戦い、どうしてディルムッドではなくプリシラを優先して助けた?」


「…………は?」


 それはアルカイスク戦でのことを言っているのだろう。

 〈病毒〉の名を冠する三番目の悪魔アルカイスク。

 奴との戦いは熾烈を極め、戦闘職の二人と比べれば機動力がないに等しい俺とプリシラは、仲良く毒霧を食らって危うくお陀仏しかけた。

 シズクはきっとその時のことを言っているのだ。


「それは、彼女がヒーラーだからだよ。彼女の力があればディルムッドの解毒も容易だと判断したにすぎない」


「本当にそれだけか?」


「当たり前だろう! それともなんだい? 君はプリシラを助けなければよかったとでも言うつもりなのかい?」


「論点をすり替えないでほしいな。私が言っているのは、先に病毒を食らって一刻を争う状態だったディルムッドを無視して、どうして毒霧を受けたばかりのプリシラを先に助けたのか、ということだ。あと少しでも処置が遅ければ間違いなくディルムッドは死んでいた」


「それは…………気が動転していたんだ。目の前で仲間が傷付けられて冷静な判断ができなかった。全ては僕の責任だよ」


「そうだな。お前のせいでコイツは死にかけたんだ」


 シズクが俺を指さして言う。


「ねえ、シズク…………アレスだって悪気があった訳じゃないと思うよ。もうやめよ?」


 遠慮がちにプリシラが言ったので、俺も頷いた。


「そうだぜ、シズク。結局俺はこうして生きてるんだ。別にいいだろ?」


「いや、二人とも。それじゃ駄目なんだよ。私はパーティーのために言っているんだ。リーダーがこのままでは、いずれ取り返しのつかない破滅を招くことになる。私は、そんな不安定なパーティーでは戦えない」


 シズクは止まってくれない。

 なんだ、何がそんなにお前を駆り立てる?


「私はお前の在り方が気に入らないよ、アレス。パーティーリーダーなら?」


 そこでようやく、ああ、と腑に落ちた。やっとシズクの言いたいことが理解できた。

 つまるところ彼女はアレスに、こと戦闘において余計な感情――――恋愛感情のようなものを持ち出してくるな、と。そう言いたいのだろう。


 確かにそういった感情は判断を鈍らせかねないし、仲間を危険にさらすことに繋がるかもしれない。

 きっとシズクはそういうことを危惧しているんだろう。

 ああ分かるぜ、言いたいことはさ。でも違うんだ。それは違うんだよシズク。


「平等、か。君の言う通りだよシズク。おかげで気づくことができた。ありがとう」


「……………………」


 まるで表面だけを綺麗事で塗り固めたかのようなアレスの言葉に、シズクは僅かに表情を歪めた。


 ああ、そうだろうさ。だって勇者アレスはソレを。お前の言葉はソイツに届きようがないんだ。


 アルカイスク戦において俺とプリシラの命を天秤にかけ、その上で好きな人の方を選んだという事実を、その自らの思考の過程をまるで理解していない。

 自分がプリシラに向けている好意を――――シズクや俺が気づいているソレを、コイツ自身が自覚していない。


 別にそれが悪いって言いたい訳じゃないんだ。ただ、何に対してシズクが気に入らないと言っているのか、コイツは一つも理解できていないことだろう。

 だってアレスの中に、プリシラを優先して助けた、なんて事実はないんだから。


「アレス、君にも不快な思いをさせてしまった。申し訳ない」


「いや、いいんだ。お前にそんな気がなかったことは分かってる。だから、シズクも落ち着いてくれ」


「私は冷静でいるつもりだが?」


「…………そうだったか。悪い悪い」


 どうにか場を収めようと試みるが、上手くいかない。

 焦りだけが募っていく。このままでは取り返しのつかない何かが起こってしまう気がして。

 この状況をなんとかしようと、俺は脳をフル回転させた。


 どうすればいい? 問題点を洗い出せ。

 二人とも悪いことをしてる訳じゃない。ただ認識がズレているだけだ。


――――そうか、認識のズレだ。


 シズクの主張をアレスは理解することができていない。なのに――もちろんパーティーの雰囲気を悪くするのを嫌ってのことだろうが――理解しないままに受け止めてしまおうとしている。理解したフリをして話を終わらせようとしている。

 だからズレる。どうしようもなく。


 ならそこを俺が修正してやればいいじゃないか。

 そうすれば全部丸く収まる。何の問題も――――

 

「…………あ」

 

 全身から力が抜けるような感覚がした。

 まるで自分にはどうしようもないのだと、そう悟ってしまった時のような。


 違うだろ。それは駄目だ、ディルムッド。もう終わったはずの話だろ? どうして、今更そんなことを。

 でも、一度湧き起こってしまった感情はどこにも逃がしようがなくて。

 

――――俺は、最後のチャンスをみすみす見逃してしまったんだ。

 

「シズク。今日のことは僕が悪かった。二度とこんなことはないように気をつけるよ。だから、許してくれないか」


 アレスが定型句のような謝罪を述べる。そんなものには何の効果もないのに。

 俺はこれから起こる悲劇を予感しつつも、まるで他人事のようにその様子を眺めていた。


「でもさ、シズク」

 

――――ああ、やめろ。やめてくれ。そんな謝罪で全部元通りになったとでも思ったのか?

 

「君は?」

 

――――断じて違う。お前にはシズクの怒りがに見えたのかもしれない。でもお前は何も分かっちゃいない。その発言は、お前がシズクの言葉を全く理解していないことを自白するようなものだ。

 

「それってもしかしてさ、シズクはディルムッドのことが」

 

――――理解していなくてもいい。俺は分かってるから。ちゃんとシズクには俺が説明する。だから頼む。どうか、どうか、

 

「好きなのかい?」

 

――――黙っていて、ほしかった。

 


⬛︎

 

 

 は、恐ろしいほど静かだった。

 アレスの発言は、シズクに、自分の主張が彼に全く届いていないことを悟らせるには十分すぎたのだ。

 彼女はほとんど言葉を発さずに、静かに俺達に別れを告げて出ていってしまった。


最後に『すまない、みんな。私のような甘い人間はここにいるべきじゃなかったみたいだ』と、そう言い残して。

 

 それを聞いた時、俺は悟らざるを得なかった。

 ああ、シズクはちゃんと分かっていたんだ、と。

 自分の言っていることが理想にすぎないことも、それを押し付けた時に勇者がどんな反応をするのかも、全部。


 しかし、恐れていた事態が目の前で起きてしまった彼女は、堪えきれずに言ってしまったのだ。そうして予想通りの反応を返したアレスにやはり、理想に生きた彼女は落胆せずにはいられなかった。


 どちらが悪い、ということもないのだろう。

 アレスが色々と鈍感なのも別に駄目だとは言わないし、シズクの主張も同じく認められるべきものだ。

 ただ、巡り合わせが悪かったと言う他ない。


――――だから、誰も悪くない。そう結論づけることは確かにできる。

 

 だが、それを分かった上で言わせてもらう。

 


 だってあの瞬間、俺に覚悟があれば確かにアレスの発言を止めることができたはずなんだ。その可能性があったのは、俺だけなんだよ。


 全員の前で、『アレスはプリシラのことが好きだけど、それに気づいていないだけなんだ。だから許してやってくれ』と。そう言うことができていれば、アレスがあんなことを言うことはなかった。


 二人の間の溝を決定的にする一言は、生まれなかったはずだ。


 でもそのチャンスを、俺は見逃してしまった。

 俺がソレを言ってしまえば、アレスもプリシラもお互いの気持ちに気づいてしまうと思ったから。他人の恋愛に口を挟むべきじゃない、とかそういう綺麗な話じゃない。

 必要ならそれぐらいしたって構わないと思ってる。


 ただ、それによって、あの瞬間、どうしてか嫌に感じてしまったんだよ。

 口では負けた負けたと言っておきながら、心のどこかではまだありもしない希望に縋ろうとしていた、最低のクズ。それが俺だ。


 恋愛感情がパーティーの破滅を招く? そうだなシズク。お前は正しいよ。だって俺はその下らない感情が原因で、お前を引き止めることを拒んでしまったんだから。


 ようやく気づけた。


――――シズクの話を聞いて理解したフリをしていたのは、本当は俺の方だったんだ。

 




