ハンドルの行方

 日曜日。イベント最終日で、4×11ラップリレー当日。

快晴に富士山が悠然と佇み、路面状況は良好。絶好のレース日和だ。


[走順は照選手が第一走者とアンカー、デュモン選手が第二、第三走者です。通常のFEレースと異なりマシン交換ができないのでバッテリー残量に気をつけてください]


レース前の最終ミーティングを終え、ジャスミンの花を模したデカールが貼られたマシンに乗り込む。


[……投票の結果ファンブーストはカゲツ選手に与えられました。炎のデカールが貼られたS.D.のマシンは通常より速く走ることができる「アタックモード」を使用できるので、注意してください]


ランちゃんが運転席を調整しながら深刻な声色で呟く。FEのことはよく分からんが、ただでさえ速いS.D.が金棒手に入れたことはなんとなくわかる。


[では、お気をつけて]


スタートラインまでゆっくりと進み、モーターを完全に停止させる。エンジン音が鳴り響くF1と違って、スタート前のサーキットは静寂に包まれている。


[まずは11ラップ、保ってくれよ]


信号シグナルが変わった瞬間にアクセルを踏み込む。マシンが一気に加速し、横並びに並んだ集団から飛び出した。横にはゴルゴーンのデカールが貼られた黒いマシンがぴったりとつけている。


(あれ?ペルセウスの第一走者は確かレイスだよな。でも、この走り方はレイスというよりは――)


コーナーを曲がった瞬間、左側から強い衝撃を受ける。外側を走っているマシンが思い切りぶつかってきたんだ。

スピードを上げて抜けようとしても、左前方に陣取った黒いマシンが進路を塞ぐ。


[このやり口……デーモンか!?]


立て続けにに2回、3回。フロントへの衝撃で車体がふらつくが、ここでクラッシュすれば後続車が巻き込まれる。負けるわけにはいかない。

なんとか追い抜こうとアクセルを踏み込んだ瞬間、前方にいたマシンが急にスピードを落とした。


[しまっ――]


死を覚悟した瞬間、マシンと共にオレは真横に吹っ飛んだ。


  **


マシンから降りたオレが最初に見た光景は、フロントが大破した紫の――炎を模したデカールの貼られたマシンだった。


「そ、んな……」


血の気が一気に引くのを感じる。

昔見た、若いレーサーがクラッシュしたマシンから引き摺り出される光景が脳裏を過ぎる。その事故で両脚がダメになって後に自殺したという彼も、確かS.D.のレーサーだった。

気づけば、脚がメディカルセンターに向かっていた。


[っ、ディーちゃん!!]


メディカルセンターに入ると、ベッドに人影が見えた。

けど、ディーちゃんにしてはちょっと、いや、かなり小さい気がする。


[悪かったね、ディーじゃなくて]


ベッドに寝ていたトゥルエノが起き上がる。よくよく考えりゃ2台のマシンを4人で使うんだから、アタックモードが使えるマシンにディーちゃんが乗ってるわけじゃないのか。


[べ、別にディーちゃんじゃないからって、ガッカリなんてしてないし……]


[いーよ別に。それよりテラス、あんたこそ怪我はない?]


[ちょっと首を痛めたぐらい。レースには支障ないぜ]


そう言って笑ってみせると、トゥルエノは珍しく柔らかい表情をしていた。


[……おれのダチがさ、おんなじやり口でサンダースにやられたんだ。そいつは脚がぐちゃぐちゃに潰れて自殺した。だから、あんたをあの悪魔から守れてよかったよ]


枕元に置かれた翡翠の勾玉を撫でて、トゥルエノは笑った。普段からその顔見せてりゃ、もっと人気出そうな気はするぜ。


[おれなんかほっといて、早くレースに戻れよ。ディーの奴、昨日からずっと楽しみにしてたからさ。あんたと走んの]


[言われなくても、最初からそのつもりだよ]


医務室を出てピットに向かおうとすると、カミーユが待ち構えていた。


[デーモンの次はオマエかよ。ここでオレをレイプでもして、リタイアさせようってか?]


