体育祭(1)

 久しぶりの投稿になってしまった。

 けれどこれには理由がある。

 いま僕は、なかなか大変な状況に置かれている。

 どう大変かは追々説明するつもりだ。


 夏休みが終わり久しぶりに教室に足を踏み入れると、まず目に飛び込んできたのはミスミの頭だった。

 丸坊主になっていた。

「——何かの罰?」

 思わず訊くと、

「気合いだ気合い」

 と、彼はカラカラ笑った。

 聞けば、ラグビー部の合宿中に刈ったのだという。

「これからはラグビー部の時代よ。色気づいて坊主にもしない奴らが甲子園行くより先にこっちは花園行ってやるぜ」

 ラグビーはよく知らないけど「花園」というのは野球における甲子園的なものらしい。随分メルヘンチックなネーミングだと思うと同時に、教室内に野球部員がいやしないかと冷や冷やした。

「お前もどう、二学期デビューに。バリカンならあるぜ」

「絶対やめとく」


 そんなやりとりをしている僕らの間を、玉木さんが通り抜けた。

「おはよ」

 聞き間違いでなければ彼女はそう言った。

 僕はつられるように、

「おはよう」

 と答えた。

 玉木さんはこちらを見ることもなく、特に何も言わないまま椅子を引いて着席した。

「おい」

 とミスミが囁きにしては大きい声で呼んでくる。

「お前、何で——」

 玉木と喋ってんだ、と言いたいのだとわかった。

 話せば長くなるし、そもそも玉木さんの〈力〉のことは話すわけにはいかない。とりあえず「後で話す」と囁き返し、時間を稼ぐことにしたのだけれど、ここで不測の事態が生じた。


「あの、箱崎くん」


 鈴を転がすような声というのはこういうものか、と僕は初めて実感した。

 たぶん言われたのは一回だけど、その響きは頭の中で何度もこだました。それだけでもう一生いいですというぐらいに。


 僕はハッとして、机の側に立つ白川さんを見上げた。

「わたし、白川友梨香って言います」

 白川さんは緊張を全面に出しながら言った。引っ込み思案は嘘ではないようだった。

「は、はい」

 こちらも緊張して言った。相手の緊張がなくてもそうなったと思う。

「お話しするの、初めてだよね?」

「そ、そうかもしれません」

「花火大会の場所取り、箱崎くんがしてくれたって、みーちゃんから聞いて」

 みーちゃん?

 考えて、思い当たる人物は一人しかいなかった。

 その「みーちゃん」はこちらに背を向けたまま、頬杖をついて窓の方を向いていた。

「本当にありがとう。とてもいい位置で花火を見ることができたよ」

「それは何より……」

 半年近くこのクラスにいて初めてのポジティブなイベントだというのに、僕は玉木さんの様子が気が気でならなかった。

 フッと笑う声が白川さんから聞こえた。

「箱崎くん、これからもみーちゃんのことよろしくね」

「へ?」

 何を?と問おうとした次の瞬間、左眼の奥がうずき出した。

 チャイムが鳴って白川さんが席に戻っていかなかったら、僕は机に転がる自分の眼を見ることになっていたかもしれない。

 玉木さんは怒っていた。

 肩を寄せ合い、楽しそうに花火を見ている二人を想像したのなら無理もない。


 ミスミが唱える呪詛を気にする暇もなく、猫背にTシャツ姿のくたびれたおじさん——担任の水島先生がサンダルをペタペタ鳴らして入ってきて朝のホームルームが始まった。

「君らは一ヶ月半休めたかもしれませんが先生はお盆しか休んでません」

 開口一番言った先生に、

「いつも美術準備室で休んでるじゃないですか」

 と誰かが言って笑いが起きた。

「はい、今言った人と笑った人は内申点下げまーす」

 横暴だ、ハラスメントだ、というシュプレヒコールを受けながら先生は事務連絡を始めた。

 その中で、二週間後に行われる体育祭の話が出た。

 元々、体育祭の準備をする「体育祭実行委員」というのが各クラス男女一名ずつ選出される。うちのクラスでも一学期の初めに決めていたのだけど、水島先生曰く、男子の方は盲腸の手術で夏休みの終わりから入院中で、今週一週間は学校に来られない。また、女子の方は家庭の事情で放課後に居残ることが難しくなったとのことだった。

「吉田の代わりは玉木がやるってことでいいんだよな?」

「はい。引き受けてもらいました」

 と、女子の方の実行委員だった曽根さんが言った。

「で、問題は曽根の方だが——」

 教壇の上の先生と目が合った。

 合ってしまったというべきかもしれない。

「じゃあ、箱崎」

 その瞬間、僕の頭をまずよぎったのは、白川さんに名前を呼ばれた素敵な記憶が上書きされてしまった哀しさだった。

 それから遅れて、厄介事を理不尽に押しつけられた事実を認識した。

「席近いし丁度いいだろ。じゃあホームルーム終わり。全員体育館に移動な」

 ガヤガヤと始業式に向かい始めるクラスメイトたちの中で、僕だけはいつまでも腰を上げられなかった。

 横暴だ、と半開きにした口の中で呟くのがやっとだった。

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