第25話

「口裂け女だって!」


 朝、教室へ入るなりクラスメイトの賑やかな声が耳に飛び込んできた。裕樹はハッとして顔を上げる。クラスでは、紗希を男女が囲みひっきりなしに会話が飛び交っていた。


「ツブヤイッター見たよー! 紗希ちゃん大丈夫?」

「姫川が襲われたってマジかよ」

「口裂け女なんているわけないだろ?」

「本物じゃなくても、頭のおかしい女がうろついてんのは怖くね」

「紗希ちゃん可愛いから。妬まれたのかも」

「ありえる!」

「紗希をいじめるなんてサイテー!」

「警察呼んだ方がいいんじゃない?」


 わぁわぁと賑やかだ。裕樹ならそれだけで怯んでしまいそうだが、紗希は慣れているのだろう。困ったように笑っているだけだった。それにしても情報が早い。

 彼女と自分が一緒に下校したなんて知られたら……。

 ろくなことにならないに違いない。裕樹はゾッとし、緩く首を振った。

 コソコソと席まで移動し、鞄を置く。


(有馬君は……)


 クラスメイトの有馬秀を探し、視線を巡らせる。紗希以上に男女問わず囲まれていてすぐに見つかった。厳密には人に紛れて彼の姿は見えなかったが、大きな笑い声ですぐに分かった。楽しそうだ。やたらと。朝っぱらから。


(話、聞きたかったんだけどな……)


 紗希も秀もあの調子では、まともに話すことはできまい。

 裕樹は溜息をついた。




 授業の合間の休憩時間は、ことさらに短い。秀に声を掛けようとするが、大体誰かが先に話しかけている。昼休みは食事も早々にクラスのみんなに駆り出されてバスケに行ってしまった。裕樹は最終手段とばかりにワイフォンを取り出す。




「裕樹君ってば校舎裏に呼び出すなんて~。しかも放課後、人のいない時を見計らってだなんて! なになに? 愛の告白? 秀困っちゃう」

「えっと、石井君が呼んだの? 私も?」


 ――『話があるから姫川さんを連れて校舎裏まで来てほしい』というメールに、見事秀は乗ってくれた。裕樹なら女子を連れてくるなど――しかも理由もろくに説明せずにだなんて――それだけでハードルが高すぎるが、秀には何てことないのだろう。

 それを羨む気にもなれず、裕樹はこめかみをぐりぐりと揉んだ。


「有馬君も、聞いてるだろ。口裂け女の話」

「ああ、紗希が襲われたとか? よく無事だったよな」

「うん……すぐに逃げたから」


 思い出したのか、紗希の顔が青くなる。嫌なことを思い出させてしまった。しかし、解決するには現実逃避などしていられない。


「僕も見たんだよ。あれは……本当に口裂け女だったと思う。みんな頭のおかしい人間だって思ってるけど、口裂け女そのものだった」

「ふむ?」

「しかも姫川さん、誰かに尾けられてるって言うんだ。偶然とは考えにくいよ」


 単なるストーカーでも厄介だというのに、口裂け女だなんて。

 裕樹は歯噛みした。自分には手に負える話ではない。


「また姫川さんを狙って来るかも……。どうしたらいいかな。有馬君なら何とかできるだろ。アプリで、ほら、今までみたいに」

「あの……ちょっと待って? 何で秀君に?」

「有馬君は妖怪に詳しいんだよ」

「いやあそれほどでも」


 キャッ、とふざけて女子のようなシナを作る秀。相変わらずふざけている。こちらは本気だというのに。


「祐樹君怖い顔! もー、男は余裕があってナンボっすよ? それにしても口裂け女ねえ」


 秀は肩をすくめた。腕を組み、うろうろとその場を歩き始める。


「口裂け女さんは有名な都市伝説よな。マスクをした若い女性が、学校帰りの子供なんかに『私、きれい?』って聞いてくるやつっしょ? 『きれい』って答えたら『これでも?』ってマスクを外して、そしたらその口は耳元まで大きく裂けていた! ってやつ。それでも『きれい』って答えたらお前も同じようにしてやるーって刃物で口を裂かれるし、『きれいじゃない』って答えたらぶち切れてやっぱり斬り殺されるっつー、まあ、理不尽極まりない無理ゲーかっていう」

