たんぼのかかし
骨太の生存術
たんぼのかかし
(田植えの時期、田んぼの真ん中に、ほおかむりしたかかしを立てる農家の若い娘。)
わたしはかかし。きょう、この日、うまれた。
ありがとう、娘さん。ありがとう。きみに、一生恩にきるよ。
(田んぼの真ん中に立つかかし。様々な生き物たち。遠くにもう一体のかかし。)
みんな、わたしのもとへやってくる。いろんないきもの、たくさん。
空にいるもの、土にいるもの、水にいるもの。
あっちにいるのはわたしのなかまだろうか。
彼も田んぼのまんなかにつったっている。
(青く茂る稲。梅雨。かかしの足を這い上ってくる蛙。)
きみは何だい? かえるだって? それがきみのなまえ?
きみにはこの雨ふりがしあわせなんだろうね? その顔でわかるよ、かえる君。
わたしはもうずぶぬれには慣れたよ。これが季節というんだってね。
わたしもきみのようなつるりとした肌をしていれば、これが恵みの雨となったろうよ。
(かかしの足下の水底にタニシ。)
たにし君、いいかげんそろそろ動きたまえ。
そして鴨の親子たちに気を付けたまえ。
彼らに見つかる前に、稲の森に隠れたほうがいい。
そうだ、そっちなら大丈夫。
(泳いでくる鴨の親子。)
おや、こんにちは、鴨のおかあさん。ごきげんいかが?
たにし君はとっくに向こうへ行ったよ。うさぎのように急ぎ足でね。
ああ、そっちへ行ったらいけない、鴨のぼっちゃん……。
ああ、たにし君……。
(稲の葉をついばむバッタ。それを見ているかかし。)
こら、きみ、いけないよ。
きみ、きみ、こら。よし、わかった。きみ、いつまでもそこで葉っぱをかじっているがいい。
とってつかまえてやるからな。
この手が動けばの話だけど。
こんどだけだよ、ばった君。見逃してやるのは。
(照りつける日差しの下のかかしに麦わら帽子を被せる農家の娘。茂る稲穂。)
ああ、ありがとう、娘さん。この暑さにはまいってたところなんだ。
その上、入道雲君のふらす雨粒はわたしをちくちく突き刺すんだよ。
いっときなんか、氷の雨を叩き付けてきたものだ。
ほら、わたしの着物が破けてるところあるだろう? そこいらにね。まったくしてやられた。
え? 繕ってくれるのかい? それは、ありがとう。
(かかしの背後のあぜ道に座り込んで、かかしの服を繕う農家の娘。)
せみ君たちの鳴き声も聞きあきた。
あんなやけっぱちな鳴き方じゃ、だれも振り返るまいよ。そうだろう?
わたしだったら、きみのお兄さんのように口笛を吹いて、きれいな音色を聞かせるさ。
わたしにはとっておきのすてきな旋律があるんだ。
もちろん、わたしは口笛を吹けないけどね。それはわかってる。
それにしても、きみが来てくれてうれしいよ、娘さん。
(たわわに実る稲穂をついばむ小鳥たち。それをのんびり見ているかかし。)
きみたちはいい気なもんだ。わたしはきみたちをお追い払うのが仕事だというのに。
娘さんのように、わたしも手足をばたばた振りまわせば、きみたちは大切なお米をついばむのをやめてくれるかい?
そんなことくらい、やろうと思えばいつだってやれるんだよ。
ああ、でも、私はじっとしてるよ。
それもわたしの仕事だもの。
(かかしの両腕に留まる二羽の小鳥。雄鳥が雌鳥に求婚。)
おや、きみ、そっちの小鳥さんのことがすきなんだね?
