第11話 幕間 人は見かけによらぬもの
※クライブ視点
主である第一皇子シークヴァルドとその異母弟アルフェンルートが密会した翌日。アルフェンルートから届いた贈り物を見て、シークヴァルドが「なるほど」と言って微かに笑った。
贈り物は部屋の隅に積み上げておき、後で時間が出来た頃に纏めて確認するのが常だ。だが今日は仕事中だというのに手を止めて、本に掛かっていたリボンを解きにかかっている。
(珍しい)
いつもなら横目に見て煩わしそうに眉を顰めるだけだというのに、楽しげですらある。
「随分と楽しそうですね、シーク」
あまり周りに人が集まることを好まないシークヴァルドの執務室には、自分と彼しかいない。乳兄弟ということもあり、人目がなければ気軽に昔からの呼び名で呼ぶ。シークは顔も上げずに「そうだな」と鷹揚に頷いた。
贈られた本のページをパラリパラリと捲り、あるページまで来ると「さすがだな」と感心した声音で呟いている。この人がこうして人を褒めるのは珍しい。
「どのような本だったのですか?」
そんなにも興味を惹かれるものだったのか。
眉を顰めて小首を傾げれば、機嫌良さげに口の端を吊り上げられた。見ても構わない、と視線で促されたので近づいて手元を覗き込む。そこには紙面いっぱいに異国の風景が描かれていた。
雪深い、小さいながらも武骨で堅牢な印象のある城。高い山に囲まれていて、この国ではありえない過酷な環境が伺える。ページを捲れば、今度は違う角度から僅かに木々が茂り花が咲く中に立つ、同じ城が描かれていた。
白黒でありながら、まるで景色を切り取って嵌め込んだかのごとき緻密な絵はとても美しい。腕の良い絵師が異国を旅して写生した景色を綴った本なのだとわかった。異国の情景を知る貴重な資料ではある。
だが、シークがここまで感心する理由がわからない。
「私も行ったことはないのだが、これは母の故郷の景色だ。この国の資料はあまり出回っていないから、この2枚だけでもとても珍しい」
疑問に思ったのが伝わったのか、紙面の隅に記載された地名を指でなぞりながら歌うような声で教えられた。
シークの母である第一王妃は産後の肥立ちが悪く、亡くなっている。そのためシークは故郷の話を聞いたことがなければ行ったこともないはずなのに、懐かしげに目を細めて柔らかい微笑みを浮かべた。
「不思議なことだが、懐かしく思えるものだな」
「それをわかっていて、アルフェンルート殿下がそちらの本を選ばれたと? 偶然ではないのでしょうか」
第一王妃の故国は冬が長く日が短いという以外には特筆すべき点のない小さな国だ。本来、この大国の王妃として選ばれる王女ではなかった。そのため、秘されているわけではないが、あまり馴染のある国でもない。
特に第二皇子であるアルフェンルートには、自分の母の前の王妃の話などあまり耳に入れないようにされているのではないだろうか。
あの覇気のない、おっとりしていそうな子供がわざわざそうと知っていて選んだとはとても思えない。ただ綺麗な本だから、という理由だと言われた方が納得できる。
眉を顰めてそう言えば、シークはチラリとこちらを見て呆れを滲ませた。ついで嘲るように薄い唇に笑みを刻む。
「偶然? 本に関してはいえば、アレに偶然などあるまいよ」
元が氷のように冷たい美しさがあるだけに、そういう笑みにはゾッとするほど迫力がある。
しかし生まれた時からの付き合いなので、それで怯むことはない。
「どういうことですか」
確信をもって告げられた言葉に困惑を見せれば、「まあクライブは武官だから知らなくても仕方ないが」と揶揄する気配が消えた。頬杖を突き、視線を再び紙面に落としながら面白そうに言葉を続ける。
「『図書室には妖精が住み着いている』……ここ数年、文官の間で有名な話だ。図書室で目的の本が見つからなくて困っていると、妖精がどこからともなく現れて本の場所を教えてすぐに姿を消すのだそうだ」
「なんですか、その怪談じみた話は」
「その妖精扱いされているのがアルフェだということだ。面白いだろう?」
面白いだろうと言われても、あの皇子は日頃いったい何をしているのかと呆れの方が上回る。それが顔に出ていたのか、「わからないか?」とまたも揶揄する眼差しを向けられた。
