第53話
降ろされたところは、古いものがゴタゴタと並んだ一軒家――「つなぎ屋」だった。秀の叔父が道楽で始めた店だ。
解放されて息を吸う。古いもの特有のカビ臭さ。だが嫌な感じはしない。
ああ。息ができるって素晴らしい。
「いやー、乱暴にしてごめんね」
「い、いえ」
カラカラと笑われ、居たたまれない。目を合わせられない。ウブだと笑うなら笑ってほしい。どうせこちとら童貞だ。ちくしょう。
女性は慣れた様子でレジカウンターの椅子に腰を下ろした。裕樹も近づく。何となく立ったままだ。
「あの……」
「そういえば自己紹介がまだだったね。あたしは今野珠美。シュウ坊みたいにコン姉でもタマちゃんとでも好きなように呼ぶといいさ」
「こ、今野さん。僕は」
「石井裕樹、だろう。シュウ坊から聞いてるよ」
くすりと珠美は笑んだ。妖艶な笑みだった。何よりカウンターに胸がどんと乗っている。存在感が半端ない。目のやり場に困る。十二単なのにここまで胸元が露出していいのだろうか。
「シュウ坊たちももうすぐ来るさね。敵はあたしらを追ってこなかったようだし、あっちを狙いに行ってるかもしれないけど……テンさんがいりゃ問題ないだろうさ。テンさんは堅物だけど腕は確かだよ」
「あ、あの……あの妖怪は何で僕たち……いや、有馬君を狙って……?」
「さてねえ。過激派なんじゃないのかい」
「過激派?」
「最近ツブヤイッタァの……炎上っていうのかい? あたしはあまり詳しくないけど。それで文句言いに来る輩がいるみたいさね」
「そんな……」
学校での立場も危ういところなのに、妖怪まで?
確かに秀のフォロワー数は多かった。異様なほど。その多くには妖怪も含まれているとは聞いていたけれど。
「そもそもね、シュウ坊と直接知り合いなわけじゃない奴も多いのさ」
肘をついた珠美が溜息をつく。その吐息すら甘さを含んでいそうだった。いちいち全てが艶めかしい。
「ネットだけの付き合いってことですか?」
「それもあるさね。あとは……元々シュウ坊のおじいさんが見える人でね。あの人……周作さんの知り合いだけどシュウ坊のことは直接知らないだとか」
周作、というのが秀の祖父だろう。
「あたしも周作さんからの付き合いだよ。割とよく一緒にいたからねぇ、シュウ坊のおしめを替えてあげたことだってあるもんさ」
「あはは……それは有馬君が聞いたら止めそうなエピソードですね……」
「んふふ」
口元を押さえてコロコロと笑う。まるで可憐な少女のよう。時に暴力まがいの色香を振りまき、時にこうやって花を綻ばせる。おかげで耐性のない裕樹はどぎまぎしっ放しだ。
「ただ……周作さんと仲良くしていて、シュウ坊のことはよく知らない妖怪からしたら、今回の炎上騒ぎは許しがたい気持ちもあるのかもしれないさね。周作さんを汚してー、ってとこかしら。ただでさえ多くの人の罵詈讒謗がはびこってて、陰の気が強まってるからねえ」
ふう。珠美が再び息をつく。
「……今野さんは、有馬君本人じゃないと思ってるんですね」
「当たり前じゃないのさ」
やけにきっぱりとしていた。
こちらを見上げた彼女は、不敵に笑う。
「シュウ坊があんな分かりやすいヘマ、するもんか」
「ど、どういう信頼ですか、それ」
「大体炎上騒ぎの間、シュウ坊は周作さんの面倒見るために病院にいたんだから。だから看護師さんや患者さんにもフォロワァはいるけど、むしろ同情的さね」
「ああ……そっか、ふつうにアリバイがあるんだ」
フォロワーの幅がどこまでも広いのはもうツッコまない。
「それにあたしは、シュウ坊のアカウントを乗っ取った犯人に心当たりがあるよ」
「え!? だ、誰ですかそれは!?」
裕樹は身を乗り出した。
ふ、と珠美は口元をたわめた。目を細める。九つの尾がゆらりと揺らめく。
珠美のぷくりとした唇が、静かに形作られる。一音一音が、艶やかに。
「ぬらりひょんさ」
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