レースを妨害された怒りが口からまろび出る。殴られるかブチ切れられるかと腹を括ったが、予想に反してカミーユは深々と頭を下げた。


[すまねぇ、プリンセス。俺様がデーモンの企みに気づいてりゃ、こんなことにはならなかった]


カミーユが苦々しい表情でグローブを握りしめる。

カミーユの言いぶりから察するに、レース妨害はデーモンとキャノンの独断らしい。


[いや……知っていたとて、F1キャリア3年のキミが、キャリア20年のユージーンに意見できるはずもあるまい。責任を負うべきはワタシの方だよ、Monsieur MAD]


廊下の向こうから歩いてきたハミルトンさんが、オレの方に向き直る。


[mademoiselle、キミはワタシと共に病院だ。目立った症状がなくとも、首を痛めたのならば後から症状が出るかもしれない]


[でも、レースが――]


[マツリカ・テラス]


いつになく真剣な声色だ。こんなハミルトンさん見たことない。


[これはF1レースじゃない。festa、ただのお遊びだ。もし脳出血を起こしていたら?神経が傷付いていたら?キミは二度とマシンに乗れなくなるかもしれない……レースを棄権し、病院で診てもらうのが賢明だと思わないかね?]


[ミスターの言う通りだ、プリンセス。どのみちが乗ってたマシンはどう見たって走れる状況じゃねぇ。あんた死にかけたんだぞ?今ここで、命を張る事はねぇだろ]


――ディーの奴、昨日からずっと楽しみにしてたからさ。あんたと走んの。


2人の言葉に、さっきトゥルエノが言ってたことを思い出す。


[……待ってるんだ、ディーちゃんが。オレと走りたいって]


真っ白に燃え尽きて、つまらない終わり方するはずだったレーサー人生。

それをひっくり返して、オレを超新星にしてくれたのは、間違いなくディーちゃんだ。


[オレは、オレの全てをかけて応えたいんだよ。あの日、鈴鹿で――いや、ディーちゃんがレーサーデビューした時からずっと送ってくれてた、ラブコールに]


しばらく睨み合って、カミーユとハミルトンさんが口を開くのを待つ。


[プリンセス。あんた今、世界で一番綺麗だぜ……恋する女の顔だ]


[Le course automobile doit continuer……レースは行われなければならないRACE must go onというわけだね、mademoiselle。よろしい!ならば、なんとしてもキミとルーセルの対決を実現しよう!]


先程まで険しい顔をしていた2人の表情が一変、満面の笑顔になる。無理矢理病院送りにされなくて良かった。


[だが、マシンはどうする?CGLのマシンは急ピッチで修理すりゃ走れそうだが、S.D.のマシンはバッテリーが保たねぇぞ]


[オレが乗ってたマシンをS.D.に貸す]


今回のイベントでは全チームが2043シーズンレギュレーションマシン『トラストサンダーボルト』と、フレミング社のモーターを使用している。他チームのマシンを借りたところで、不利になることはないはずだ。


[しかし、それではmademoiselleが乗るマシンが――]


[ありますよ。一台、とっておきのが]


当てがなければ貸すなんて言わない。2人にお礼を告げて、ピットビルを目指して一目散に駆け出した。


  **


[展示しているマシン――『ハンダアマテラス340』を使う?]


マシンの修理をしていたメカニックの中で一番暇そうだったランを引っ張って、イベントエリアの展示ブースに向かう。


[ああ。あれだってFEマシンだろ?]


[それは、そうですが……]


真っ白なマシンの周りには誰もいない。皆レースを観ているんだ。


[アンカーに走順が回ってくるまであと30分。20分で走れるようにして、ピットまで入れてくれ]


[いや、工具がないと――]


渋るランに工具箱を放り投げる。さっきピットから借りてきておいたんだよ。


[頼むぜ、ラン。オマエの腕を信頼してるからな]


抱きしめて背中を叩くと、ランはため息をついてマシンの下に潜り込んだ。


「ったく、無茶言いやがってババア……!」


マシンの下から日本語が聞こえてくる。


[……あれ?ラン、日本語喋れんの?]


