第6話 4 敵地に踏み込む準備をしましょう
傷を負ってから早2週間が過ぎた。
傷の経過は順調で、幸いにも心配していた毒による後遺症もない。左肩の傷跡は残るけど、それはアルフェンルートが兄を守れたという勲章であり、私がもう一度ここに生を望まれた証でもある。
今の私の意識は、生きてきた年数のせいかそれとも死に間際の執念のせいか、呼び出された私としての性格の方が強い。
けれど心の中はアルフェンルートとしての感情が強く占めている。別人格のアルフェンルートと共存しているという感じではなくて、強いて言えばスイッチが切り替わったような感じ。
高校デビュー的なものに近いかもしれない。根本的なところは変わっていないけど、この機に自分を変えてみようと足掻いている、みたいな。
幸いにも、体はアルフェンルートとして培ってきた知識と染みついた経験によって無意識に動けている。ここが私のいる世界なのだということに疑問も湧かない。
時間が経って落ち着いてくるにつれて、アルフェンルートに過去の私が憑りうつったと言うより、思い出したという感覚に近いものがある。
ただ昔の思い出が強烈で、過去の自分の知識と経験を使えばどうとでもできるような気になってる、というべきか。
昔の自分になりきろうとしているのか、過去の私の意識の方が強くなっているのだと思う。
(確かに今までの『私』じゃ、潰れるだけだった)
前世の私にもそこまで力があるわけじゃない。ゲームの知識と、ただの年の功。子供の目線よりは見えるものがあるというだけ。
それでも、今までの私よりは勝算はあるかもしれない。
私の目的は、生きること。私も生きて、そして周りの大切な人たちも絶対に死なせないこと。
現状出来ることは限られるけれど、とりあえず今は秘密を守り、かつ第一皇子との対立関係をどうにかして取り除いて、生存率を上げることが最優先。
そのためには、いま目の前にある問題をどうにかしなければ。
「お礼を、しないといけないね」
朝食を食べ終えた後、至る所に花の飾られた部屋を見て小さくぼやいた。
私が怪我を負ったことは祖父であるエインズワース公爵に知られぬよう、主治医を巻き込んで秘密裏に収めた。
主治医はエインズワース公爵の若い頃からの友だという好々爺だ。しかし「馬鹿な悪友より、可愛い孫の頼むを聞くのが爺ですわい」と協力してくれている。まるで彼の方こそ本当の祖父のようだと思える、アルフェンルートの大事な味方だ。
第一皇子に放たれた刺客は失敗と同時に命を絶ったので、そちらから漏れる可能性もない。そして第一皇子もこのことが周りに知られれば面倒になると重々理解しているようで、騒ぎにはならなかった。
今回の件を知っているのは第一皇子と側にいた護衛騎士、私と主治医、あとは侍女のメリッサと侍従のセインだけである。
後は数人の、セインが私側に引き入れてくれているらしい一部の衛兵。事件当時、エインズワース公爵の元へ伺っていたセインに、公爵に知られないよう密かに早馬を飛ばして連絡してくれたのもその内の一人だ。
そのため、今日まで密かに毎日欠かさず贈られてきた見舞の花は、すべて第一皇子からであった。
会いに来たのは1度、私の意識が目覚めたあの時だけ。だがよほど責任を感じているのか、それから毎日違う花が届けられている。
(異母弟への見舞が毎日お花って、どうなんだろう……)
定番と言えば定番だけど、毎日って。しかも弟に。でも王族にとってはこれが普通……なんだよね?