⬛︎皇神暦1054年某日・魔王支配域深部・『伏魔殿パンデモニウム』最終階層

 

 

「ディルムッド! 『聖剣』を解放したい! 時間稼ぎを頼む!」


 アレスが焦った様子で声を張り上げる。


「了解だ! 任せとけ――――」


 言い終わる前に俺は足を前に踏み出した。眼前では『〈災厄Ⅷ〉嫉妬のレヴィアタン』――――魔王、と呼ばれる魔族がつまらなそうな表情でこちらを見ている。


「こっちは満身創痍だってのに、てめぇは随分余裕そうだなっ!」


 全体重を乗せた移動で一気に加速。魔王の懐に潜り込んだ俺は両手で握った剣を、力に任せて振り下ろした。

 ガキィン、と甲高い音が響いて攻撃が弾かれる。


「その程度か? 小僧」


「チッ…………」


 後ろを振り返って仲間達の状況を確認。プリシラの結界術に守られたアレスが何事かを呟くと、聖剣の光が次第にその輝きを増していく。

 まだ。まだ時間がいる。


「よそ見している暇があるのか?」


 声と同時、強い衝撃が側面から俺を襲った。


「がっ…………」


 吹き飛ばされた俺の体が宙を舞う。視界に奇妙なものが映った。

 あれは、触手?

 魔王の背中から計十本の触手のようなものが生えていた。俺はアレに吹き飛ばされたのか?


「貴様、その程度の実力でどうやってここまで生き残った?」


「うるせえな…………! てめぇの方こそ魔王のくせに薄い本みたいな見た目晒してんじゃねえよ! この触手野郎が!」


 空中で体勢を整えて地面に着地。すぐさま雄叫びを上げて俺は魔王に単身突撃した。

 俺が実力不足? 分かってんだよ、そんなことは。

 このポジションでタンクを担当していたのは、元々俺じゃない。俺程度ではの代わりは務まらない。でも。


「これは俺がやらなきゃいけないことなんだよっ! 俺にはこれしか、できねぇんだからっ!」


「ぬっ…………」


 魔王が唸る。俺の剣が、迫る五本の触手を全て斬り落としたからだ。

 驚いたかよ? 俺だって、そこそこ剣は得意なんだぜ?


「なかなかやるようだな」


「ハッ、てめぇに褒められても嬉しくねえよ」


 言いながら俺は剣を振る。

 一閃。ぼとり、と一本の触手が魔王の体を離れて地面に落ちた。

 この程度、来るのが分かっていれば何も怖くない。


「グハハッ、気が変わったぞ小僧。この我が本気で相手してやろう!」


 魔王が高笑いしながらそんなことを言う。


「そりゃ最悪だな。もっと余裕かましててもいいんだぜ?」


 弾丸の如き速度で迫る触手を、躱して、斬って、また躱す。奴の注意が俺だけに向くよう意識して。

 俺はシズクの代わりにはなれないけど、アイツの戦い方なら全部覚えてる。

 仲間のために。それを体現したかのようなこの立ち回りは、全部。


 こいつらは俺が死なせないさ、シズク。

 無事に魔王を倒して、俺達は大丈夫だ、って必ず言いに行くから。


「これを放つのはお前が初めてだ。光栄に思うがいい」


 魔王の右手にどす黒い闇が生まれる。あれを食らったらひとたまりもないだろう。


「そうかい、でも残念だったな。俺の出番はここまでだ」


 背中側で急激に高まっていく聖剣の波動。時間稼ぎはもう十分だ。


「こっから先は、勇者様が相手になるぜ?」


 俺が大きく横に跳び退った直後、極大の閃光が床を削りながら俺のすぐ側を通り抜ける。

 聖剣から放たれた光の奔流が、魔王の体を呑み込んだ。

 

 

⬛︎

 

 

 魔王と勇者の戦いは半日に及び、そして今その決着がついた。

 本来なら話はここで終わり。疑いようのないハッピーエンド。

 そう、全て終わったはずだったんだ。


「グハハハハハッ、見事だ勇者よ! この不死の肉体を攻略してみせるとは! 褒美だ、最期にこれをくれてやろう!」


 聖剣に刎ねられた魔王の首が不気味な笑みを浮かべる。次の瞬間、尋常ではない速度で構築された術式が、奴の体の切断面から溢れ出る混沌の魔力によって起動された。


「耐えてみせよ……『嫉妬シビュラ』ッ!」


 形成された闇色の球体が空間を切り裂いてはしる。その向かう先には――――聖女がいた。


「プリシラッ!!」


 アレスが物凄いスピードで飛び出して魔王の術式の前に躍り出る。勇者が手をかざすと白銀のオーラが二人を包み、悪を否定する聖母の加護が発動した。顕現するは『聖盾アイギス』。起動と同時に半球のドームを展開し、そこに一時的な不可侵領域を形成する勇者の聖具の一つだ。


 ああ、でも…………アレス。

 お前がプリシラを大切に想ってるのは分かるぜ。何があっても彼女を守り抜くというその覚悟は、賞賛されてしかるべきものだろうよ。

 でも。でもさ――――


「だからって、…………!」


 アイギスの加護が届くのは盾から半径五メートルの範囲内。ぶっちゃけ範囲内にさえいれば、わざわざ盾で防ぐ必要などないのだ。


 そう。。アレスが盾を展開した位置はあまりにもプリシラ側に寄りすぎていて、今俺がいる位置は明らかに効果範囲の外にある。魔王の術式はおそらく着弾と同時に拡散するタイプの範囲攻撃型で、それはつまりプリシラだけでなく俺達全員を狙って放たれたものだということ。

 この位置では俺は、その直撃を避けられない。


 気持ちは分かるぜ。焦ってたんだろ?

 俺だって目の前でプリシラが攻撃されそうになっていたら、必死になって守るさ。

 だからアレス、お前は正しい。正しいことをしたんだよ。誰にも責められるべきじゃない。

 でも、俺は弱いから思っちまうんだ。

 

――――、ってさ。

 

 お前にとって俺はその程度のやつなのか? 

 俺達の間にあったのは、そんな風に切り捨てられる程度の脆い関係性だったのか?

 いや分かってる。こんなのは俺の被害妄想だ。これは不慮の事故でアレスは俺を見捨てるつもりなんてなかった。真実はそうなんだろう。

 だがこの瞬間、アレスの脳内から俺という存在が消え失せていることもまた事実で。

 プリシラを守る。その気持ちだけが先行し過ぎたが故の失策。

 

――――『パーティーリーダーなら全員を平等に見るべきじゃないのか?』

 

 いつか聞いた言葉が思い出される。

 はは。これじゃまるで俺が、勇者アレスを悪役に仕立て上げようとしてるみたいじゃねえか。


「そんな訳ねえだろうが…………!」


 これはきっと報いだ。かつて仲間シズクを見捨てた俺への、この上なくアイロニカルな断罪。

 ああ――――


「守れて、よかった…………」


 着弾。そして爆発。

 その刹那、アイギスに護られている二人と目が合った。



 それは一体誰に向けた謝罪だったのか。俺自身にも分からない。

 閃光。俺の体は黒い魔力の奔流に呑み込まれ、猛烈な勢いでその意識を削られていく。


「っ! ディルムッド!」


「嘘でしょっ、ディル!」


 そうして二人は過ちを悟る。

 彼らの悲痛な叫び声は、俺の耳には届かなかった。

 

 

⬛︎

 

 

