第34話 幕間 見知らぬところで世界は廻る

※クライブ視点



 仕事を終え、シークヴァルド殿下お抱えの料理人に作ってもらったポテトチップスなる菓子の入った籠を手に、城内の一角にある近衛騎士用の宿舎に戻る。


「おっ、クライブ。なに持ってるんだ?」


 宿舎に戻るなり、同僚から声が掛かった。

 近衛騎士という立場上、急に呼び出されることも多く、独身の希望者ならば宿舎に入ることが出来る。その為、この宿舎には若手が多い。食べ盛りで常時腹を減らしている者だらけのため、食べ物の匂いには敏感だ。

 おかげで止める間もなく、伸びてきた手が籠に入っていた菓子を1枚浚っていった。


「誰が食べていいって言った」


 顔を顰めて言ったこちらの文句など耳に入れられることはない。同僚は遠慮なく口に運んで飲み込んだ。

 その瞬間、目を丸くする。


「うっま! なにこれ、うっま!」

「なんだそれ、見たことない。俺もくれ」

「だからまだ食べていいなんて言ってないだろ」


 遠慮なく再び伸びてきた手を反射的に避けたものの、今度は後ろから声が掛かった。許可する前にまたも1枚奪われていく。一人が騒ぎ出せば、自然と興味を引かれた人間が集まってくる。あっという間に籠に群がられた。

 こうなるともう手が付けられない。「待て」と言って待つ奴らではない。止める間もなく籠ごと浚われていってしまった。


「すごいな。食べたことない食感だ。パリパリしてる」

「うまい。酒飲みたくなる」

「わかる。俺ちょっと厚切りになってる方が好き。つまみにしたい」


 普段は王宮ですました顔をしている同僚も、宿舎に入れば年相応の砕けた口調で行儀悪さと遠慮のなさを発揮する。おまえら一応は貴族の子弟だろう、と言いたくなるぐらい厚かましい。

 先日、アルフェンルート殿下からお礼だと言われて材料と調理法が提供されたことで出来た菓子は、どうやら騎士達に大好評のようだった。籠に山盛りの量があったはずなのに、あっという間に空になった籠だけが手元に戻ってくる。

 それどころか、「もっと寄越せ」「どこで手に入れた」「もう一度取って来い」などと言われる始末。

 近衛騎士の宿舎には、だいたい18歳から25歳くらいまでの人間がいる。自分はシークヴァルド殿下の乳兄弟という立場に加え、生まれた時から城で殿下を守るように育てられた分、人より遥かに経験年数があるため16歳から近衛騎士になれた。けれど、この宿舎では最年少だ。

 おかげで経験年数はこちらが上でも、宿舎では年齢相応の扱いをされる。

 つまり、こういう時に弱い。


「これはシークヴァルド殿下からのお裾分けだ。そう簡単に譲って頂けるわけがないだろ」


 しかし、さすがに1枚も残らないとは思わなかった。顔を顰めれば周りが息を呑んだ。


「……悪い。てっきりまたどこかのご令嬢からの差し入れかと」


 たとえどこかのご令嬢からだったとしても、それはそれで悪いと思ってほしい。とはいえ若干の妬みはあるだろうが、こういう扱いはそれなりに可愛がられているのだとわかっているので、そこまで腹が立つこともない。

 だがさすがに睨みたくはなるし、恨み言も言いたくなる。


「元々皆で分けるよう仰られたものだったからいいものの、少し残すぐらいの優しさはあってもよかったんじゃないか」

「だってうまくてさ。あ~もう1回食べたい」

「あんなの初めて食ったよ。あれって結局なんだったんだ? 芋?」


 何かわからずに食べていたのかと呆れてしまう。だが食べることに興味はあれど、食材には興味がないから仕方ないかもしれない。自分も何も言われずに出されたら、きっと深く考えずに食べていた。


「じゃがいもと塩と胡椒と……油? 異国の菓子らしい」


 贈られたその日にシークと一緒に食べてみたものの、確かに癖になる味だった。

 シークも気に入ったらしく、今回こうして再び作られて騎士達にも振る舞われたというわけだ。木箱いっぱいに届けられた大量のじゃがいもを見て、シークは「いったい何人分のつもりだ?」と呆れていたが、この様子だとむしろ足らなかったかもしれない。