アルフェンルートは立場上、貢物をされることは多いけど特に誰かと親密にしてなかったから、いまいち普通がわからない。
気づけばけして狭くはない私室の中は色とりどりの花が咲き誇っていて、華やかを通り越して落ち着かない。そのうち途絶えると思っていたのに、既に2週間。
どこかでこちらから行動を起こさないと、いつまで続くかわからない。
お礼状を送るだけで済ませてしまえば、今まで通りの関係に戻るだけだと思う。第一皇子を庇ったのは半分は自殺未遂の副産物のようなものではあるから、プラスマイナスゼロってところ。
けれど、せっかく体を張って手に入れた第一皇子との縁をここで手放すのは惜しい。
(敵意はないと念押しするのにいい機会では、ある)
そうは思うものの、尻込みしてしまうのは今までの第二皇子派閥のしてきたことを考えると仕方がない。それにお礼に伺うとなれば、いわば敵地に乗り込むようなもの。
(でもここで怯むないわけにはいかない)
覚悟は決めている。ただ、口からは小さく溜息が漏れてしまうのは許してほしい。
傍らに控えていた乳姉妹である侍女のメリッサも、空になったカップにお茶を注ぎながら可愛らしい顔を曇らせる。
「いかがいたしましょう」
「とりあえず、お礼に伺っていいか手紙を出すよ」
そう告げれば、こちらが頼む前にメリッサが手紙とペンを持ってきてくれる。
「こちらがよろしいかと存じます」
「ありがとう」
渡された手紙一式は普段王族として使ってるものとは違い、何の飾り気もない。くすみのない白さで上質であることは伺えるものの、上流貴族なら誰でも手に入りそうな凡庸なもの。とはいえ、王族に出しても失礼には当たらないレベルの絶妙な紙だ。
万が一、どこかで誰かがこの手紙を見たとしても、パッと見ではすぐに私が書いたものだとわからない点がいい。
さすが生まれた時から一緒にいるだけあって、メリッサは言わなくとも察して動いてくれることが有り難かった。
小柄で榛色の大きな目をしているメリッサは、ふわふわとしている栗色の髪のせいもあって、守ってあげたくなる小動物的な可愛さがある。
けれどその中身は見た目に反してとても頼りになる。3か月年上なだけの彼女は、どんな時でも私を最優先に考えてくれる。
乳姉妹ということで私の事情に巻き込まれたせいで、私と一蓮托生の身であることを恨んでもいいはずなのに。「お仕え出来て幸せです」と笑って支え続けてくれている。
メリッサがいなければ、もっとずっと前にぼろが出て破滅していたと思う。彼女には感謝しかない。
「そろそろ今日のお花が届く頃合いかと思いますので、遣いの者にお渡ししておきましょう」
「うん。頼むね」
書き上げたそれに封蝋して渡す。
第一皇子も密かに花を贈ってきているので、その遣いは第一皇子にとって信頼に値する存在なんだろう。下手にこちらから人を出すより確実だ。
手紙はこれで問題ない。次は。
「お見舞いの返礼と言ったら、お菓子とかの食べ物が無難だとは思うけど……」
一般的には無難だけど、贈る相手の顔を脳裏に浮かべて言葉尻を濁した。
(第一皇子、甘いものが苦手だったはず)
こちらの菓子類は全部甘い。
ゲームのシナリオで、ヒロインに合わせて無理に甘い物を食べるシーンがあったけど、好感度は下がっていた。それでも好きな女の子の好意なら苦手なものでもなんとか受け入れられたようだったけど、つい先日まで命を狙っていた派閥の筆頭旗頭である第二皇子から贈られたら、完全に嫌がらせだ。
いや、アルフェンルートの記憶では第一皇子が甘いものが苦手だという情報はないから、わざと嫌がらせしてるとは思われないだろうけど。
というか、アルフェンルートには第一皇子に関する私的な情報がほとんどない。
ただいつも冷静で有能だと世間一般で言われていることぐらいしか知らない。会話を交わしたことだって、式典での挨拶程度。そのせいで第一皇子の趣味嗜好は、ゲームで得た程度の薄い知識だけが頼り。
「そうですね……今のアルフェンルート様のお立場では、食べ物でのお礼はお勧めできかねます」
「わかってる」
少し難しい顔で考え込んだメリッサ同様、私も少し眉尻を下げて困ったように笑った。
甘い物が好き嫌い以前に、敵の立場であるはずの私が持っていく食べ物なんて、毒が入っていると思われてもおかしくない。
それにもし万が一、私の行動がエインズワース公爵に気づかれていたりしたら、毒入りに挿げ替えられてもおかしくもないのがまた問題だったりする。
でも裏を返せば、第一皇子の好みそうなもので毒が入ってないものを差し上げたら好感度は更に上がる、かもしれない。
(第一皇子が好きだったものって、なんだったかな)
記憶にうっすら残っているスチルを引っ張り出して脳内でさらっていく。
いつもこの人は何をしていた?
