第33話 28 Dear My Family
医務室までは兄とクライブに送り届けてもらった。そこでメル爺の手当てを受け終えたらしいセインと鉢合わせた。私が戻ってくるとわかっていたから、メル爺に引き留められていたのかもしれない。
だがメル爺は私のことを言っていなかったらしい。セインは私と一緒にいるクライブ、そして兄の姿を見て目を瞠り、瞬時に顔を強張らせた。
それはほんの一瞬で、すぐに立ち上がって深く一礼したまま顔を上げないので、気づいたのは私だけかもしれないけれど。
(ああいう顔をするってことは、黙っていたのが悪いことだとちゃんと自覚してるわけだ)
そして結果としてこうなっていることに、ちゃんと言っておけばよかったと、今頃後悔していそう。
ぎゅっと白くなるほど強く握り締められている拳を見て、気づかれないように小さく嘆息を吐く。
こういう時、アラサーの記憶があってよかったと思う。
反省も謝罪も出来ないどころか、開き直って喧嘩を売ってくる問題児の新人の教育をしていた時に比べたら、反省の色が見えるだけ十分に許容範囲と言える。あの頃に培った忍耐力は今も健在らしい。
(仕方ないな)
一旦セインのことは後回しにして、早々に退室しかけていた兄を追いかけて廊下に出た。
「兄様、申し訳ありません。クライブ、少しだけ良いですか?」
忙しい兄の足を止めてしまうことに躊躇ったけど、覚悟を決めて声を掛けた。
すぐに足を止めたクライブがこちらに向き直る。兄も文句を言わずに待ってくれる。
兄の前でしていい話かわからなかったけれど、ここで釘を刺しておかねば、次はいつ会えるかわからないので仕方がない。
「セインのことですが、気にかけてくれたことは感謝します。ですが日常に支障をきたすほどに扱くのはやめてください」
「ここ数日で一通りは仕込みましたので、しばらくは何もしませんよ。ご安心ください」
しばらくは、という余計な単語が気になって素直に安心など出来ない。笑顔を向けられたけど、それを胡散臭いと思ってしまうのは先入観のせいだろうか。
とはいえ、私にはこうして言葉を掛けるぐらいしかできることがない。顰めっ面になるのを取り繕う余裕もなく、「約束ですよ」と念を押すだけが精一杯だ。
するとクライブは僅かに小首を傾げた後、「わかりました」と頷いた。
それにほっとしたのもつかの間、とんでもない言葉を続けられる。
「今度はちゃんと殿下に断ってから、殿下の前で鍛えます」
朗らかに言われたクライブからの返答は、私が求めているものと違った。頭を抱えたくなる。
違う、違うそうじゃない。私が言いたいのはそういうことじゃない。
「そういうお願いをしたかったわけでは……いえ、いいです。そうしてください」
反論しかけたけれど、これ以上話をしていても噛み合わない気がしてきた。私に無断で無茶はしないと約束できただけ良しとするしかない。諦めよう。なによりこれ以上、兄の時間を奪うわけにもいかない。
不承不承に頷けば、なぜかクライブは嬉しそうに目を細める。
なんでそんなに嬉しそうなの。もう本当に意味がわからない。変な人だという認識がより一層強くなる。
(兄様も、クライブが私の侍従を鍛えていることになんとも思わないの?)
そう思ったけれど、兄は特に何も言わなかった。
話は終わったと判断したのか、私に僅かに微笑みかけて「ではまたな、アルフェ」と言って歩き出してしまう。
クライブのことを信用してある程度は好きにさせているのか。それとも言っても聞かないと諦めているのか。後者な気もするけど、触れるのは怖いので考えないようにしよう。
立ち去る二人を見送り、姿が見えなくなってから何度目かわからない溜息を吐く。
(あとはセインに説教か……気が重いけど仕方ない)
叱責というのは、叱られる方も嫌だけど、叱る方も精神的に疲労するから嫌なものなのだ。
今回ばかりはさすがに叱らざるをえないけど、たった数歩の道を歩く足がやけに重く感じられた。それでも部屋に戻る前に覚悟を決め、わざと怒った顔を作ってから医務室に入る。
けれどセインは私が一歩入るなり、私の顔を見るよりはやく頭を下げた。
「勝手な自己判断で報告を怠り、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
「!」
言い訳もしない潔さは、及第点と言える。
メル爺の手前もあるだろうけど、いつもの口調ではないだけに、よほど反省していることが窺えた。
先に謝られると、出鼻を挫かれた形になってしまう。怒っているこっちの方が心が狭いみたいな気持ちにはなる。しかもちゃんと自分の悪いところをわかっているだけに、あえて責める部分がない。
いつもなら、誰よりも本人が悔いているとわかれば追い打ちをかける真似はしない。
だけど今回はさすがに怒らないのはお互いの為にならないと、心を鬼にして口を開いた。