「また貰えそうか?」


 よほど気に入ったのか、名残惜し気に聞いてくる相手に「どうだろう?」と首を捻る。


「アルフェンルート殿下が調理法の公開許可を出せば、出回るんじゃないか?」

「アルフェンルート殿下? なんでそこであの方の名前が出てくるんだ」

「これはあの方からシークヴァルド殿下への、少し早い夏の挨拶品らしい」


 本来は見舞のお返しと自分への詫びの品とのことだったけれど、アルフェンルート殿下があまり兄と交遊を深めていると知られたくないらしく、シークはそういうことにすることにしたらしい。

 たとえ世間的に仲が悪くても、季節の挨拶品は礼儀として欠かすことなく取り交わされているので、おかしい話ではない。

 そしてどうやらこの菓子の調理法に関しては、シークは自分の手柄にするつもりはないようだった。アルフェンルート殿下を立てたかったらしく、「誰かに訊かれたらそう答えておけ」と言われていた言葉を予定通り口にした。


「なるほどな。でもアルフェンルート殿下か……全然よくわからない方だよな。滅多に出てこないし、本当に存在してるのかわからないって言ってる奴もいるぐらいだもんな」

「でも一昨日、アルフェンルート殿下を医務室で見たぞ」

「また調子を崩されてるんじゃないか? 病弱なんだろう?」

「どうもそういう感じじゃないらしい。近頃たまに医務室に来てるみたいだ。何人か見に行った奴がいるけど、スラットリー老とお茶飲んでたって」

「あの爺とお茶を飲むって、どんだけ肝が据わってるんだ……」


 アルフェンルート殿下の名前を出したところで、これまではほとんど誰も彼に触れなかったのに、急に話が盛り上がりだす。

 今まで本当にいるのかわからないぐらいひっそりと暮らしていた要注意人物が、急に城の中で目撃されるようになったのだから当然のことかもしれない。

 どうやら近頃アルフェンルート殿下の行動範囲は、少し広がったらしい。

 以前は自室と図書室と庭先ぐらいにしか現れなかったのに、医務室まで足を延ばすようになっていた。

 どういう心境の変化かと訊けば、「体力強化のために出歩くように言われました」と苦い顔で言っていた。先日から医務室にいるのを見かけて、窓枠越しに話しかけた際に聞いたばかりだ。

 それからも何度か見かけたので、とりあえず見かけた時には声をかけている。未だに警戒心たっぷりの態度を取られるけれど、スラットリー老が傍にいて安心しているせいか、普通に会話をしてもらえている。

 しかし自分以外にも、わざわざ殿下を見に行っている人間がいるのは聞き捨てならない。


「用もないのに医務室に行ったら、スラットリー老を怒らせるだけだろう」


 かくいう自分は、毎回睨まれている。

 殿下が一応は僕を相手にしてくれているから黙っているだけで、視界の端で心の底を探るような猛禽類じみた目で見据えられる。その度に背筋が伸びる心地だ。


「それが殿下がいると、スラットリー老がいつもより断然優しくなる」

「それぐらい唾でもつけておけって、叩きだされないもんな」

「この間、防具を付けずに訓練して怪我した馬鹿がいただろ。スラットリー老の逆鱗に触れたところを、あの方が取り成したって聞いたぞ」

「ああ、あれ。見てたけど、スラットリー老が怒鳴りつけていたのを、痛い思いをしている時に責めるのは可哀想だって庇ってたよ。叱るなら、怪我が治ってからにしてやってくれって」

