第22話 19 絶体絶命大ピンチです!


 なぜここに、クライブがいるの――!?


 驚愕に目を見開き、背後に立っていた相手を仰ぎ見る。

 そのまま卒倒したい気分になった。しかし、それより先に自分の足が宙に浮くのを感じた。背後から回された腕が腹部に強く食い込む。


「っ!?」


 クライブの腕に抱え上げられている。そう気づくより早く、すぐ傍からキンッ!と金属が弾け合う音が聞こえた。その金属音は、城で騎士達が訓練する場所から聞こえてくるのと同じ音。


(剣!?)


 ぎょっと目を剥いて、音のした方を見る。

 いつの間にか距離を詰めたセインが突き付けた短刀を、クライブが腰に佩いていた剣を鞘ごと引き抜いて受けていた。


「遅い」

「!」


 クライブは低めた声で言い捨て様に腰を落とす。抜刀することなく、掴んだ鞘を一瞬で持ち替えた。剣の向きを変えるや否や、セインに向かって容赦なく薙ぎ伏せる。

 即座にセインも後ろに飛び退いたものの、風を切る音の方が早かった。完全には避けきれなかった鞘の先が体を掠める。加えて風圧だけでも衝撃があったのか、セインが顔を歪めた。それでも諦めることなく腰を沈め、すぐにでも再び懐に飛び込める体制へと立て直す。

 それは、ほんの数秒にも満たない出来事だった。

 しかしながら、クライブがその僅かな隙を許してくれるわけがない。

 クライブが剣を握った手首を返して更に踏み込んだところで、腰に回されていた腕に咄嗟に爪を立てた。


「セイン! 引きなさいッ」

「!」


 反射的にそう叫んだのは、敵うわけがないとわかったからだ。

 私を片腕に抱え込んだ状態で尚、剣の長さの違いによる間合いもあるとはいえ、クライブが優勢である。悲鳴にも近い声で発せられた命令にセインは目を瞠る。言うことを聞くべきか突き進むべきか、迷ったのか固まる。

 そのたった一瞬でセインの鳩尾を狙っていた剣の鞘の先は、しかし体に届く寸前で止められていた。


(……止まったっ)


 気づけば心臓が壊れそうなほど早鐘を打っていた。ドクンドクンと脈打つ心臓が、口を開いたら今にも飛び出してきそう。

 冷静に考えればクライブがこんなことをしたのは、多分セインが先に問答無用で切り掛かったからだと思う。私を抱え上げたのも人質という意味ではなく、私が下手に止めようとして二人の間に飛び込んだら厄介だと判断したんだろう。力量差を考えれば、万に一つも私に傷を負わせない為の配慮だったのだともわかる。

 頭ではそうわかっていても、体の緊張は解けない。

 クライブの腕に爪を立てたまま仰ぎ見る。息一つ乱していないクライブを睨みつけて命じた。


「クライブもやめなさい。セインは私の侍従です!」


 しかし、クライブはこちらを見もしない。

 鞘の先を突き付けたまま、睨みつけるセインを冷ややかな眼差しで見据える。


「もし私が本当に悪意を持った暴漢なら、今頃この方の首が地面に転がっていたかもしれないとわかっているのか」

「!」


 責める声音で言われて、セインが顔を強張らせて息を呑んだ。眉根を寄せて唇を噛み締める。

 私も言われた言葉を反芻して、ゾッと背筋が凍り付かせた。


「……怖いことを、言わないでください」


 思わず声が震えた。

 そこでようやくクライブが私を見下ろす。怒っているのを隠しもしない険しい顔をしながら、抱えていた腕から下ろしてくれる。


「ありえないことではないと、貴方にもご理解頂きたい」


 こういう時、なんて言うべきかわからない。クライブの言うことはわからなくもないけど、平時の王都で暴漢に襲われることってそんなにあるのだろうか、と言いたくなる。

 それに先に手を出したセインが悪いとはいえ、セインの立場を考えれば今のは当然の対処だ。

 クライブが驚かすみたいに出現をしなければ、こんなことにはならなかった。おかげで素直に「ごめんなさい」と謝る気持ちにはなれない。

 だが怒っているクライブに反論する勇気はない。口を引き結んで沈黙で答える。


「……」

「街には人攫いをする不逞の輩もいるのです。ご自身の見目もご考慮ください」


 クライブは口を一文字にしている私を見下ろす。嘆息は吐いて、いつの間にか外れていた外套のフードを私の頭に被せ直した。それから周りを見渡す。

 時間にすればほんの数分にも満たなかったが、今の騒動を聞きつけた人の姿に眉を顰める。


「とにかく、ここでは場所が悪い。こちらへ」


 促すように私の背に手を添える。確かにここに長居するのはよろしくない。従うしかない。

 拳を握りしめて憮然としているセインを流し見て、「貴方も来なさい」とクライブが命じる。そしてこの騒動の中、唖然として壁に張り付いていたデリックには更に冷ややかな眼差しを向けた。