そうそう、きれいなさえずりだ。それなら彼女もその気になるさ。
ほら、もう少し、がんばれ。
(一緒に飛び立つ二羽の小鳥を見送るかかし。)
わたしの腕は、まるで小鳥たちの結婚式場のよう。
わたしの腕から飛び立つ小鳥たちはみんなしあわせそうだ。
かれらふたりはひとつに寄り添って、ふわりと風をつかまえ翼をひらめかせ、空の彼方へ飛んでいく。
きっと日の暮れるまで、きみらはともに舞うのだろう。
おたがいを呼びあって、ときにはささやきあって。
わたしはきみらの幸福を、いつまでも願っているよ。
(夕明かりの中、収穫後の田んぼの中のかかし、光り輝く山の際を見ている。)
せせらぎの流れよりも澄みわたるこの金色の空は、
黒々とした大地の果てにぷっつり断ち切られる。
やがて空は、大地と同化して濃紺の暗幕となる。
夜だ。
わたしは生まれてからこれまで、何度夜を迎えたか。
これから何度夜を迎えるのか。
(わずかな星明かりの暗い夜。かかし、独り立つ。)
月が出ていれば上等。
しかし、星の光をも封じ込め、地の底から天の頂までも闇に閉ざした夜には、
耳元をかすめるこうもりの羽音や、足を這いのぼり這いおりるねずみらに、
わたしはいちいちすくみあがるのだ。
静寂を奏でるふくろうの鳴き声だけが心の頼りだ。
その声は、泥沼のような息詰まる闇を、さらなる静寂をもって支配する。
そして、腹の底から震えて過ごさねばならない生きとし生けるものたちを、
腹の底から安堵させてくれるのだ。
今夜はかろうじて星夜になるだろう。またも月は置いてけぼりだ。
わたしはすこしばかり、森のふくろうを想う。
(一面の銀世界。綿入れを着たかかしの菅笠に雪が積もっている。)
わたしの着物はあたたかそうだろう? この笠も似合っているだろう?
なあ小鳥君たち! どうだいかえる君! 鴨の母子たち!
眠りから目覚めて、わたしのところへ来ておくれよ。
この雪が融ける前に、わたしが再びいつものように薄汚れる前に。
きみらに自慢したいんだ。娘さんがくれたこの着物や笠をね。
(一匹の雪兎がかかしの前を通りかかる。)
きみ、どうだい? この艶やかな着物。
きみの真っ白な毛並みにも、すこしも劣らないだろう?
ちょっとだけ立ち止まって、見ていっておくれよ。
(走り去る雪兎。それを見送るかかし。)
きみ! きみ!
(菅笠を目深に被り、吹雪に耐えるかかし。)
(雪解けの季節。かかしの薄汚れた着物。折れた腕。小鳥たちが飛び回る。)
やあ、きみたち、ようやく目覚めたのかい?
なぁに、この腕はきっと娘さんが治してくれる。
ただちょっとばかり、雪が重たかっただけさ。
たいしたことはないよ。
(かかしの着物から綿をつついて引き出している小鳥たち。)
巣作りには、この綿は具合がよかろう。好きなだけもっていきなさい。
せっかくの着物だが、きみらの卵たちをあたためるためだものね。
かわりといっては何だがね、きみたち。
雪に埋もれてたときにね、ふと思いついたんだ。
いつかきみたち、長男末っ子みんな家族そろって、
わたしの腕に留まりにきてくれないか?
それがわたしの希望なんだよ。
(厳かに、俯いて、しずしずと歩く花嫁。)
今日がその日なんだね。
冬の雪よりもあたたかげな純白のおしろい。
そこに一点ひいた紅の朱。
とても似合うよ、娘さん。
(道を行く結婚式の一行。花嫁は農家の娘。それを見送るかかし。)
きみのことは、わたしが雪深く埋もれていた静かな夜に、わたしの耳にも聞こえてきていた。
わたしの体はじっとり濡れ、凍てつき、考えることも麻痺していたが、
その日が来たら、きみにこう言葉をかけようと、柔らかな氷の中で、それだけを決めていた。
きみに穏やかなる幸のあらんことを!