「結局は怒られるんだな……」

「でも治療してる間中、あの迫力で説教くらうよりマシだろう」

「怒り狂ってるスラットリー老を止められるだけでもすごいな。完全に自業自得だったし、普通は関係なければ放っておくのに」


 そんな話は初耳だったので、聞いていて目を丸くしてしまう。

 殿下は見ている限り、人とは極力関わり合わないようにしているはずだ。どうやら、よほど怒鳴られている人の姿に耐えかねたらしい。

 シークが言うには、図書室でも資料探しに困っている人を見かねて手伝うぐらいだから、基本的に優しい人なのだと思う。


「アルフェンルート殿下って、もっとお高くとまってるかと思ったけど、思ったより普通だったな」

「俺もそう思った。もっとムカつく奴だと思ってたから、想像と違ってて調子狂う。まぁ、俺達に取り入ろうとしてイイ顔してるだけかもしれないけどな」

「あの方はこの先どうするんだろうな。あと2年ぐらいで成人だろう?」

「あれだけ病弱だと、どうにもならないんじゃないか?」

「でも奴らがどう出るかわからないからな……」


 近衛騎士というのは、王直轄の兵だ。その為、この宿舎内は第一皇子シークヴァルド殿下寄りの者で固められている。それ故に、会話はどうしても第一皇子派の意見に偏る。

 近衛騎士は王直属で、第一皇子と王妃にも割り振られているが、アルフェンルート殿下はエインズワース公爵に囲い込まれている形で別の護衛が付けられている。そのせいもあって、近衛騎士は配置されていない。


 それは即ち、王の庇護がない、という意味でもある。


 成人する頃には近衛騎士を付けられる可能性もあるが、傍から見ていても、アルフェンルート殿下の置かれている立場は難しい。

 エインズワース公爵がいくら王家を脅かすほどの権力を有しているとはいえ、あくまでもアルフェンルート殿下自身はエインズワース公爵家の者ではなく、王族である。

 成人すれば王族としての仕事を任されることになる。だがあれほど体が弱く、そして難しい立場だと、どういう扱いになるのかが読めない。

 権力から遠ざけるために国外留学させるか、病弱で役に立たないと辺境へと飛ばすべきだと思うが、エインズワース公爵の手前、冷遇が出来ない。

 もし物理的に権力から遠ざける真似をすれば、それを名目に第二皇子派から内乱を起こされかねないからだ。

 アルフェンルート殿下本人がどう思っていようとも、だ。


(本人はシークの邪魔になるようなら、国外に出してもらってもいいとまで言っていたのにな)


 しかし現実問題として、それは出来ない。

 内乱を起こされる可能性もあるが、それ以前にシークがあれほどの知識を持っているアルフェンルート殿下を、他国へ渡すことは許さないだろう。

 知識というのは、使い方によってはそれだけで武器になりえる。


(殿下はそこまでわかっていないようだが)


 シーク曰く、アルフェンルート殿下は恐ろしく自己評価が低い。

 たぶん、自分はいてもいなくても構わない、むしろいる方が邪魔だと考えている節がある。死にたいとまでは思っていないだろうが、それほど自分というものに重きを置いていない。

 最初に出会ったときは、それでも死の恐怖に凍り付いてはいた。けれど、何が何でも生き延びてやる、という気概は感じられなかった。

 単純に抵抗も考えられないぐらい弱かったのかもしれない。しかしそれを差し引いても、相手を殺してでも生き伸びると考えているようには見えない。

 あの方はここで生きていくには、あまりにも向いていない人なのだろう。


(殿下が逃げ出したいと言えば、シークはどうするんだろうな)


 思ったよりもずっと、シークは異母弟殿下に甘い。

 もし彼が王宮から逃げ出したいと訴えれば……いや、それでも逃がしたところでエインズワース公爵が死に物狂いで探し出すに違いない。それぐらいなら、シークの目の届く範囲で庇護した方がずっといい。


(あの方が願うようには、いかないのかもしれない)


 ふと、先日この菓子を初めて食べた時に言っていたシークの言葉を思い出す。




   *


「アルフェンルート殿下は、こちらが思いもよらないことを本当によく知っているのですね」


 シークの自室で皇太子宮の料理人が作った出来立てのポテトチップスなる菓子を口にして、思わずそんな感嘆の声が漏れた。

 今まで一度も食べたことのない食感だった。味自体は芋と塩と胡椒だから素朴で、それ故に食べやすくもある。


「異国と仰られていましたが、どの辺りの国なのでしょうね。シーク、知っていますか?」

「私に料理のことなど聞かれてもわからん。管轄外だ」

「それはそうでしょうが」


 料理の調理法に王族が関わることなどない。

 それだけに、アルフェンルート殿下が調理法を知っていたことに驚かされた。しかも立場的に調理器具など見たこともないはずなのに、簡単に図解にもしてしまう。あの方の知識が本当に多岐にわたることが垣間見えた。


