第21話 18 一難去ってまた一難
なんでよりによってこんなところで、知り合いに遭遇する羽目になるの!?
聞き間違いでなければ、「ランス卿」とセインは呼んだ。ランス卿と呼ばれる人は、私の知る限りランス伯爵とその子息しか思い浮かばない。
(つまりクライブの弟、の線が一番強い)
というか、それ以外にないと思う。
セインの背に庇われる形になりながら相手を窺う。中身さえ知らなければ優しげで爽やかな顔立ちのクライブとは違い、吊り目で勝気そうな顔立ちをしている。
でも焦げ茶の髪に緑の瞳という色彩は同じ。さっき感じた嫌な既視感は、間違いなくコレだ。クライブも弟がいると言っていたし、多分この人がその弟だと思われる。
(よりによって、クライブの弟に会うなんて……ついてないってレベルじゃない)
じりじりと胸が焼けつく。焦燥感に全身が支配される。
先日、クライブも兄も私の味方的なことを言ってくれたけど、それは私が性別を偽っていると知らないからだ。
騙していると知られれば、また話が大きく変わってくる。むしろ今の状況が一番危険だと言える。せっかく信頼を寄せてくれたのに実は裏切っているだなんて、最悪なパターンだ。
だからこそ、まだこちらの行動を知られたくない。どう転ぶかわからない現状、私が城から脱走できるということを知られるのは大変よろしくない。
ドックン、ドックン、と心音が耳元まで競り上がってくるように音を響かせる。無意識に握りしめた拳には冷や汗が浮かび、今にも回れ右して逃げ出したい衝動に駆られる。だけど下手に逃げ出したら不審に思われるから、その場から一歩も動けない。
「何の用だなんて、いつも隣に机を並べている仲なのにつれないですね」
相手はそう言って、勝気そうな吊り目を三日月形に笑ませた。
その言葉から、やはり彼はセインの学友なのだと知る。
成人前の貴族の子弟は自宅で家庭教師を付けている者も多いが、王都近郊に住む一部の貴族の子供は、王宮で勉強や剣術などの訓練を受けることが出来る。私は個人授業を受けているので参加したことはないけれど、エインズワース公爵の命令でセインはいつもそちらに行かされていた。
学友であるならば、公爵家であるセインに下位である伯爵家の者から声を掛けても、なあなあで済まされてしまうだろう。
しかし目の前に立つ相手は笑いかけてくる割に、友好的に感じない。ランス伯爵家は第一皇子派であり、セインは言わずもなが第二皇子派に数えられる。仲が良いわけがなかった。
「好きで隣に座っているわけじゃない。おまえが勝手に座ってくるだけだ」
「それは誰もあなたの隣に座りたがらないからじゃないですか」
案の定、セインの態度も硬く、向ける眼差しは冷ややかだ。一貫して突き放す態度を崩さず、迷惑であることを隠しもしない。
それなのに相手はより一層笑みを深め、人好きする笑顔を作った。こういうふてぶてしいところは兄そっくりだ。血は争えないとゾッとさせられる。
「ですが、今日は珍しくお連れの方がいるのですね」
「!」
不意にセインの背後、こちらを探る眼差しを向けられて緊張が走った。
セインに隠れる形になっていてフードは目深に被っているから、顔は見られていないはず。だけど思わずぎゅっと拳を強く握って縮こまる。
「こいつは父から預かった親戚の子供だ。今日は街に来たことがないから案内するように言われている」
強張る私とは違い、セインは私の前に立ったまま躊躇うことなく飄々と言ってのけた。
(すごい……嘘なのに、嘘じゃない)
上手い嘘のつき方というのは、事実に嘘を混ぜ込むのだという。けれど今の場合、言っていることはどれも嘘ではないからすごい。
エインズワース公爵に護衛を命じられているということは命を預かっているようなものであり、尚且つ私とセインの関係は叔父と姪という親戚関係にある。そして今のセインの言い方だと、エインズワース公爵に案内を命じられたように聞こえる。
そしてまさか第二皇子を「こいつ」呼ばわりしているとは思わないだろう。セインの言い回しに思わず舌を巻いた。
(これならなんとかやりすごせそう)
エインズワース公爵縁の者とわかれば、伯爵子息がこれ以上食いついてくることはないはず。
「エインズワース公爵に連なる方なのですね……。それは急にお声をおかけして失礼しました」
思った通り、セインが連れているのは第二皇子ではないと判断したのか、少しがっかりして見えた。
こういう落胆が見えてしまうところは、まだ子供と言える。こちらとしてはその幼稚さが有り難い。
「ですがお見受けしたところ、僕らと似た年代の方ではないでしょうか。せっかくですから、僕にもご紹介いただけませんか? 僕はランス伯爵が第二子、デリック・ランスと申します」
しかし、ここで終わると思ったのに予想外に自己紹介されてしまった。
無邪気に空気を読むことを知らない子供って怖い。それとも子供であることを理由に、無知のフリをしているだけかもしれない。だとしたらもっと怖い。
(どうしよう。名乗られておいて無視をするのは、セインの立場を考えるとよくない)
しかし、偽名なんて考えてなかった。
急なことで咄嗟にはエインズワース公爵家の親戚で、私と似た年代の子供も思い出せない。
「なんでランス卿に紹介しなきゃならないんだ。断る」
焦る私の前で、しかしセインは躊躇うことなくバッサリと切り捨てていた。
それってまずくない!? まずいでしょう!