「おまえもだ、デリック」

「っはい!」


 有無を言わさぬ態度に顔面を蒼白にさせたデリックは、私とクライブを見て目を白黒させながらも頷く。正直なところ、今はデリックのことを考えている余裕はない。


(まさかクライブに出くわすなんて。どうしてこんなところにいるの。兄様の護衛はどうしたの)


 促されるまま歩き出したはいいけれど、頭の中は動揺と焦りでいっぱいいっぱいだ。


(クライブがここにいるということは、まさか兄様までここに来ているわけじゃないよね!?)


 私を逃がさない為か、隣をキープしながら歩くクライブを横目に伺う。懸念を抑えきれずに口を開いた。


「なぜクライブがこんなところにいたのですか。兄様の護衛はどうしたのです」

「申し訳ありませんが、僕にも非番の日はあります。まさか愚弟に街まで付き合わされた先で、貴方にお会いするなんて夢にも思いませんでした」


 人の少ない道を選んで歩いている上にお互い声を潜めているとはいえ、「殿下」と呼ばないのは万が一にも周囲に聞かれないためだろう。

 そして言われてみれば、クライブは腰に剣を佩いているが今日は近衛騎士の制服ではなかった。一目で貴族とわかる装いではあるけれど、首元は少し緩められていて堅苦しさを感じない。

 セインと一緒に無言で後ろを歩くデリックが、私とクライブの態度を見て挙動不審になっていることから考えても、非番で弟と街に来ていたというのも嘘じゃないとわかる。

 しかしよりにもよって、私が街に出た時に出くわさなくてもいいと思う。

 もしこの世に神がいるとしたら、よほど私に死亡フラグを立てたいらしい。

 唇を噛み締める。それに気づいたらしいクライブが、指先で咎めるみたいに私の唇に触れた。


「!?」

「僕の方こそ、今の言葉をそっくりそのまま貴方にお返ししたいです」


 指に驚いてぎょっと顔を引き、丸く見開いた目でその手を見つめる。

 すると、しまった、と言わんばかりに慌てて手は離された。たぶん無意識の行動だったのだろう。


(なにをしているの、この人!?)


 普通、口を触る!? しかも皇子の口を触る!?

 ゲームの中のクライブは女性には等しく優しくてモテていたけど、女たらしなわけではなかった。でも実はゲームでは都合が悪いから伏せていただけで、自然とこういうことが出来てしまうぐらいにタラシだったりする!?

 動顛しながら恐る恐る見上げれば、誤魔化すように目を逸らされた。

 だけど私を追及する手を緩める気はないらしい。一つ咳払いしてから再び口を開く。


「知らないところで随分とやんちゃをなさっていたのですね」


 私としても深く突っ込むのは怖いので、今のは無理やりスルーすることにした。

 それよりとんでもない誤解をされていそうだ。そちらを解かなければならない。


「信じてもらえるとは思いませんが、私が街に来たのは今日が初めてです。……それにまた当分は来られないでしょう」


 言っている内に気持ちがやさぐれてきた。最後の方は自分でも驚くほど拗ねた声になってしまった。だけどもう取り繕う元気も湧かない。

 こんな自由が効くのは今日だけ。たった一日、ほんの数時間だったのに。

 それがこんな形になってしまったことに、落胆と後悔が湧いてくる。


「なぜですか?」


 しかし、不思議そうに問い返された。こちらこそ不思議に思って眉を顰めながら首を捻った。


「クライブは兄様に報告するでしょう?」

「勿論しますが、護衛さえちゃんと連れていれば咎めることはなさらないと思いますよ。貴方ぐらいの頃には、ご自身もお忍びで来ておられましたから」

「……え?」

「よく付き合わされました」

 

 苦笑しながら言われて、真ん丸く目を見開いてクライブを見つめる。


(ほんとに? あの兄様が……!?)