「あぁ!?喋れるも何も、おれは日本語ネイティブだっつーの!」


人のこと言えたクチじゃないが、英語の時とは全く口調が違う。


[ずっとジュランって名前の中国人だと思ってた……]


「おれの本名は!い、つ、き、み、だ、れ!アンタと同じ、日本人!」


マシンの下から這い出てきたランがデカいため息をつく。ごめんマジで。


「とりあえず走れるようにしたぞ。あともうちょいいじって最高速度出るようにするからちょっと待ってろ」


[最高速度、って――]


「時速340km。現行マシンのアタックモードより速いぜ」


ほぼF1マシン並みの速度だ。モーターだけでここまでの速さを出せるのは、ひとえにハンダの技術力が為せる技だろう。


「よし。行ってこいババア!パリジャンとヤンキーに、日本の底力を見せてやれ!」


マシンに乗り込み、ピットビルを目指す。


「……ありがとう、ランちゃん」


このレースが終わったら、ちゃんとお礼をしなくちゃな。


  **


ピットコースには走順を待つレーサーたちが控えている。

赤、青、ピンク、黒、オレンジ。色とりどりの背中が並んでいるけど、紫だけが見えない。


[残念、カゲツならもうずっと前にピットアウトしたわよ]


振り向くと蛍光ピンクのレーシングスーツと豊満なバスト(背が高いから目線の位置に胸があるんだよ)が目に入る。CGLeのコーラル・キャニオンだ。


[トップはS.D.のカゲツ、2番はペルセウスのロレックス、そして3番がこのアタシ。アンタのバディ、デュモンは老害のハミルトンたちと4位集団で絶賛泥試合中。ここから逆転なんて、奇跡でも起こらなきゃムリね]


コーラルちゃんが首を傾けると、飴色のウェーブヘアがさらりと揺れる。レース前にちゃんと髪まとめとけよ。


[それじゃ、せいぜい頑張ってね?オワコンオバサン♡]


ピットインを知らせる無線通信を聞いて、コーラルは颯爽と蛍光ピンクのマシンに乗り込む。


[待たせたなジャスミン――って、なんで笑ってるんだ?]


ほとんど入れ違いでゴーちゃんがピットインしてきた。


[いや、思った通りのレース展開すぎて笑えてきてさ]


困惑するゴーちゃんを尻目に、マシンに乗り込む。

さあ、こっからが本番だ。


  **


ホムラサーキットは急カーブと緩やかなカーブの繰り返し、それを抜けたグランドスタンド前の長い直線で構成されている。

デトロイトから12時間のフライト中に2043シーズンのFEレース24戦とF1レース23戦全て見返したから、走り方のクセは全員分把握してる。

今オレの前を走っているレーサーのうち、コーラルちゃんとカミーユにはカーブでインコースに入るクセがある。普通なら直線で抜こうと考えるだろう。


[でも、このマシンなら]


時速340kmと時速300km。大きくゆっくり曲がるからいつもより首に負担がかかるけど、アウトコースで勝負しても勝機はある。

試走で走った時の感覚から1日中イメージトレーニングをしていると、コース上に最速ルートが見えてくる。あとはその通りに走るだけだ。

まずはひとつ目。直線終わってすぐの急カーブで大きく曲がり、蛍光ピンクのマシンを追い抜く。


[っ、やっぱキツ……]


ふたつ目、みっつ目の緩いカーブはインコースに入り手早く曲がる。

イメージトレーニングよりも速く、正確に、マシンはハンドル通りの動きをしてくれる。やっぱり国産ハンダの車は違うぜ。

よっつ目、いつつ目のカーブは短い距離で連続している。ここをインコースで走れるとは、さすがカミーユ。FEタイトル保持者は伊達じゃない。

カーブが終わって直線になる直前で黒いマシンを追い抜く。ここからはインコースでバンバン走っていくだけだ。

カーブを曲がるたびに横向きの力が首に、全身にかかる。心臓がバクバクして、息が苦しくなる。体が悲鳴をあげているのがわかる。

ふと、眼前に富士山が見えるのに気づいた。

懐かしいな。じいちゃん家の庭に作ってもらったサーキットから富士山が見えて、子どもの頃はカートの練習で毎日のように見ていたっけ。


「……ああ、変わってないなあ」


あの頃からマシンのスペックも、サーキットの規模も変わったけど、オレがハンドルを握る理由は変わらない。


《凄まじいです!ハンダのアマテラス340、わずか1ラップで2人抜きました!これが、日本の底力!》


誰よりも早く走りたい。それだけだ。


《アマテラスが、照茉莉花が、今!カゲツに追いついた!》


ひたすらに目の前のマシンを追いかけていたら、気づけばファイナルラップになっていた。最短ルートでずっと走ってるから距離は縮まってる。でも、あともう少し。


[F1が終わるのが先か、オレの体が終わるのが先か――]


