第7話 5 狂犬の躾をお願いします!


 第一皇子からの返信は翌朝、ここ数週間の恒例となっていた花と一緒に届けられた。

 朝食を食べていた手を途中で止める。行儀が悪いとは思いつつも早々にカードを開く。


「昼過ぎに時間が取れるから、図書室に来てほしい、か」


 カードに書かれた達筆を眺めながら小さく呟く。

 昨日お礼に伺いたいとは言ってみたものの、どうやってエインズワース公爵派閥の目を盗んで行けばいいか悩んでいたのでこの提案は有り難かった。

 図書室、ということは一般にも公開されている城併設の図書館の方ではない。いつも通っている王宮内の限られた人間しか使用できない部屋だと思われる。

 私が一人で出向いても不信には思われない場所であり、第一皇子がいても不思議ではない部屋。考えてみれば、今までだっていつニアミスがあってもおかしくはない場所だった。


「それなら俺も行く」


 向かいに座っていて私の呟きを耳に止めたセインが間髪入れずに言ってくる。

 場所的にはセインが来ても問題はない。一緒にいてもらった方が心強いという気持ちは当然ある。

 それでも少し悩んだ末に首を横に振った。


「いつも一人で行く場所だし、二人で連れ立っていくと目立つ可能性がある。セインは出来るだけいつも通りにしていてほしい」


 セインも一緒に図書室に行くこともないわけじゃないけど、今日はあまりいつもと違う動きはしない方がいいように思う。それに図書室は限られた人間と許可を得た者しか出入りできない場所であり、機密文書も置いてあるので警備はどこよりも厳重だ。暴漢に遭う危険もまずない。

 それでもいつも行くときは護衛の衛兵が付いてくるけど、彼らには入室許可が無い為、扉の外で待機しているだけ。

 この状況なら出来るだけ一人で行った方が敵意がないことも伝わるだろう。誠意も示せる、と思う。

 不満なのを隠しもしない仏頂面で見つめてくる自分とよく似た深い青い瞳を見返して、「おねがい」と眉尻を下げて訴えてみる。

 すると、舌打ちせんばかりに顔を歪められた。

 ……そんなにお願いする姿が気持ち悪かったかな。少しショックだ。


「……1時間だ」

「うん?」

「1時間経っても戻ってこなかったら、図書室まで迎えに行く」


 それで妥協する、と苦虫を潰した様な顔で言われた。

 もしかしてさっき私のお願いに嫌な顔をしたのは、不本意ながらも強請られて引かざるをえないことが気に入らなかっただけなのかも。

 少しほっとして、「わかった」と頷いた。一人で行くと言ったものの、不安はあったのでその申し出は嬉しかった。


(うまくいくといいな)


 部屋の中に飾られた花を見渡せば、たぶん第一皇子に嫌われてはいない、と思えてくる。贈られてくる花は、楽しませるように毎日違う組み合わせだった。責任を感じているにしても、普通はここまで趣向は凝らさないと思う。


(仲良くとまではいかなくても、最悪の時に処刑コースが免れる程度の恩赦がもらえるぐらいにはなりたいな)


 ――なんて呑気に思っていた自分を、数時間後に呪いたくなるとは思ってもいなかった。




 予定通り、指定された時間に贈る本を片手に図書室へと向かった。

 護衛にはいつも通り衛兵が一人、数歩斜め後ろを付いてくる。いつもは気にしないその存在が、今日ばかりは緊張していることを悟られないかと気が気じゃない。

 アルフェンルートの護衛は、秘密の漏えいを恐れて皇子にしては非常に少ない。だがそのぶん少数精鋭が揃えられている。いつもは頼もしいものの、こういう時はこちらの微妙な変化を捉えてくるので気が抜けない。