 ディルムッド・リヒムという男の人生は概ね、ほんの少しの努力と数え切れないほどの妥協でできていた。


 別にそれでよかった。何の問題もなかった。

 周りから期待されていた訳でもなければ、強くなりたいという渇望がある訳でもない。

 早い話が、努力するに足る理由がなかったのだ。


 剣術学校でも、初等部、中等部、高等部、と常に真ん中の成績を収め続け、何の目標も持たないままに惰性で教育課程を修了した。

 後悔があるかと問われれば、ディルムッドは間違いなくないと答えるだろう。

 努力する人間を見るのは好きだが、彼自身は努力が嫌いなのだ。どうやっても追いつけない差を嫌でも見せつけられて、どうにも堪えられなくなる。


 だから彼は普通それでよかった。大きな努力はせずに、それでいて他人には侮られない程度の位置に収まることを良しとしていた。

 そんな彼が変わったきっかけは、国王が勇者パーティーのメンバーを一般募集したことだった。

 数多の応募者から選ばれるのはたったの二名だけ。ほんの少しの努力で勝ち残れるような甘い場所ではない。

 普段ならディルムッドも端から挑戦しようなんて気は起こさなかっただろう。


 だが、その時ばかりは事情が違った。一般募集枠以外の勇者パーティーのメンバーには、聖女が選ばれることが決まっていたのだ。彼の幼馴染の、プリシラ・アルテミス。

 彼女が八歳で聖女に任命された時から、もうしばらく会えていないが、可愛らしい女の子だった。今はさぞ美しく成長していることだろう。もう一度会いたい、と強く願った。


「選ばれるのは二人、か。


 それはもしかすると、彼がそれまでの人生の中で一番強く望んだことだったかもしれない。

 必ず合格してみせる。そう決意してからは早かった。


 幸運なことにディルムッドには才能があった。戦闘面――――主に剣術の才能だ。努力をせずに才能を腐らせていた天才が、目的を持って努力し始めたのだ。それがどんな結果を生むかは想像に難くない。その時の彼はまさしく主人公と呼ぶに相応しかった。そして。


 結論から言うと彼の才能は大きく花開き、見事に勇者パーティーへの参加権を勝ち取った。

 全てが上手くいっていたのだ。


『僕はアレス。アレス・オーフェンハルト。一応勇者ってことになってるんだけど、正直あんまり実感ないんだよね。ま、これから仲良くやっていこう』


 に出会うまでは。

 数年ぶりに再開したプリシラの隣には、知らない男がいて。それを見たディルムッドは妙に納得してしまったのだ。

 だって、どう頑張っても自分では勇者に敵わない。越えられない壁をまざまざと見せつけられた気分だった。


 しかし無意識に隠していた努力も才能も、その全てをさらけ出してしまった彼に逃げ場はなく。だから理由が必要だった。

 良くも悪くも不器用なディルムッドには、それまでの努力をやめて、プリシラのことも諦めるに足る理由が必要だったのだ。


 故に彼は仮面を被った。醜い嫉妬を覆い隠し、無気力な日々を送るための、『遊び人』という仮面を。

 

 これが、ディルムッド・リヒムという男の今まで。そして同時に彼の全てだ。

 今日に至るまで一度も外さなかったその仮面を外すことはもう、彼にはできないのだ。

 

 

⬛︎

 

 

「ディルっ! 大丈夫!?」


「ディルムッド! 俺達が分かるか?」


 耳のすぐ近くで騒ぐ声が聞こえて、俺はハッと目を覚ました。


「あ? なんだ、俺生きてんのか」


 よっこらせ、と上半身だけ起こすと、泣き腫らした顔のプリシラと目が合った。


「…………悪かったな、心配かけて」


「もうっ、ほんとだよ! でも、生きててよかったぁ…………」


 そう言ってまた泣きそうになるプリシラを見て苦笑しながら、今度はアレスの方を見る。


「ごめん、ディルムッド。僕の判断ミスでこんなことになって」


「ハッ、いいってことよ。俺はこうして生きてる訳だしな」


「そう言ってくれると助かるよ」


 申し訳なさそうにアレスが言う。そんなに気にしなくていいってのに。


「地上まで運んでくれたのか。ありがとな」


 背中側では先程まで俺達がいた伏魔殿パンデモニウムが音を立てて崩れ始めていた。

 あのままあそこにいれば、俺は生き埋めにされていたことだろう。


「そういえばディル、魔王の術式の影響とか大丈夫そ? 一応私の神聖術で浄化はしたんだけど」


 言われて確かめてみるが、特に異常は見当たらない。


「ああ。大丈夫――――」

 

――――⬛︎セ。

 

「あ?」


「どしたの?」


「ああいや、多分気のせいだ。何でもない」


「そう? ならいいけど」


 声が聞こえた気がした。地獄の底から響いてきたような、怨嗟の声が。

 ようやく長い旅が終わって、自分でも知らない内に疲れが溜まってたんだろうな。

 王都に帰って魔王討伐の報酬を貰ったら、後はダラダラと一生を過ごすことにしよう。

 こんな偉業を成し遂げたんだ。誰も文句なんて言わないさ。


「帰ろう。僕達のいるべき場所に」


「おう。そうだな。もう足がクタクタだぜ」


 文句をたれながら俺は差し出された手をとって立ち上がる。

 俺の手が、アレスの手に触れる。

 瞬間、脳天を貫かれたかのような衝撃が走った。

 思わずその場で立ち止まる。

 

――――殺セ。勇者ヲ殺セ。

 

「なんだよっ、これ…………!」


「…………ディルムッド?」


「悪い、これ駄目かもしれねえわ」


 声が響く。声が、濁流の如き激しさを以て俺の意識を塗り替えていく。

 

――――殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ。

 

 深淵から響く怨嗟の声。心当たりはあった。魔王が最期に放った術式。あれはきっと精神干渉の類だったのだろう。ならばこれは。引き出されたこの声の主はきっと、


「ふざっ、けんな…………!」


 変わる。換わる。俺の思考が書き換えられていく。

 どう誤魔化そうとしても、どこからか湧き上がってくる憎悪が勇者を殺せと俺を唆す。

 迫ってくるその黒い感情に抵抗しようとして、俺は――――


「動くな」


 気づけば俺は、アレスの首元に剣を当てていた。


「ぐっ…………!」


 呻き声を漏らした勇者が体勢を崩し、地面に膝をついた。


「どう、して――――」


「アレス!?」


 少し先を歩いていたプリシラが振り返り、一瞬驚いて固まるもすぐに杖を構えて戦闘態勢に入る。

 そして。


「どうしてこんなことするの!? ディルっ!」


 、明確な殺意をもって奴に剣を向けた。


「悪いな、アレス」


「駄目っ! そんなの絶対駄目だよっ!」


 少女の泣き叫ぶ声が不毛の大地に響き渡る。

 

――――勇者ヲ殺セ。魔王ノ適格者ヨ。

 

 呪いの声は、未だ止まない。

 

 

 

 

⬛︎皇神暦1054年某日・魔王支配域深部・『伏魔殿パンデモニウム』跡

 

 

 そして、現在いまに至る。


「待って、待ってよディル!」


 ああ、すまないプリシラ。こんなことをするつもりはなかったんだ。

 でも湧き上がるこの衝動がどうしても抑えられなくてさ。ほんとどうしちまったんだろうな俺は。


「安心しろって、プリシラ。お前もコイツも無事に帰れる。そう言ったろ?」


 無理やり顔に笑みを貼り付けて見せるが、プリシラはショックが大きすぎたのか何の行動も起こせないでいた。


「意味がわかんないよ! そう言うなら早く武器を下ろしてよぉっ!」

「悪いがそれはできねえ。そこまでの自由は許されてないみたいだ」


 俺の体の主導権は依然として俺の中にあるの方に奪われており、俺が自由にできるのは精々がこいつを殺すタイミングぐらいだろう。


「自由って何? 何でこんなことするの!」


「いや、そういうことかっ! プリシラっ! ディルムッドは多分魔王の術式の影響を受けて――――」


「お前は黙ってな」


「ちょっと、ディルっ!」


 顔面に膝蹴りをかましてやれば、アレスは仰向けに倒れ込んでそのまま大人しくなった。


「チッ、余計なこと言いやがって」


「ねえ教えてディル。これはあなたの意思じゃないってことなの?」


 アレスの野郎のせいで何か勘づいてしまったか。ここでそうだ、と答えれば彼女は俺にかけられた呪いを何としても浄化してみせるだろう。聖女の名は伊達じゃない。


 でも、駄目だ。俺のような醜い人間は。なぜならこの情動は全部俺の、


「それは違うぜプリシラ。この憎悪は全て、一つ残らず俺の意思だ! 俺が、コイツを、殺したいんだよ!」


「…………っ! どうして!」


「…………それは言えねえな。最期くらいカッコつけさせてくれや」


「――――待ってディル。最期って何? まさかアレスを殺して自分まで死ぬ気じゃないよね」


「んなわけねえだろ。安心しな、


「え?」


 魔王の術式はおそらくだが、憎悪を植え付ける精神操作系というよりは、被術者元来の感情を引き出す感応増幅の能力の一種だったのだと思われる。

 つまりそれは、勇者を憎むこの感情は初めから俺の中に存在していたという証左に他ならなくて。


 ならば勇者を殺せと叫ぶこの声の主は俺だ。これが俺の隠していた本音なのだ。

 ああ、なんて堪えがたい醜悪だろうか。俺は一秒だってこんな自分を見ていたくなかった。


 ならば消してしまえばいい、と俺が言って。

 そうだな、と俺は頷いた。


「『運命の改竄』を使え、プリシラ」


「なんで…………そもそもあれは使えないよ」


「使えるだろ、今なら」


 『聖杖せいじょうフリズスキャルヴ』。教会の用意した最高傑作とも呼べる魔術杖で、異世界の神の玉座の名を冠する聖女の武器。


 『運命の改竄』は簡単に言えば、対象に『死』をもたらす運命を全て否定し、裏返す神の御業。殺そうとしてきた相手に『死』を押し付けて先んじて殺す、『フリズスキャルヴ』の権能だ。


