第22話

 早朝、昌明が体育館のドアを開けると、大分聞き慣れた音が耳に飛び込んできた。バッシュと床が擦れる音。ボールの跳ねる音。

 しかしいつもの活気には物足りない。それもそのはずで、体育館にはまだ一人しか――。


「うっわ」

「へ? おぉ? 何なにこんな時間にナルが来るなんてレアじゃん、今日は雨でも降んの?」

「うるせえ」

「いてっ」

「俺が一番かと思ってたのにもっと早くにいるとか……引くわ……」

「何でだ!?」


 思い切り引いた昌明に、先客の秀が大袈裟に詰め寄ってくる。相変わらず朝からやかましいテンションだ。


「ま、ちょうどいいわ。先に柔軟手伝えよ」

「人に頼む態度じゃねぇ!」


 食ってかかるような反応だが、お決まりのポーズである。その証拠に秀はあっさりと寄ってきた。表情もすでにケロリとしている。ノリで生きているような男なのだ。

 一通り全身の筋肉を伸ばし、息をつく。それから座って開脚。ぐいと背中を押され、そのままに体を前に倒す。


「なに、シュウはいつもこんな早ぇの」

「うーん、まあ。ぼちぼち。ナルこそどうしたよ」

「気分転換」

「へえ」


 雑な回答に、雑な返事が返ってくる。この男のふざけた調子に振り回されるのは癪だが、テンポは嫌いでなかった。


「それよりお前、あの後速攻帰りやがって」

「うはは。あとは若い人たちでごゆっくり~と思って?」

「同い年だろうが」

「で、ケリはついたん?」

「……まあ」


 ぐっと再び押される。無言の催促のようで、昌明は顔をしかめた。


「彼女とは別れた」

「納得したんだ?」

「やっぱり泣かれたけどな。あと子供云々についても……絶対面倒にならねーように避妊は徹底してたから、俺は嘘だと確信してたんだけどよ。友香に『妊娠に関しては絶対なんてない』って叱られたわ」

「あはー。浅葱さんとはその後?」

「フラれたわ」

「あらら」

「『ホモサピエンスとしての興味はともかくとして、異性としては見られない』ってよ」


 どこまでもとぼけた断り方だった。彼女の方は大真面目なのだろう。

 不思議と、苛立ちはなかった。未練もない。あるとすれば、一度くらい揉んでみたかったくらいだろうか。どことは言わないけれど。


「ま、しばらく女はいいわ。バスケに集中すっかな」

「ほんとかよ」

「少なくとも、口説くのも別れるのもこれからは直接にするわぁ」

「懲りてんだか懲りてねーんだか」


 苦笑した秀が手を離す。

 昌明は立ち上がった。カゴに詰められたボールを一つ手に取る。革の感触がよく馴染む。

 ――正直なところ、今回の一連の騒動について、昌明にはまだ分からないことも多かった。妖怪と言われたってピンと来ない。秀自身についてもである。彼は何か知っていそうなのに、ろくな説明がないままだ。得体が知れないと言ってもいい。問い詰めてやりたいことは、たくさんある。

 ただ、それでも今は、とりあえず。


「シュウ」

「おーう」

「練習しようぜ」


 相変わらずヘラヘラ、フワフワした態度でいる彼に、昌明は思い切りボールを放ってやった。

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