第12話

「いやあ、焦った焦った」

「もう大丈夫なの?」

「おー。オレは別に。祐樹君も良かったなー、戻って」

「そう、だね……」


 窓ガラスに視線を向ける。反射して映る自分の顔はどこかぼんやりとしていた。だが、それだけだ。目玉などどこにもない。ただの平凡な、冴えない男子高校生の顔だった。


「それにしても、これは……」


 暗幕を開けて一息ついた二人は、改めて視線を横に移した。

 そこには、髪の毛を耳の下で二つに括った、小さな女の子。髪の毛を括るヘアゴムの飾りは目玉がモチーフだろうか。趣味が悪い。思い切り頬を膨らませて拗ねている。


「これは……」

「百々目鬼さんっすねー」

「これが!?」

「なによぅ! 誰がちんちくりんの目玉がキュートな美少女よー!」

「そこまで言ってないよ図々しいな! さっきの怪物みたいだったのは!?」

「色々善くないモンが溜まるとな、パワーアップしてああなっちゃうことがあるんすよ」


 カラカラと秀が笑う。彼はひょいとワイフォンを取り出した。画面をタップすれば、ぼんやりと画面が映る。


「その善くないモンをあのアプリで読み込むと、ちょっと吸い取れるんす。そうしたらほら、ご覧の通り」

「ご覧しても訳が分からないよ」

「何でもできちゃんすよ! ワイフォンならね!」

「開発業者も想定外だよ」


 ワイフォンに様々な機能を持たせた開発陣だって、まさか妖怪退治に使われるとは考えていなかっただろう。世も末だ。

 ひらりと机から降りた彼が伸びをする。


「ま、何はともあれ。無事で良かったよ」

「……お互いにね」


 どこまでも呑気そうな様子に、溜息を一つ。とはいえ本当に、彼がいなければ祐樹はあのまま百々目鬼に憑き殺されていたかもしれない。分からないけれど。目の前でむくれている少女を見ていると、どうにも自信がなくなるけれど。

 ふと、少女の姿にデジャビュのような感覚を覚え、祐樹は瞬いた。


「……あれ? この子……」

「どした?」

「有馬君のネットストーカーしてた子じゃ……」

「え?」


 どこで見たのかと思えば、ツブヤイッターだった。秀に執拗にコメントを送っていた主のアイコン画像が、彼女と――厳密に言うと彼女がつけているヘアゴムと一緒だった。そういえば、ブロックしたときも相手のセンスを疑った覚えがある。


「いや、そんなまさかだよね。妖怪だし」

「何よぅその通りよ!」


 まさかの本人からの肯定だ。ストーカー行為を全力で肯定してくるとは。

 あー、と短く呻いた秀が補足してくる。


「今時なら妖怪もかなりネット使ってんぜ? 直接だったり妖気で覗いたりとか色々あるらしいケド。オレのツブヤイッター見せたっしょ? かなり妖怪のフォロワーもいるんだケド」


 ひょい、と秀がワイフォンを見せてくる。つられるように祐樹も視線を落とした。ツブヤイッターが起動されている。改めてフォロワーの一覧を見――。


「うわ、気持ち悪っ」

「ひでぇ!」


 基本的にツブヤイッターは投稿者を「フォロー」することで相手の投稿を見ることができる。つまりたくさんフォローされているとそれだけの人数に自分の投稿、呟きが見られるのだ。そんな自分をフォローをしてきている「フォロワー」数が、秀の場合、バグではないかという数になっている。桁がおかしい。七桁はある。厳密には八百十一万三千三百二十一人。今も五人増えた。ただの高校生が、そんな馬鹿な。