 発動条件が厄介で、愛する人が命の危機に瀕した時にのみ、その人に対してのみ使用できる、というものらしいが。


 全部、プリシラから聞いた話だ。

 『運命の改竄』はその発動条件の難しさから今まで一度も使用されたことがない。

 ああでも、大丈夫だ。聖女の愛する人はここにいるじゃないか。今まさに俺の剣に命を脅かされているコイツが。


「こんなにおあつらえ向きな状況があるかよ! 今のお前はそれを、こいつに使うことができるはずだぜ?」


「でもそうしたらディルがっ!」


 俺が? 俺がどうしたんだよプリシラ。

 心配いらないさ。俺はどうなったっていい。この手がお前らを傷付けるなら、お前らに殺される方が百倍マシだ。

 激情のままに俺は叫ぶ。


「だからなんだってんだよ! 勇者より俺の方が大切だってんならそうすりゃいいさ! でもちげえよな? そんなわけねえよなプリシラ!」


「やめて! なんでそんなこと言うのっ!」


「うるせえっ! いいかプリシラ、俺はもうじきこいつを殺す。勇者を助けたければソレを使え。そして俺を――――殺せ」


 溢れ出した憎悪は止められない。であれば、俺ごと消えてしまえばいい。

 魔王は倒され、勇者と聖女の二人は無事に国へ帰る。非の打ち所のないハッピーエンドじゃないか。その幕引きにはきっと、俺みたいな異物はいない方がいい。


「ぐっ…………駄目、だ。プリシラ…………」


 目線を下げると、アレスが苦しそうに息をしながら何かを言おうとしていた。


「おいおい、まだそんなこと言ってるのか? プリシラが俺を殺さないとお前が死ぬんだぜ」


「いい、さ…………。君がそれで助かるなら僕――――」


「いいわけねえだろアホか」


 すかさず剣の柄の部分で側頭部を殴打し、今度こそ意識を刈り取る。

 この期に及んで俺を殺すな、だと?


「この衝動はもう誰にも止められない、だから。俺はお前達を傷付けたくないから、言ってるんだ」


「だから自分を殺せって? そんなの絶対おかしいよっ!」


「でも、何もしなかったらコイツは死ぬんだぜ? 簡単な話さプリシラ。選ぶんだよ。俺か、コイツか。二つに一つだ」


「っ…………」


 そしてお前がどちらを選ぶのかなんて、初めから分かりきっていることだ。

 お前はアレスを選ぶ。『運命の改竄』は発動し、俺は死ぬことになる。この結末だけはきっと変わらない。


「…………ねえ。ディルの中で私達との旅は――――思い出はさ、どうでもいいものなの?」


「あ?」


 唐突にプリシラがそんなことを聞いてきた。

 感情に訴えかける作戦か? そんなものには引っ掛からないが。まあ、いいさ。これぐらいは答えてやろう。


。お前達との旅は楽しかったさ。途中でシズクは抜けちまったけど、それでも旅の間は俺みたいなのでもお前の隣にいられた。ああ、幸せだったさ。本当に」


 それは、嘘偽らざる俺の本音だ。

 叶わぬ恋と知っていても、お前との旅は楽しかった。そうだよ、楽しかったんだ。だからこそ俺は、


「ならっ!」


「だからだよ! この思い出を俺がこの手で汚しちまう前に、お前の手で殺してくれ。頼むよ…………!」


 自分が自然と笑顔になっているのが分かる。なんだよ、まだ笑えてるじゃねえか。


「っ…………!」


「さあ、幕引きの時間だプリシラ」


 アレスの背後に回って剣の位置を調整。いつでも殺せるぞ、とアピールをする。


「ディル…………」


「プリシラ、大丈夫だ。何度も言うようだが、お前ら二人は無事に帰れるさ。。お前は必ず『運命の改竄』を発動させてコイツを守るだろう。そうすりゃ死ぬのは俺だけだ」


「うっ、うぅ…………」


 さあ、選べよ勇者を。そして俺を殺してくれ。


「ディルっ! ディルぅ…………っ!」


 プリシラが叫ぶ。


「さあ早く! 早く俺を殺すんだ、プリシラ!」


 直後、聖杖がひとりでに光を放ち始めた。

 もちろんプリシラは何もしていない。


「…………そういやあったな、そんな機能」


「嫌っ、やめて! やめてよ『フリズスキャルヴ』! 私はそんなこと望んでない!」


 俺はその光景を眺めながら、記憶を辿る。

 確か『フリズスキャルヴ』には聖女の強い感情に反応して、主を守るための術式を発動する仕組みが備わっていたはずだ。それが今、起動した。


 術式の対象は――――勇者。純白の光がアレスの体を包み、癒していく。

 見たことの無い術式だ。『運命の改竄』が発動したと見て間違いないだろう。


 思わず笑みがこぼれた。

 これでプリシラに直接手を下させる必要はなくなった。そこだけがちょいと心配だったんだが、今のでそいつも杞憂に終わった。

 後は俺がこの剣をアレスに振るうだけ。ハッピーエンドはすぐそこだ。


「待って、待って。やめてディル。お願いだからぁっ!」


 プリシラ。愛する勇者を人質にとられながらも、最後まで俺を殺すことを選ばなかった心優しい女。


 俺の愛した人。俺が、愛していたかった人。

 残念ながらそれはもう、叶わないけれど。


「じゃあな、聖女様」


「ディルっ――――」


 俺は握った剣を力強く振り抜いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

⬛︎皇神暦1051年某日・王都ハイラーン・『王剣城』玉座の間

 

 

「お前達四人に魔王討伐の任を与える。その手で魔王を討ち取り、そして、必ず無事に戻ってくるがよい」

「はっ。確かに拝命致しました。この聖剣に誓って必ずや魔王を討ち果たしてみせましょう」

 国王と勇者のやり取りを横で聞きながら、俺はようやく努力が報われたんだと思った。

 あの頃の俺は確かに、大役を任された自分を誇ることができていたのだ。

 

 

⬛︎

 

 

「私はアサギリ・シズクという。得物はこの『断穹』だ。ん? 流派か? まあなにぶん古い流派ゆえお前達にはあまり馴染みのない剣技を使うかもしれないが、そのあたりの連携はこれから詰めていこう。よろしく」

 その日俺は、並外れた剣才を持った少女と初めて出会った。

「ふむ、良い戦い方だ。最後に勝敗を分けるのは生き残ろうという強い意志だからな。お前の攻撃の端々からはそれが感じられる」

 俺の戦い方を見た彼女はそんな感想を述べた。

「努力の痕跡とでも言えばいいのだろうか。そういうのはやはり隠せないものだな。ディルムッド。私はお前のような戦士と出会えたことを、嬉しく思う」

 本当に救われた気がした。彼女は俺の仮面の下を見透かして、その上で俺を認めてくれているように感じてしまったのだ。

 有り得ないことだが、そうあってほしいと願う自分がいた。

 てか、どうして俺は死ぬ瞬間にシズクのことを思い出しているんだろうな。

 はは、意味分かんねえ。

 そういえばシズクには事あるごとに、お前は本音が顔に出る、と言われていたっけか。

 つくられた仮面が表情を変えることはない。なら、もしかするとアイツは、本当に――――

 