「笑い事じゃないよ……」

「社会問題にまで発展したってんだから口裂け女さんハンパねーよ。しかも百メートルを六秒だか三秒だかで走るとかいうし、うははオリンピック選手涙目。格好は色々言われてるケド、赤い傘で空飛ぶなんて話もあるらしいんすよ。スゲくね?」

「すごいけどさ。じゃあどうしたらいいわけ?」

「あの、私も少しなら聞いたことあるけど……ポマードって三回唱えるとか」

「そっすねー。口が裂けた原因が整形の医療ミスで、その執刀医がめっちゃポマードつけてたからポマードが苦手ってやつな。あとは確か、べっこう飴が好物とか何とか」


 確かに裕樹も聞いたことくらいならある。しかし、どうにも心許ない。


「大体どうして口裂け女が姫川さんを……いや、そもそも何で姫川さんに口裂け女が見えて……? 姫川さん、実は前から妖怪とか見える人?」

「ええ!? そ、そんなわけないよ! 今だって混乱してるくらいだし……!」


 紗希は慌てたようにパタパタと手を振った。そうだよね、と裕樹も引き下がる。

 ふむ、と秀は初めて思案顔になった。


「妖怪が見えるパターンっていくつかあるんすよ。つっても、オレが勝手にそう思ってるだけだケド」

「パターン?」

「一つはオレや祐樹君みたいに、何らかの縁ができて妖怪の存在を認知してるパターン。オレは妖怪って、みんな、『見えてない』んじゃなくて『気づいてない』だけだと思ってんだよね」


 秀の言葉の違いがいまひとつ分からず、首を傾げる。秀はヒラヒラと手を振った。


「まあ長くなりそうだからその辺は端折るとして。もう一つは妖怪からアプローチしてくるパターン。口裂け女さんとかそれこそ見えてなきゃ意味ねーっしょ? 姿が見えないままいきなり裂かれたら鎌鼬かっていう。そんで特に認知度の高い妖怪はアプローチもしやすいから、口裂け女さんレベルならオレや祐樹君じゃなくても……口裂け女さんが望めば割と誰にでも見えるんじゃねーかなぁ」

「そういえば、有馬君……以前、獣の耳が生えた女性と一緒にいたよね? あの妖怪も、あっちからアプローチを……?」

「あー」


 随分と気の抜けた「あー」だった。

 しかし、裕樹は今でも覚えている。あれは自分が百々目鬼に憑かれ、図らずも妖怪が見えるようになったばかりの頃だ。秀に随分と親しげに話しかけていた、金髪と胸の大きさが目立つ、年上の美女だった。頭に獣の耳を、背にはいくつもの尾を携えていた彼女は、今思えば確かに妖怪だったのだろう。


「コン姉はまたちょっと別種の物好きさんなんすケド。でもまあ、妖怪ってのは基本的に人間に興味持ってて、そうやってアプローチしてくる奴はいるワケ。興味のベクトルは様々だとしてもな」

「じゃあ……姫川さんが口裂け女に特別に狙われたわけじゃなくて、通り魔みたいなものなのか……?」

「それは分かんないケド」


 秀はあっさりと肩をすくめた。裕樹はその両肩をつかむ。そのままシェイク。


「また襲われてからじゃ遅いよ! 有馬君、今日は一緒に帰ろう!」

「お、おおう。三人で?」

「そう! アプリがあればすぐだろ! 危険があるなら排除しなきゃ!」

「祐樹君タンマタンマ地味に酔いそう」

「有馬君は危機管理能力がガバガバだからそんな悠長でいられるんだろうけど、僕たちは……!」

「おーっす」


 突然大きな人影が割り込んできた。裕樹はぎょっとして秀から離れる。秀にラリアットの勢いでぶつかってきたのは――クラスメイトの、鳴瀬昌明だった。

 裕樹はさらに一歩、彼らから距離を取る。


「ナル!」

「シュウ、こんなとこにいたのかよ。さっさと部活行くぞ」

「ちょ、苦しい、絞まる絞まる!」

「先に柔軟付き合えや。その後パス練な」

「勝手!」


 昌明は大柄だ。秀がズルズルと引きずられていく。引きずられたまま――無理矢理散歩に連れていかれる犬みたいだ――秀が声を張り上げてくる。


「ごめんな! 部活終わった後なら行けるから!」

「そんな……」


 ふと、昌明がこちらを振り返った。それから紗希へ目を向ける。

 しかし彼は、すぐに興味を失ったように秀を連れて行ってしまった。

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