「クライブの話をして私に心配をかけさせたくないとでも思ったのだろうけど、こういった状況を判断するのは、あくまで私の役目」
下げられたままの頭を見下ろして、出来るだけ厳しい声を出した。
「今回のように、黙っていられる方が後手に回ることもある。もし取り返しのつかない事態になった時に、セインでは責任が取れないということを胸に刻みなさい」
自分じゃない誰かが話しているように聞こえた。だけど紛れもなく動いているのは自分の口。
遠回しに言っているけれど、これは「立場を弁えろ」と言っているとの同じことだった。
一気にそこまで言い切ると、「はい」と真摯に答えるセインの声が耳に届いた。硬い声は、主人に叱責された侍従のそれでしかない。
いつもの私たちの気安さは、そこにはなかった。
似た年齢の同じ人間であるというのに、私達は決して同じ立場にはなれない。階級という名の残酷な隔たりが、常に私と周りの間にはある。
正直なところ、この隔たりは好きじゃない。ましてやセインやメリッサは、私にとっては家族よりも近い位置にいる人達だ。
それなのにあえて差を突きつけなければならないことは、私自身にとっても苦痛だった。だけどセインが報告する気になれなかったのは、頼りない主人である私の責任でもある。つまりこれは、私も負うべき痛みだ。
セインは頭を下げたままで、決して上げようとしない。
なるべく見ないようにしてきた距離を思い知らされるようで、少し泣きたい気持ちになった。
(私自身には、そこまでされる価値はないのに)
血筋だけでこんな隔たりが出来てしまうことが、時折やけに息苦しい。
「……それに私だって、セインに何かあれば心配する。それを忘れないでほしい」
吐息混じりに告げた声は、自分でも弱々しく感じられた。
そこで弾かれたように顔を上げたセインは、珍しく狼狽えた顔をしていた。「ごめん」と告げる声が擦れているのは、動揺しているからに見える。
(私が心配するのって、そこまで驚くようなこと?)
確かに私が死にかける前までは、セインには線を引かれていると感じたことはあった。けど、私から拒絶した覚えはない。
エインズワース公爵に命じられて嫌々なのに、文句も言わずに面倒な立場の私に仕えてくれたことには感謝していた。そのつもりでいた。
でもこの反応を見ると、心配もしないような、そこまで薄情な人間に思われていたのかもしれない。さすがにこれは堪える。
(でも考えてみれば、あえて口に出して言ったことはなかったかも)
あまり自分の本心を口にするのは得意ではなかったから。口にすることで、重荷に思わせてしまうのが嫌だったから。
だけどここまで動揺されると、さすがにもう少しは言っておくべきだったと眉尻を下げる。
「これでも家族みたいなものだと思っているのだから。セインもメリッサも、もちろんメル爺も」
「……かぞく」
「私まで家族だと思っていただけているとは、恐縮ですな」
セインが呆然と呟き、それまで静観してくれていたメル爺もやっと口を開いた。目を細めて笑う顔は、完全に孫を溺愛する祖父の顔だ。鏡で自分の顔を見せてあげたい。
笑う顔につられて、強張っていた自分の頬も少し緩む。
「勿論です。メル爺が独身だったら、私が結婚してほしかったぐらいです。スラットリー夫人はとても素敵な方なので諦めますけど」
「おやおや、嬉しいことを仰ってくださいますな。おだてても何も出ませんぞ」
「スラットリー老と、けっこん……!?」
部屋の中には3人だけなのをいいことに、半分本気の冗談を口にすれば、メル爺は目が溶けてしまったのではないかと思うほど目尻を下げる。
セインは隣で驚愕の表情を浮かべていた。けれどメル爺ほどかっこいい人なんていない。顔はちょっと怖いけど、強くて優しいし、なにより頼もしい。あと40歳ほど若ければ……と思わなくもない。
「とりあえず、この件はこれでおしまい。あまり遅くなるとメリッサが心配するから、そろそろ帰ろう」
場が和んだところで、一応話に区切りをつけてセインを促す。
セインは躊躇いを見せたけれど、メル爺に「しっかりお守りせよ」と背中を盛大に叩かれて、押し出される形で歩き出した。
あれ、絶対背中に手形が付いていると思う。メル爺なりの激励なのだろうけど、ただでさえクライブに扱かれてボロボロだからちょっと気の毒だ。
「じゃあメル爺、また来ます」
「ええ、いつでもお待ちしております。毎日でもかまいませんからな。体力の向上は日々の積み重ねが大事ですぞ」
「努力します」
釘を刺されて、苦笑いで返す。
こうして、やけに永く感じられた一日を、一応は無事に乗り越えたのだった。
ただ後日、王宮内でポテトチップスが大流行したのは誤算だったけど。
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