 ちなみに祐樹のアカウントのフォロワー数は、画像投稿用が三千人弱。ただの呟き用なんて七人だ。文字通り桁が違いすぎる。


「八百万の神って言うしな? つくも神だけでも相当なもんすよ」

「……」


 どこまでもサラサラと流し込まれる言葉の数々に、祐樹は目眩がしてきた。意味が分からない。何が分からないのかも、もうよく分からない。妖怪がネットって。SNSって。

 恐る恐る目を向けると、見られた百々目鬼はフンと上機嫌で胸を張った。ペタンコな胸だ。


「そうよぅ! ドドちゃんはシュウ君とずっとお話したくて話しかけてたのよ。それなのにいつも邪魔が入って上手くいかないし……」

「何で有馬君に執着したんだ?」


 確か、百々目鬼は盗人に憑く妖怪だと、当の秀から聞いた。ここまで執着するからには、彼も何か盗みを働いたのだろうか。

 そう疑念がわき起こると、それを察知したのだろう、秀が「濡れ衣っすよ」と口を尖らせた。


「ふふん。聞いてちょうだい。シュウ君はね……」

「うん」

「ドドちゃんの心を盗んでいったのよ」

「……」


 何だかどこかで聞いたような台詞だったが、それはさておき。


「有馬君は妖怪までたぶらかしてどうするんだよ!?」

「うははは、いやあ」

「褒めてない!」


 笑う理由も照れる理由もさっぱり分からない。何だかとても疲れてきた。


「大体、それなら……僕は何でこいつに憑かれたんだ」

「何よぅ! ドドちゃんがあんたに憑いたのはちゃんと理由があるわよ」

「一体僕が何を盗んだっていうんだ……? まさか僕まで心を盗んだとか言うんじゃないだろ?」

「分からないの!?」


 ぷうっ、と子供っぽく頬を膨らませた百々目鬼は、その頬を上気させた。

 びしり。指が突きつけられる。


「ツブヤイッターよ!」

「え?」

「あんた、画像を無断転載してたわね?」

「え。……え?」

「人様の画像を勝手に無断で、それも我が物顔で使用するなんて、ドドちゃんから言わせれば十分盗みだわよ」


 じとじとと恨みがましい目を向けられ、祐樹はたじろいだ。

 自分のアカウントを思い出す。確かに、どこからか拾ってきた画像を使って投稿していた。それは事実だ。

 学校を休んでいる間は、外と繋がっていられる唯一の手段だったため、加速していたほどだ。


「……そんな、つもりはなかったんだけど」

「盗みは盗みよぅ!」


 無断転載。著作者に許可を得ず、勝手に転載する行為。

 何となく悪いことだとは思っていたが、自分がしていることがそれに当たるとすら考えていなかった。ただ、祐樹は反応が欲しかった。もっと言うなら、良いものを周囲に広めてあげたくらいの気持ちですらいた。――それだけだったのに。


「……ご、ごめんなさい……」

「ふん!」

「まあ、ほら、祐樹君も反省してっから……」

「……ほんと、ごめん」


 秀のフォローが、かえって気恥ずかしさを助長する。

 祐樹はのろのろとワイフォンを取り出し、少しの躊躇いの後、無断転載をしていたアカウントを削除した。画面に表示される、『このアカウントは存在しません』の文字。あんなに数を投稿していたのに、消えるのは一瞬だ。何だか呆気ない。だが、少しだけ清々したような、奇妙な気持ちだった。

 画面を覗き込んでいた百々目鬼が、ふふんと得意げな顔をする。

 はあ、と息が漏れる。ようやく日常に戻ってきたような――。


(……日常?)


 ふいに投げ込まれた疑問に、祐樹は表情を曇らせた。


「……でも……僕、どうなるんだ?」

「ん? どしたん祐樹君、マリッジブルー?」

「不安がってる人間に言う冗談かなそれ」

「ごもっとも!」


 ギャハハと失礼な笑い声を上げた秀は、浮かんだ涙を――そこまで笑えるのはある意味才能だ――拭った。


「祐樹君は大丈夫だよ」

「……え」

「妖怪に憑かれるとな、波長が合うんかな? 今まで見えなかったものが見えるようになる人ってのは一定数いるらしいんすよ。逆に憑いてるものを落としちゃえば、段々波長もまた戻ってくから。大丈夫。今はちょっと慣れないかもだケド、数日もすれば今までの日常生活に戻れるよ」

「……僕、は、ってどういう意味?」


 秀は答えなかった。ただ困ったように、少しだけ寂しそうに笑うだけだった。

 当たり前のように妖怪にも寄り添っている彼は、何を思っているのか。危なくないのか。どうせ彼のことだ、大丈夫だろう。そう思う自分もいる。

 そもそも自分なんかにできることなどあるはずもない。あとは、日常に戻って、彼ともただのクラスメイトに戻る。それだけ。ただそれだけだ。

 だけど――。


「……有馬君は、危機管理がガバガバだからね」

「唐突なディスり!?」

「とりあえず……何かあったらすぐ分かるように、連絡先……交換しておこうか」


 ぼそりと言ってワイフォンを差し出すと、秀が瞬いた。


「あっは」


 破顔した秀が、ケタケタと笑い出す。それはいつもの賑やかな彼らしい。同じく差し出されたワイフォン。何だか素直に交換するのも悔しくて、意味もなくコツンとワイフォン同士を当ててやる。

 何だか妙な世界に足を踏み入れてしまったものだと、祐樹は溜息をついた。


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