体育祭(2)

 うちの高校の体育祭は、1年生から3年生までの全クラスが赤・白・緑・青という四つのチーム(「ブロック」と呼ばれている)に分かれて競い合うらしい。

 徒競走や綱引き、騎馬戦といった運動種目の順位が勝敗を分けるが、何より配点が大きいのが、各チームによる創作ダンスらしい。

 この創作ダンスの結果が体育祭全体の順位を左右するといっても過言ではなく、上級生たちの間では「体育祭=創作ダンス」という認識が広がっていて、夏休みの間から振り付けを考えたり練習を始めたりしているらしい。


 「らしい」と伝聞だらけになってしまったけれど、これらの情報は全て、実行委員の会議が開かれている教室に向かう途中で玉木さんから聞いたことの受け売りだからだ。


 二学期初日は始業式だけで昼前には放課となる。

 だけど、さっそく体育祭実行委員の招集が掛かっていると水島先生に告げられ、帰ろうにも帰れなくなってしまった。

「初日から災難だな」

 と笑う担任を見て、僕は生まれて初めて大人を殴りたいと思った。


 猛る拳をどうにか押さえつけ、僕と玉木さんは教室を出た。その道すがらで、前述のような体育祭の概要を教えてもらったのだった。

 全てが初耳のように(実際初耳だ)聞く僕の反応に、玉木さんは気味の悪い虫が落ちているのを見つけたような顔をした。

「ホントに何も知らないの? 興味なさすぎでしょ」

「教えてくれる人もいなかったし、そもそも体育祭なんてなくなればいいと思ってるからね」

 ついでに体育の授業も法律で禁止されればいい。運動は部活にでも入って、やりたい者だけがやるべきだと心の底から思う。

「というか、玉木さんは委員なんて引き受けてよかったの? 弟くんたちの面倒とかあるんじゃないの?」

「今月は母さんの仕事が落ち着いてるから問題ない。どうせ忙しくなるのは体育祭が終わるまでの二週間だけだし。吉田にも借りがあるし……」

 語尾が弱まったのが気になったけど、こちらが質問する前に玉木さんが足を止めた。教室の扉の前。ここが目的地だ。

「あとさ、何というか……ごめん」

 彼女は呟くように言った。

「何が?」

「わたしのとばっちり食うみたいになったから。箱崎が」

 思ったことをすぐ口にしなくてよかったと、僕は生まれて初めて思った。

「別にいいよ。あの人適当だし」

 水島先生の顔を思い浮かべながら、僕は言った。

 ほっとした玉木さんからお礼でも言われるかと思ったけど、彼女の口からは別の言葉が出た。

「これから先、何を見ても同じこと言ってくれる?」

「急に怖いんだけど」

 鼓動が高まってきた。

 けどそれは僕の内側から聞こえる音ではなかった。

 扉の向こうで鳴っている音楽。

 嫌な予感がした。

 玉木さんが引き戸を開けると、その予感は的中した。


 そこには僕とは無縁な——避けてすらいた世界が広がっていた。

 リズムに乗ってステップを踏む人々。

 手を振り上げたり足を動かしたりと、一つ一つの動きが生き生きとし、誰もが汗を掻きながらも笑顔を絶やさず踊っている。

 まるでミュージカルの舞台にでも立っているように、全員に自信が漲っている。


「——ホントごめんね、箱崎

 隣で玉木さんが小さく言った。

 僕は返事ができなかった。

 すると左眼の奥が疼きだした。

「それは違うでしょ玉木さん」

 そんなやりとりをしていると、曲が終わった。

 「いいじゃん」「完璧」などと笑顔のまま言い合う人々の間から、髪を後ろで束ねた先輩らしき女子がこちらへやってきた。

「もしかして、一年四組の実行委員?」

「はい。後任の玉木と箱崎です」

 玉木さんが言うのに合わせ、僕も小さく頭を下げた。

「白ブロックのリーダーを務める三年二組の天野あまのです」

 そう言って彼女は一歩踏み出し、僕と玉木さんの懐に入ってきた。もしこの人が殺し屋だったら間違いなく二人ともやられていたところだけど、天野先輩は僕らの手を取っただけだった。

「よろしくね、二人とも。力を合わせて絶対優勝しよう」

 笑顔や言葉、先輩から発せられるその他諸々の全てが眩さを纏っていて、こちらは粉になって崩れるのではと思った。

 いや、この後全員の前で自己紹介をさせられたことを考えると、ここで粉になっていた方が幸せだったのかもしれない。


 自己紹介が終わると、紺色のTシャツを渡された。

 体育祭でブロック毎に着るものらしく、広げてみると胸の部分に『目指せ三連覇』とゴシック体の白い文字がプリントされていた。

 見回すと、誰の胸にも同じ文字が躍っていた。誰もそこに書かれた言葉に、何の疑問も抱いていないようだった。

「なんか、とんでもないところに来ちゃったみたいなんだけど」

 隣にいる玉木さんに小声で言ったけど、彼女はそこにいなかった。

 同じ一年のクラスから来ている女子が友達らしく、そちらと楽しくおしゃべりを始めていた。

 やがて天野先輩が言った。

「それじゃあ休憩はこの辺にして練習を再開しようか。日の浅い人は、まずは上手く踊ろうとせずに、クラスの人たちに教えられるように振り付けを覚えることを優先してください。それから、何かいいアイデアを思いついた人は先輩後輩関係なく言ってね。みんな仲間なんだから遠慮しちゃダメだよ」

 方々から応じる返事が聞こえた。

 とにかく見て覚えようと思い、僕は教室の端に言って腰を下ろした。見て覚え、あわよくばそのまま踊らずに二週間を乗り切ろう。

 玉木さんは早速参加するつもりらしく、先ほどの女子と輪に加わっていた。

 僕ほどではないにせよこういう賑やかなノリは苦手なんじゃないかと勝手に思っていたので、彼女の前のめりな姿勢は意外だった。

 けれど、程なくして僕は、彼女が体育祭実行委員を引き受けた理由を知り、納得することになった。そこには吉田さんへの義理はあったのかもしれないけど、ごくごく小さなものだった。


 さっきとは別の曲が始まったところで、教室のドアが勢いよく開いた。

「遅れてすみません! 練習押しちゃって」

 戸口には、野球の練習着姿の男子が帽子を取って立っていた。

 彼を見た途端、僕の中で点と点が線で結ばれた。

 野球部員の胸にはマジックで『丸谷』と書かれていた。

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