第12話 9 やりたいことができまして


 午前中にいつもの勉強を終え、昼食も終えると護身術とダンスの授業があるとき以外はやることは特に決まっていない。

 貴族の子弟は午前中に勉強、午後からは剣術や馬術などの体を動かす訓練をするらしい。けれど守られる立場である皇子の私には必要ない。第一皇子である兄は積極的にこなしていたと聞くけれど、私が女であることを知っている主治医の計らいで体が弱い設定になっている。おかげで強要もされない。

 そのため、成人する15歳までは午後は比較的自由になる時間が多い。


(どうしようかな)


 特に昨日、第一皇子との難関を乗り越えたばかり。久しぶりに通常運転に戻れた気がする。

 無事に生きて戻ってこられて本当によかったと、今日だけで何度思ったかわからない。


(……といっても、何か解決したわけでもないのだけど)


 第一皇子である兄との関係は改善されたとは思う。でも私が女であることは変わらない。皇子をいつまでも続けられるわけじゃない。

 事態は前進しているように見えて、実際には一歩も進んでいなかったりする。

 今後の身の振り方を考えて難しい顔になりそうになる。視界の端で、傍に控える侍女のメリッサが心配そうな表情になったのが見えた。


(いけない、いけない)


 ただでさえ近頃は心配させてばかりいる。これ以上不安にさせるわけにはいかない。

 平然とした顔を取り繕って、食後に入れてもらったお茶を口に運んで誤魔化した。


(一人でゆっくり考え事をするなら、図書室がいいのだけど)


 自室は安心ではあるけど、私がいればメリッサが気を張り続けることになる。

 メリッサはそんなこと気にしないと言ってくれるだろう。だけど私の秘密を一緒に抱えつつ、身の回りのほとんどのことをいつも一人でこなしてくれている。メリッサだってまだ13歳の少女なのだ。休憩する時間も必要だ。

 さすがに昨日の今日で何か仕掛けてくることはないだろうし、昨日クライブを諫めていた兄の姿を思い返せば、そこまで警戒しなくても大丈夫なように思える。

 やっぱり図書室に行こう。


「図書室に行ってくるよ。久しぶりにゆっくり本でも読んで来ようと思う」


 お茶を飲み干してから、立ち上がってメリッサに声をかけた。


「それでしたら、あちらで摘まめるおやつをご用意しましょう」

「お茶の時間までには戻ってくるつもりだから、あとで大丈夫だよ」

「わかりました。焼きたてのスコーンをご用意しておきますね」

「ありがとう」

 

 疲労は見せないように気をつけていたはずだけど、生まれた時からの付き合いだけあってお見通しらしい。にこりと微笑まれて好物を準備しておいていてくれると言われると、申し訳ない気持ちと嬉しい気持ちが混ざり合って少し眉尻を下げて笑った。

 お礼を言ってから図書室に向かうために扉を出る。すぐに気づいた護衛に声を掛けようとしたところで、「どこに行く気だ」と背中に声が投げかけられた。


「セイン」


 相変わらず気配なく近づいてくるので驚かされる。振り返れば、セインの顔に「おとなしくしていられないのか」と書かれていた。思わず苦い笑みが零れる。


「図書室だよ」


 隠すことでもないので素直に答えれば、眉を顰めて「昨日の今日で?」と言わんばかりの顔をされる。

 結果オーライだから余計な心配をかけさせたくなくて、昨日クライブに襲われたことは迷った末に黙っていた。

 けれどセインは薄々感じ取っている気がする。

 渡すはずだった本が私の手に残っていることに訝し気な顔をしていたから、何かしら想定外のことが起こったと察したんだろう。「話に夢中で渡しそびれてしまったんだ」という苦しい言い訳が通用したとは到底思えない。追及されなかったのは、問い質したところで私が絶対に口を割らないとわかっていて諦めただけだろう。

 裏を返せば、私が言いたくないことが起こった、とも取られる。

 実際に起こったことを言うよりはまだマシなので、こうして批難する目で見られるぐらいは許容しなければならない。

 不幸中の幸いは、落としてしまった本を発見されて大事にされる前に回収できたことだった。

 一応は穏便に……個人的には全く穏便ではなかったけど、なんとか乗り越えられて本当によかった。


「今日は俺も行く」

「セインは午後から訓練があるでしょう? 大丈夫だから行ってきなよ」

「そんなものは後でどうとでも埋め合わせるからいい」


 近頃やたら過保護になったセインは譲る気配を見せない。

 セインの立場なら図書室に入っても文句は言われないし、昨日のことを思い出すと個人的にはいてもらった方が安心感はある。けれど。


「駄目だよ。それはセインのやるべきことでしょう。日々の訓練はとても大事だよ」


 自分とよく似た青い瞳を覗き込めば、言い返されたことに憮然とした顔で睨まれる。けど、こっちも引けない。

 考え事をするから一人になりたいと言うのもあるけれど、それ以上に大切なことがある。


(今のセインじゃ、クライブに全く歯が立たない)


 この年代の3歳差は大きいから当然とはいえ、たとえあと3年経ったとしても騎士として鍛えているクライブと、侍従扱いのセインでは更に大きく差が出る。

 セインは幼少時にスラム街で危険な目にも遭ってきて危機管理能力は貴族の子弟とは比べるべくもないだろうし、この年齢にしては圧倒的に腕が立つ方ではあると思う。でももしクライブと同じ年だったとしても、今のままのセインじゃ完全に負ける。実際には年齢差があるから更にだ。