(双子の赤子を背負って農作業をする農家の娘。それを見守るかかし。)
(刈り取り後の田んぼの中を走り回る子供たち。それを見守るかかしと、かかしの着物を繕う娘。)
(子供たちにいたずらされるかかし。だが、笑顔を絶やさないかかし。)
(満月の夜。月明かりの中のかかし。)
永遠という言葉を聞いた。
都会から来た若い男女が言っていた。
素晴らしい眺めね、永遠のものだね、と。
月は永遠かもしれない。
だが、そうでないもののほうがこの世には多いことを、わたしは知っている。
(かかしの腕に並んで留まる小鳥の家族。)
わたしの腕に留まり、そのくちばしと小さな舌から愛を奏でたあの小鳥たちはもうとうにいない。
彼らの命は短いそうだ。
娘さんの父親がそう話しているのを聞いたことがある。
その娘さんの父親も、残っていた命は短かった。
(空を飛んでいる鴨の群れ。)
あの鴨の親子たちはといえば、わたしが生まれてから五度目の冬が来る前に、
山の向こうへ飛び立ったきり、誰も戻ってこない。
(農家の娘はすっかり腰を曲げ、老婆になっている。独り農作業する。田んぼも狭くなった。)
いつの間にか、娘さんの腰はくの字に折れてしまった。
娘さんの家族は増えたが、重たげに頭を垂れる稲穂の数は減った。
(遠くの田んぼ。倒れているかかし。)
向こうにいたわたしの仲間は、枯れた田に横たわっている。
(森の木を伐採している木こりたち。それを見守るかかし。)
老木の虚の住人、森のふくろうも、鋸をひかれた倒木には棲むことはない。
いまや、彼らの澄んだささやき声は、わたしの耳には届かない。
(星夜の中のかかし。)
森のふくろうよ! わたしの声が聞こえるか!
いま一度、あなたの声を聞かせてほしい!
森よ! ふくろうよ!
いま一度!
(あぜ道に腰掛け、かかしの着物を繕う老婆。刈り取り後の田んぼ。かかし。稲掛に干されてる稲。)
きみさえよければ、わたしが手伝うよ。
まだこれからたくさん仕事が残ってるだろう?
もう働き手もいないんだろう?
仕方なく独りでやっているんだろう?
力仕事なら、わたしに任せてほしいんだ。
いまさらこんなこと申し出るのは遅すぎるかもしれないが、
わたしはきみに恩返しをしなくては気が済まないんだ。
稲穂を小鳥やばったから守るのはわたしの仕事だが、この際正直に白状しよう。
わたしは彼らと、彼らの子や孫やひ孫みんなと、友達になってしまっているんだ。
申し訳ない。
それでもきみはわたしを恨まずに、そんな風にわたしの着物を繕ってくれるんだね。
ふふふ、居眠りしてたね、きみ。針で指を突かないように。
今年もたくさんの小鳥君と、新婚のばった君と、緑色したかえる君と、
それにほうほうの体でこの地に流れ着いた鴨君と知り合ったよ。
そうそう、たにし君とも友達になったんだ。でもやはり、鴨君に食べられてしまったんだけど。
娘さん、聞いておくれ。
わたしの友達は、みんなわたしから去っていく。
だけどまた、すぐに別の友達ができるんだ。
それはそれで喜ばしいことさ。
だけどね、わたしは気付いたんだ。
みんな、最後には土に帰っていく。
みんな、わたしを通り過ぎていくだけなんだ。
そういうものなのかい、娘さん?
娘さん?
きみ?
(居眠りするようにうずくまったままの老婆。)
きみも、わたしから去っていくのかい?
(老婆の葬式の行列。それを見ているかかし。)
(彼方に立ちのぼる煙。それを見守るかかし。)
安らかに、深く深く、お眠り。
きみは、わたしもきみも大好きだったこの地に眠り、
この地に生きる命あるものたちがみなそうであるように、
清らかな土に帰るんだね。
そして、やがてきみは空になるんだ。
(夕明かりに映えるかかし。)
わたしもいつか、空になりたい。
きみとともに、この光を全身に受けて輝きたい。
きみとともに大地を巡り、実りの季節には日を照らし、ときにあたたかい雨を降らせよう。
夜はふくろうの子守歌に、眠りにつく生きものたちの寝息に耳を澄ます。
すてきな調べだよ。
きみと二人で聴くんだ。
それが私の希望だ。
もちろんきみがよければだけど。
それにしても悪い話じゃないだろう?