 

「そうだったら、いいなぁ」

 

 

⬛︎

 

 

 不毛の大地に静寂が舞い降りる。


「な――――」


 確かに俺は剣を振るった。が、俺は死んじゃいない。もちろんアレスもプリシラも無事だ。

 誰一人として欠けていない。死ぬはずだった俺は、どうしてかまだ生きている。

 その事実に眩暈を覚えてその場に倒れそうになるが、ふらつく足をなんとか固定して辺りを見渡した。


「なんだよ、コレ…………」


 俺の剣が、柄の部分だけを残して根元から吹き飛んでいた。

 『運命の改竄』の効果かと思ったが、すぐに違うと思い直す。アレができるのは生物に対する『死』の概念の付与だけだ。決して形而下の物体を直接破壊するような作用は持ち合わせていない。


 ならばなぜ、とプリシラの方を見やって、


「は…………?」


 俺は再び困惑した。折れている。『フリズスキャルヴ』が真っ二つにされて光を失っているのだ。


 。概念防御持ちだぞ。プリシラの腕力じゃ折れないとか――いや実際折れないとは思うが――そういう話じゃない。

 そもそも『フリズスキャルヴ』は傷つかないはずなんだ。何者にも侵されない神聖。それがあの杖が持つ絶対不変の理。

 その概念を無視して杖を壊すというならば、それこそ望んだ結果を引き寄せる勇者の聖剣か、あるいは概念を断ち切る程の域に達した剣の達人でもない限り――――


「概念を断つ、剣…………?」


 ふと、気づいた。


 そうだ、俺は既に知っているじゃないか。勇者を凌駕する超絶技巧を持ち、彼方まで広がる蒼穹さえも一振りで斬り裂いて見せるその剣士の存在を。

 この状況において誰も殺させないという理想論ハッピーエンドを、たった一振りの刀で実現してしまえる少女の名を。


「シズク…………?」


 果たして彼女はそこにいた。


「この大馬鹿野郎が…………!」 

 

 

⬛︎

 

 

「何をやってるんだ、お前達は…………!」


 シズクは怒りに震えていた。当たり前か。仲間同士で殺し合いまがいのことを演じていたんだから。

 彼女が怒るのも当然というものだろう。


 でも…………!


「俺だって必死にやったんだっ! その結果がこれなんだよ! 仕方ないだろ! こいつらを無事に帰すには俺が死ぬしかないんだから!」


 切れ長の瞳が冷ややかに俺を射抜く。


「俺が死なないと、溢れ出るこの憎悪がアレスを殺――――す?」


 そこで俺は気がついた。

 さっきまでずっと俺の中に渦巻いていた感情が、まるで幻だったかのように綺麗さっぱりなくなっている。


「なん、で?」


 その答えはすぐにシズクが教えてくれた。


「お前の体内に巣食っていた魔王の種子は、既に私が斬らせてもらったよ」


「なんだって?」


 魔王の種子? 何だそれは。それが俺の中にあっただと…………?


「それがお前の悪感情を増幅させて、望まぬ凶行へと駆り立てていた」


 ハッとプリシラがシズクを見る。


「じゃあシズク。ディルはもう死ななくていいってこと…………?」


「ああ。その通りだ」


「だってさディル! よかったぁ!」


 プリシラが泣き腫らした顔で何か言っているが、駄目だ、理解が追いつかない。


 死なない。死ななくていい。つまり俺はもう――――


 なら俺はどうすればいいんだ? 隠していたはずの醜さを、嫉妬を。ああまでして晒した俺は、二人にどう顔向けすればいい?


「いいわけ、ないだろ…………!」


「えっ?」


「俺は死ななきゃならなかったんだよ! 『運命の改竄』によって俺がアレスの代わりに死ぬ…………そういう運命のはずだったんだ!」


 でも俺は生き残った。生き残ってしまった。

 なら、ならさ。今ここで俺が死んでもそれは――――


「いいわけないのはお前の方だ! ばかやろうっ!」


 パンッと乾いた音が鳴る。数瞬遅れて頬を鋭い痛みが襲った。シズクにビンタされたのだと気づくのに、それほど時間はかからなかった。

 目が、合った。


「なんだよ…………何でお前が泣いてんだよ、シズク」


「悲しくて泣いて何が悪いっ! お前はいつもそうだ…………! どうして私達を信じてくれない? 仲間だろう!?」


 突然感情を昂らせてそんなことをのたまうシズク。俺は思わず気圧されてしまった。


「信じてるさ。仲間なんだから当たり前だろ?」


「なら、どうして私達に対しても本心を隠そうとするんだ、お前はっ!」


「別に隠そうとはしてないさ…………」


 隠すつもりがなくても、偽りの仮面に慣れてしまった俺はありのままをさらけ出す方法を忘れてしまっただけで。


「隠しているさ、お前はっ! そうでもなければ、死ななきゃならなかった、なんて思ってもいない言葉が出てくるはずないだろう!」


 それを聞いた途端、怒りのようなものが俺の中に湧いた。

 思ってもいない、だって? 何を分かったようなことを。

 魔王の術式によって秘めていたはずの勇者への憎悪を暴かれ、その醜さに俺がどれだけの絶望を感じたか、お前は何も知らないだろうが…………!


「お前に何が分かる…………」


「少なくともお前の言葉が本心からのものでないことは分かるさ!」


「だから! どうしてお前にそんなことが分かるんだよ!」


 本心からじゃない、なんて。俺は何も隠しちゃいない。これは真実、

 嘘だなんてさ。シズク、お前に分かるはずないだろ?


 だがシズクは、なんだそんなことか、と指で涙を拭いながら、


「――――


 と。いつかと同じようなセリフを言ってみせたのだった。

 記憶の彼方にあった商店街の光景がフラッシュバックする。言葉が出ない。何も、言い返せない。


「顔を見ればお前が嘘をついてるかどうかなんてすぐに分かる。私が何年お前を見てきたと思ってるんだ?」


「それは…………」


「アレスに剣を向けている時も、お前の本心はずっと生きたいと泣き叫んでいた。だから私は、お前を泣かせる全てをこの手で斬ろうと思ったんだ」


「だからってこんな、ほんとに俺なんかをっ…………」


「なんかじゃないさ。私はお前に、


 その言葉が決め手だった。

 ああそうか、と思わされてしまったのだ。

 俺は仮面でその心を隠し続ける内に、自分でも本心と偽りの区別がつかなくなっていたんだ、と。

 そういう風に納得させられた。そうさせるだけの何かがシズクの言葉にはあった。


 もう、認めざるを得ない。俺はシズクに救われた。かつて俺が救えなかった彼女に、どうしようもなく救われてしまった。一度だけじゃなく、二度までも。いや、思えば俺はこの旅の中で、自分でも気づかない内に何度も彼女に救われていたのかもしれない。


「私達に嘘はつかなくていいんだ、ディルムッド」


 シズクが俺の名前を呼ぶ。

 それだけでなんだか胸がいっぱいになって、勝手に涙が溢れて止まらなくなる。


「おかしいなっ…………俺、昔からポーカーフェイスは得意だったはずなんだが…………」


 ああもうっ…………クソダセェな、俺。


「プリシラもアレスも、私も。誰もお前を拒んだりしない。何も偽る必要なんてないんだ」


「そうだよディルっ…………! 私…………ごめん、ごめんねぇっ…………!」


「なんでお前が謝ってんだよ、プリシラ。謝らなきゃいけないのは…………俺の方だろ」


 お前に謝られると、余計自分が惨めに思えちまう。

 俺はプリシラの方に向き直ると、できるだけ深く頭を下げた。


「すまなかった。本当に馬鹿なことをしたと思ってる。ひどい事を言ってお前を傷付けたし、それは許されていいことじゃない。死ねと言われたら死のう。でも、もし許してくれるならどうか、もう一度俺をお前達の仲間に入れてはくれないか」