「もし何かあればすぐに声を上げてください」

「!」


 だから気をつけていたつもりだったのに、図書室の扉近くになって潜められた声で安心させるようにそう告げられて息が止まった。

 とはいえこちらもポーカーフェイスは鍛えているつもりなので、素知らぬ顔をした。どういうつもりなのか、と言うように振り返る。

 だがそこに想像もしていなかった心配そうな表情をみつけて、せっかくのポーカーフェイスが驚きに代わってしまった。

 護衛の彼らは当然のごとくエインズワース公爵の息がかかった者が配置されている。だけど傍に仕える内に、傀儡としてしか求められていない私に同情して、私寄りになってくれる者もいる。

 どうやら今日の護衛はそういうタイプだったらしい。


(これ、たぶんセインの差し金だ)


 朝食の後、すぐにセインが部屋を出ていったのは無謀な私に怒っているからだと思っていた。

 けれど、どうやら私が第一皇子との対立関係をどうにかしたいと思っていることをうまく根回しして、今日のことも極力危険を排除できるように動いてくれたに違いない。

 そして目の前の騎士もそれに同意してくれて見えることが嬉しい。

 傍にいなくても守られているのだと、無意識に安堵の息が漏れた。


「ありがとう」


 傀儡じゃなくて、ちゃんと自分として生きていいんだって。後押しされたようで勇気が出てくる。

 僅かに口元を綻ばせれば、普段は感情を出さない騎士も目元を僅かに緩ませた。

 味方が出来るのって、嬉しい。


(だけどさすがに私が女だってバレたら、裏切られたって思われるのだろうけど)


 すぐに気持ちは浮上しかけた以上に沈む。味方になろうとしてくれている人を騙しているんだと思うと、すごく心が重くなる。

 本当に男だったら、たとえば第一皇子の側近として支えていく存在になる手もあった。たぶん私寄りになってくれている人達はそれを望んでいる。そうなれば、護衛の彼らだって仕えがいがあるというのもわかる。


(でも、それは出来ない)


 女の身である以上、頑張っても誤魔化せるのはあと3、4年が限界。

 中途半端だ、と苦い気持ちが込み上げる。好意に報いることが出来ないとわかっているだけに、素直に彼らの気持ちを喜べない。


(それでもできるだけ守りたいな)


 私に仕えていたというだけで処罰の対象になりうる。そんな未来は出来るだけ回避したい。

 この身一つで、どこまで出来るかわからないけど。

 そのためにも改めて覚悟を決めると、図書室の扉の前で呼吸をひとつした。顔を上げて見た通いなれた扉が、今日はやけに大きく重く思えた。

 とはいえ、ここで怯んでなんていられない。

 足を踏み出し、ひとり、重い扉をくぐりぬけた。

 一歩入ると紙とインクの匂いに包まれる。1日に2、3人程しか来訪者のないこの場所は自分の部屋の延長のようでもあり、自分の中ではホームの部類だ。目慣れた景色に少しだけ緊張が解れる。


(どこにいるんだろ?)


 図書館よりは圧倒的に小さいとはいえ2階仕様になっていて、奥の方に行けば目立たない場所に地下へと続く階段もある。人知れず会うのなら、立地的にも置いてある本の種類的にも地下が一番目立たない。

 扉の前には他の衛兵もいなかったし、まだ来ていない可能性もある。ひとまず地下に向かうことにした。

 地下には普段はまず必要としない過去の王族や貴族の記録が主に置かれている。よほどの暇人でもなければ、あえて読みに行く人はない。この図書室自体、入って来る人は基本的に忙しい専門職ばかりだから、まず地下に行くことはない。

 階段を下りるごとにカビ臭さが鼻に突く。あまり長居したい場所ではないけど、それなりに地下も広い。見落としがないようにゆっくりと背の高さ以上の書棚の合間の通路を覗いて歩く。

 しばらく見てまわっても、まだ誰かが来る気配もなかった。来るのが少し早すぎたかも。ちょっと肩の力を抜いた。

 その時だった。


「!?」


 不意に口を塞がれ、背後から力強い腕が体に巻き付いてきた。

 悲鳴を上げる間もなかった。

 手に持っていた本を取り落とした音だけがやけに部屋に響いて聞こえる。その間にも口を塞がれたまま、腰に巻き付いた腕がグッと腹に食い込み、体が浮遊感に包まれた。


(やっ、なに……ッ!?)


