第13話 10 チュートリアル確認は大事
結局セインに図書室まで送ってもらい、入り口で別れた。昨日ぶりの図書室へと足を踏み入れる。
紙とインクの嗅ぎ慣れた匂い。人気のない静謐な空気に包まれると、無意識に安堵の息が漏れた。
(やっと一人になれた)
皇子という立場上、周囲に人がいるのは当然ではある。
秘密を守るために人数がかなり絞られているとはいえ、その分メリッサやセインには一層気にかけられてしまっている。有り難いと思う反面、少しだけ息苦しいと感じたりもする。
こな図書室はセインが午後の訓練をする時間に来ることが多い為、基本的にいつも一人でいられる場所だった。
ここに入れる人間も限られる上、忙しい人が多いので目的の本を手にすればすぐ立ち去るところもいい。
たまに本が見つからなくて悩んでいる人を見かねて声をかけることはあるけれど、ここで人と接するとすればそれぐらい。下位の者から高位の者に声をかける行為は許されていないので、皇子である私が声を掛けられることもない。
極一部、それから外れる人もいるにはいるけど。
でも彼ら以外は一定の距離を保ってくれているので、今のところ問題はない。
(あ、最新号の出荷状況一覧が入ってる)
考え事をするにしても、何かしらの本はカムフラージュで手元にほしい。
入ってすぐの棚に最新号の農作物出荷状況一覧の冊子を見つけると、それを手に中二階へ向かう階段を上った。
間違っても地下には行きたくない。ちょっとトラウマになっている。
(まぁ、私の力じゃ隠し通路の棚は動かせないんだけど)
クライブに「どちらにしろアルフェンルート殿下だけでは使えない道ですよ。開けてみられますか?」と問われて試してみた際、重くて開けない、という物理的な仕掛けにはちょっと呆れた。
あれは私が非力だからというだけでなく、普通の男性でもちょっと大変そう。
兄が鍛えているのは暗殺対策だけでなく、ああいうところでも物理的に力が必要になるせいでもありそうだ。有事の際には信頼のおける騎士が護衛に付くだろうから、たとえ王族が弱くても肝心な時に開けないってことはないだろうけど。
階段を上がり切り、奥へと進むと窓の近くにアンティーク調の小さなテーブルセットが設置してある。
全体的に薄暗い図書室の中、ここだけ外の明かりが入ってきて明るいので気に入っていた。気候の良い今なら日向ぼっこも出来てちょうどいい。
椅子に腰を下ろして、持ってきた冊子を開いてから頬杖をついた。
(さて、と。これからどうしようかな)
前世の私の意識が戻ってから色々なことがあったけれど、まだスタートラインに立ったところでしかない。ゲームで言えばチュートリアル。……チュートリアルが濃すぎる。
でも最初はやはり、装備とスキルを確認するところから。
魔王が復活して命懸けで戦わなくていいだけマシとはいえ、私の生死をかけたバトルがあるのは変わらないのが辛い。ここは恋愛ゲームだったはずなのに。
しかし私にとって、これはもう現実なんだ。
(目的をはっきりさせよう。まず、死にたくない。贅沢できなくていいから、普通に人並みの人生が送りたい)
元々派手なことや目立つことは苦手だ。普通の一般レベルの町娘あたりでいい。
高望みじゃないはずが、どうしてこんなに途方もない望みに思える状況なんだろう。別に世界を救うと言ってるわけじゃないのに。
思わず頭を抱えたくなる。
(いざとなったら失踪して、隣の国の町にでも紛れ込んで働く……)
とはいっても、自分が世間知らずなことはわかってる。
いくら過去の記憶があっても、皇子の身分で気軽に外を出歩くこともないのでこちらの世界の常識は本で知っているだけ。
なんの下準備もなく失踪したところで、すぐに有能な騎士達に捕まって連れ戻されるのは明白。無事に逃げおおせたとしても、その先はあまりに不透明でリスクが大きい。
(こういう時、ネット小説だと特技を生かしてうまくやっているけど)
ここは先人に倣うべきでは? いっそ女でもかまわないと思われるだけの力を見せつければいいのでは?
