第2話

 昼休みは、若さが成せるのだろうか、賑やかだ。

 そんなことを同じく若いであろう石井いしい祐樹ゆうきは憂い、溜息をついた。

 この一年A組は賑やかで笑い声が絶えない。しかし自分には縁がない。まるで自分の周りだけ孤島であるかのように。

 周囲の明るい笑い声を雑音として片付けながら、祐樹はワイフォンを手に取った。

 ワイフォンとは多機能電話――電話やメールはもちろん、写真撮影や音楽鑑賞、ネット使用だってできる――で、今では誰もが持っている。暇潰しには持ってこいだ。

 画面をタップし、ツブヤイッターに目を落とす。


『暇だ』


 短い一言だけを打ち込み、投稿。反応は特にない。画面が他の人の投稿で流れていく。

 ――ツブヤイッター。

 短い文章などを投稿し、共有する、無料のコミュニケーション・ツール。

 気軽にやり取りができるため、学校でも流行っている。人との会話が苦手な祐樹も、匿名のネットの文章ならば気が軽い。昼休みは大体いつもみんなの投稿を見て時間を潰している。

 祐樹はさらに画面をタップし、ツブヤイッターのアカウントを切り替えた。

 ポチポチとワイフォンをいじり、ウェブ上の可愛らしい動物画像を検索する。出てきた画像の一覧で、特に目を引いたのは猫と犬が戯れているものだ。見ているだけで微笑ましい。


(今日は……これにするか)


 画像を保存。投稿。

 しばらくして、他の誰かが祐樹の投稿を共有し、徐々に拡散されていく。そのたびに通知が一つ、二つ、三つ。次々とその数は増え、反応が返ってくる。


『可愛い~!』

『癒される!』

『イイネ!』


 ――匿名のネットの文章ならば気が軽い。といえども、特に発信したいものもない。それでも誰かとの繋がりが欲しいと言うべきか、何らかの反応が欲しいと言うべきか――祐樹はよく、適当に見つけてきた画像を投稿していた。その方が見ている人もきっと楽しいだろう。どうせ自分の平凡すぎる日常を呟いたところで、誰も興味などあるはずもない。もう一つのアカウントがそれを証明している。


「石井君」

「うわ!?」


 ふう、と一息ついたタイミングでひょいと顔を覗き込まれ、祐樹はのけぞった。

 いつの間にだろうか、一人の男子生徒が自分の席まで来ていた。わざわざしゃがみ込んで、祐樹の机に両腕を乗せている。その腕に自身の顔を乗せ、何が面白いのかニコニコとこちらを見上げてくる。

 パーツの一つ一つが優しげで、見るからに好青年だという印象を与えてくる。

 名前は有馬ありますぐる。同じクラスだ。高校一年、まだ初夏だというのに、彼の話はやたらと耳にする。ついでに先ほどから笑いの中心にいるのは彼で、祐樹とはほど遠い人種なのは明らかだった。身長は百六十半ばと、祐樹とそう変わらないというのに、存在感の大きさは比較にもならない。


「な、何でしょうか」

「ぶは、何で敬語? それより石井君、お願いがあるんすよー」


 見るからに好青年めいた彼から出てきた言葉は、存外軽かった。チャラいと言ってもいい。

 祐樹はできるだけ目を逸らす。何せ――彼の取り巻きの目が怖い。何あいつ、地味なのに……と言われているように思えてきて仕方ない。本当にそんな声が聞こえてくるわけではないのだけれど。

 地味。猫背。髪がもっさりしている。暗いよね。すぐキョドキョドして何言ってるか分からないし。

 それらがよく祐樹に与えられる評価だ。だからこそ、正反対の明るく元気な秀の存在はそれだけで祐樹を惨めにする。


「お願い、って……? 有馬君が僕に?」

「そそ」


 あの、有馬君が?

 そう言外に込めた思いに気づいていないのか、大袈裟に手を合わせていた彼は、ニカリと笑ってワイフォンを取り出した。


「オレのワイフォン、なんか調子悪くてさー。アプリが上手く開けねーの。石井君、なんかそういうの? 機械? 得意なんだって? ほら、『イジリー』」

「……その呼び方は、ちょっと」

「ダメ?」


 ヘラヘラと矢継ぎ早に言われ、祐樹は渋い顔をした。

 確かに自分は、人と会話をしない分、機械いじりが好きだった。それがバレて中学の頃は「機械いじり」と「石井」ともじって――マトモにもじれていないような気がするが――イジリーなどというあだ名がつけられていたのだ。

 どうして中学の頃のあだ名を彼が知っているのか。疑問だったが、秀はすでに校内全ての生徒と交流があるなどという噂も聞く。どこから情報が入っていてもおかしくない。噂はさすがに尾ひれがつきすぎだとは思うけれど。


「やめてほしい、な」

「可愛くね? イジリー。石井君呼びよりステキじゃね?」

「嬉しくない」

「じゃあ祐樹?」

「……有馬君」


 あえて名字で呼ぶことを強調し、祐樹は眉間にシワを寄せた。きょとん、と秀が小首を傾げる。


「裕樹君でもお手上げ? 全然無理ゲー? ギブアップ系?」

「なんか有馬君の言葉ってバカっぽいよね……」

「スゲェ唐突にディスられた!」

「あ、ちが、ごめ」

「あーいいよいいよ、よく言われる」


 彼のノリに思わず毒が出たが、案外あっさり流された。むしろ返されたのは、飾り気のない、警戒心を置き去りにしたかのような人好きのする笑みだった。祐樹もホッと息をつく。おかげで結局名前呼びをスルーしてしまった。

 とはいえ、これ以上押し問答をしていても時間の無駄だ。できるだけ早く巣に帰っていただきたい。勇気を出して、顔を上げる。


「あのね」

「おーい有馬ー!」


 出鼻を挫かれた。

 声のした方を見れば、先輩だろうか、教室の入り口に見たことのない顔が二人ほど並んでいる。


「やっべぇしまった! 今行きまっす!」

「あ、ちょっと!?」


 祐樹が止めるより早く、秀は勢いよく立ち上がった。わたわたと背を向け、軽いフットワークで呼ばれた相手のところまで駆けて行ってしまう。そのまま談笑しながらどこかへ。あっという間に姿が見えなくなる。

 ポツンと取り残された祐樹の手には、秀のワイフォン。ゆるキャラのストラップが所在なさげに揺れている。


(えええええ……)


 ふいに、ズキリと右手が痛んだ。秀のワイフォンを握ったまま、目を向ける。手首に一本、赤くミミズ腫れた線が浮いている。

 ――いつの間に怪我したのだろう。

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