 今の俺の気持ちを。嘘偽りない本心を、今度こそ伝える。

 そうして頭を下げること十数秒。

 誰かの手がそっと俺の頭に触れた。声を聞かずとも誰の手かは分かった。


「ディル、あなたはアレスに言ったよね。生きてるんだからいいんだ、って。それは私も同じだよ。みんな無事に生きてる、それでいいじゃん万事解決! ね?」


 聖女の言葉が優しげな熱を宿して俺の心をゆっくり溶かしていく。

 シズクが見つけてくれた俺の心を、プリシラが慈しむようにその優しさでそっと包んでいく。


「俺はまだ…………ここにいていいのか?」


 絞り出した声は、自分でも驚くぐらい震えていた。


「当たり前じゃん! ほら、早く王都に戻ろ?」


 ぱっと花みたいな笑顔が咲く。


「無事に帰ったら絶対王様も報酬たくさんくれるよ! 夢だったんでしょ、大金もらって早期リタイア生活!」


 え、と思わず声が出た。


「それって――――」


 幼い頃、俺とプリシラがまだ同じ村で暮らしていた時期に、俺が何度も語っていた夢だ。まだ覚えていたのか。


 ハッ。なら何だ? 俺が勝手に距離を感じてただけってオチかよ。笑えねえな、マジで。


「そうだな。帰ろう、全員で」


 プリシラの手をとって立ち上がる。夕陽の光が眩しくて、俺は思わず目を瞬かせた。

 少しでも何かが違ったら、俺はこの景色を見られなかったかもしれない。


 自然と、伝えなければ、と思った。

 先に歩き出した二人を呼び止めて、俺は言う。


「二人とも、ありがとな」


 振り向いたプリシラが笑顔を弾けさせて、少し奥にいたシズクは穏やかな目つきで俺に微笑みかけた。


「――――っ」


 ああ、生きててよかった。その時俺は心からそう思った。

 彼女達の笑顔が俺には、どんな陽光よりも輝いて見えたんだ。

 俺はずっとこの笑顔が見たかった。本当はそれだけで、よかったんだ。

 

 

 今日に至るまで一度も外さなかったその仮面を外すことはもう、俺にはできない――――そのはずだった。

 でも、コイツらが隣にいてその外し方を教えてくれるなら、きっと俺はまだ――――





⬛︎皇神暦1055年某日・王都ハイラーン・『王剣城』玉座の間

 

 

「よくぞ無事に戻ってきてくれた。後日褒美はとらせよう、今日は帰ってゆっくり休んでくれ」

 

 

⬛︎

 

 

「いや~、いよいよ帰ってきたって感じだねぇ」


 ぐぐっと伸びをしながらプリシラが呟く。

 彼女の言う通り、俺達はあれから半年間の旅を経てここ王都ハイラーンに帰ってきた。

 今は国王の元に出向いて、魔王討伐の報酬の確約を貰ってきたところだ。

 勲章とか別にいらないので白金貨をもっとください。


「本当だね。出発の時はもう戻ってこれないことも覚悟してたから、なんだか気恥ずかしい気もするけど」


「もうっ! そんなこと言わないでよ、喜びが薄れちゃうでしょっ」


「いや別にそんなことねえと思うけどな」


 ちなみにシズクは報酬も勲章も辞退している。途中で抜けて俺達に迷惑をかけた自分は、何も受け取る訳にはいかないのだそうだ。

 それを言ったら俺も辞退するべきな気もしたが。


 実際どうしたかって? そりゃもちろん貰うことにしましたよ、ええ。

 お金がないと世の中やっていけませんからね。


「で、お前らはこれからどうするんだ?」


 そう尋ねると二人からは同じ答えが返ってきた。


「僕は家族のところに顔を出そうと思う」


「私もおんなじかな」


「…………まあ、もう四年になるんだもんな」


 家族とは俺が王都に引っ越してきてから会ってないから、もう五年以上顔を合わせていないことになる。


「俺も顔ぐらいだしてくるかなぁ」


 それがいいよ、とアレスが頷く。

 そのまま三人で談笑しながら城内の庭園を歩いた。穏やかな春の陽気を閉じ込めて、サクラの花弁がひらひらと降ってくる。

 サクラ並木のど真ん中で、突然プリシラが足を止めた。

 どうした、と聞く前に彼女が俺達を振り返って言う。


「あ、そうだ二人とも。明日の打ち上げ忘れないで来てよ?」


「もちろん行くよ」


「当たり前だろ。俺を何だと思ってやが…………ぐふっ」


「はい、不合格」


 つん、とプリシラに指で鼻を押し潰されて、思わず変な声が出た。


「不合格?」


「ディルは毎回一言余計なんだよねー、そんなんじゃシズクに嫌われちゃうぞ?」


「あ? なんでそこでシズクが出てくんだよ」


 あいつは何も関係ないだろ?

 だが、目の前の聖女様はそれには答えずニヤニヤするばかりだ。


「さーて、なんででしょ~」


 ひらひらひら、とプリシラが花びらみたいな舞を踊りながら離れていく。その様子を若干呆れつつ眺めていると、後ろにいたアレスの手が俺の右肩に置かれた。


「ディルムッド、僕は応援してるからね」


「お前まで何の話だよ!?」


「さて、なんだろうね?」


 イケメンが爽やかに笑う。許すまじ、この笑顔。


「と、に、か、く! 明日の夜は全員で『マタタビ亭』に集合だからね! ディルはちゃんとシズクも連れてきてよ!」


 プリシラがビシッと俺を指さして言った。


「何で俺なんだよ」


「いい男は文句言わずに引き受けるんだよ、ディル」


「チッ、分かったよ。連れてくりゃいいんだろ連れてくりゃ」


 俺が諦めてそう言うと、コロコロと聖女は笑う。


「ははっ。二人は本当に仲がいいね。羨ましい限りだよ」


 隣で勇者がそんなことをのたまうので俺は思わず、羨ましいのは俺の方だよ、と言いたくなったがさすがに自重した。


 そういうのはもう、やめたんだ。俺は今更プリシラとどうこうなろうなんて思っちゃいない。嫉妬するのだって未練がましいってもんだろう。


 俺はただ、あいつが楽しそうに笑っていてくれるならそれでいい。十分だ。

 俺はそれをあの夕陽の荒野で、他ならぬ本人の手で気づかされたのだからダッサイことこの上ないのだが。

 まあそれはそれとして、だ。


「そうかよ! どうでもいいけどてめぇは早くを自覚しやがれこの鈍感系主人公が! お前にはアイツのためにも幸せになってもらわなきゃ困るんだよ!」


 言いたいことは言わせてもらうぜ、勇者様。


「え、なになに? なんだって?」


「何でもねえよ」


 難聴発動すんなよ。お前実は勇者じゃなくてラブコメの主人公なんじゃねえの?


「何でもないってことはないだろ! なんか底知れない憎悪を感じたんだけど!?」


「大丈夫大丈夫。それなら半年前に綺麗さっぱり浄化されてっから。聖女様舐めんな」


「ええ…………」


 ふう、すっきりした。

 まだ困惑しているアレスを放置して俺はプリシラの元に向かった。


「じゃあ俺、先行くから」


「うん。もしお母さん達に会ったら後で私も行くって伝えておいてね」


「おう、任せろ」


 不満げな顔のアレスが追いついてきたので、俺は二人に手を振って転送陣へと向かうことにした。


「ディルムッド! さっきのって何――――」


「うるせえお前もとっとと帰れ!」

 

 

 

 

⬛︎皇神暦1055年某日・港湾都市クラベル・『エドラ市場』

 

 

 数日後。俺はとある港付近の市場を物色しながら歩いていた。今日俺がここに来たのは、ある人物がこの港にいると聞いたからだ。まあ、その人物というのが――――


「よっ、シズク」


「何しに来たんだ?」


 アサギリ・シズク。『元』勇者パーティーの一員である剣士だ。シズクは突然やってきた俺に少しも驚いた様子を見せることなくただただ嘆息した。


「おいおい、つれないこと言うなよ。仲間だろ?」


「そうだな。だがそれは他人のプライベートを邪魔していい理由にはならないと思うが」


「はい、スンマセン」


「本当に反省しているんだか…………まあいい。それで? 今日はどうしたんだ?」


 諦めたのかシズクはそれ以上何かを言うことはなく、話題を切り替えてくれた。


「ああ、それなんだけどな。実は俺、『遊び人』やめようと思うんだ」


「……………………」


 静寂が訪れる。シズクは目を見開いて驚いた表情を――――


「うん、それで?」


「え、終わりだけど?」


 再びの静寂。シズクと目が合った瞬間、彼女はくるりと体の方向を逆にした。


「では私はこれで帰らせてもらうよ。じゃあな」


「おい待てや。反応が薄すぎやしないかいお嬢さん」


 進行方向に回り込んで引き止めると、シズクはめんどくさそうな表情で動きを止めた。


「なんだ? 私に何を期待してるんだお前は」


「いや期待って訳じゃねえけど、もうちょっと何かあるだろうよ」


「そもそも『遊び人』はお前が自称していただけじゃないのか? 私は一度もお前が女と遊んでいるところを見たことがないんだが」


「まあそれは…………残念ながら?」


「ならそれはただのチャラチャラした一般人だ。やめるも何もお前は元から『遊び人』じゃない。今すぐ本職の方々に謝ってこい」


「ひどい言い草!」


 衝撃の事実! 『遊び人』ディルムッド・リヒムはこの世に存在しなかったことが判明した!