「……本にしようか」
「本、ですか?」
「渡したところで害になるわけじゃないし、気に入らなければ読まなければいいだけだからね」
スチルの中で第一皇子が読書していた姿を思い出して、そうしよう、と立ち上がる。
隣接の書庫にしている部屋へと移動して、壁一面ぎっしりと詰まっている書棚の中から1冊の本を探して取り出す。
あまり部屋から出ないようにしている為、アルフェンルートの趣味は読書だ。皇女ならレース編みだとか刺繍だとか出来ただろうけど、皇子でそれをしたら変に疑われそうで出来なかったため、必然的に読書になった。
おかげで周りからも読書家だと思われるようになり、貢物は本が一番多い。この世界の本は量産体制が整っていないため高価で貴重なものなので、第一皇子が同じ本を持っている可能性も低い。
第一皇子の本の趣味まではわからないけど、これならば、という心当たりが1冊あった。
取り出したそれをぱらぱらと捲って中を確認し、うん、と頷く。
(これなら第一王妃殿下の、故郷の絵が描かれてる)
異国の風景が描かれたその本は、白黒のイラスト集だ。誰かが各地を回って写生したものを綺麗に綴じてある。
異母兄の実母である今は亡き第一王妃は、異国の王女だった。外交に出かけた先で出会った彼女に、この国の王は一目で恋に落ちた。
この国と比べるとずっと小さい国の王女だったために釣り合わないと断り続けていたが、王は何度断られても諦めず、周りの反対も押し切って求婚しつづけた。
そうして、ようやく迎えられた人だったという。
肖像画でしか見たことのない第一王妃は、本当にとても美しい方だった。第一皇子は母親に似たのだと思う。王が一目惚れした気持ちもわかる。
そういう事情もあり、第一皇子は小国でたいした後ろ盾のなかった亡き王妃の子ということで、国内の貴族からの反発も多い。王は当然、序列的にも愛情的にも実力的にも、第一皇子を王にするつもりでいる。だが周囲には自国の大貴族出身の王妃から生まれた私を王に、と思う者も少なくはない。
……そんな事情はともかく。
この本なら喜んでもらえると思う。少なくとも無碍にはされないはず。
「第一皇子のところに行くって?」
「!」
ほっと安堵したところでいきなり背後から声がかかって、驚きのあまりビクッと肩が跳ねた。
取り落としそうになった本を抱え直して慌てて振り向く。一体いつ来たのか、書庫の扉のところにセインが不機嫌そうな顔で佇んでいた。
(なんだかすごく怒ってる?)
セインが不機嫌そうなのは珍しくもないけど、明らかに怒っている気配を漂わせていることはあまりない。怒られるのかと思うと、肌がピリピリと緊張して緊張感が湧きあがる。
ごくり、と無意識に一度乾いた喉を嚥下させた。
記憶を持っている私からすればまだ14歳の少年のはずなのに、今までに培われてきた苦手意識の方が上に来て迫力に気圧されてしまう。
「逃げてばかりもいられないからね」
でもここで適当な言い訳をしても通用しないように思えて、息を吸い込むと素直に本音で答えた。苦く笑ってしまうのは癖みたいなものだ。
でもこうやって笑うと、セインは苦虫を潰した様な顔になる。
そんな顔をさせたいわけじゃないのに、いつもうまくいかない。ごめん、と謝る代わりに小首を傾げて笑い続けることぐらいしかできない。
これ以上顔を合わせていても、きっとセインの苛立ちは増すだけだろう。本を手に、逃げるようにセインの横を擦り抜けようとした。
しかし、通り過ぎかけた寸前で不意に強く腕を掴まれた。グッと力を入れて引き寄せる形で引き留められる。
「なに?」
引き留められて、あまりに近い距離に思わず息を呑んだ。近い。顔、近いから!