「アルフェのことだから他国の料理ぐらい知っていてもおかしくはないだろうが、それよりひとつ気になることがある」

「なんでしょう?」

「アルフェは私が甘い物を苦手だと知っていただろう」

「ええ、そうですね」

「生憎と、私は甘い物が苦手だという態度を外で取ったことはない」


 自分にとってシークが甘い物は苦手なことは知っていて当然のことだったから、言われてようやくその意味に思い至った。

 アルフェンルート殿下がシークの嗜好を知っていることは、本来ありえないことなのだ。


「つまりそれは、アルフェンルート殿下から間諜を放たれている、ということですか?」


 にわかには信じられなくて、あえて疑問を口に出して問うた。しかし「そうじゃない。それならまだよかった」とシークが首を横に振った。

 意味がわからなくて眉根を寄せて伺うと、シークは小さく息を吐く。


「先日毒が盛られていたのは、贈られてきた甘そうな焼き菓子だっただろう。向こうの陣営が私が甘い物が苦手だと把握していたのなら、意味のないことだ」


 言われてみればもっともだ。

 間諜を放って嗜好がわかっていたのなら、わざわざそんな意味のないことをするわけがない。

 それならばなぜアルフェンルート殿下が、シークの嗜好を知っていたのか。


「多分だが、誰に聞かずとも知っていたのだ」


 まるで自分自身に言い聞かせるみたいに言われた言葉が理解できず、口をへの字に曲げた。


「仰ってる意味がわかりません」

「……極稀にだがな、王家には少し変わった子供が生まれる。通常の人とは違う体の特徴があったり、本来知りえない知識を持っていたりと、まぁ、そういう特殊な子供だ」


 いきなり突拍子もない話を真面目な顔で持ち出されて、思わず眉間に皺が寄った。


「そんな話は聞いたことがありません」

「本来これは秘されている話で、知っているのも上位の人間だけだ。それにここ数代は現れていなかったようだし、私としても王家の威光を保つためのただの作り話だと思っていた」


 シークの言い分は尤もだった。そんなお伽話みたいな話を持ち出されても、あまり現実味がない。間諜を放たれていたと考えた方がまだ理解できる。

 そう考えた僕を見透かしたように、「でもあながち作り話とも言えない」と面倒そうに続けられた。


「エインズワース公爵家の成り立ちは聞いたことがあるだろう? あのとき下った王が、そうだったと言われている」


 数代前の王が若くして王位を退き、弟に王位を譲って臣下となるエインズワース公爵家へと下った。

 王位争いに負けて退いたと考えるには、その時に譲渡された領地や権利が大きすぎた。王都へと至る重要な街道を有する土地を領地として得ていたということは、よほど次王の信頼がなければありえないことだ。

 当時の内情は自分には知る由もないが、きっとシークは知っているのだろう。あえて言うつもりはないようだが、難しい顔をしていることから考えても複雑そうなのはわかる。


「エインズワース公爵に言わせれば、アルフェは正当な王家の血を継いでいる。半分異国の血が混じっている私と違って、血が濃い分、そう生まれついていてもおかしくはないだろうな」


 そこまで言われて、背筋がゾッと凍り付いた。

 もしそうだとしたら。アルフェンルート殿下は特別な血筋の、特別な存在ということになる。


「それはつまり、貴方を脅かす存在になりませんか」


 本人が望むと望まざるとも、もしも本当にアルフェンルート殿下がそんな存在なのだとしたら、今以上に祭り上げられることは必至。

 そして上部がその話を知っていると言うのなら、王位の順序が覆ってもおかしくはない。

 全身から血の気が引く心地だった。顔を強張らせた僕を見て、しかしシークの淡い灰青色の瞳からは動揺は見えない。

 どころか、呆れて見える。


「一応訊くが。もしアルフェがそうだとしても、アレが王としてやっていけると思うか?」

「それは……思えませんが」

「だろう? 私もそう思う。どう考えても向いていないアルフェに王の役目を投げるほど、私も非道ではない」


 長々と溜息を吐いて、「だいたい王に憧れる奴など、現実が見えてない愚か者だけだ」とシークが吐き捨てた。


「王など面倒なだけだぞ。崇め奉られているように見えても、実際には王は民に仕えている立場だ。民と貴族どもの言い分に板挟みにされて、それでもどうにか調整しなければならない中間管理職でしかない」