 え? 俺って幽霊だったの?


「確かにそうだけどさ! 俺にだって傷付く心はあるんだぞ?」


「別に誇ることでもないだろう。『遊び人』になれなくて傷付く方がどうかしてるんじゃないか?」


「お前の方こそ今すぐ本職の方々に謝ってこいや!」


「と言うかそもそも、お前ことなんて一度もないだろうに」


「ああ? なんか文句あるかよ! てかさっきから自称自称うるせえな! 俺を無職にする気なのか? そうだよお前の言う通りだよ! 俺はまだ童て――――」


 スパァンッと爽快な風切り音が響く。


「まあなんだ、お前は一度生まれ変わればいいと思う」


「なんもよくねえから! てか前にも同じようなことあった気がするんだけど!?」


「悪いが今日はこの竹刀しか持っていなくてな。斬り落とすというよりは粉砕という形になるかもしれない」


「どこを!?」


 聞き返す前にシズクの姿がブレる。


「待って待ってお願いします! ごめんほんとに待っ――――」


 俺は絶叫した。

 

 

⬛︎

 

 

「まあお前の言いたいことは理解した。つまり、勇者パーティーの活動を終えて無職になるから私を頼ってきたという訳だな?」


「お前マジでサイコパスなの?」


 さっきまで竹刀で俺の下腹部辺りを再起不能にしようとしていた奴の態度とは思えない。

 なんで何事もなかったかのように話し出しちゃってんのかな? やっぱりお前サイコパスだよね?


「アレスやプリシラを頼ればいいじゃないか」


 無視かよ。まあいいけどさ。


「それも考えたけど、あいつらはこれから色々忙しくなるだろうし、なんとなく頼りづらかったんだよ」


「私が暇だとでも?」


「ああいや、そうじゃなくてさ。これもなんとなくなんだけど、お前に聞けばどうにかなる気がしたっつーか」


 そう言うと、シズクは少し思案するように間をあけてから、


「報酬の白金貨はたくさん貰ったんだろう? なら後は遊んで暮らせばいいじゃないか」


「それが一番だと思ってたんだけどなぁ。何もやることがないってのもやっぱりキツイもんなのよ。三日で耐えられなくなった」


「早すぎるな」


「だろ?」


「別に褒めてはいないが、ならあれだ。『はろうわーく』とやらに行けば仕事が見つかるんじゃないか?」


 『ハロウワーク』とは最近出来た求人サービスを提供する組織のことで、異世界人が設立したらしい。でもそれ、俺が入るにはちょっと敷居が高いというか。


「それは…………なんか気が引ける」


「贅沢なやつだな」


 二人並んで防波堤の上に腰掛けて、なんとなく海を眺める。

 遠くでぱしゃりと小魚が跳ねた。水面に波紋が浮かんで消える。

 ふと思いついて俺は呟いた。


「やっぱり賢者でも目指すべきなのかね」


「賢者?」


「そ、賢者。『遊び人』は『さ〇りのしょ』がなくても賢者になれるんだぜ?」


「何の話だ?」


「え、一昔前に流行った異世界産の物語なんだけど、知らない?」


「ふむ、どうだろう」


 シズクは分かっていなさそうな顔で首をかしげる。おかしいな。


「つまり俺は三十歳まで待たなくても魔法使いになれるって訳なんだが」


「そうか。よく分からんな」


「…………興味なさそうで何よりだよ」


 伝わってなかったみたいだ。悲しい。

 まあお前は遊び人じゃねえ、ってさっきシズクに言われたしな。俺は賢者にはなれないってことだ、多分。


「……………………」


「……………………」


 寄せては返す波を見ていると、なんだか無性に虚しい気分になってくる。

 せっかく波として形になったのに、海に戻ればその形を失って消えてしまう。一つ消えたらまた新しい一つができて、その繰り返し。

 すぐに終わってしまうその一瞬を、彼らは一体どんな気持ちで過ごしているのだろうか。

 彼らにとって自分とは、何なのだろうか。


――――いやまあ。ただの波の話なんだが。


「まあ、なんだ。今日は話だけでも聞いてもらえて助かったよ。ありがとな」


 思考を上書きするように、俺は隣に座るシズクに礼を伝える。


「別に構わないさ。また何かあったら頼ってくれ。相談には乗ろう」


「おう。そりゃありがたいな」


 俺は立ち上がって一度伸びをした。

 はあ、仕方ない。仕事探すか…………。

 少しだけ名残惜しさを感じながらも俺はその場を立ち去ろうとして、


「ん? どうした?」


 後ろを振り返る。立ち上がった俺の手をシズクの右手が掴んでいた。


「その、だな」


「おう」


 もじもじしながら喋るシズクは、なかなか俺と目を合わせてくれない。視線がずっと下の方を彷徨っている。


「もし、だぞ?」


「おう」


「もしお前さえよければなんだが」


「…………おう?」


「その…………指南役として、うちの道場に来ないか?」


「えっと、それはつまり?」


「いやほら、なんだ? 『元』勇者パーティーの人間が指南役として来てくれるなら門下生も増えるというか。それにお前の実力なら申し分ないと思ってな――――もちろん他意はないんだ。本当だぞ?」


「お、おう。そうか…………?」


 何を焦っているのか知らないが、自分もその『元』勇者パーティーの人間だということを忘れているのだろうか。

 ほんとにどうしたんだコイツ?


「そりゃ俺としてはありがたい限りだけど、本当にいいのか?」


 シズクの家が道場だったとは初耳だが、確かにそこなら過酷な労働環境という訳でもないだろうし、かなり好条件な職場かもしれない。俺に人を指導する才能があるかは未知数だが。


「っ、もちろんだ! 引き受けてくれるのか?」


「ま、まあ。俺でいいなら――――って顔近ぇよ離れろ」


 急にパーソナルスペースを無視して突っ込んできたシズクをぐい、と押し返しながら俺は言う。


「もともとお前には就職先の相談をしに来たんだし。シズクが提供してくれるってんなら願ってもないことだ。ありがたく引き受けさせてもらうぜ」


 平和になった世の中でも俺のこの剣がまだ役に立つなら。


「よし、なら今すぐ行こうか」


「痛い痛い、引っ張るなよ。海に落ちたらどうしてくれる――――てか行くってどこに?」


「私の道場だ。そういう話だっただろう?」


「そういう話、だったのか?」


「ああ。ほら、行こう」


 差し出された手を、掴む。

 シズクに手を引かれるままに、俺は海沿いの道を進んでいく。


 市場は今日も人で賑わい、漁に出ていく船もちらほら見える。数日前まで魔王の影響で市場に魚が並んでいなかったというのだから驚きだ。さっき少しぶらついただけでも、以前の街もかくやといった速度で活気を取り戻しているのが感じられた。


 勇者パーティーの守った平和は確かにここにあったのだと実感する一方で、なんだかくすぐったい気分にもなる。


「シズク。そういえば俺、お前のとこの流派全然分からないんだけど」


「む、困ったな。それでは指導ができないか…………」


「ああ、だから俺は基本的な戦い方を教える方向で――――」


「――――いや。お前には私が直接教えよう。なるべく早く…………そうだな、三日で修めてくれ」


「はあ!? 三日は無理だろ! 俺はお前じゃねえんだぞ!?」


「ディルムッド。さすがに私も三日は無理だぞ」


「じゃあなおさらできねえだろうがっ!」

 