……そう思うものの、神からチートな能力を授けられているわけでもない。
世間一般の主人公達のように料理や裁縫、薬学や医術に長けているわけでもない。残念ながら、魔法もない。
とはいえ一応、一人暮らしは長かったので人並みに料理は出来る。
でもスーパーで売っているパックに入った焼くだけの状態となっている肉に、市販の焼き肉のタレを掛けて焼く程度。
簡単と言われるカレーだって、ルーを一から作れと言われたら詰む。ガムラマサラが必要なことはわかっているけど、そもそもガムラマサラがなんなのかわからないレベル。
唯一、学生時代にオムライス専門店でバイトしていたから、卵だけは綺麗に巻ける。ただこの世界はオムレツはあるけど、米を見たことがないのでオムライスは出来ない。オムレツだけ上手に作れたところでどうしようもない。
そんなレベルの人間じゃ、料理勝負は無理だ。だいたいこの世界の料理は美味しい。出る幕がない。
(裁縫なら、出来る方かな)
昔、友人に好きなキャラのコスプレをしてもらうために何度か衣装を作ったことがある。
家庭科の成績は普通だったのに、三次元に喧嘩を売っているとしか思えない衣装を原作に忠実に作り上げたのは、我ながらすごいと思った。あれは愛故の執念と言える。
それも高性能なミシンがあったから出来た話。いま自分が着ている服の縫製と自分の裁縫技術を鑑みるに、これを推すには心もとない。
(型紙を起こして仮縫いぐらいはできるだろうけど、……針も持ったことがない皇子がいきなりそれをしたら怪しい)
こちらの世界ではお針子は女性の仕事的な考えがある。皇子の身でやりはじめようとしたら、止められるのは目に見えている。
これは無事に皇子をやめられて、町娘にでもなれた時の就職先候補として封印しておこう。
(困った……)
これだけじゃ、女でもかまわないと思われるほど特出している特技とは言えない。皇子として披露できる技でもない。
女としての利用価値から考えれば、皇子として育てられたことを秘密にして、どこかの国に政略結婚で嫁ぐぐらいだろうか。
(死ぬより政略結婚の道具になった方が、まだマシではあるけど)
元々皇女の使い道なんてそれぐらいである。兄に事情を話せるぐらい仲良くなれれば、そういう手段もないわけじゃない。
とはいえ下手に近づきすぎて、女だと打ち明けられる状態になる前にバレてしまったら大変なことになる。この案は諸刃の剣だ。
(それに兄様と仲良くなることを、エインズワース公爵が黙っているとは思えない)
祖父は私を王にしたいのだ。今以上に兄に差し向けられる刺客が過激になる可能性がある。
そうなると、この案は一旦保留だ。
あと残る技術は、私が十年以上やっていた仕事。
(これに関して言えば、……役には立つんだろうけど)
たぶん自分で言うのもなんだけど、皇子として仕事をするようになればそれなりに使える可能性はある。しかも国の内部の状況がよく見える位置に食い込むことになる。
本当に私が皇子であったなら、だけど。
この国の女性は政治・経済には関わらない。極稀にいることはいるけど、少なくとも皇女がやることではない。それに実務ですぐ役に立てるスキルがあるとはいえ、特別な才能が必要なわけではない。つまり、私でなければいけない、という必要性がない。
むしろ女の身だとわかれば、私がそこにいるのは煙たがられるはず。
(それでも一か八か、これに賭けるしかないのかな)
少なくともゲームが開始された時の私の年齢は、ヒロインの1歳下で成人している15歳。
楽観的に考えれば、あの時期まではとりあえず生きて皇子をやっている。外見も、線は細いけどまだちゃんと男の子には見えていた。成人していたということは、もう王宮で仕事もしていたはず。
このスキルで確実な地位を築いてから、女とバレても居座れる手を取るか。でもこれをやると、王宮から失踪を選ぶ場合は追手がすごく怖いことになる。知ってはいけないことも色々知ってしまう立場になるから。
(考えてたら頭が痛くなってきた)
眉根を寄せ、目の前に広げていた今期の農作物出荷一覧を見るともなしに見つめた。熱っぽくなった頭を一旦空っぽにして、ぼんやりとその数字を眺めていく。少しずつ頭が冷えていく気がする。
よくセインには「こんなものを見て何が楽しいんだ?」と言われるけど、案外これが面白い。これを見ると好きな食べ物がどれぐらい食卓に乗るか予想出来るし、当たると純粋に嬉しい。
我ながら地味で暗い遊びだと思う。
(……今期のサクランボの出荷量、おかしくない?)