直線コース前の最後のカーブ。ジャスミンのデカールが見えるまで距離を詰めたけど、ディーちゃんは直線コースが得意だから、ここで抜けなきゃ勝ち目はない。

白い車体が、最後のコーナーで大きく膨らむ。


[――終わる前に、オレを人生の墓場にぶち込んでくれよ。ディーちゃん]


車体とコースの内側、マシンがギリギリ通れるかどうかの隙間に、マシンをねじ込んで追い抜く。視界にゴールが飛び込んできた。


《日本の、ハンダのマシンが!照茉莉花が!今、一着でやって来ました!》


割れんばかりの歓声と拍手に包まれて、ハンダアマテラス340にチェッカーフラッグが振られた。


  **


[はあっ、はあっ……なんとか、勝て、た……]


いつもよりラップ数は少ないとはいえ、無茶な走り方をしたせいか呼吸がうまくできない。


[ティグル!]


マシンから降りようとした瞬間、ディーちゃんが飛びついてきた。そしていつものようにお姫様抱っこで抱き上げられる。


[ちょっ、ディーちゃん!今日は自分で歩けるから……]


[違います。今日は、貴女を抱きしめたいから来たんです]


ディーちゃんはオレに答えを押し付けない。泣きたいぐらいつらい時は、いつも優しく抱きしめてくれる。


[……あのさ、ディーちゃん]


[はい?]


情けないオレを見ても、いつもと同じ笑顔で笑ってくれる。それがどんなにありがたいか、きっとディーちゃんは知らない。


[オレは、F1と結婚してるからさ。今はまだディーちゃんと結婚できないんだ。でも、F1が終わったら。F1が死んだらオレ、未亡人だからさ]


……ディーちゃんならもしかしたら、オレの心の、埋まらない隙間を埋めてくれるかもしれない。


[ティグル……?]


ディーちゃんの首に手を回して、顔を寄せる。ジャスミンの甘い匂いに混じって、少し汗の匂いがした。


[その時は、よろしく]


ディーちゃんが何かを言おうとしたけど、今は聞きたくないので唇で塞ぐ。ファーストキスだ、ありがたく受け取れ。


[あー。熱いbaiserを交わしているところ悪いが、これから表彰式なのでね。続きは後でにしてくれるかい?]


[ディーーーゼル!プリンセスを泣かせたら承知しねぇからな!!]


いつの間にか後ろでハミルトンさんとカミーユ――というか、ピットにいる全員がオレたちを見守っていた。


[……行きましょう、マツリカ!皆の声援が待ってます!]


ディーちゃんがオレをお姫様抱っこしたまま、表彰台に走っていく。


《それでは一位の照選手に、坂東社長よりトロフィーを授与――社長?》


サーキットに鈍い金属音が響く。オレたちを見たバカ社長が、手に持ったトロフィーを取り落とした音だ。


「茉莉花さん……?あの、コレは、一体――」


「社長、貴方は素敵。太陽みたいに、眩しくて」


唖然とするバカ社長に、オレ史上最大級の愛らしさでにっこりと微笑む。


「でもごめんなさい。私、太陽より月の方が好きなの!」


バカ社長に引導を叩きつけるべく、もう一度ディーちゃんに口付ける。スタンドからは一際大きい歓声と女性ファンの悲鳴が上がったが、気にしないことにする。


[引退は撤回だ!オレは……ディー・ルーセル・カゲツに、タイトルを獲られるその日まで、レーサーを続ける!]


……かくして、FE+1フェスティバルは――まあ多少のトラブルはあったけど――大盛況のうちに、全ての日程を終了した。

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