ルトの冒険記

沼津平成

家出編

第1話

    ルトの冒険記 1




 傾きかけた日が山の麓に影を作った。有名な観光地であるその山に今もあるのは、人混みの塊と、そのわずかな隙間に垣間見える絶景のただ二つだけだった。

 近くに電車が通っている。しかし、その車窓から遠目に見ても、結果は同じだった。

 少年ルトも人混みに押されながら、山を登っていた。人の口から漏れる言葉といえば、時折誰かがつまずきかけたときに出る、後ろの男の舌打ちだった。

 ルトの背にはいつの間にか太陽が映っていた。頂上も近づいて、少し空いてきた。ルトは振り返った。

 眩しいな――ルトは、予想通りだ、というふうに何度も頷いた。テレビで見ると、夕陽が固形のように見えるが、こうして肉眼でみると、やはり夕陽は幻だ……ルトはそうつくづく思う。

 しばらくは白いシャツの背中を煌々と照らしていた夕陽が姿を消し去り、かわりにのびた薄い影がルトについてきた。

 登るときとは違って、降りるときはそこそこ空いていた。ルトは、山の中腹あたりまで降りたとき、列を外れた。

 何人かは列を外れる少年に目をやったが、ほとんどは気にもとめずに山を激しい勢いで駆け降りていった。


    *


「そう、ルト。ルトはいませんか?」婦人が聞いた。「うちの子なんです」

「ルト、ですか」若い村の交番の巡査はふとった顔で惚けながら、うーんと唸って腕組みをした。

 やがて刑事はこう答えた。「この辺りに、少年の目撃情報は入っていませんね」

 婦人が崩れ落ちた。

「ああルト! どこに行ってしまったんだろう」

 いまの婦人にはプライドもへちまもなかった。ただひたすら、「ルトはどこ」と考えていた。脳内を漁って、「ルト」以外のものがあるとすれば、それは駅構内の売店の特売か、ルトに対する担任のチャーリーのいいとも悪いともいえない評価のどちらかだった。

 ルトは体育も国語も数学も決してうまくはなかった。だから、考える力も、体力もルトにはないと見くびったのがいけなかったのだ。

 ルトは、隠れてなにかこういうトレーニングをしていたに違いない。

「家出をすると、いってくれればよかったのに」と婦人はいった。聞き取りにくかったが、巡査にはこう聞こえた。

(それは違うと思うな)と巡査は思った。家出をすると予告してしまっては、その日に捕まってしまうではないか。

 巡査にも小さなころ似たような経験があった。だから、少し同情するのである。


    *


 ルカ男爵の家は山小屋だ。今ルトのいるサウザンドマウンテンからルト男爵の山小屋のある山は橋を渡ってすぐだが、知る人ぞ知る抜け道がある。

 それはルトがルカに頼んで掘ってもらったものだった。山の中腹に、二つの山の間には木でできた吊り橋があるのだ。もちろん、落ちたらけがどころではないが。

「90kmまでは乗れるように、設計しておいたから」

 ルカがいっていたのを、山を駆けおりる速さを少し緩めながら、ぼんやりとルトは思い出していた。

 山の中腹くらいについたろう。ルトは見上げたあと、見下ろした。どちらもてっぺんまでの距離に違いは多くなかった。

 ルトは木と木の間を這って横に進んでいった。色々思い出してきた。「ここはアナのようなものがある。シーラカンスの穴だ。となればここから500Mだな」とか。

 夕日が沈んで辺りは暗くなった。夜だ。

 ルトはくすぐったいような木の葉の続く地帯から抜けた。夜の中に光を見つけた。柑橘色の光は、茶色けた落ち葉のあたりに反射している。

 ルカ男爵はルトの身内の中で一番ルトに優しい人だった。

 ルカ男爵が帰ってきた。

「あっ、アランかい」ルカはきいた。

「アランじゃないよ。アラン兄さんより背ぇ低いだろ」ルトが答えて腹をよった。

「ああルトか。母さんなどいるか」

「ううん、家出してきたの」

 男爵は笑った。「そうか、もうそんな時分になったか。いいことではないが、よし決めたぞ。とめたろう」

「ありがとう!」

 かくしてルトの家出・一日目は終わった。

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