ふと去年と比べて、格段に少なくなっていると気づいて首を傾げた。
なぜ去年の出荷量を覚えているかというと、単純にサクランボが好きだから。この量だと、城でも1回食べられればいい方かもしれない。
ちょっと気になるので席を立った。1階に降りて、気候を記録している書棚に向かう。
今年と去年の生産地の気候を記したページを見比べてみても、例年通りだ。特に災害があった形跡もない。それならば害虫の異常発生の報告でもあるかと別の綴りも確認したけど、それもなし。
(品種改良して、生産量が減った?)
それならば果物の等級を上げるのに成功したのかと予想をしてみた。しかし、これまた去年と同じ等級のまま。
値段は出荷量が半分以下になっているせいで1.5倍。でも1.5倍でしかない。2倍の金額じゃ売れないというのもあるだろうけど、この量で1.5倍値だと農民の生活は苦しくなる。
(出荷量を絞って高級志向にシフトしたいのだとしても、いきなりすぎる。等級もそのままだし)
たとえば領主が変わったりして、体制が変更されたにしても急すぎる。
更に書棚を移動して生産地の領主を確認すれば、ほんの2年前に代替わりしていた。今の領主が高級志向にシフトしたいというのなら、それはいい。そういう裁量は各領主に任されている。
ただもし領主が変わったことで何かしら問題があり、農民にストでも起こされたせいで生産量が減ったのだとしたら見過ごせない。
(でも、それらしい報告は見なかった。上に来る前に揉み消されてる可能性もないとは言えないけど)
1.5倍値とはいえ、買取が半分に減らされれば農民は死活問題。高級志向に移行させたいにしても、上手くいく保証はないのに急に半分以上も減らすなんて、ここまで無茶な減らし方はしないはず。これじゃ暴動が起こっていてもおかしくない。
だけどそういう報告も見た覚えはない。さすがに暴動なら隠しきれることじゃない。
となると、もしもだけど。例年通りの生産量があるにも拘らず、半分しか出荷されてないように操作されているだけだとしたら。
(残りの半分は、どこに消えた?)
思わず難しい顔になる。
「さすがにちょっとおかしい」
小首を傾げ、思わずぽつりと呟いた。その自分の声で、はっと気づく。
……息抜きのつもりだったのに、うっかり本気で調べてしまっていた。しかも気づけば、貴族名鑑目当てで近づきたくないと思っていた地下に移動している始末。
(職業病だ……!)
そう、これが私の前世の職業。
正確には違うけど、だいたいこんな感じ。
おかしい箇所を見つけたら調べて、不正がないかを確認する。
そしてなぜか前世の私を思い出す前のアルフェンルートも、こういうことを調べるのが好きだった。生まれ変わってまで染みついている習性って、ちょっと怖い。職業病怖い。ワーカホリックにも程がある。思わず嘆息を吐いてしまう。
今はとりあえず早々にこの不吉な地下から脱出しよう。貴族の系譜を書棚に戻そうと背伸びをして手を伸ばした。
「何がおかしかったのですか?」
「!?」
だがその手に持った本は、自分の手ではなく背後から伸びてきた大きな手によって書棚の中に納められた。
(え?)
背後に感じる人の圧迫感。すぐ耳元で聞こえてくる、出来れば聞きたくなかった声に戦慄が走る。
(嘘でしょっ)
心臓がバックン、バックン、と胸を突き破りそうなほど大きく早鐘を打ち出した。ゴクリと息を呑み、ギギギと音がしそうな動作で声のした方を仰ぎ見る。
「こんにちは。アルフェンルート殿下」
そこには、この世で私が最も恐怖する悪魔の化身であるクライブが、人好きのする笑顔を浮かべて立っていたのであった。
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