 昨日対峙して、あの場にセインと一緒にいればよかったと思った以上に、ここにセインがいなくてよかったとも心の底から思った。

 一緒にいたら、きっとセインは無茶をした。

 そうしたら……もしかしたら、今この場に生きていなかったかもしれない。


(そんなことにさせるわけにはいかない)


 もしもが現実に起こっていたとしたら。そう考えるとゾッと背筋が凍りつく。


「セインは私を守ってくれるんでしょう? じゃあ、もっと強くなってもらわないと」

「!」


 内心の動揺を悟られないよう、悪戯っぽく笑って挑発する言葉を口にする。

 今のままでは弱くてとても頼れない、これはそう言っているのと同じだ。セインの性格上、こう言われれば生来の勝気さで引けなくなるはずだ。

 怒るかとも思ったけどセインは息を呑み、信じられないものを見るようにまじまじと私を見返した。

 確かに、今までの私ならそんなことは口にしなかった。何にも関わらないことで危機を遠ざけていたので、今ほど危機感を覚えていなかったせいもある。

 でも今はもう、それで済ませるわけにはいかないと知っている。現状維持を出来るだけの時間は残り少ない、どう転ぶかはわからないけど、この先きっと何かしらは起こってしまう。


(そうなってからじゃ、遅い)


 小首を傾げて、無言でどうするかを問う。セインは苦虫を潰した様な顔をした。


「……随分言うようになったな」


 いかにも不承不承と言わんばかり。憎まれ口を叩きながらではあったけど、どうやら承諾されて胸を撫で下ろす。


「頼むね」


 嫌々でも頷かせたことに安堵して笑いかけた。するとより一層、苦い顔をする。

 先日から私のペースにばかり持っていかれて気に入らないのかもしれない。


(でもこの先、私が危うい立場になった時、一番危険な目に遭うのはセインだから)


 本当はこんな風に、私を守るために強くなれ、なんて言いたくない。心の中では、もしもの時は私のことは見捨てて逃げてもらってかまわないと思ってる。むしろそうしてほしい。

 ただセインが生き延びる可能性を上げるためには、今以上に強くなってもらわないといけない。騎士に打ち勝てと言ってるわけじゃない。逃げ切れる力をつけてほしいだけ。

 逃げるのは負けではないし、打ち勝つことが勝ちでもない。逃げ切って、生き残れさえすればそれは勝ちになる。

 もしもの時のために、セイン自身のために。

 今の私では、こんな風に言うことしかできないけれど。これで結果が伴えばそれでいい。


(私も鍛えればいいのだろうけど……どう考えても難しい)


 少なくとも1、2年でどうにかなるとは思えない。

 私は戦う技術より、クライブを敵と想定して逃げきれるだけの逃亡技術を磨いた方がずっと建設的かもしれない。いまのところ脳内シミュレーションしても捕まる結末しか見えないけれど。


「馬に乗れるようになりたいな」

「は?」


 思わず考えたことを呟いてしまった。セインは唐突な話題についていけずに眉を寄せた。

 この世界には車も電車もない。移動手段は徒歩、牛車、馬車、馬。本当に中世ヨーロッパといった感じだ。ファンタジーな羽の生えた竜とかも残念ながらいない。灯りには光る石が使われているけれど、電気ではなく蓄光性のある石が取れる鉱山があるからだ。


「どこかに行きたいのなら馬車の手配をする」

「そういうわけじゃなくて、自分で乗れるようになりたいんだよ」


 でも馬も高価だし維持費がかかるから、逃亡には向かないかも。ただ途中で乗り捨てて行ったとしても、高価だから回収されることを考えれば馬の生命の心配はない。

 やはり馬に乗れるならそれに越したことはない。練習してみてもいいかもしれない。皇女なら止められるだろうけど、皇子なら馬ぐらい乗れないとむしろおかしい。


「却下だ」

「どうして?」


 けれど隣から即座にストップがかかった。

 セインは私が女だと知っているから止めるのだろうけど、日本では女性でも乗馬していたので可能だと思う。私も子供の頃にポニーには乗ったことがある。大丈夫な気がする。

 自信をもって問い返せば、少し言い辛そうにセインが顔を顰めた。けれど、じっと見つめれば観念して口を開く。


「アルは、たぶん自分で思っている以上にとろい」

「……とろい」

「反射神経が鈍い。すぐ俺に後ろを取られるだろ」

「それはセインが気配消しすぎなだけだと思うよ」


 言わせてもらうけど、侍従なのになぜ毎回背後を取るのか。セインを基準にしたら大抵の人は運動神経が鈍いことになる。

 納得できずにいると、引かないと分かったのか溜息を吐かれた。


「そこまで言うなら、今度馬に乗せてやる」

「ほんと!?」

「手綱は握らせないけどな」

「……うん?」


 手綱は握らせないけど、馬には乗れる? ポニーに乗るみたいにセインが紐を引くってこと?

 意味が分からなかったけど、とりあえず乗れる機会があるのならと「楽しみにしてる」と笑顔で言っておいた。

 その時のセインの顔といったら。なんとも言えない複雑そうな変な顔をしていた。なぜ。


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