思わずセインの外套の裾を引けば、ちらりと私を肩越しに見た。黙ってろと言う代わりに睨まれる。
確かに今の私に言えることなんて何もないけど、また後日一緒に学ぶ相手ならもう少し言い方を考えないとまずい。本来、立場的にデリックの方が非常識なのは間違いない。だけどこんな風にセインが声を掛けられているのは、きっと娼婦の子ということで舐められているせいもあるのだと思う。
ただでさえそんなセインの立場を悪化させることになるのは、よくない。
「なんでと言われましても。エインズワース公爵領と我がランス伯爵領は同じ王都近くにあるわけですし、親交を深めておくのはお互いに得となるではありませんか?」
にこりと無邪気に微笑まれる。だけどなんだかその言い方が妙に引っかかった。
エインズワース公爵領とランス伯爵領の広さは格段に違うものの、代々騎士の家系であるランス伯爵家は過去に打ち立てた武勲により、王都直轄領の隣に条件の良い領地を持っている。
だから仲良くしておいて損はないというのはわかる。わかるけれど。
「ランス卿は次男で爵位を継がないのだから、関係ないだろう?」
(そう、それだ)
いま私が違和感を覚えた理由を、セインが眉を顰めて容赦なく突き付けた。
爵位は第一子の男子しか継げない。第一子であっても女子は別の家に嫁ぎ、次男以降は長男によほどのことがない限り、家を出て自分で身を立てていかなければならない。
だから爵位を継げない次男には、領地を持つ者同士の親交に関わる意味はない。
(だけど今の言い方だと、まるで……ランス領を自分の物みたいに)
「僕の兄は第一皇子の右腕である近衛騎士ですし、そちらの仕事を疎かにするわけにはいかないでしょう。そうなれば僕が伯爵代行として、領地の采配をするのは当然ではありませんか」
私の推測した通り、デリックは堂々とそんなことを口にした。思わず息を呑む。
こんな誰が聞いているのかわからない公共の場で、そんなことを言うなんて。
「それは、ランス伯爵家で既に決定されている事なのですか?」
「!」
我慢できずに、気づけばそう口を開いていた。
セインが目を瞠ってこちらを振り返ったけれど、私はフードの影からデリックの表情を見逃さないように見据える。
それまで黙っていた私がいきなり口を開いたことに驚いたのか、デリックは目を瞠った。だが、すぐににこやかな笑顔を張り付ける。
「まだ決定はしていませんが……。ですが、そんなのわかりきったことで」
「つまりそれは貴方の勝手な憶測でしかないのですね」
しかし言いかけた言葉は、聞くに耐えずに途中で遮った。
だってあまりにも、愚かすぎて。
(これは、甘やかされてるというレベルで済む話じゃない)
ふつふつと怒りが湧いてくる。自分でもこれが何に対する怒りなのかはわからない。
もしかしたら本人に悪意はなくとも、兄の物を奪おうとしている彼の姿が、自分の姿に重なったのかもしれない。
ただ私と違って、彼は自分自身の意思で順番を覆そうとしている。
――許せなかった。
何がそんなに許せないのかと言われてもわからない。
ただ自分の中の常識を安易に覆そうとしているその姿勢が、単純に気に入らなかっただけなのかもしれない。
セインが間に入ってきて、「この馬鹿っ。黙ってろ!」と私を振り返る。ここで私が下手に口を開くのはまずいとわかっていた。
わかっているのに、感情が止めらない。
「ランス伯爵家で既に決まっていることなら、何も言いません。ですが今の話が貴方の憶測でしかないのなら口に出すべきじゃない。貴方にそのつもりがなくとも、聞くものが聞けば二心を抱いていると考える者も出てきます」
「! 僕はそんなつもりじゃ……っ」