驚きなのか緊張なのか、自分でも判断できないけど心臓が痛いほど早鐘を打ち鳴らす。
「俺も一緒に行く」
「それは、……無理だよ」
鋭い瞳に睨むように見据えられて、想像もしていなかったことを言われて一瞬思考が停止した。
一緒に行く? セインが?
凄む眼差しに気圧されたけど、しかしすぐにそれでも無理なものは無理だときっぱりと口にする。
さすがに第一王位継承者の宮に侍従までは入れないだろう。警戒されている第二皇子の侍従なんて、尚更のこと。
それにセインはエインズワース公爵子息であるとはいっても、娼婦の子だと周りからは陰口を叩かれている。下手に連れ歩いて嫌な思いはさせたくはない。
「そんなに心配しなくても大丈夫だよ。少なくとも、第一皇子が私を害する真似は出来ない」
それに、その確証もある。
セインは眉を顰めたが、まだ手を離してくれない。
「下手に私に手を出せば、そこを突かれて突き崩される可能性があるからね。もし私を消せたとしても、あの人達はそれを理由に付けて第一皇子を引き擦り落とす」
あの人達、とエインズワース公爵のことを濁して言いつつも内緒話のように念の為に声を潜めた。
私が消えても、また新しい傀儡を祭り上げるだけ。王も第二王妃もまだ生きているのだから、次の子を生ませればいい。第二王妃が無理なら、新しい生贄が用意されるだけ。
それぐらいなら、第一皇子は今のおとなしい私を生かしておいて御した方がマシだと考えるはずだ。
私に手を出したところでメリットよりもデメリットの方が多いのだから、あえて危険な賭けには出ないだろう。そもそも第一皇子は何もしなくても王という後ろ盾の元、順当に王位は転がり込んでくるのだ。私に手を出すのは藪蛇にしかならない。
そこまで説明しなくても、セインは理解はしたのだろう。というか、セインならそれぐらいわかっていたと思う。
「それでも、傷つけられるのが体だけとは限らないだろ」
だから怒った声でそう言われた時には、瞳が零れ落ちるかと思うほど目を瞠って驚いた。
セインがそんなことを言うなんて、思ってもみなかった。
素っ気なくはあるけど元々そこまで冷たい人でもなかったわけだけど、これまではあまり私の心の中には踏み込もうとはしていなかった。自分にも、踏み込ませようとはしていなかった。
時折、もどかしげな顔をして私を見ていることは知っていた。なぜ抗わないのかと責めるように見られていたことも知っている。
でもこんな風に、感情を私に叩きつけたりはしなかった。
それなのに、今は違った。
言った後でわざわざこんな風に心配していることなんて言いたくなかった、と言わんばかりに目を逸らされたけど。でも撤回する気配もない。
掴まれていた手も離されて、数秒ほど二人の間に沈黙が落ちた。
なんだか言われたこっち側の方が恥ずかしくなってきて、耳が熱を持つのがわかる。
(怪我してから、やけに過保護になった気がする)
責任を感じてるんだろうとは思うけど、今までとは違って守られてる感が強くなった気がして居た堪れない。こそばゆい、とも言える。
でも、素直に嬉しかった。
「心配してくれてありがとう。でも私は大丈夫だから」
そう告げると、セインの瞳が少し傷ついたように見えた。一瞬だったから錯覚だったのかもしれないけど、私が拒絶してしまったように聞こえたのかもしれない。
「もし傷ついたら、帰ってきたときに愚痴でも聞いてよ」
だから慌ててそう付け加えて、頼むね、と言う代わりに笑いかけた。
今度はちゃんと何があったのか、何を思っているのか、出来るだけ言うようにするから。
セイン相手だと慣れないことだけど、少しだけ心を開いて見せる。すると納得したのか、しきれてないのか読めない複雑な表情をしながらも、「わかった」と頷かれた。
なんだか気難しい犬の相手をしている気分。
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