「お前も入ったことがあるから知っているだろうが、あの図書室は各部署が自分の使う書棚をだいたいは決めてあるが、明確に分類されているわけじゃない」
言われてみれば、王宮内の図書室には一般公開されている王立図書館と違って案内図はない。並んでいる本は揃っておらず、雑多な印象であった。
「機密文書の類も多いから、あえてわからないようにしているというのもある。他の部署が別の部署の資料を探そうと思っても、互いの管轄に踏み入れるのを嫌って正確に教えてもらえることもない。実に非効率的でくだらんことだがな」
最後は部署同士のいざこざにうんざりしていると言わんばかりに吐き捨てられる。
「そんな状態の図書室で目的の書棚まで案内できるということは、アルフェはあそこに置かれている本をだいたい把握しているということだ」
「全部読んでいる、ということですか……!?」
そんな馬鹿な。
図書館とは比べるべくもない程小さな図書室とはいえ、地下と1階、中2階で構成されている図書室の蔵書量は一生かかっても読み終えることができるかどうか。それも一般に公開されないレベルの本の内容は専門的な物が多い。
(それを、あんな子供が?)
線が細く、見かける度にいつもどこか遠くを見ているように思えた瞳を思い出して愕然とする。
細い金糸の髪も宝石のごとき深い青い瞳も、顔が整っているだけに人形じみて見えて、微笑んでいても感情を読ませない子供に見えた。……あの日、迎えに行った先でその真意を試す前までは。
対峙した少年は想定以上に不甲斐なく、抗う力は子供にしてもひどく弱かった。本気を出さなくても、簡単に縊り殺せてしまえそうな子供だった。
悲鳴すら上げられないほど怯えて、震えて涙を零す様はとても皇子とは思えない。
けれど容姿だけで言えば、少女が好んで読む童話に出てくる皇子のようではあった。シークも整った容姿だが、整いすぎていて人を寄せ付けない冷たさがある。それと比べると、アルフェンルートの方が少女たちが理想とする皇子様と言える。
けれど男らしさは一切感じさせない。第二王妃とよく似ているから少女に見えるかというと、不思議とそういうわけでもなかった。中性的で、だからこそ妖精と呼ばれているのも理解できる。
捕まえておかなければ、ふと目を離した瞬間に消えてしまいそうな。
あの日、思わず抱き上げてしまったのもそんなありえない不安が胸に過ったからだ。
抱き上げた体は想像以上に軽くて細い。力を込めたら折れてしまうんじゃないかと、内心ではひやひやしていた。悔しそうに涙目で睨まれても、怯えて必死に威嚇してくる子猫を相手にしているのと同じ。
思いがけず頼りなくてか弱いその姿から、騎士としての習性で庇護しなければいけない対象に見えてしまった。
とてもじゃないが、あの姿からはそこまで博識で聡明であるとは思えない。
だからこそ、信じられなくて胡乱な目を向けてしまう。
「勿論全部を読んでいるわけじゃないだろう。ただ、だいたいどこにどの分野が置いてあるのか把握できている程度には読み込んでいるということだ。何を読もうが王族であるアルフェが咎められるわけもないから、自由なものだ」
驚愕を浮かべれば、薄っすらと笑って「恐ろしいだろう?」と問われる。
「それを知ったとき、アレは賢者でも目指しているのかと思ったな」
「アルフェンルート殿下は一体いつから図書室に通われているのですか?」
「私があの図書室に通うようになったのは十歳になる前だったと思うが、その時には既にいたな。外で遊ぶような子供でもないし、もう十年ぐらいは入り浸っているのではないか?」
「お会いしたことがあったのですか?」
そんな話は聞いたことがない。目を瞠ると、苦笑して首を横に振られた。
「私が勝手にアルフェの姿を見かけて知っていただけだ。向こうは私がいたことにも気づいていないだろう」
その姿を思い出しているのか懐かしそうに目を細める。
だが一度瞬きすると、薄い灰青色の瞳がこちらに向けられた。射貫くような強さで見据えられり。
「だから私は、おまえが思っている以上にアルフェを知っている」
