夏休み(6)
八月十七日、花火大会当日。
この日は水上公園の通常営業はなく、よってバイトは休みだった。
特にすることもないので部屋でゴロゴロと過ごし、気付けば夕方になっていた。
窓の外からは、花火大会に行くであろう人々のざわめきが聞こえてくる。
見れば、浴衣姿の人も少なくはない。
向こうとこちらで別の時間が流れているようだった。
「寂しいヤツめ」
大学生の姉が、そんな言葉を投げかけてきた。
人の部屋のドアをノックもせずに開けてくることについては、今更怒る気にもならない。
「うるさいよ。自分だって行かないくせに」
「あたしはレポートが忙しいの。それに花火大会ならもっとすごいの行ったし」
「はいはい」
すると姉はニヤリと笑って、
「暇ならコンビニでアイス買ってきてよ」
「自分で行けよ」
「今ちょうど乗ってきたとこなの。このレポート出さなきゃ留年だよ。その分学費が嵩むから、あんたの進学にも影響するよ?」
僕はため息をつきつつベッドから降りた。自分の進学を心配したのではなく、これ以上不毛な会話を続けたくなかった。
手を差し出したけど、姉は金を出す素振りを見せなかった。
「あ、貸しで。あんたバイトしてんでしょ?」
外に出ると、どこを見ても花火大会に向かう家族連れやカップルが目に入るようだった。
楽しそうに笑い合う姿を見ていると、ふと、玉木さんはどうしているだろうと思った。
わざわざ友達のために、僕に頭を下げてきた彼女は。
今にして思えば「目ん玉くりぬく」と言って脅されてもおかしくはなかった。
そんなことを考えつつコンビニに入りアイスを選んでいると、野球帽を被った一団が店に入ってきた。うちの高校の野球部だった。
彼らの会話が自然と耳に入ってきた。
「いいよな、丸谷は。彼女と見に行くんだろ、花火」
「先輩に見つかったらボコられるんじゃね?」
「でも丸谷だから大丈夫だろ。先輩たちもあいつには優しいし」
「怪我させたりしたら自分の方がヤバくなるもんな」
その声を聞きながら、僕はいくつかのことを思い出した。
玉木さんが野球の硬球を動かせるか試そうとしていたこと。
そして、教室の窓からサッカーの試合を見下ろしていた彼女の後ろ姿。
あの試合中、何度もシュートを打たれていた側のゴールを守っていたのは丸谷君だった。
ボールは彼を避けるように逸れていた。
丸谷君に当たらないように、逸らされていた。
玉木さんによって。
それら出来事の繋がりに、胸騒ぎがした。
まさかな。
僕はアイスを買わずに店を出た。
一度は家に帰りかけた足はしかし、反対の水上公園へ向かって歩き出した。
玉木さんに関しては、「まさか」でないことは経験済みだ。
水上公園は既にものすごい人混みだった。
当然のように入場規制が掛かっており、園内に入ることはできなかった。
諦める気が湧かなかったのは、目指す場所が水上公園の外にあったからだ。
水上公園の隣には芝生広場が併設されている。広場はなだらかな丘となっていて、ここからでも充分に花火を観ることはできる。
ついでに言えば、花火の打ち上げ場所とウォータースライダーの
こちらもやはり見物客で埋め尽くされていた。
更に日も落ちて来たので、たとえ知り合いだろうと、連絡を取り合わずに見つけ出すのは難しそうだった。
それでも、玉木さんに会わなければならない——そんな思いに駆られていた。
思い過ごしならそれでいい。
僕一人が恥を掻けば済むことだ。
だけど、もしそうでないのなら——
その時、尻に硬く尖った何かが突き刺さった。
「————ッ」
僕は声にならない声を上げ、文字通りその場で跳び上がった。
「キャハハハ」
聞き覚えのある甲高い笑い声が聞こえた。
尻に手を充てて振り返ると、同じ顔をした小さな男の子が二人、こちらを指してケラケラ笑っていた。
玉木さんの弟たちだ。
「ねーねーのカレシ、何やってんの?」
両手で「浣腸」を作ったまま、片方の子が言った。「何やってんのー?」ともう片方も続いた。
僕はカレシではないと断ってから、
「お姉さん、一緒に来てるの?」
「うん、あそこ」
実行役はプールと芝生広場を隔てるフェンスの一角を「浣腸」で指さした。
その先では玉木さんが、フェンスにもたれて立っていた。園内のどこかを凝視しているような格好だった。
痛みはまだ引いていなかったけれど、幼い頃からミスミに鍛えられてきたのでどうということはない。僕は少し内股になりながら、双子と一緒に彼らの姉の元へ向かった。
玉木さんがこちらに気付いた。
心なしか、目を瞠ったように見えた。
「花火、一緒に観てもいいかな」
周りで弟くんたちが「ヒューヒュー」と囃し立てた。
それに被さるように、打ち上げ花火の開始を告げるアナウンスが響き渡った。
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