 咄嗟に首を振って口を塞ぐ手から逃れようとしたものの、力強い掌は全く外れてくれない。

 力じゃ、敵わない。

 そう理解すると同時にどうしようもない恐怖心に襲われた。頭が真っ白になって、一応は習った護身術なんて全然思い出せない。


「んっ、んん……ッ!」


 必死に手足をバタつかせて暴れてみても、相手はビクともしない。


(や、やだ……っやだ、やだ!)


 怖い。怖い。怖い!

 声を奪われていることもまた恐怖を加速させていく。なんなの。私はどうなるの。どこにつれていかれるの。これは一体どういうことなの!

 私は、間違えてしまった……? セインの言う通り、私は無謀すぎた?

 カタカタと体が恐怖で小刻みに震える。

 心臓はバクバクを胸を突き破りそうななほど早鐘を打っていて、恐怖が思考を掻き回してうまく考えがまとまらない。

 荷物のように乱暴に小脇で横抱きにされると腹に腕が食い込み、グッとえづいても気にせずに暴漢は私を抱えたまま足早に進む。その間に相手の太ももに拳を振り上げても、細い子供の腕じゃ大したダメージを与えてくれない。

 なによりもそれ以前に、恐怖で体に思うように力が入らなかった。

 もし相手の機嫌を損ねたら? 浚われるだけでなく、ここで殴られたり、場合によっては殺されるかもしれない。

 そう考えると体が恐怖に凍り付く。嫌だ。怖い。どうにかしなきゃ。そう思うのに、対策がなにも思いつかない。

 だけど、図書室の出入り口は防犯のために一つしかない。壁は一面書棚に囲まれ、窓は高い場所にある明かり取りの窓だけ。2階に上がって窓から飛び降りるという手もないわけじゃないけど、かなり目立つ場所なので人ひとり抱えた状態でそれは不可能なはず。

 救いがないわけじゃない。

 ……そう思っていたのに、その足は階段を上がることなかった。どころか地下を奥深くへ進んでいく。

 誰の声も届かない場所で、殺されるんじゃ。

 そんな想像が脳裏に浮かんで目に涙が浮かんでくる。


(いや!)


 なんでそう何度も殺されないといけないの。なんで私ばっかりそんな怖い思いしないといけないの。なんで私なの。

 なんで!

 暴漢は私を抱え上げたまま書棚に囲まれた通路の一つに入った。その先に見えた光景に息を呑んだ。


(隠し通路!?)


 からくり屋敷のように、一部の書棚がスライドしていてその奥に暗い通路に続いているのが見える。暴漢は迷うことなく、その通路へと迷うことなく踏み込んだ。


「ぁ、……ッ!」


 入ると同時に、書棚だった扉が無情にも閉められる。

 唯一口から手を離されたというのに、やっと自由に叫べたはずが、助けを求める悲鳴は恐怖で掠れて声にならなかった。腹に食い込んだ腕のせいもあり、喉の奥で息が引き攣った。

 それでも必死に息を吸い込んで、声をあげようとした瞬間。

 またも口が掌で塞がれて悲鳴は喉の奥でくぐもった。与えられた時間としては、ほんの数秒にも満たなかったのかもしれない。


「お静かに。アルフェンルート殿下」


 不意に低い声でそう言われて、ゴクリと息を呑みこんだ。聞いたことはない、はずの声。でもどこかで、聞いたことがあるようにも感じる声。

 暗く閉ざされた通路に暴漢と二人きり残されて絶望に包まれる。

 抗う動きを止めてゆっくりと仰ぎ見る。そこには見たことがある顔があって息を呑んだ。


(この顔、知ってる……!)


 アルフェンルートとしては、見かけたことがある程度の認識。

 でも私は、知っている。この男を。知っているのは今よりもう少し大人になった顔ではあったけど、でも間違いない。

 乙女ゲームの攻略キャラの一人であり、


(第一皇子の、狂犬だ)


 アルフェンルートにとっては、最恐最悪の相手だ。


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