「貴方にそんなつもりがないのなら尚更、誤解を受けることは口にしないことです」
この国では、生まれた順番はとても重要だ。そしてそれは余計な争いを生まない為でもある。
たかが先に生まれただけで、すべてを手に入れる……後から生まれた者の中には、それを妬む人もいるだろう。
だけど先に生まれたというだけで、特に貴族である彼らは長男というだけで、相応の勉強と生き方を叩き込まれて育っていく。そこに甘えや妥協は許されない。後から生まれた者とは比べ物にならないほどの重圧を、彼らは生まれた時から受けていく。
スタート時点で、負わされる責任が違いすぎるのだ。
彼らがそうして育つ中で育む覚悟は、後に生まれた者には到底及ばない。
だからこそ、簡単に成り代われるなんて思ってはいけない。そんなに甘い考えでいてはいけない。下に生まれた者は、彼らに尊敬の念を持って接しなければならない。
そしてこんな馬鹿げた憶測を平然と他家の者に、しかもこんな誰が聞いているかもわからない公道で口にする時点で、彼には責を背負うだけの器はない。
(今思い出したけど、あのゲームでクライブは皇子の近衛騎士という立場と伯爵としての責任の両立で悩んでた)
クライブはトラウマルートの印象が強すぎてすっかり攻略内容が吹き飛んでしまっていたけど、思い返してみれば彼の場合は確かそんな話だった。
今はまだランス伯爵は健在だけど、ゲームではクライブは近衛騎士としての仕事と爵位を継ぐかどうかという狭間で悩むことになる。
基本的に乙女ゲームの攻略対象は完璧超人が多い。そんな完璧な人間が少しの弱さや脆さやギャップを見せる時に、言っては悪いけどヒロインは漬け込む形で彼らの心に入り込んでいく。
クライブの場合は、この件だ。
最終的に爵位も継いで、近衛騎士も続けることになるのだけど。
ヒロインは少し背中を押しただけ。クライブの心は最初から決まっていたように見えた。爵位を継がない選択肢は多分頭になくて、ただ両方を完全にこなせるかどうかを不安に思っていただけだったのだと思う。
そしてゲームでは完璧超人なことを当たり前に思っていたけれど、これは現実だ。
今の彼がそういう人間になるためにしてきた努力を、けっして軽く見てはならない。
別にクライブのことは好きでもなんでもないけど、事情を思い出せばより一層、今のデリックの言葉は見過ごせなかった。
(こういうことは本来ずるい裏技で事情を知っている私ではなく、傍で見てきた家族こそが理解しているべきことでしょう)
この弟は、いったい今まで兄の何を見てきたのか。
「それに貴方の兄であるクライブ・ランス卿は、近衛騎士をしているからといって安易に人に自領を任せて管理を疎かにする、そんな無責任な人ではないでしょう」
「!」
言い切ったところで、デリックが息を詰めて大きく目を瞠った。
……わかってくれたのだろうか。わかってくれたなら、いいのだけど。
デリックは口をはくはくと何度か開け閉めした。しかし、なぜかその視線が私ではなく、私の後ろに向けられているように感じられる。
というか私ではなく、私の後ろを見ている。確実に。
「……?」
恐る恐る、釣られる形で振り返った。
そしていつの間にか私の背後に、私より頭一つ分くらい背の高い人間を見つけてしまう。
顔から一気に血の気が引いた。
(う、嘘でしょ……?)
「まさか貴方にそんな風に言っていただくとは、思ってもいませんでした」
――殿下。
最後は唇の動きだけで声なく呼ばれて、その場に卒倒しそうになった。
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