(放ったらかしの田んぼ。伸び放題の雑草。独り突っ立っているかかし。)
(田んぼはススキ野原に。その中にぽつんとかかし。)
きみが大事にしていた田んぼも、いまじゃこのとおりさ。
気を悪くしないでおくれ。
わたしはこれはこれで気に入ってるんだ。
薄の綿毛はあたたかい。風がそよぐとわたしの頬をくすぐるんだ。
彼らだっておたがいにくすぐりあってる。
そこかしこで彼らは、さらさらと笑っているよ。
(かかしの片足が黒ずんでいる。)
どうやら、わたしの片方の足が駄目になりかけてるよ。
ちょうど脛のところだろうか。
地面に埋まった足首のちょいと上のあたりに、虫が住みついてるらしい。
そのうち、わたしの全身にその虫が這い回ることになれば、わたしが土に帰る日も近いだろうね。
それでもいいかい、娘さん?
(そのかかしの肩にタンポポの種が舞い降りる。)
(そのタンポポの花が咲いている。春。)
(倒れているかかしはぼろぼろ。その肩にタンポポの花。)
娘さん、見えるかい?
たんぽぽは、土に咲くんだろう?
わたしの体はもう土になったのかな。
わたしの心はまだここにいるのに。
ここでは土に帰れないのだろうか。
それともわたしは土に帰れないのだろうか。
きみのいるところへは、わたしは行けないのかい?
(月夜。)
向こうにいるわたしの仲間はどうしているだろう。
彼は土に帰れたのだろうか。
彼に会いに行こう。
(腕を使って、体を起こすかかし。)
(月明かりの中、野原を歩くかかし。)
(倒れているもうひとりのかかし。朽ち果てている。それを見下ろすかかし。)
もし、きみ?
「……なんだね……」
きみはいつからそうしている?
「……ずっと昔から」
きみはいつ土に帰るんだ?
「……ずっと……先……命……尽きる時」
きみも空になるんだね。
「……違う……死は……無だ」
そんなことはないさ。もっと希望を持ちたまえ。
「……死は……真っ白だ……死は……真っ黒だ」
「何も……見えない……何も……感じない……」
「……まるっきり……無くなる」
そんな、そんな!
「悲嘆に……眩れるな……若者よ……」
「……永遠に……生き続ける……」
「あらゆる……死にゆく生きものたちは……土に帰り……」
「……あらゆる……生まれくる生きものたちの……一部になる」
「草になって……虫になって……鳥になって……」
それじゃ、娘さんは……。
「想う者とは……いつか……それと気付かぬうちに……巡りあう……」
「……それが……希望」
娘さんの一部が鳥になって、もうとっくにわたしを訪れたというのか?
「……かもしれん」
わたしが生き続けていれば、娘さんの宿るいろんな生きものたちが、
わたしを訪れるというのか?
「……ああ……きっと」
だけど、みんなすぐに去っていってしまうんだ!
わたしは何度、その悲しみを噛み締めて飲み込んで耐えればいいんだ?
この先、何度!
どれだけの夜を!
いくつの冬を!
答えてくれ! きみ!
きみ?
(倒れているかかしは土に帰った。)
それが答えなのかい?
無になるということが。
(歩み去るかかし。里山を目指す。)
(里山の頂上に立つかかし。)
わたしが土に帰ってしまったら、娘さん、わたしはきみのことも忘れてしまうんだろうか。
そしてきみとの再会は、運命にまかされてしまう。
きみへの想いも、わたしはここに置き去りにしてしまうんだ。
だがそれまで、わたしにはだいぶ時間がある。
途方もなく繰り返される昼と夜と、幾度となく巡り巡る季節を、わたしには過ごす時間がある。
ついにその時が来るまで、きみはわたしを訪れてきてくれるかい?
(かかしの肩に小鳥が留まる。)
やあきみかい、娘さん?
(かかしの両腕にたくさんの小鳥が留まる。)
ふふふ、わかった。
わたしはじっとしてるよ。
(小鳥舞う里山の頂上に、かかしの姿。)
(里山一番の大木。その幹の一部となっているかかしの姿。)
終
たんぼのかかし 骨太の生存術 @HONEBUTO782
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