 男の叫び声が昼下がりの港を揺らす。

 

 今日この日、『遊び人』(を自称していた)ディルムッド・リヒムという男は死んだ。

 生まれ変わった彼がこの先どうなっていくのかは仲間にも――――あるいは世界にさえもまだ、分からない。

 



 

⬛︎皇神暦1061年某日・王都ハイラーン・『マタタビ亭』

 

 

 夜空に満点の星を携えた月が浮かび上がる時間帯。仕事終わりの鉱夫の集団で賑わいを見せるその店に、一人の袴姿の若い男が入ってきた。


「あ、きた! おっそいよ~」


 先に来て座っていた聖職者然とした格好の女が立ち上がって手招きする。

 男はそれを見とめると、わざとらしく疲れた表情をつくった。


「悪いな、が長引いちまってよ」


「はは。なんだか、君の口からその言葉を聞くのはまだ慣れないね」


 黒のスーツに身を包んだ男が会話に入ってくる。白い歯を見せて笑うその好青年ぶりは、袴姿の男に言わせればイケメンは爆発しろ、らしい。どう考えてもただの僻みだ。


「ああ? そりゃひどくねえか? 俺だって一応真面目に働いてんだぜ?」


 男が元々悪い目つきをさらに悪くして抗議するが、本気で怒っている訳ではなかったのだろう。

 すぐに表情を戻して、並んで座る二人の男女の対面に腰掛ける。直前で、あ、と呟いて、


「あ、そうだ。アイツもそろそろ来るみたいだぜ」


「本当かい? よかった。二年に一度ぐらいは全員の顔を見ておきたいからね」


「そうは言ってもお前は俺達と何度か顔合わせてるだろ?」


「職場ではね。プライベートで会う機会ってなかなかないだろ?」


 まあたしかにな、と頷いて男は出された水を一口飲んだ。確かにスーツの男の方とは仕事上たまに会うこともあるのだが、こうして人目を気にせず談笑できる機会はそうあるものではない。


「そういえばこの間の臨時講師を引き受けてくれたのは助かったよ。おかげで団員達の士気も上がったし」


「あ、そっか。ディルって今若い子達に剣術教えてるんだっけ」


「まるで俺が若くないみたいな言い方を…………まあそうだな、才能の原石達をピカピカに磨き上げるだけの、それは面倒なお仕事さ」


「え、じゃあ臨時講師ってほんとにやったの?」


「さすがに冗談ではやらないけどな? 給料がよかったから引き受けた」


「相変わらず俗物的だねぇ」


「ディルムッドは昔からそうだからね。僕としては久しぶりに君と剣を交えられて楽しかったよ」


「あああの親善試合、とか言ってお前が俺をボコボコにしたやつな。覚えてる覚えてる。ふざけやがって」


「ディルボコられたん?」


「ボコボコにはしてないよ」


「しただろうが! 嘘ついてんじゃねえよ! こいつはな――――」


 ダン、と、机を叩いて立ち上がった男が、ついに愚痴を言い始める。スーツの男は頬をかきながら笑顔でそれを聞き流し、聖職者の女は男の話に相槌をうちながら時折声を上げて大笑いしていた。


 彼らは『元』勇者パーティーのメンバー達。今日は二年に一度、忙しい身の上の彼らが全員集まる日なのだ。


「――――しかもそこでさ、」


 と、ディルムッドがまだ何か続けようとしたところで、扉が新たな来客の存在を告げる。


「あっ、シズク! こっちこっち~」


 いち早く気づいたプリシラがやはり立ち上がって手を振って。男達も遅れて気づいて入口の方向を見る。見慣れた着物を見に纏った女がこちらに向かってきていた。


「やあ、久しぶりだな。アレス、プリシラ」


「ほんとだよ! シズクったら全然会いに来てくれないんだから! もう私寂しくて…………」


 よよよ、と泣き真似をするプリシラを見てシズクは微笑む。


「すまない。だが、『大聖堂』にいきなり私のような一般人が訪ねていったらそれはそれで問題だろう」


「そうなんだけどさぁ」


 不満げにプリシラが呟く。その様子を眺めていたアレスが小さく笑った。


「シズク? 王国で唯一『極点』の称号を得た剣士のことを、一般人と呼ぶ人はどこにもいないと思うよ」


「そうか? そういうお前は騎士団長になったんだったな。随分出世したものだ」


「まあ成り行きでね。常に国から監視されてるとも言い換えられるけど。どうやら国の上層部は僕を――――」


「シズク。早くこっち来て座れよ」


 なんだか最後まで聞いてしまうと大変よろしくなさそうな話が始まったので、ディルムッドはとりあえず話をぶった切ることにした。


「ああ。そうさせてもらおう」


 洗練された所作でディルムッドの隣に腰を落ち着けるシズク。大和撫子然としたその立ち居振る舞いに、アレスは思わず息をのんだ。


「なんだか見違えたね、シズク。前よりずっと綺麗になったように感じるよ」


「ん? ちょっと、アレス?」


 すかさず隣から肘打ちがとぶ。鳩尾にモロに食らったアレスは悶絶しながら前屈みに格好を崩した。


「う、ぐぅ…………いや、別に変な意味はない…………んだけど」


 苦しそうに呻くアレスに苦笑しながら、シズクは照れくさそうに頬をかいて言う。


「嬉しいことを言ってくれる。まあ、。身だしなみにも自然と意識がいくさ」


 そして、何でもないことのようにそう言い放ったのだ。


「「え?」」


 『元』勇者と聖女の声が重なる。


「そうだぜアレス。いくらお前がイケメンだからって滅多なこと言ってんじゃねえよ」


 当たり前のようにディルムッドがそれに乗っかる。二人の視線がディルムッドとシズクの間を彷徨った。


「え、待って待って? なに? 二人結婚したの!? うそうそ、え? ほんとに?」


 興味津々といった様子で瞳をキラキラ輝かせたプリシラが、ダンと机に身を乗り出す。


「ああ。と言っても一年前の話だがな」


「別にいいだろ、プリシラ。お前らだって結婚してるんだし」


「いやいやそういうことじゃないでしょ! え、だってディルだよ? あのディルなんだよ!?」


「どのディルだよ! 結婚できなさそうな男で悪かったな!」


「どうやらこれは、詳しく話を聞く必要がありそうだね」


 しばらく考え込んでいたアレスが口を開いたかと思えば、そんなことを言う。そのあまりの気迫にディルムッドは、かつて魔王に立ち向かった時の勇者の姿を幻視した。


「ガチモードって訳か…………」


「根掘り葉掘り聞かせてもらっちゃうからね~」


 楽しそうにプリシラが両手をワキワキさせる。こうなったらもうディルムッドには止められない。

 この四人の中ではどう考えても自分が一番弱いのだ。こういう時は黙っておくのが吉というものだろう。


「それでさシズク。きっかけはなんだったの?」


「それはだな、実はディルムッドの方から――――」


「だあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ! やっぱやめろ! それ以上話すんじゃねえ!」


 無理だった。黙っていられなかった。

 ディルムッドの情けない叫びが店内を駆け、それを見た三人が笑顔を見せる。


 月明かりが僅かに射し込む『マタタビ亭』の席は、未だ多くの客で埋まったままだ。

 

 英雄達の夜が、更けていく。

 魔王が消えた後の世界でも、彼ら『元』勇者パーティーのメンバーはそれぞれの道を歩み続ける。


 そうして今日みたいに全員が揃った日には、会えなかった時間を取り戻すように思い出話に花を咲かせるのだ。また再来年に、と未来の約束をして。


 まだまだ先は長い。魔王はたおれ、けれども全ての脅威がこの世界から去った訳ではない。彼らの道が再び交わる機会も、生きていれば訪れるかもしれない。


 故に、彼らの旅はまだ続く。


 『勇者』も『聖女』も『極剣』も、そして。未だ何者でもない『彼』も、また。

 

――――じゃあな、お前ら。

 

 いつか訪れるかもしれないその日まで、自らの道を歩み続けるのだ。

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とある遊び人が死ぬまでの話 梅崎雨 @amekagamino

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