夏休み(8)

 僕の中から音が消えた。


 初めそれは、僕の脳がキャパオーバーを起こしたせいだと思った。

 けれど、しばらく花火は上がらず、周りの観客たちも互いに顔を見合わせるなどしてざわつきだした。

 おかしいのは僕だけではなかったようだ。


 やがてアナウンスが流れ、機材トラブルが発生し、現在調査中であることを告げた。

 玉木さんが振り返った。

「わたしじゃない」

 僕が何も言わないうちから彼女は言った。

 別に僕も疑ってはいなかった。玉木さんは球を動かせるというだけで、その他の物をどうこうできるわけではない。

「ホントにわたしじゃないから」

「疑ってないよ」

 そんなことを言い合っていると、再びアナウンスが入って最後のスターマインを残しての中止が発表され、方々から落胆の声が上がった。


 暗がりの中、観客たちは不満な気持ちを漂わせながらぞろぞろと帰り始めた。

 結果的に恐れていた事態にはならなかったのだから、僕は安堵するべきだった。

 玉木さんに声を掛けて帰ろうとすると、「ねーねー」という声が聞こえた。

 弟くんが玉木さんのTシャツの裾を引っ張っていた。

 いつも二つある同じ顔が、一つしかなかった。

「あれ、ソラ」

 玉木さんが言った。暗かろうが双子だろうが、弟を見分けるのは簡単らしい。僕にはさっぱりわからないけど。

「リクは?」

「りっくん、いない」

「いつから?」

「ねーねーとカレシがケンカしてた時から」

「ケンカはしてない」

「というかカレシじゃないよ」

 僕は言ったけど、言ってる場合ではなかった。

「急いで捜さないと」


 辺りを見回しても、暗いのと動き出した雑踏で、とても小さな子を見つけ出せる状況ではなかった。そもそも自分が前に進むのすらままならなかった。

「——箱崎、この子お願い」

 何度も弟の名前を呼んでいた玉木さんは、残った方の子の手を差し出してきた。

 何かを決心したような硬い声に、僕は言われるままにするしかなかった。

「玉木さん……」

 こちらの問いも聞かずに、彼女は踵を返すと雑踏の中へ紛れていった。


 玉木さんが何をしようとしているのかはわかった。

 たぶんそれが、彼女にできる唯一のことだった。

 そして、彼女が得た力の、本来の使い方なのだ。


「ねーねーのカレシ、汗すごい」

「ご、ごめん」

 弟くんから手を離し、手汗を拭いて握り直した。


 次の瞬間、「ヒュー」と笛のような高い音が夜空に響いた。

 かと思うと、「ドーン」という轟きがそれに続いた。


 人々の足が止まった。

 誰もが音のした方を見上げていた。

「あれ?」「まだ続いてんの?」

 そんな声があちこちから聞こえた。


 その後も二発、三発と花火は打ち上がった。

 芝生広場は赤や青、緑の光に染められた。

「あ、りっくん」

 僕の傍にいた弟くんが駆けていった。

 その先では、いなくなったもう一人がベソを掻いていた。


 途中でまた「浣腸」をされながらも、二人を連れて玉木さんのところへ戻った。

 今度こそ花火が終わり、帰っていく人の流れに逆らっていくと、彼女はフェンスにもたれる格好で待っていた。

 外灯の明かりの中に見える顔には、疲れがにじんでいた。


「もしかして、花火について調べたの?」

 飛びついてきた弟たちの頭を撫でる玉木さんに、僕は訊ねた。

 すると彼女は、口元に薄い笑みを浮かべて言った。


「わたし、球なら大体好きにできるから」


 僕はそっと左目を隠した。

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