「……はぁ」


 非常に珍しく愚痴られて、思わずぽかんとした間抜け面で聞き入った。

 心底忌々しそうに言う姿からは、とても好んで王をやりたがっているようには見えなかった。

 今まで忙しいと愚痴ることはあっても、文句らしい文句も言わず淡々と仕事をしていたので、吐き捨てられた本音には動揺が隠せない。


「シークは王になりたくないのですか?」

「そうは言っていない。ここに生まれた以上は役割を果たす。だが多少贅沢できたところで、まったく割に合わないと言いたいだけだ」

「……ならば万が一、アルフェンルート殿下が王位を継ぐと仰られたら、どうするのですか」


 硬い声で問えば、残念なものでも見る目を向けられた。その眼差しはさすがに癪に触る。

 僕とて好きで聞いているわけじゃない。返事の予想は出来ていても、立場上、念の為に万が一を考えて必要最低限のことは聞いておくべきだと考えただけだ。

 それが伝わったのか、シークは面倒そうに口を開いた。


「どう考えても言うわけがない言葉を想定して考えるほど、私は暇じゃない」

「随分と殿下を信用されていらっしゃいますね」

「ならば、クライブはアルフェがそんな馬鹿げたことを言い出すと本気で考えているのか?」

「欠片も考えていません」


 言わないだろう、あの方は。


『――私はただ普通に働いて、私も周りも毎日平穏無事に暮らしていけたらと、そう思っているだけなんです』


 今にも泣きそうな顔で笑っていた。弱々しい声で告げられた言葉が演技だとは思えない。

 王位を継げと言われたら卒倒して寝込んだ挙句、そのままこの世から消えてしまいそうな気がする。

 そういう危うさが感じられて、無性に目が離せなかった。

 そうでなくても元々病弱な方だ。ふと、もしかしたら、と嫌な予感が胸を過ぎった。


(あの方は、ある日忽然と僕らの前から姿を消してしまうかもしれない)


 考えただけで、急激に心臓が引き絞られるような息苦しさを覚えた。そんな自分に驚いてしまう。

 いなくなってくれたら、なんの問題も無くなるはずなのに。

 そのはずだというのに、どうしてそんな風に思えてしまったのか。

 ……たぶん僕自身も、シーク同様にアルフェンルート殿下のことを好ましいと思っているのだと思う。

 自分で考えていたよりも、ずっと。


「クライブ。アルフェにそのつもりがなくとも、万が一にも仮定が事実だとしたら厄介なことになりかねない。面倒な輩に目を付けられて利用されないよう、注意を払ってやってくれ」


 シークはそう命じると、「報酬の先払いだ」と言ってポテトチップスを4分の3、多めに僕の方に寄越した。

 不本意そうな顔をしていたので、たぶん相当この菓子を気に入ったのだと思う。




   *


「そういえば、クライブはよく殿下に話しかけてないか?」


 それまで盛り上がっていた同僚が不意にこちらに声を投げかけてきたので、意識を引き戻された。


「僕の立場上、アルフェンルート殿下には注意を払うよう命じられているからな」


 嘘ではない。ただ彼らが思う意味ではないだけだ。

 こう言っておけば、僕が殿下に話しかけているのを見たところで、監視の一環だと思われるだけで済む。


「それもそうか。大変だな」

「意外にそうでもない」

「あの方って、実際話すとどうなんだ? ちょっと人形っぽいし、パッと見ではまともな感情があるように見えないけど」


 興味津々で問われた。これまでの自分も人のことは言えない立場なわけだが、さすがにその認識はどうなのかと怒りが湧いてくる。我ながら勝手だ。


(殿下は、おまえらが考えているような方じゃない)


 弱いけど、何を優先すべきかはちゃんと理解している。望めばなんだって手に入る立ち位置にいるのに、清廉であろうとしている。

 年齢よりもずっと大人びた考え方をして、時折、その年にそぐわない表情を見せる。夢を思い描いても、叶うわけがないのだと諦めてしまっているような、そんな悲しい顔をする。

 たぶん大事な誰かのためなら、自分を殺してしまう人だ。

 そんなあり方は見ていて歯痒く感じるけれど、そうあろうとする人を優しい人だと言わずして、なんと呼べばいい。

 ……ただ僕がそう言ってまわったら、気でも狂ったと思われそうだから口には出来ないが。


「殿下はおまえらが考えているよりずっと普通だ。大人しくて、少し体が弱いだけの子供だよ」


 だからせめて周りから偏見で特別視されないように、苦笑いで嘯くことしか出来ないけれど。

 まだこんな形でしか守れない自分が、無性に不甲斐なく感じられた。


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