 全然そんなことをする人には見えないのに。兄の意外な行動が信じられない。唖然としてしまう。

 そして今の話はもう成人しているから時効なのかもしれないけど、そんなことを私に言っていいの? クライブの言い方だと、お忍びで来ること自体は禁止しているようには聞こえない。


「護衛さえ連れていれば、ですよ。それをお忘れなきよう」


 渋い顔で念を押されて、慌ててこくりと頷く。

 けれどすぐに、兄が許してくれてもそういうことじゃないんだな、と思い直した。自嘲気味に苦い笑みが零れる。


「でも多分、来られないでしょう。クライブが兄様に報告するまでもなく、すぐに警備は厳しくなるはずです」


 ――だってきっと私の本当の敵は、兄なんかではないのだから。


「……私はそう簡単に自由になることを、許してもらえない」

 

 八つ当たりにも似た気持ちで言うべきことではないことまで、ぽつりと口を突いて出ていた。


「……っ」


 頭上から息を呑む音が聞こえて、すぐに失言だったと気づく。フードの影から伺えば、目を瞠って私を見下ろすクライブの緑の瞳と一瞬だけ目が合った。

 何か問いたげな視線から逃れるために、すぐに目を逸らす。


「今のは忘れてください」

 

 それだけを小さく呟く。

 こう言ったところで、簡単に忘れてもらえるとは思わない。だけど食い下がってくることはないだろう。

 さっきのセリフは後ろを歩くセインとデリックには聞こえていなかったはずだから、それだけが幸いだ。


「それより、どこに向かっているのですか?」


 気づけば先程までいた大通りから離れ、人気が少なくなった道を随分と歩いてきたと思う。居住区の生活道路と思われる場所だから危険はないだろうと判断して、少し開けた場所で足を止めた。

 随分と日が傾いている。

 そろそろ帰ろうとしていたところでデリックに声を掛けられたから、予定の時間がかなり押していると考えていい。

 ここが街のどの辺りかわからないけど、今から馬を預けた場所まで戻って、更にそこから図書館で本を読むという名目で城に入らなければいけないのに。その名目を使えるだけの時間が残っているかどうか怪しい。


「私達はそろそろ戻らないとまずいのですが」


 セインの方に視線を向ければ、その通りだと頷かれる。余裕のない強張った表情を見る限り、私の予想は嬉しくないことに当たっていると考えた方がいい。


(私が怒られるのはいいけど、セインが責められるのは避けたい)


「あの、貴方、は……っ」


 しかしここにきて、それまでずっと黙って付いてきていたデリックが口を開いた。

 目の前に転がる疑問をぶつけるタイミングは、もう今しかないと思ったに違いない。

 完全に忘れていたかったけど、そんなわけにはいかないよね。


(そうだった、まだこっちが片付いてなかった……)


 だけどここは空気を読んでほしかった。気づかれないように小さく溜息を漏らす。

 さっきフードが外れていた際に顔は見られてしまったし、なによりクライブの態度を見ればだいたいの想像はついてしまうだろう。

 どう答えたものか。悩みかけたけれど、私が答えるよりも先にセインとクライブが私を庇う形で前に立った。


「デリック、黙っていなさい。本来、おまえのお目通りが適う方じゃない」

「あ、兄上っ、でも……!」

「それと、さっきの件は後で説教だ」

「……っ」


 二人の隙間から見えたデリックは、クライブの低められた声で顔面蒼白になる。

 その言葉でふと、疑問が湧いてくる。


「クライブはいつ私達に気づいたのですか?」

「愚弟がエインズワース卿に絡んでいった辺りからですね。急にいなくなるからどこにいったかと思えば……とんでもないことをしてくれたものです」


 肩越しに振り返って答えられて、私の顔からも血の気が引いていく。

 つまり、ほぼ最初からってことじゃない!?


(ということは、私の話も聞かれてたってことでは……)


 傍から見れば、第一皇子を排して成り上がろうとしている立場の私があんなことを言うなんて、「おまえが言うな」的に聞こえたのでは!?