諫めるかの如き強い口調に反射的に背筋が伸びた。真っ向からその視線を受け止めれば、言い聞かせるように言葉が続けられる。
「過ぎた行動は改めろ。アレは手放してしまうのには、あまりに惜しい」
「……はっ」
厳しい声で命じられれば、否とは言えない。
応じたものの苦い顔になってしまったのは、こちらの心情的に許してもらいたい。
先日はあまりの弱さに呆れて見逃してしまったものの、生かしておくと面倒だという気持ちに変わりはない。だがさすがにその存在の価値を知り、ここまで言われてしまえば従う他はないが。
表情から察したのか、シークも苦い笑みを浮かべた。
「確かにアルフェの周りは騒がしくて厄介だがな」
「エインズワース公爵ですか」
「あの狸も大概だが……それ以外にも色々とな」
どういうことかと怪訝な顔を向ければ、肩を竦めて「あれを気にかけているのは私だけではないということだ」と濁して言われた。
こういう言われ方をするのは、深く答える気はない時だ。釈然としないが、本来の自分の立場では追求できることでもない。それでも乳兄弟ということで、もう一歩だけ踏み込んで念を押す。
「その面倒さを差し置いても、庇護下に置かれるおつもりですか」
「あの知識を他に渡すのは厄介だ。それになにより、アルフェを傍に置けば私が癒されるだろう?」
だから飄々とそんなことを言われて思わず耳を疑った。
「癒される、ですか?」
「あんなに健気に懐かれれば可愛いだろう」
「弟なんて、すぐに生意気で可愛げがなくなりますよ」
自分の弟を思い出して苦虫を潰したような顔をすれば、興味深げに「たとえば?」と促される。
「あれを買ってほしいだとか、どこそこに連れて行ってくれだとか。断れば拗ねて面倒なことこの上ないです。尊敬はされていると思いますが、せいぜい可愛いのは3割で残りは憎たらしいだけですね」
「なるほど。そんな甘え方ならさぞや可愛いだろうよ」
目を細めて楽しみだと言わんばかりだけど、わかってない。絶対この人はわかってない。顔を歪めれば、「今まで兄らしいことなど何一つしてこれなかったのだから、多めにみてくれ」と困ったように笑う。
ふと、その表情は少しアルフェンルートと似ている気がした。兄弟とは思えないほど全く違う顔立ちなのに、血の繋がりとは不思議なものだと思わされる。
そしてこういう表情を見せることは滅多にないので、この顔で頼みごとをされるとつい頷いてしまう。
「さて、私の言ったことが理解が出来たのなら一仕事してきてもらおうか」
「なんでしょう」
「アルフェにこちらに来るのに都合のいい日時を教えてもらってきてくれ。この時間帯なら図書室にいることが多い。いなければまた後日でかまわない」
「僕が直に、ですか?」
突拍子もないことを言われて息を呑んだ。
どう考えても、自分は先日の件から最上級危険人物として認定されているに違いない。シークの申し出を遮ってまで、護衛を泣きそうな顔で拒否したのだ。相当なトラウマになっている自覚はある。
「嫌がられると思うのですが」
「だからちゃんと謝ってこいと言っている。言っておくが、これはおまえが後悔しない為でもある」
後悔と言われても、自分がしたことに一切の悔いはない。本当に向こうにその気がなかったとしても、シークに害をなせば命がないということを念の為に叩き込ませるためにも必要なことだったと思っている。別に必要以上に仲良くする必要性も感じない。むしろ脅威に思ってくれていた方が都合がいい。
憮然とした態度を見せれば、長々と嘆息を吐かれる。呆れられようと、最善と思われる策を覆す気はない。
ない、つもりだった。
「クライブ。アルフェのことは、一番信頼しているおまえにしか頼めないのだ」
「……っ、わかりました」
少しだけ眉尻を下げて、そんな甘い言葉を投げかけられたら頷かないわけにはいかなかった。
時々、自分の生意気な弟よりも、こうして人をいいように掌の上で転がすこの人の方がよほど憎たらしいと思う時がある。
それでも図書室に向かう自分の足に躊躇いがないことを考えると、自分は相当甘いと溜息が漏れた。
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