「貴方がいるとはにわかには信じられなくて出遅れました。愚弟がご不快な思いをさせて申し訳ありません」

「それは、いいのですが……」


 眉尻を下げて謝られても居た堪れない。

 だって、アレを聞いてたんでしょう!? 聞いていてそんな態度を取られると、恥ずかしさのあまり穴があったら入りたくなる。

 複雑な顔で言葉を濁したら、デリックの処遇を不安に思っていると勘違いしたみたい。「愚弟はこちらで処理しておきますので、ご安心ください」と真面目な顔で請け負われた。

 いや、今のはそういうつもりじゃなかったんだけど……ここは結果オーライと思うしかない。


「では、お願いします」


 さっきからクライブの態度に怯えっぱなしのデリックを見る限り、そちらは任せても大丈夫そうだ。ここは素直に頷いておく。

 そうなると、現状で残る問題は帰り道だけである。

 セインに視線を向け、どうしようかと口を開きかける。


「帰りはちゃんと僕が城までお送りします。だいたいお二人の使われた手段はわかりますが、この時間だともう使えないでしょう?」


 したり顔で言われて、セインが苦虫を噛み潰した顔になった。

 クライブを前にすると、セインも年相応に見えてくる。憮然とした表情を繕いもせず、「どうするつもりですか」と硬い声で問うている。


「貴方がこの方を連れていたら明らかに怪しいですが、貴方お一人なら全く問題はありませんね?」


 問われて、その通りだと言う代わりにセインが頷く。

 セインは城内に住んでいるとはいえ、エインズワース公爵家からの出向という扱いになっている。門が閉められても問題なく出入りできる。


「では、僕がこの方をお預かりします。幸い今日はデリックがいますから、愚弟の友達を泊めることになったとでも言えば、門の中に入るぐらいわけもありません」


 近衛騎士であるクライブの部屋は城内の一角にある。そして第一皇子の片腕とも言えるクライブの言葉を疑う者はいないだろう。


「僕とデリックはそれぞれの馬で来ていますから、僕の方に乗っていただくことになりますが……それでよろしいですね?」

「はい。お願いします」


 緑の瞳に問われ、これ以上の案はないので頷く。

 クライブと馬に二人乗りということに条件反射で恐怖を覚えないわけではないけど。既に何度も荷物みたいに抱き上げられているので、今更……なはず。


「では馬のところまで戻りましょう。ここまで来たら、そう遠くはありません」


 促されるまま歩き出す。

 これでなんとか無事に城には戻れそうで、ほっと胸を撫で下ろした。どうなることかと思ったけど、とりあえず目先の問題は解決できそうでよかった。

 なんだか近頃ずっと綱渡り状態で疲労感を覚える。ひとまずあと少しだと思えば、なんとか頑張れる。

 城に戻ったらゆっくりお風呂に入りたい。メリッサに今日あったことを聞いてもらって、心を落ち着けたい。

 そう自分を励ましながら、目的の場所まで辿り着く。

 あとほんの少し頑張ればいい――

 しかしそう思っていられたのは、馬を取りに行ったクライブとデリックを見送り、その間に私の護衛をしていたセインが強張った顔で爆弾発言を落とすまでだった。


「アル。絶対あいつの後ろには乗るなよ」

「なぜ?」


 急にそんなことを言い出されて首を捻った。

 後ろの方が、門番に顔を見られなくて済むと思うのだけど。

 困惑を露わにする私にセインが目を泳がせて、ものすごく気まずそうな顔を見せた。初めて見る顔で、どうしたのかと驚かされる。


「セイン?」

「その……当たるから、まずい」

「あたる?」


(何が?)


「…………胸が」


 押し殺した小声で言われた。その一言が脳内に巡って、理解すると同時に絶句した。


(胸!?)


 そう、確かに近頃ちょっと膨らんできたなって思って焦っていた。

 でも他に比べたらまだささやかだ。シャツに厚地のベスト、更にジャケット、今日は外套も着ていたから大丈夫だと思っていた。

 それでも来る時ぐらい密着していれば、わかってしまったのかもしれない。セインは私の性別を知っているから、特に。

 言われてみれば、馬から降りた時のセインの様子が少しおかしかったと脳裏を掠めていく。別に私は胸ぐらい気にしない……なんて、とても言えない。

 いくらアラサーの記憶があっても、それはそれ。

 セインに胸を押し付けていたなんて。考えただけで顔が耳まで熱くなる。そんな痴女みたいな真似をしていたのかと思うと、居た堪れなさすぎる!


「悪い。ごめん。帰りにちゃんと言って、前に乗せるつもりでいた」

「や、それは、うん……うん」

「俺は知っているからわかっただけで、多分大丈夫だとは思うけど、一応」

「……うん」


 それはそれで女としては複雑な気もするけど、今は有り難い。むしろこっちこそ気が回らなくてごめん、と言うべきかもしれない。

 でもうまく言葉にならない。そう切り返すのもおかしい気がして、狼狽えながら口ごもる。恥ずかしくてセインの顔が見られない。

 そしてそんな複雑な間を残した状態で、クライブ達が馬を連れて戻ってくるのが見えた。

 待って! どうするの!? 


(私はどうしたらいいの!?)


 勿論、馬に乗らないという選択肢はない。城には帰らなければならない。隣でセインが何か言っているけど、頭の中は動揺の嵐で耳に入って来ない。

 対クライブに関しては、恥ずかしいという問題では済まない。

 バレたら、死。

 これは無事に城に帰り着けるかどうか、至上最高に絶体絶命の大ピンチじゃない!?


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